【第2章終了】第31話 大丈夫、アイツは気づかねえよ

「……よく分かってんじゃねぇか。バカ美紀」


盛大なため息をついて、やっぱり、神様はいじわるだ、と再確認する。

 こんな時はいつも、一番会いたくない奴に限って一番最初に現れるのだから。


「……何しに来たのよ」


 振り返りもせずに、あたしは呟く。


「俺は美紀の彼氏だからな。泣きたい時は慰めてやるのが男ってもんだろ?」

「おあいにくさま。今のあたしは朝倉優紀なの」


 くくっ、と健吾の笑い声が聞こえた。


「だったら、なんで逃げ出したんだよ」

「…………」

「鹿島から聞いたぜ。『好きだ』って言ったらいきなりうつむきだして、観覧車が下に着いたと同時に飛び出してったって」


 キスのことは内緒のようだった。

 先輩は、あたしに気を遣っているのだと思う。

 それなのに、あたしの背後で、健吾はおかしそうに声を震わせ笑い続ける。それが無性に腹立たしかった。


「お前のことだから、どうせ、思ったより大事になっちまって怖くなったんだろ? すぐばれると思ってたのに、ダメもとで、ばれたら諦めようと思ってたのに、好きだなんて言われてビビっちまったんだろ?」


「分かった風な口きかないで。ビビってなんかいないわよっ」


「じゃあ、なんだよ。なら、お前も好きだって言ってキスの一つでもしてやればいいじゃねえか。儲けモンだろ? ホントなら一発でバレて嫌われちまうはずなんだから」


 一瞬だけ、キスのことを言おうかどうか迷ったけれど、健吾なんかに言う必要はない、と心の中で結論を出して、


「……そんなひどいことできるわけないじゃない」


「あぁ? 何が、ひどいんだよ」

 

 首だけを回して、あたしは健吾の方を振り向く。


「そんなこともわからないの?」


 やっぱり健吾は、バカで考えなしの無神経男だ。


 人を騙して無理矢理キスしても、儲けモノだとしか思わないのだ。

 あたしのファーストキスがこんな奴とだったなんて考えると、胸がむかむかしてどうしようもない。


 ……でも、もしかしたら先輩も同じことを考えるのかもしれなかった。無理矢理ではないけれど騙してキスをしたのは、あたしも同じだから。


「何いってんだよ。ひどいのは鹿島だろ?」

「気づかない方が悪いって言うの? 騙される方がバカだ、って」


 そんなの、最低の考えだ。

 泥棒をして、盗まれる方が不用心だと開き直っているようなものだった。

 だけど、健吾は、


「当たり前じゃねえか。騙された鹿島がバカなんだよ」

「……あんたって、ほんとサイッテーね」


 吐き捨てるように呟くと、健吾は心外だとばかりに顔を顰め、


「……あのなあ、仮にも惚れた女だぜ? それなのに入れ替わってもわからねえってどんなだよ。むしろ傷つくのは優紀さんだろ? お前、自分の彼氏が他の女といちゃいちゃしてたらどう思うよ?」


「なんで、そこでお姉ちゃんが出てくるのよ。お姉ちゃんが傷つくはずないじゃない。仕組んだのは全部お姉ちゃんなんだから」


「……揚げ足とるなよ。メンドくせえな。ものの喩えって奴だろ? 要するに、ひどいのは鈍感な鹿島の方だってこと。だいたいさ、入れ替わっても分からない程度で好きだなんて、よく言えるよな。これだから独りっ子のお坊ちゃんは、ってか? 美里が嫌うのも分かる気がす…」


「……健吾、それ以上言ったら、ここから下に投げ飛ばすから」


 凄みをきかせたセリフは、半ば本気だった。

 健吾は、『おお、怖い……』と大げさに身体を震わせ怖がるそぶりをみせ、それから一度ため息をついて、


「まだ、あんなのをかばうのか?」

「かばうとか、かばわないとか、そんなの、あたしたちは一つ子なんだから、見分けられなくたって当たり前じゃない」


 健吾は、面白そうに鼻先で笑って、


「あのなあ、言っとくけど、俺だったら、お前がどんな格好してたって一発でわかるぜ?」

 

 あたしは黙って健吾を睨む。


「たとえ、優紀さんが千人いたってその中からお前を見つけ出せる。絶対に」

「バカじゃないの? そんなの、あんたはほとんど生まれた時からずっと隣に住んでるんだから、高校で初めて一緒になった先輩を比べる方がおかしいわよ」


 健吾は肩をすくめて『ヘイヘイ』となおざりな返事をする。


「まあ、そうかもな。でも、出会って半年っていう時間がネックなんだったら、鹿島が優紀さんを好きな気持ちだって、所詮、半年程度なんじゃねえの?」

「……………」

 

 悔しかった。

 答えられないあたしを見て、健吾は尚更いじわるそうにわらう。


「あいつ、ホントに優紀さんのこと好きなのか? もしかしたら、本当にお前でもかまわないんじゃねえの? なんたって、同じ顔だし、同じ遺伝子だし、同じBカップだし。くくっ」


