第4話 悪役、失敗する①

 ルイのパン屋の最初のお客さんは、何も知らずにやって来た、ミミという中年の女性だった。


 いつも通り、叔父さんが店先に立っていると思っていたのか、ルイを見て目を丸くする。


「いらっしゃいませー」


 すかさずルイは笑顔で挨拶をした。


 自分の印象がすでに悪いことは理解している。

 だからこそ余計に愛想よくするように努めなければいけない。


 ミミはおどおどとし、こちらを不気味がるような態度で、「どうも」と返事をした。


「本日は何をお探しでしょうか?」

「今日はちょっと、トイレットペーパーが切れたもんだから」

「それでしたらそちらの棚になりますね」


 丁寧に手で指し示す。


 ミミは今まで、影で罵倒してきたルイとの距離を、測りかねているようだった。


 知っているとばかりにさっと棚から取り、レジへと持ってくる。

 そして、そこで隣に置かれた三日月パンの山に気が付いた。


(かかったな)


 ルイは内心でニヤリと口を曲げた。


 買い物に来た客は、絶対にレジを通さなければいけない。

 レジの隣に置かれた、三日月パンには嫌でも目が留まる。


「こちらは今日から置いてみた新商品です。三日月パンっていうんですよ。面白い形をしているでしょう。一つどうです?」

「こ、これ、あなたが焼いたの?」

「はい、昔母から教えてもらったもので、久しぶりに作ってみたんです」

「ああ、お母さんから……」

「はい、まだ父もいた頃に」


 まったくの嘘だが、どうせ相手にはそれが嘘か本当かなど分からない。


 ルイが「焼きたてなんで美味しいですよ」と勧めると、それならと思ったのか、ミミは一つ買っていった。



 次に来たのは、またミミだった。

 その次にミミの旦那が来て、さらに客が一人来て二人来る。


 そしてそこから一時間もしない内に、せきを切ったような勢いで、村中の人間が押し寄せてきた。


 その中には、照れ臭そうにはにかむ、クリスとハリーの姿もあった。



 一週間が過ぎても、客の勢いは衰えることが無かった。

 むしろ、近隣の村にまで噂が広まったせいで、さらに多くなったような気がする。


 今日は雨が降りそうな天気だと言うのに、営業時間前の店には、長い順番待ちの列ができている。


 蛇のようにうねるその行列を眺めて、ルイは頭を掻いた。


「う~ん、どうしよっかなぁ」


 ここまでで十分な資金がたまった。

 最初は足りなかったら、店の売り上げを盗んで町へ行こうと思っていたのだが、値を吊り上げても買ってもらえるため、十分な額となっている。


 もう店を続ける意味はなくなっているのだ。


 噂では、そろそろ治療を終えたマッシュと叔父さんが帰ってくるらしい。


 また、部屋に閉じこもっていたはずの叔母さんが逃げ出し、ココのことを悪魔だと吹聴したせいで、せっかくの三日月パンが影で悪魔のパンと呼ばれ始めたのも気になっている。


 そろそろ辞め時なのかもしれない。


 しかし、移動手段として当てにしていた行商人が来ないのだ。


 この村には、不定期に行商人が通りかかる。だいたいは月に二人か三人程度だ。


 ルイはそれに便乗することで、町へ行こう考えていたのだが、運悪く一週間経っても一人も通りかからなかった。


 こうなると叔父さんと鉢合わせすることになるかもしれない。


 その時にどうしたらよいのか。

 またココの力に頼れば、悪い噂がさらに広まりかねない。

 商売するうえで悪い評判というのは歓迎できない。


(でも、あの人は殴ってでも、僕からレシピを聞き出そうとするだろうしな)


 記憶の中の叔父は、常にルイに対して高圧的であり、暴力を振るうことに躊躇が無い人間だった。


 平和的な形で、叔父という危機を回避するためには、どうしたらいいのか。


 ルイが腕を組んで考え込んでいると、後ろから声をかけられた。


「どうしたの。何か悩み事?」


 振り返るとココが居た。


 彼女はこの一週間、ずっと店のマスコットとして椅子に座っている仕事をしていた。

 なにしろ見た目が良いので、それだけでなんとなく雰囲気が華やかになるのだ。


 暇だろうから、店の売り子を手伝うかと何度か尋ねたけれど、それには断固として首を縦に振らなかった。

 座っているのがいいらしい。


 何が楽しいのか、とにかくご機嫌で大人しくしているので、ルイも好きにさせている。


「ああ、町に行きたいんだけど、足がなくて」


 ルイが答えると、ココははっとした表情になった。

 それから背中を丸めて、暗い顔で俯いてしまう。


「そう……」

「どうしたの。別に手段が無いのはココのせいじゃないでしょう? ほら、今日もお客さんが来るんだから、笑って笑って」


 ココの顔の前で笑顔を作ってみせると、彼女もかすかに笑った。


「そうそう、その調子。可愛いじゃん」


 頭を撫でてやると、ココは今度はくすぐったそうに笑った。



 人を笑顔にすることはできても、地理的な距離が埋まるわけじゃない。

 結局、答えが出ないままに開店時間になり、ルイは仕事を始めてしまった。


 その気になれば、歩いてでも村を出ればよかったのに、運よく叔父さんが戻ってくる前に行商人が来るだろうという、無根拠な楽観的予測に頼ってしまっていた。


 このことを後になってからどれほど悔やんだことだろうか。

 だが、後悔というのはその文字が示すように、後になってからしかできないものなのだ。


 空には、土砂降りを予感させる、黒々とした雲が渦巻いていた。

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