第6話 ココという妖精について
黒の妖精であるココには生まれた時の記憶はない。
気が付いたら今と同じ姿でこの世界に居て、自分の名前も、黒の妖精であることも、全部最初から知っていた。
元来、妖精とはそういうものである。
生も死もなく、前の代の妖精がどこかで消滅した時に、代わりに別の場所で発生する。
生命というより、時間や空間などの概念としての存在に近い。
五色の妖精は、存在することで世界を支える柱なのだ。
最初、ココは気の赴くままに歩いていただけだった。
不幸なのは、彼女が黒の妖精だったことである。
偶然出くわした人里で、彼女は初めて人を見た。
植物ではない。だがシカやイノシシとも違う。自分にとても良く似ている。
好奇心から人に近づいた彼女は、何ができるかと問われ、魔法を使って見せた。
たったそれだけのことなのに、次の瞬間、彼らは態度を一変させ、彼女に石を投げ始めた。
「出て行け!」
訳が分からず、泣きながら逃げ出した。
悲しかった。
自分が何をしたというのか。
次の場所では、姿を見せると同時に石を投げられた。
噂が広まっていたのだろう。
各地を転々とするなかで言われた、『不幸を呼ぶ悪魔』。
それが自分のことなのだと理解し、彼女が人を嫌うようになるのに、時間はかからなかった。
確かに彼女は他の命を貶める魔法しか使えない。
他の妖精のように命を癒すこともできないし、力を与えることもできない。美しく、勇ましい魔法で戦うことも無い。
だが、仕方のないことなのだ。そう生まれついたのだから。自分は、そういう存在なのだから。
ココという名前なのに、彼女は『ここ』にいることを許されない。
悲しくて、悲しくて、誰かに受け入れて欲しかった。
そこで思ったのだ。
人を不幸にしかできないのなら、世界で一番不幸な人間を探そう。その人なら、きっと自分を傍に置いてくれるだろうから。
ルイを見つけた時は、喜びに胸が震えた。
暗く、陰鬱な魂。世界を憎んだ強い瞳。
彼もまた自分と同じく、誰からも必要とされていない。
何年もかけて注意深く観察して、話しかける機会を窺った。彼のことを知るほど、想いは募った。
運命の相手だと思った。この人しかいないと。
やっと勇気を出して話しかけた時は、緊張で声が上手く出なかった。
「いいよ」と言われた時は、嬉しさで胸が弾けるかと思った。
人生で一番幸せな瞬間だっただろう。
これからは二人で、世界という共通の憎い敵を相手にしながら、幸せな日々が送れるのだと甘い未来を夢想した。
しかし、実際に話してみて、彼は思っていた人物と違うと分かった。
魔法を見せても喜ばないし、契約もしてくれない。持っていたはずの澱んだ空気は、いつの間にか消えていた。
そのことに失望しなかったわけではない。
けれど、代わりに彼はもっと素晴らしいものをくれた。それはココがこれまで一度も体験したことのなかったものだった。
彼と一緒にいると自然と笑顔が出てくる。
胸の奥がキュッと詰まって、でもお日さまのように温かい。ずっと一緒に居たいと思う。
ココは確信している、ルイこそが、世界で一番美しい人である、と。
かけがえのない宝石のように、ココは彼を求めている。
彼という光を手に入れるためなら、彼女は犬のように、地べたに這いつくばりさえもしてみせる。
浅ましいだろう。醜いだろう。
それでもココは彼が欲しいのだ。
少しでもそばに居ないと、気が狂いそうになってしまう。
ルイがないと生きていけない。
ココは山の大きなマツの木の下で雨をしのぎながら、指をぎゅっと噛んでいた。
(失敗した。最悪。やるなって言われていたのに。ルイが危なかったのを見て、思わずルールを忘れたから)
正確には、忘れてなどいなかった。
それよりも、褒めてもらえるに違いないという欲を優先させたのだ。
だが今はそんなことはどうでもいい。
ルイは怒っていないと言っていたが、それは本当だろうか。これからも一緒に居させてくれるだろうか。
もう何千回と繰り返した疑問をもう一度、頭の中で駆け巡らせる。
不安でどうにかなりそうな心を抱えて、彼女はゆっくりと立ち上がった。
ルイがまだ怒っているか、彼女には分からない。
しかしこれ以上、一人で考えているのは、ココには堪えられなかった。
店の前まで戻って来た時、彼女は一度立ち止まった。
(大丈夫。帰ったら全部元通りになっていて、ルイは笑顔で出迎えてくれるはず。「濡れてるね」なんて言いながら、タオルで私の髪を乾かしてくれるはず)
目をつむり、都合の良い妄想をして自分を奮い立たせてから、ココは勢いよくドアを開けた。
店の中は出て行った時と同じくガランとしていた。右側の棚も倒れたままだ。
ココがダメにした人間が一人、床に転がっている。
(こいつがさっさと、夢から戻ってくればいい話なのに)
ココは苛立ちを込め、ゴミ人間を爪先で突いた。
それからルイはどこかと辺りを見渡し、カウンターの上に手紙が置かれていることに気が付いた。
ルイが残したものだろうと、近づいて手に取る。
そこに書いてある文字を見て、彼女は目を大きく見開いた。
『ルイは預かった。返してほしければ共同墓地まで来い』
ココは一も二もなく飛び出した。
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