第7話 ココの覚悟

 この町の共同墓地は、裏山を一部切り開いた所にある。

 死後、村のことをよく見守ってもらえるようにと、高い場所に作られたのだが、暗い雨の中だとそれはまるで、覆いかぶさるような圧迫感を伴っていた。


 高く積まれた、蔦の絡まっている石垣を過ぎると、木製の黒い屋根の家が見えてくる。


 もともとは墓守の家だったのだが、前の墓守が死んでから後を継ぐ者がいなくなってしまった。

 滅多に人が来なくなったため、壁は泥で汚れており、家自体も半ば朽ちて傾きかけている。


 ココはその家のドアをゆっくりと押し開けた。

 いるならきっとここだろう。


 そこには、力なく倒れたルイと、若い人間の姿があった。


「ルイ!」


 ココは人間を無視して、一目散にルイの下へ駆け寄ろうとした。

 しかし、


「動くんじゃねえ!」


 脅しつけるような声に足を止める。

 人間がルイの首筋に何かを当てていた。暗がりによく見えないが、刃物か何かだろう。


 彼女はひどく不満げな声で尋ねた。


「何なの?」


 ココの怒りに反応して、魔力が周囲の空気を波打たせた。

 黒い霧のようなものが、彼女の身体から立ち上り、シューシューと音を立てる。


 それに対し、人間はおもちゃを貰った子供のようにナイフを振り回し、歓声を上げた。


「ハハハハハ! あの黒の妖精が本当に止まったぞ! こんな奴のことが、そんなに大事かよ。伝説にもなった存在がみっともねえな」


 ココは黙って相手を睨みつけた。


 ルイに危険が及ぶ可能性があるうちはまだ手出しはできない。

 しかし少しでも隙を見つけたら、即座に相手を殺すつもりだった。

 手段を選ぶつもりはない。ルイが無事に戻るのが最優先だ。


 その時、ココはようやく目の前の相手が誰なのか思い出した。

 ルイの従弟で、たしか名前はマッシュとかだったはずだ。


 ココは基本的にルイ以外に興味が無いため、人間の区別はつけていない。

 ルイだけが特別であり、ルイ以外は有象無象なのだ。


 しかし彼女が、マッシュのことをすぐに思い出せなかったのには、もう一つ理由がある。


「足の怪我はもういいんだ。ずいぶん回復が早いんじゃない?」


 マッシュは二本足で立っていた。


 ココの《ロッテンボーン》は骨を腐らせる魔法である。

 いくら若くとも、数日で治るようなものではない。通常ならまだ杖が必要なはずなのに、いったいどんなトリックを使ったのか。


 マッシュはにやりと笑うと、足を見せびらかすように伸ばして言った。


「ああ、あれは痛かったぜ。だがもう完全に治った。ある人のおかげでな。その人に誘われて俺は『組織』に入ったのさ」

「『組織』?」


 ココの魔法を治療するような、高い医療技術をもったグループが存在しているらしい。


 なぜ、こちらの正体を知っているのかと疑問に思っていたが、もしかしたらその『組織』とやらから聞いたのかもしれない。


 そこでココは魔法を発動する準備を整えると、一度考えるのを止めた。

 今やることは相手の隙を探り、殺す。ただそれだけだ。


 そのために必要なのは時間と集中力であり、余計なことを考えている暇はない。


 相手の注意を引くために、質問を繰り出す。


「それにしても私が来なかったらどうするつもりだったの。この雨の中、ずっとここで待つつもりだった?」

「その時はルイを殺して、お前を不意打ちで狙うだけさ。こいつにも頭をぶんなぐられた恨みがあるからな」


 ずいぶんと杜撰な計画だ。

 ルイを取り返すのも早そうだと、ココは内心で密かに思った。


「へえ、でもルイを殺して、家族には何て説明するの? 人間はコミュニティの中で起きた殺しに敏感なんでしょう?」

「俺に家族なんか居ねえよ。俺はもう今までの自分を捨てたんだ。これから俺は成り上がるんだ」


 陶酔した瞳で虚空を見つめて夢を語るマッシュに、付き合ってられないとココは首を横に振った。

 わずか一週間の間に、いったいどんな洗脳を施されたのか。


 しかし相手は、ココの反応など気にしていないようだ。


「お前を呼び出したのは、単に個人的な復讐のためじゃねえ。これから『俺たち』のために、あることをやってもらう」


 そう言ってマッシュは、ある包みを投げてよこした。

 包みは地面に落ちて、ガシャンと大きな金属音を立てる。


「拾え」


 言われた通りに拾うと、中には束になった短剣が入っていた。

 柄の部分に、不気味な目玉の形の細工が施されている。


「俺たちはある計画のために、強い魔力を欲している。例えばお前の血液のような、な?」

「……ルイが解放される保証は?」

「お前が約束を果たしさえすれば、すぐにでも返すさ。今の俺の目的は、組織内で成り上がることだ。こんな奴に用はない」


 マッシュの話を聞きながら、ココはどこか胸の内で安らかさを感じていた。


 よかった。自分が犠牲になればそれで済むのなら、こんなに楽なことはない。

 相手の要求が、ルイに危険が及ぶようなことじゃなくて本当によかった。


 包みの中から、短剣を一本取り出す。


 銀色の刃が、ココのことを威圧してくる。


 だが、今さら迷いや躊躇いはない。ルイのためなら、すべてを捨てられる。

 惜しむことなど、あるはずもない。


 ココは、鈍く光る短剣を高く振り上げると、それを思い切り自分の腕に突き立てた。


「あぁあああああああああああああああああああ!」


 短剣はココの腕に突き刺さると、まるで生き物のように動き始めた。


 刃先から、血が吸い上げられていくのを感じる。

 柄に付いていた目玉が充血し、ぎょろぎょろと興奮したように蠢く。


 体内をかき乱されているような感覚が、腕だけじゃなく全身にまで広がった。

 血を吸われているせいだ。神経を直接触れられるような鋭い痛みが走り、脳をガンガンと揺らす。


 しばらくすると、短剣が血液を吸い上げる勢いが弱まるのを感じた。容量がいっぱいになったのだろう。目玉の動きも止まっていく。


「ふっ……!」


 息を止め、一気に引き抜く。


 ココは気を失いそうになるのに抗いながら、どうにか短剣を包みの中に収めた。


 妖精にとって血は力の源である。

 それを抜かれることは、肉体の一部を切り落とされるような、酷い苦痛が伴う。


 存在が欠けていっているのだ。

 切り落とされた腕のように、失われた部分が自然に回復することはない。


 肩で息をするココに向かって、マッシュは言った。


「おい、どうした。あと十一本あるだろう。早くしろ」


 言われるまでもなく、ココは次の短剣に手を伸ばした。


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