第5話 悪役、失敗する②
その時も、ルイはパンを売っていた。パンを袋に詰めながらにこやかに言う。
「三日月パン二個ですね。お買い上げありがとうございます」
「ねえ、これもっと売ってくれないの? 一人二個までじゃ足りないわよ」
「無理ですって。それに一人で買い占めたりしたら後ろのお客さんに睨まれちゃいますよ」
素早く手渡しながら適当に会話する。
一週間も一日中、客の相手をしていれば、少しは慣れてくるものだ。
それに来る客は、だいたい同じ面子なので、顔も覚えてきた。
ココは「今までルイのことを散々馬鹿にしてきたくせに恥知らずな奴ら」と怒っていたが、ルイ自身は自分が直接やられたことという実感が薄いこともあり、さらっと水に流すことにしていた。
お互いに無かったことにするのが、手間がかからなくて一番いいのだ。
もしかしたら、そんなあやふやな態度がいけなかったのかもしれない。
最初から全員に復讐するつもりでいれば……。
しかし全ては後の祭りである。
ルイが次の客の相手をしていると、にわかに行列の後ろの方が騒がしくなった。
なんだと思っているうちに、ますます騒ぎ声は大きくなっていく。
誰かが列を抜かして揉めているようだ。
そして、もっと様子をよく見ようと、ルイがカウンターから立ち上がった時だった。
列に並ぶ人々をかき分けるようにして、叔父さんが店の中に入ってきた。
「おいっ! 俺の店で何をやってるんだ!」
彼は開口一番にそう怒鳴ると、今度は並んでいる客に向かって、殴りつけるような勢いで腕を振った。
「お前らも今日は帰れ! 帰れ! ほら、さっさと! 今日はもう閉店だ!」
その後、再びルイの方へと一直線に向かってくる。まるで台風のようだった。
目の前にあるものを全て薙ぎ払って迫ってくる。
ルイは逃げる暇もなかった。
叔父さんは、カウンターの通路口を引きちぎると、ルイのことを捕まえた。
ルイの胸ぐらを掴み、第一にビンタをかます。
「おいっ! お前いったいどういうつもりだ? いつからこの店に立つほど偉くなった? ああッ!? 言ってみろ!」
がくがくと揺さぶられ、ルイは恐怖に口が利けなかった。
圧倒的な体格差。乱暴な現場への経験。
成人した男性の恐ろしさというのを存分に体感していた。
「何とか言ってみろ!」
叔父さんは今度はこぶしを握り締めて、腕を振りかぶった。
殴られる。
しかし、
「ルイに何をしているの、お前ごとき世界の塵のような人間が」
ココがこの状況をただ黙って見ているはずがなかった。
彼女は素早く叔父さんの顔を両手で掴むと、魔法を発動した。
彼女の魔法の発動はシンプルだ。巨大な炎などの派手な飾りは要らない。
ただ、一瞬で人を不幸に落とすためだけの魔法。
手の平の中で、黒い光がパチパチと音を立てて炸裂する。
ココがゆっくりと手を離すと、叔父さんは白目を剥いて、どさりと音を立てて地面に倒れた。
そして、奇妙に体をくねらせ始めた。
手足をばたつかせており、まるで横になってダンスを踊っているみたいだった。
「コッ……カァッ……ッ……」
あんぐりと開いた口からは、白い泡になったよだれが垂れている。
「ひぃっ」と誰かが悲鳴を漏らし、つられて「キャーッ!」と甲高い声が鳴り響いた。
それを合図に遠巻きに様子を窺っていた客は、先を争うように逃げ出した。
大勢が狭い室内を走ったことで埃が舞い、はずみで店の棚が一つ倒れる。
騒然とした場が収まり、外で雨が降っていることに気が付けるような静けさが戻った時、店に残っていたのはルイとココと、おかしくなった叔父さんだけだった。
ココは気遣わしげに、それでもどこか嬉しそうに、ルイに話しかけた。
「ルイ、大丈夫だった? 痛いところない?」
「叔父さんは……」
脳が混乱し、まともにものを考えることができない中で、どうにか口にする。
まだ激しく動悸がしていた。
「あれは《パラライズ》と《ナイトメア》を両方かけてやったの。凄いでしょう?」
「そうか……」
そう答えるのがやっとだった。
《パラライズ》は親密度レベル3の魔法であり、相手の神経を麻痺させる効果を持っている。回復魔法を使うことで元に戻すことができる。
《ナイトメア》は親密度レベル5の魔法で、相手に悪夢を見せて、混乱状態に陥れるという《フィア》の上位互換となっている。
《フィア》よりもレジストしにくく、一度決まればその効果は戦闘終了まで続く。
