第3話 悪役、パン屋になる

「ヒトの子のことなんか知らないし」


 彼女の指先からわずかな黒い光が放たれ、その光に触れた瞬間、叔母さんはギャッと叫んで飛び上がった。

 雷に打たれたように目をぱちぱちとさせる。


「あははははっ!!」

「ひぃいぃいっ!?」


 ココが笑って再び指を向けると、叔母さんは転がるように家の中へ入って行った。


 あんなに興奮していた叔母さんが、無様にケツを振って逃げて行くなんて。


 あっという間の出来事にルイが驚いてココを見つめると、彼女は褒めて欲しそうにルイのことを見ていた。


「うるさかったからやっちゃった」

「今のは?」

「《フィア》っていう魔法で、ちょっとびっくりさせただけだよ」

「そうか、あれが《フィア》か……」


 ルイは初めて生で見た、その魔法の名前を、感慨深げにつぶやいた。


 五色の妖精は、それぞれに回復、バフ、攻撃など得意な魔法がある。

 黒の妖精ココの得意な魔法はデバフ系だ。


 ただ、それが相手の能力を下げるだけなら良かったのだが、その魔法には不吉な要素を伴ったものが多い。


 例えば《フィア》というのは相手に恐怖を与えて驚かせる魔法だ。

 親密度レベル1で使えるようになる魔法であり、親密度は最大がレベル10であることを考えると、初歩的な魔法であると言える。ゲームでは使われると、一ターンから三ターンの間混乱する。