 怒るべきところだったのかもしれない。事実、健吾はあたしのヒステリーを予想して後ろに飛んでいた。でも、単純には怒れなかった。


「あれ、怒らねえの? ま、いっか。……とにかく、鹿島が優紀さんだと思ってれば、お前はやっぱり優紀さんなんだよ。どこに違いがあるんだよ。リボンか? 指紋か? 性格か? リボンなんて入れ替えれば分からねえし、鹿島だってまさか優紀さんの指紋を好きになったわけじゃねえだろ?」


 健吾はそこで一旦言葉を切って笑った。自分で言った『指紋に恋をする』というフレーズをいたく気に入ったようだった。


「で、最後の砦は性格ってわけだ。本当なら月とスッポンだもんな。くくっ。でも、それが入れ替わっても気づかないんじゃあ、結局、鹿島の奴は、優紀さんの何が好きだったんだろうな。お前、どう思う?」


「……そんなの、知るわけないじゃないっ」


 ほとんど泣きそうになりながら健吾を睨みつける。先輩がかわいそうだった。

 どうしてこんな奴に、先輩がそこまで貶されなければならないのか。


「じゃあ、やっぱり、鹿島は別に優紀さんでも、お前でもどっちでもいいんだろ? ならいいじゃねえか。好きだって言われたら、適当に好きですって言い返して、キスの一つでもくれてやれば。いきなり逃げ出すよりも、その方が、アイツも喜ぶぜ? きっと」


「そんなのひどすぎるわよ!」


「またそれか。どこがひどいってんだよ」


 健吾はうんざりだとばかりに首をふる。


「だって、先輩が気づいたら、もっと、ずっと傷つくんだよ? 騙されてたことにも、気づけなかったっていうことにも、きっと。……そうよ、先輩はアンタみたいに無神経じゃないんだから、儲けモンだなんて思ったりしないんだから!」


 健吾はバカにしたように笑い、


「大丈夫、アイツは気づかねえよ。あの鈍感さは、恐竜並みだぜ? フタゴサウルスとか、その辺の」


 健吾は笑い続ける。その声を聞いているのが耐えられなくて、


「気づくわよ! いつか絶対。先輩はお姉ちゃんが好きなんだから」

「気づかねえって。アイツは別にどっちだっていいんだから」

「気づくのっ!!」

「気づかない」


 威嚇するネコみたいに向き合いながら、お互いに視線を戦わせる。

 よく分からないところで意地の張り合いが始まってしまったけど、負けるのなんて絶対イヤだった。

 絶対に引けなかった。


 そして、もう一度、健吾が笑った。


「じゃあ証明して見せろよ。鹿島が気づくって言うならさ。……どうせムリだろうけどな」


 その言い方がカンに障った。

 あからさまにバカにするようなせせら笑い。


「ムリじゃないわよ!! 先輩は、そんな人じゃないんだから!!」


 そこで、健吾は気味の悪い笑みを浮かべた。

『にんまり』と擬態語が聞こえる気さえした。


「じゃあ、まだ優紀さんのフリを続けるんだな?」


 えっ?

 ちょ、ちょっと待て、それとこれとは話が別で、


「じゃ、今すぐ鹿島を呼ぶからな」

「ちょっと待ち、な……」


 そう言うあたしを尻目に健吾は携帯を取り出しピポパポピ。


「あ~~~っ!!」


 急いで邪魔をしてすぐにやめさせようと思ったけど、健吾は携帯を耳に当てたままスタコラとその場を走り去ってしまった。

 遠くの方から風に紛れて話し声が届く。

 話し声は遠ざかり『あ、鹿島? 優紀さんがみつかったぞ。……そう。……、………、……、………』


 静寂。


 嵐が去って、静まりかえったバルコニーに、一人取り残される。


 健吾を捕まえようと伸ばした手は宙に浮いたままで、怒鳴ろうと思って開けた口は半開きで、どうにもこうにも格好悪くて恥ずかしくて、やり場を失った怒りを抱えたまま、あたしは荒く鼻息を吐く。


 「……んもうっ!!」


             @


 時刻は四時二十七分。

 西の空はほのかに茜色に色づき始める。


 空には雲一つなく、冬初めの風が肌に冷たく、下を歩くカップルは、みな暖め合うように寄り添う。

 それをぼんやりと見下ろしながら、あたしはあの時のことを思い出していた。


 あのときの、第二校舎四階の女子トイレでのこと。


 ――先輩は、お姉ちゃんが好きなんだよ


 あたしはそうやって叫んだ。だけど、お姉ちゃんは無邪気に微笑みながら答えた。


 ――だったら、どうして気づかないの?


 あたしは、答えられなかったのだ。


 同じ場所で同じ人間が同じ行動をとれば、そこには違いなんて一つもない。

 同じ顔で、同じ声で、同じ仕草をしていれば、2人を見分ける方法なんて指紋しかない。


 たとえ、親兄弟だろうと、恋人だろうと、分からないものは分からないのだ。

考えてみれば当たり前の話なのに、自分だって健吾にそう言ったクセに、そんな単純なことがどうしても納得できなかった。


 先輩は、本当に、気づかないのだろうか。


 真実の恋も永遠の愛も、そんなモノはまやかしで、指紋検査にさえ及ばないのだろうか。


 一人悶々としながら、先輩を待つ。


 刻々と近づく裁決の時を。


 先輩が鏡のバルコニーに現れたのは、それからわずか二分と二十三秒後のことだった。


(第2章 終わり)

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