第8話 二人の約束

「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!」


 何度も張り上げたせいで、もはやガラガラになった悲鳴が、廃屋内にこだまする。


 ココが現在脚に刺している短剣はようやく十二本目、最後のものだった。


 最初はすべての短剣を腕に刺していたのだが、徐々に時間がかかるようになったため、肩、腹、脚と場所を変えていった。

 おかげで全身傷だらけである。


 吸血が終わり、一気に短剣を引き抜く。


「う“う”ぅっ!」


 今にも地面に倒れ込みそうになりながら、彼女を最後の短剣を包みに入れると、それをマッシュの方へ投げて渡した。


「さあ、約束は果たしたんだから……、ルイを……」

「ああ、分かってるよ」


 ふらふらになったココを見て、マッシュは意地悪く笑った。


「だけどまだだ。あの時殴られた分の仕返しをしておかなくっちゃな!」


 そう言ってマッシュは、最初から握っていたナイフをルイへと向けた。


 最初から彼に約束を守るつもりなどない。


 『組織』からはココの血を持って来いとしか命令されていないが、その途中で人が死んでも『組織』は気にしないだろう。

 もともとその程度は必要経費だと考えているに違いない。


「死ねぇえ!」


 ルイはいまだに目を覚ます様子はない。

 動かぬ的にナイフを突き立てられぬほど、マッシュは不器用ではない。


 しかし、ルイの首に届く直前、ナイフは瞬間的に赤錆に包まれた。

 そしてまるで植物が根腐れを起こすように、マッシュの手からポロリとこぼれ落ちる。


「《バイティング・メタル》。お前なんか信用するわけないでしょ」


 振り返ると、ココが手をこちらに向けていた。

 満身創痍のはずの彼女の目にはまだ強い光が宿っている。


 ココが使ったのは親密度レベル3の魔法・《バイティング・メタル》である。

 魔力が武器を腐食させ、使い物にならなくする。


 さらに彼女は、手の平に黒い光を集めて言った。


「さて、武器無しで私と、どこまでやれるかしらね。また骨が折れないといいけど」


 マッシュはココのことを、上から下までよく観察してから言った。


「ハッ、死にかけのくせによく言うぜ。だがまあ、今日はこれで引いてやるよ。任務は達成できたわけだしな」


 彼は包みを拾いあげると、ココが居る地点とは逆の、裏口から出て行った。


 事実、彼女のそれはほとんどが虚勢であったため、ここで引いてくれたのは非常に助かった。

 一方、マッシュも強がってはいたが、やはりココに足を折られた時の恐怖があったのだろう。


 ココはマッシュが居なくなると、すぐさま駆け出した。


「ルイ!」




 ぴちゃりと滴が足に垂れる感触に、ルイは目を覚ました。

 靴にかかったそれを拭ってみると、妙にぬるぬると滑った。

 見てみると赤い色をしている。


「ルイ! ルイ!」

「ん……?」


 顔を上げると、血だらけのココが、ルイに縋りつくようにしてそこに居た。


「え……」


 一瞬で何があったのかを思い出し、慌てて身体を起こす。


 あの時、マッシュが雨の中で声をかけてきたのだった。顔は見ていないが、あの声は間違いなくマッシュのものだろう。


(たしかそれから僕は頭を殴られて……)


 そこでルイはココの姿を改めて見た。

 ひどく痛々しい姿をしている。

 肩や脇腹に大きな刺し傷があり、そこから大量の血液が流れ出ているようだ。


「コ、ココ……。それは……」


 血こそが妖精の力の源じゃなかったのか。


 すると、血まみれのボロ雑巾のようになった彼女は顔を上げ、安心したような笑みを浮かべて言った。


「よかった……。ルイ、怪我はない?」


 どう見ても自分の方が重傷なのに、あくまでもこちらを気遣う態度。


 その瞬間、それまで常に理知的に物事を考えようとしていたルイにしては珍しく、たった一つの感情が彼の心を埋め尽くした。


 それは怒りだった。

 自らに対する激しい怒りが、ルイの心の中で燃え上がっていた。


 ──なぜ彼女が傷を負わなければいけないのか。


 ココは恐らく、マッシュのせいでこうなったのだろう。

 だが、それだけではないのではないか。そんな考えがルイの頭にはあった。


 自分が、敵と味方を明確に区別することなく、一人が廃人になった程度で動揺していたから、最初から絶対の味方でいてくれたココが、こんな重傷を負う羽目になったのではないだろうか。


 誰とでも仲良くしようという考え方は、平和な世界では有効だったかもしれない。


 しかし弱肉強食のこの世界では通用しない。敵はこちらと対話する前に攻撃を仕掛けてくるからだ。

 みんなで手を繋いで仲良くすることなど有り得ない。


 自分のせいじゃないだろうか。


 なぜ、いったいどうして、明確な障害だと分かっていたマッシュ一家とも、仲良くしようと思ったのだろうか。


 つまるところ、覚悟が足りなかったのだ。

 我が身可愛さに傷を負うことも、手を血で汚すことも敬遠していたから、そんな考えを抱いてしまった。


 自分はココに守られていたにもかかわらず。


 なんて情けないのだろう。自分が恥ずかしくてたまらない。


 ルイは思わず頭を抱えた。


 この世界で生き抜くためには相応の努力と、厳しい覚悟が必要だ。

 何者にも負けない鋼鉄の意思で、たった一つのことをやりぬかなければいけない。


 血まみれになったココを目の前にして、初めてルイは己の過ちを自覚した。


「ルイ、どうしたの? ごほっごほっ……」


 言いかけて彼女は、激しく咳き込んだ。口元から血が垂れる。


 ルイは強くココの肩を抱き寄せた。


「大丈夫。大丈夫だから、もう喋らなくていいから」

「ごめんね……」


 ココは泣き出しそうなか細い声で呟いた。


 何を謝ることがあるのか。謝るのはこちらの方だ。


 彼女は自分を大切に思ってくれている。

 彼女は自分を思いやってくれている。

 今も、微塵もブレることが無く、愛を寄せてくれている。


 ならばそれに答えなければいけない。


 外では激しい雨が、何かを強く訴えるようにドアを叩いており、ついには雷までが鳴り始めた。


 彼は、感情のままに力強くココを抱きしめ、必死に嗚咽をかみ殺して言った。


「こ、これから、僕が、ハッピーエンドにしてみせるから! これからは、絶対に! 幸せにしてみせるから!」



 これが二人の物語の本当の意味での始まり。


 これまですれ違いがちだった二人の歯車が、がっちりと絡み合った瞬間だった。


 この瞬間があるから、これから先にどんな困難が待ち受けていようとも、二人の絆が壊れることはない。


 今ここに、二人は真実の愛を交わしたのである。

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