 そんな魔法ばかりを使うものだから、黒の妖精は昔から嫌われている。


 ちなみに、マッシュの足を折ったのも黒の妖精らしい特徴を持った魔法である。

 《ロッテンボーン》という親密度レベル7で使えるようになる魔法で、相手の骨を腐らせ、自重に耐え切れなくする効果がある。

 使われた場合、次に行動した時に、大ダメージを負うことになる。


「ね、凄いでしょう? 私と契約したらどんな魔法も思いのままだよ!」


 ココは笑顔で契約を求めてくる。

 彼はそんな彼女の頭を撫でて言った。


「確かに凄い。けどこれからはあまり魔法を使わないでもらえると嬉しいな」

「どうして?」


 当然の疑問である。

 彼女にとって、魔法を使わないことは、不要な我慢にしかならないだろう。魔法は気に入らない人間を排除するための手段なのだから。


 ルイはあらかじめ考えておいた理由を伝えた。


「僕はココの正体を隠しておきたいんだ。ココが魔法を使えることがバレたら、みんながココのことを追い回すだろう?」


 殺すために、契約するために、様々な理由でココを狙う者が現れるだろう。そうなったら自分も危ない目に遭う。


 しかし、ココはそれだけでは納得しなかった。愛くるしい笑顔で言う。


「その時は追いかけてきた奴ら全員、殺したらいいんじゃないの?」

「殺せば殺すほど、ココの噂は広まるよ」

「そしたら、世界中の人間を殺すだけじゃない?」


 冗談にしか聞こえないその言葉を、彼女は冗談ではないように言ってのけた。


 本気なのだ。

 本気で自分とルイの邪魔をする人間を全て殺すつもりでいる。

 そして彼女であればそれを実現できる。


 改めてルイはその脅威に背筋が凍る思いだった。


 黒の妖精という存在のことを、もし本物のルイ・ファントムであったら、大喜びしていただろう。


 しかし、昨日までのルイはどこかに行ってしまった。

 今の彼は、地球から来たどこかの誰かさんでしかない。


 今のルイは、黒の妖精の力を純粋に喜べない。


「僕は世界中の人間を相手にするような真似は御免だ。そんなの時間の無駄じゃないか。それともココは魔法を使わないのは嫌?」

「ううん、ルイがそう言うならそうする!」


 ココは少し考えた後、そう返事をした。

 彼女が素直でいてくれることだけが、現状で唯一の救いだった。



「いらっしゃいませー。数量限定の新商品、三日月パンは残りあとわずかとなっておりますー。どうぞ、お買い求めくださいー」


 その日、マリーゴールド村の小さな雑貨屋には、大勢の客がどやどやと溢れんばかりに押し寄せて来ていた。


 人だかりの中心にあるのは、数日前まで道端の糞のような扱いを受けていた少年である。

 彼の後ろでは、見たこともない可憐な少女が、ニコニコと座っている。


 この少年が、しがない村の雑貨屋を大人気の店にするとは、一週間前まで誰も想像しなかっただろう。


 いかにして犯罪者の息子ルイ・ファントムが、このような状況を産んだかについては、数日前に遡る。



 ココと出会った日の翌日、ルイは目を覚ますと、すぐさまココを呼んで言った。


「よし、今日はパンを作ろう!」

「へ? パン?」


 パンである。


 この村には娯楽が少ない。

 町へ行けばそれなりに遊び場があるが、そのためだけに馬車で片道何日もかけていられない。

 結果として、人々は新しい刺激に飢えている。


 その中で見たことがない美味しいパンが売りに出されたら、みんな夢中になるに決まっている。

 むしろ流行らなかったら逆におかしいくらいだ。


 そうやって資金を貯めたら、街に出て名前を変えて、今度は町でパン屋を開くのがルイの今後の計画だった。


 叔父さんやマッシュが帰ってこない間にお金を貯めて、できれば二度と顔を合わせることなく、この村を出て行ってしまいたいところである。

 稼いだお金を力づくで奪われたらたまらない。


(町で評判のパン屋。うん、いいじゃないか。何もかも簡単に行くわけじゃないだろうけど、こっちには技術があるんだ。成功する可能性は高い)


 ある程度評判を集めたら、製法を大商会などに売って大金を得るのも悪くない。

 そしたらその資金を元手に、地球にあったような新製品を作ることだってできるだろう。

 魔法学院へ通い、本格的な魔法の勉強をしてみるのも悪くない。


 あれこれと考えていると、ココがルイの袖を引っ張って尋ねた。


「でも、どうしてパンなんか作る必要があるの?」


 ルイはココの顔をじっと見つめて考えた。


 町でパンを作って平和に暮らしたいなどと言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。

 理想のルイとのギャップにショックを受けて、一瞬で愛想をつかして出て行ってしまうだろうか。


 自分がコントロールした方が安全だ、という理由から彼女を傍に置いているが、実のところ、ココがルイから離れた後にどうなるかなど、誰にも分からない。

 もしかしたらひっそりと山奥で静かにしている可能性もある。


(まあ、でも、それも可哀想だしな)


 持ち前のお人よしを発揮して、ルイはそんなことを思った。


 一度出会った仲である。

 邪魔だからと追い払うのはいくらなんでも可哀想ではないか。


 彼は笑って答えた。


「シンプルにお金のためだよ。これからココと二人で暮らしていくのに必要なものだから」

「ふ、二人で……? 本当に? 本当の本当の本当に? これからも二人で一緒に暮らせるの?」

「もちろんさ。ほら、ココも手を洗っておいでよ。一緒に作ろう」

「うん、分かった!」


 彼女は、家中に響き渡るような大声で返事をすると、目にもとまらぬ速さで駆け出して行った。


 ちなみに、叔母さんは昨日の夜からココに怯えきっており、部屋から出てこようとしないので放っておいている。

 こちらから手を出したりしたせいでパン作りの邪魔をされても困るのだ。



「できたー!」


 かかること半日。太陽が高く空に上ったころ、ようやくパンが完成した。

 焼き上がったパンを窯から取り上げる。


「これで完成なの? 変な形」

「変な形って……。これはいちおう三日月の形なんだけどな」


 ココの感想にルイは苦笑した。初めて見るとそう感じるのだろうか。


 二人が作ったのは、クロワッサンである。

 ルイがなぜ、クロワッサンだけ作り方を知っているのか分からないが、恐らく前世で作ったことがあるのだろう。


 ココは作ったきり、食べるつもりは無いようなので、自分で味見をする。


「うん、美味しい」


 サクサクとしており、期待通りの味だ。


「よし、じゃあこれを早速店先に並べよう」


 店先というのは、叔母さんの家が経営している雑貨屋のことである。

 パンを作る調理器具や材料がすぐに揃ったのは、店の商品を勝手に使ったからだったりする。


 二人で大量のパンを運び、店先に並べる。

 命令する人間が居ないために、やりたい放題だ。


「わぁあっ!?」

「ぎゃあ!」


 閉めていた店のドアを開けて、ルイが顔を出すと、外から二つの悲鳴が聞こえた。


 クリスとハリーだ。

 二人で店の様子を恐々と覗いていたらしい。


 クリスが驚いた拍子に転び、ハリーは友人を置いて、一目散に逃げだした。

 慌ててクリスも起き上がり、逃げようとする。


 咄嗟にルイはその襟首を引っ掴んで止めた。


「待てよ、逃げることないだろう」


 二人が何をしに来たのかに関わらず、ルイにとっては貴重な宣伝のチャンスである。このまま帰すわけにはいかない。


 ルイは必死に逃れようとするクリスの手に三日月パンを一つ置いた。


「これ、うちの新商品だからぜひ試してみてよ」


 それだけ言って放してやり、自分は店にすぐに引っ込む。


 店に入る直前に、少しだけ振り返って様子を窺うと、クリスは捕まったのに何もされずに、あっさりと解放されたのが理解できなかったようで、呆気にとられた表情で、三日月パンを見つめていた。


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