第7話 一つ子なのに

やがてそれはあたしの部屋の前で止まった。


「入るぞ美紀。いるんだろ?」

 

 ……健吾だった。

 

 ほっとしたらなんだか腹が立ってきて、一瞬思いっきり怒鳴りつけてやろうかと思う。


 けどやめにした。


 健吾なんて、お姉ちゃんや先輩以上に会いたくない。


 あたしが泣いてたって慰めるどころか指さして笑うような奴なのだ。

 寝たふりをしてやり過ごすのが一番だった。


「寝てんのか~?」


 そう。

 あたしはショックで疲れて寝込んでるのだ。

 乙女の寝室に勝手に侵入なんて、犯罪以外のなにものでもないんだから、

 いくら健吾だって、そこまではやらないだ…ろ……


「じゃあ、入るからな~~」

 

 ちょっと待て。

 アンタには良識っていうモノがないのか。


 制服はしわだらけだし、髪の毛は乱れ放題だし、部屋は散らかりっぱなし。

 おまけに泣きはらした顔はかなりの高確率でひどい状態になっている。健吾に見せたら10年はネチネチからかわれ続けるに違いなかった。

 あ~~もうっ、


 ガチャ。健吾がドアを開け、中に……


 あたしは、頭から布団をかぶって亀になった。

 もうてこでも動いてやらない。


「オイこら、起きろ美紀。どうせ起きてんだろ?」


 寝てるのよ。


「お~い、早く寝たフリやめないと、お前が小学四年生の時おねしょしたことをバラすぞ?」

 バラせるものならバラしてみろ。

 そしたら、こっちはアンタが昔、

 ミサちゃんのお人形の首を取ったことをバラしてやる。

 八つ裂きになれ。


「あ~、もう、めんどくせーな」


 めんどくさいのはこっちだ、とあたしが思っていると、

 健吾はいきなり力一杯布団を引きはがしにかかった。


 あたしは『寝てる』のだから、力を込めて対抗するわけにもいかなかった。

 だから、亀をやめて仰向けになって、あっさりと布団を放してたぬき寝入りを続行することにして、でも、

 

 次の声は、本当にすぐ耳元から聞こえた。


「……おい。早く起きねえと、王子様が目覚めのキッスをしてしまうぞ?」

「う、うわっ、バカっ!!」


 殴った。


 目を開けると同時に、目の前に迫った顔めがけて思いっきり平手打ちを喰らわせた。


 右手にハッキリ手応えを感じた。

 痛そうな音が響いて、あっという間に飛び退いて腰の引けた臨戦態勢を取った健吾の頬には、真っ赤な紅葉マークがついていた。


「ちょっ、おま、なにすんだよ!!」

「バッカじゃないの? それはこっちのセリフよヘンタイ!! 何すんのよ。人が寝てるのをいいことに」


「寝てるのを……? って、何言ってんだ!! 起きてたくせに」

健吾は思いっきり揚げ足をとってきた。

「ち、違うわよ、今起きたの! アンタに起こされたの!! 身の危険を感じて野生のカンに目覚めたの!!」


 起きてたのはホントだけど、認めてしまうのも悔しい。

 だいたい寝たふりでも何でも、女の子が寝ている部屋に勝手に入ってきて『キスするぞ』だなんて、何を考えているのだこいつは。


 と思っていると、健吾は呆れたように頭を掻いて


「……あのなあ、身の危険って、俺がホントにキスなんてすると思ってんのか?」

 

 ……え?


 頭に上った血がそれこそあっという間に下がってきた。

 

 それは確かに、ぜんぜん思っていなかった。

 そもそも健吾と自分がキスをしてるところなんてこれっぽっちも想像できない。あまりにも似合わなさすぎる。


「冗談に決まってんだろ。優紀さんならともかく、誰が好き好んでお前なんか」


 からかうように笑って、健吾は逃げるように後ろに跳んだ。

 きっと、あたしのヒステリーを予想していたんだと思う。

 

 あたしも、普段だったら怒鳴るか叩くか投げ飛ばすか何かしていたと思う。

 

