第3章 「あたし」と「わたし」

第32話 ほら、鼻からタバスコ突っ込まれるかも


 曇り空は嫌いだ。


 上を向いて空を仰いでも、憂鬱さが増すだけで、何もいいことがない。秋の天気は変わりやすくて、ついさっきまで晴れていた空は、今は……。


「で? あれからどうなったんだよ」


 デートの翌日。

 月曜日一時間目の授業のあと、隣の健吾がそう聞いてきた。あたしは少し眉を顰めて、けれど、周囲に気取られぬよう小声で


 「ちょっと、教室でそんなこと聞かないでよ。みんなに聞こえるでしょ」

 「大丈夫、誰も聞いてねぇって」


 健吾はそうやってふんぞり返ってたけど、1秒後には秘密の匂いを嗅ぎつけた健吾の悪友どもが周囲を取り囲んでいた。


 「何だよ健吾、優紀さんと内緒話かぁ? 相手が違うんじゃねえの」

 「実は、早くも美紀ちゃんと破局のピンチとか」

 「そっか、そっか、だからお姉さまに援軍を頼んでいるわけですな。優紀お姉さま、どうか哀れな義弟おとうとを導いてやってくだされいっ、ダハハ」


 ほら、言わんこっちゃない。


 あたしは、表情を崩さぬように注意しながら、心の中でがっくりと肩を落とした。

 突然現れた3人は、シンジとタカシと、ええっと、誰だっけ。

 ど忘れしてしまった。

 トレマがバンダナで、帰宅部で、背の高い……。


 ああ、もういいや。とにかく健吾の悪友A、B、Cだ。


 「それで、真相はどうなん? 美紀ちゃんとはうまくいってんの」

 「もう、キスとかしたんか?」

 「無理矢理キスしてひっぱたかれてたりして」

 

 Cの軽口に、健吾が食いついた。


 「くくっ。大正解。リアルにひっぱたかれちまった」


 どかっ、っと笑いが巻き起こる。曰く『よくやった』『お前は男だ!』『で、その後は?』まったく、高校生にもなって騒がしいことだ。


 健吾はチラっとあたしの方を見ると、

 「まったく、美紀も、照れ隠しがひどくてまいるよな~~」

 

 あたしのこめかみに一つ。笑顔には不似合いな血管が浮き上がる。

 

「……ホントは嬉しいクセによ。素直じゃねえから」

 血管が二つ。


「……あいつも、もう優紀さんを見習っておしとやかになればいいんだけど。ね、優紀さん。くくっ」


 ブチっ。

「健吾くん? あまり調子に乗らない方が良いと思うの……」


 笑顔は崩さず、お姉ちゃんのフリはやめず、それでもできるだけ攻撃力の高い言葉を選ぶ。


「あんまりひどいと、美紀ちゃんが怒って何するか分からないでしょう? ほら、前みたいに鼻からタバスコを突っ込まれるかも」


 鼻からタバスコ、というセリフでA,B,Cがズサっと引いた。


「マジで? お前らそんなことしてんの? どんなプレイだよ」

「美紀ちゃん怖い……。でも、ま、カワイイからいいのか? ハハ……」

「しっかし、健吾も懲りないでよくやるよなぁ」


 それを受けた健吾は、すました顔で、


「おうよ、美紀へのイタズラは俺のライフワークだからな。タバスコでもカラシ明太子でもどんと来いだ!」

 

 まったくハタ迷惑なライフワークだ。

 

 もう、ここまで来ると処置なしで、あたしは黙って頭を抱えるしかなかった。


          @


「で? あれからどうなったんだよ」


 次の授業が終わると同時に教室の外に連れ出されて、第2校舎の方へ向かった。


 第2校舎は視聴覚室とか作法室とか第二会議室とかトレーニングルームとか使用する時間が限られている部屋が主だから、普段はあまり人通りがないし、クラス数がもっと多かった時代の名残で使ってない空き教室とかもある。


 だから、人目を気にするような話をするにはもってこいだった。


 もっとも、人目を気にするカップルの逢い引きスポットでもあるのだけれど。

 あたりに人気がないことを確認して、適当な廊下の窓際に寄りかかる。

 

 意志の疎通を図るために簡単な確認をとって話を始める。

「あれからって、遊園地のことだよね?」


 健吾は頷いた。


「もちろん、お前がまだそんな格好してんだから、当然、バレてはいないんだよな?」


 あたしはムッとなって健吾を睨んだけど、その通りなのだから仕方がない、鼻から息を吐いて力を抜いて、しぶしぶと首肯する。


「ほらな、俺の言った通りだったろ?」


「……そ、そんなの、まだ分からないわよ? 昨日は気づかなかったかもしれないけど、先輩は、いつか絶対気づくんだから」


 認めてしまうのが悔しくてあたしは精一杯の捨て台詞を吐く。けれど、


「大丈夫だって。アイツはどうせ、どっちだっていいんだから」

「先輩はそんな人じゃないの!」

「ヘイヘイ……」

 健吾は処置なしとばかりに肩をすくめた。


「それより、アンタ、先輩に何て事情を説明したのよ」


「事情?」


「あたしがいきなり観覧車から飛び出した理由」


 どういうわけか、あれから先輩は何も尋ねようとはしなかったのだ。


『健吾から聞いた』と言ったきり、むしろ、意図的に話題を避けていた節さえある。

 

 あたしの正体がばれなかった一因はそれだ。

 先輩がそのことに触れていれば、あたしだって後ろめたさに耐えられなくなって全部バラしていた可能性もあるのに。


「どうなのよ? 健吾」


いきなり健吾が吹き出した。


「あれか? くくっ、ハハっ。あれはだなぁ」


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る