ルイはどうにか、気力を振りしぼって尋ねた。
「叔父さんを、元に戻してやってくれないか」
「え、戻すの? う~ん、《パラライズ》の方は解けるけど、《ナイトメア》は本人の夢を使うから、戻って来られるかはその人次第になるかな」
彼女がパチンと指を鳴らすと、叔父さんの痙攣は治まった。
しかし代わりに彼は膝を曲げ、頭を抱え込んだ胎児のような姿勢になって、動かなくなった。
ルイは先ほどまでの叔父さんを思い出し、言いようのない喪失感に教われた。
同情しているわけではないが、さっきまで話し、動いていたはずの人間が目の前で廃人になったことには、少なからず衝撃を受けた。
彼はもう、戻ってくることはないのだ。
ゲームから現実になったことで起きた弊害。
仕様上、戦闘終了すれば元に戻った状態異常が、永久に戻らなくなってしまった。
いや、ココは何も悪くない。
一週間も一緒に居たのだ。相手の性格というのが少しは分かってくる。
ココは自分にできる中で、ルイを助けようとしただけだ。
そもそも彼女がマッシュを攻撃しなかったら、叔母さんを脅さなかったら、ルイはパンを売ることなどできなかった。
この一家が居る限り、ルイは一生どん底から抜け出すことはできなかったのだ。
最初から分かり切っていたことだ。
今の状況の全ては、平和的に解決することができなかったルイの責任である。
そこでココも、ルイの様子がおかしいことに気が付いたようで、不安そうな表情になって尋ねた。
「どうしたの?」
「いや、魔法、使っちゃったからさ」
喋るのも億劫だった。
するとココは顔面蒼白となり、叱られた子供のように首を横に振った。
「ち、違うの! それは約束を破ろうと思ったわけじゃないくて」
「ああ、うん。分かってる。分かってる。怒っているわけじゃないんだ。ただ、ちょっと、ショックだったって言うか……。ごめん、少し一人にしてくれないかな」
「ごめんね、ルイ! 私はただルイのためを思っていたから……」
「分かってる。その気持ちは嬉しいよ。だけど、今は一人にして欲しい」
「…………ごめんなさい」
ココは蚊の鳴くような声でそれだけ言うと、消えるように店の外へと出て行った。
空いたドアから雨音が聞こえてきて、冷たい湿った空気が室内に流れ込む。
ルイは一人きり(正確には叔父さんと二人だが)になった店内で床に座り込み、大きくため息を吐いた。
(これからどうするかな。もうパンは売れないだろうな。何かパン以外で儲ける手段を考えないと。いや、叔父さんを治すのが先か。でもどうしたらいいんだよ。ああ、それにしてもさっきの態度は良くなかったな)
悲しそうなココの顔が目に浮かぶ。
ルイの目から見て、ココという妖精は不幸にも力を持ってしまっただけの、ただの女の子だった。
強い力のせいでやり過ぎてしまうこともあるが、普通の感情を持った普通の子供だった。
(最初にもっと、きつく言い聞かせておくべきだったか。って言うか、それって僕の仕事なのかな)
仮に、きつく言い聞かせていた場合、マッシュ一家が生き残り、ルイは奴隷のような扱いを受けていたことになる。
メリットが無いどころか、デメリットしかなかったのだ。なぜそんなことをする必要がある。
(分かんない。なんかもう疲れたな……)
彼はピクリとも動こうとしない叔父さんを一瞥すると、自分もドアの方へと向かった。
外はひどく激しい豪雨となっており、大粒の雨が滝のように打ちつけてくる。
それでも、息苦しい店内よりはマシに思え、ルイは店の合羽を被って外へと踏み出した。
大雨の中を出歩いている住民は、ほかに見当たらなかったが、外に出た瞬間から突き刺さるような視線を感じた。
目をやると、さっとカーテンを閉めるのが見える。
きっと今頃、家の中では悪魔だと噂されていることだろう。
ルイは池のようになった道を歩きながら、パチャンと足で水を跳ねさせた。
これからどうしたらいいのかも分からず、憂鬱な気持ちだった。
はあっとため息を吐く。
その時だった。
「おい」
突然、後ろから声をかけられた。
若くハリのある声。知っている人間のものだ。
反射的に振り返ろうとしたところで、頭部に強い衝撃が走る。
何が起きたかを知覚するよりも先に、ルイは気を失った。
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