 お姉ちゃんと比べられて、お前なんかって言われたら、もうとっくに沸点を飛び越えているはずだ。


でも、なんだか今日はとても怒る気になれなかった。


「……そうだよね」

 ……どうせあたしなんて、と思った。

 へへ、って、弱々しく笑う。

 怒ることじゃない。

 だってあたしは、わがままで、怒りっぽくて、

 お姉ちゃんみたいにおしとやかじゃないし、可愛らしくもないし、

 料理だってできないのだから。


「そっか。そうだよね。へへ……、冗談に決まってるよね。

 何いってんだろあたし。

 ははは、そうだよね。あたしなんかに、キスしたくなるわけないもんね」


 もう一度、へらっ、と笑ったら、緩んだ目元から涙がこぼれ落ちてしまった。


「お、おい、何だよ、どうしたってんだよ」


 自分でも、何を言っているのか分かっていなかった。

 本当は、何も話したくなかった。

 健吾なんかに聞かれたくはなかった。でも、言葉は止まらなかった。


「なんで、一つ子なのに、こんなに違うのかな……?」

「おい美紀……」

「なんで、あたしは、怒りっぽくて、わが、ままで…」

「美紀……」

「……お姉ちゃんみたいにっ、……おしとやかっ、でもっ、ないっ、しっ、……かわいっ、くもないっ、しっ……」

「美紀っ!!」


 両手で肩を掴まれて、ビクッとなって言葉が途切れた。でも、涙は止まらなかった。


 お姉ちゃんになりたいって思った。

 

 優しくて、あったかくて、大好きなお姉ちゃんに。


「なに泣いてんだよ。らしくねえぞ。……ったく」

 鼻をすする。

 涙でぼやけた視界の中に健吾を見る。


「お前は美紀だろ。わがままで怒りっぽくて、おしとやかじゃないんだろ? だったら、めそめそ泣くなよ。気持ち悪りいな」


「……そんなっ、ことっ、言ったって」


 泣きやめないものは仕方がない。

 もう一滴も出ないってくらい泣いたはずなのに、嗚咽をこらえた喉が痛くて堪らないのに。

 こんな姿、健吾にだけは見られたくないのに。


「悪かったな。別に、お前が可愛くないとか、そんなことねえよ」

「うそ、つき。おせ、お世辞、なんてっ」


 お世辞なんていらないのだ。どうせ、健吾なんて何も考えずに口を動かしているだけ。

 自分がどれだけ可愛くないかなんて、自分が一番よく知っている。


「あたしなんて、どうせ、どうえっんん??」


 え?

 一瞬、何をされたのか分からなかった。

 健吾の顔が近づいてきたところまでは分かる。

 それから、急に近づきすぎて焦点がぼやけて暗くなったかと思うと、

 気がついた時には、ふたりは元のように離れていて……、微かに残ったのは、唇の感触。


 !!

 キスをされた。

 理解したと同時に全身の血液が沸騰する。


「なにすんのよっっ!!」


 派手な音が響いて、健吾の頬についた紅葉マークに、二つ目が重なった。


「ちょ、ちょっと落ち着け……もがっ」


弁解する健吾に、ぬいぐるみがクリーンヒット。双子熊のパーさんとプーさん。


「出てってよっ! 今すぐここから出てって!!」


 ……初めてだったのに。ファーストキスだったのに。

 手当たり次第にものを投げつけながら、声を張り上げて叫んだ。

 自分でもなんて言ったのかわからなかった。


 さっきとは違った涙が頬を伝う。

 

 それは、悔しさであり、怒りの涙だった。


「何だよっ。俺がキスしたくねえって言ったの聞いて、お前が泣きだしたからだろ」


「あたしのせいにするなっ! ヘンタイ。バカ!!」


「いた、いたた!! おい、ちょっと、待て。」 

 

 ぬいぐるみ、文庫本、筆箱、手当たりしだいにそこら中のもの投げつけていく。

 投げるものはどんどん硬くて重いものになっていったけど、気になんてしない。どうせ、その気になれば健吾は避けられるのだから。

 最後に、教科書の詰まったカバンを、思いっきり……


 健吾が頬をさする。


「くそぅ~。自分で誘ったくせに、なんてわがままな奴だ」


 去り際に、健吾は、ニシシシっと笑った。


「誘ってな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!!」


投げた。


重たいカバンはドアにぶつかって、激しい音を立てた。

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