第2話 ルイ・ファントムという人物について

「いいよ! 何でも訊いて! あ、名前はココ。ルイのためなら何でもするから! さっきの奴らを殺してこいって言われたらすぐにやるし、ルイの村の人間全員に『死んだ方がまし』って思わせることもできるよ!」

「はは、ありがとう……」


 初対面の相手から発せられる異常な愛情に若干引きながら、ルイはどうにか愛想笑いを崩さずに答えた。


 そもそもこちらは名乗っていないのになぜ名前を知っているのだろうか。

 妖精には何でもお見通しなのだろうか。


 怪しく、危険な悪魔であるはずの彼女だが、実のところ今は自分に興味を持ってもらえて嬉しくて仕方がないと全身で物語っており、一見すると甘えてくる子犬のようにしか見えない。


 とりあえず、すぐに殺しにかかってくることはなさそうである。

 そんなことを考えながら、ルイは適当な質問を口にした。


「えーっと、じゃあ、まずは好きな食べ物は?」

「…………」

「え、どうした?」


 とっさに出した質問だが、地雷となるような要素もないはずである。ただ好きな食べ物を聞いただけだ。


 けれども喜びに満ちていたはずの彼女の顔は突然、ぴしりと固まった。


 数秒後、彼女はやっと動き始めた。


「ううん。何でもないの。ただ、私はあの、妖精だから、食事の必要がなくて。今まで食べ物のことなんか考えたことが無かったから……」

「そうなんだ」


 ゲームではなかった情報である。

 『ワールド・オブ・フェアリー』には空腹度のパラメーターなど存在しなかったため、食事に関する話は出てこなかった。


 他にも知らないことがあるのだろうか。できる限り早いうちから、知らないことはなくしておきたかった。


「食事の必要がないってことは、どうやって体力を維持しているの? 動いたらお腹空かない?」

「確かにたくさん魔力を使うと疲れるけど、時間が経てば元に戻るし、私の力の源は自分の血だから、血がある限りそういうのは必要ないかも」

「へえ、なるほどね」


 これも全く知らなかった要素だ。

 ゲームから現実になったことで、世界の解像度が上がったように感じる。


 どうやらこれまで『ゲームだから』と流されていた部分に、整合性の取れる理由が付け足されているらしい。


 他にどのような差異があるだろうかと考えていると、ココがルイの手を取って言った。


「それでね、私の血を飲んで契約すれば、ルイも私の力が使えるようになるよ! 代わりにルイの血を貰う必要があるけど、それはほんの少しでもいいし。さっきみたいなムカつくやつらを、簡単にぶっ殺すことができるようになるの! ね、いいでしょ! 私と契約しよう?」


 期待に満ちた目で見つめられ、反射的にルイは「うん」と言ってしまいそうになった。

 自覚していることだが、彼は押しに弱い。


 力を得られる。それ自体は悪くない提案だ。

 ゲームでは、契約とは強くその妖精とつながる行為だと説明されていたため、恐らくデメリットもないだろう。


 しかしルイはその言葉を、ギリギリ喉元で抑え込んだ。


「いや、ちょっと考えさせてもらってもいいかな」

「え……」


 ショックを受けたココの表情に罪悪感に駆られるが、これはそう簡単に決められることではない。


 もともと、この世界で黒の妖精は不吉な存在として忌み嫌われている。

 ココと契約するということは、自分もその存在に近づくということであり、それはつまり悪役ルートを一歩進めることになるのではないだろうか。


 そんな重大な決定の答えを、即座に出すわけにはいかなかった。


 ルイはココの機嫌を取るように言った。


「契約しないって言っているわけじゃないんだ。ただまだ会って一日も経ってないから、もっとお互いのことをよく知りたいと思って」

「そうなんだ。分かった。いいよ、ルイがそう言うなら」

「ありがとう」


 恐ろしいことに、ニコニコとこちらの言うことを聞いてくれるココの姿は、先ほど三人もの人間を殺そうとしたようにはとても見えなかった。



 ルイ・ファントムは雑貨屋を営む叔母の家で暮らしている。


 父親はルイが物心つく前に若い女と恋仲になり、家を出て行った。

 母親は父親に捨てられたショックで錯乱し、村中の家々に火を点けて自殺した。


 幸いにして火事による死者は出なかったものの、真夜中に松明を振り回し、奇声を上げながら村内を走り回る母親の姿は、十年経った今も住民の記憶にべっとりとこびりついている。


 ファントムという不吉な名前は、過去に重大な罪を犯した人間が、罰として背負わされる名前なのだが、母親が死んでしまったため、息子であるルイが、代わりに背負わされている。


 本来であれば彼はただのルイであり、強いて後ろに何かくっつけるのなら、村の名前の『マリーゴールド』を付けることになるだろう。


 家庭内では従弟のマッシュから虐められているだけでなく、叔母と叔父からの扱いも良くない。


 基本的には居ないものとして扱われており、仕事は決まって一番きついものを押し付けられる。

 食事は別。三人が終えた後の残り物をわずかに与えられるだけのため、彼はひどく痩せている。


 母親のことがあり、村人の中で彼に優しくする者はいない。

 加えてルイの愛想も良くないため、誰もが露骨に嫌うか、そうでなくても一定の距離を置いている。


 優しさを知らず、ゴリゴリに凝り固まった悪意ばかりをむさぼる飢えた獣。世の中を恨んだ邪悪なガキ。

 それがルイ・ファントムだった。


 昨日までは。



「きっと治るわよね。ねえ!」

「当たり前だ。お医者様をぶん殴ってでも治させてみせるさ。さあ、危ないからもう離れろ」


 ヤアッと一声上げて叔父さんが力強く馬に鞭をうった。馬車が勢いよく走り出す。

 叔母さんが泣きながらその後ろ姿を見つめている。


 この村に薬草師はいるが、医者は居ない。

 恐らく近くの町までマッシュの足の治療に行ったのだろう。


(まあ、唾つけとけば治るってレベルじゃなかったからな)


 ルイは改めて関節が一つ増えてしまったマッシュの足の様子を思い出した。

 注意深く観察したわけではないが、きっと骨折の中でもかなり重傷だろう。


 そのことについて、ルイはあまり気にするつもりはなかった。

 それよりも重要なことがあるのだ。


 概ね町までは、行って帰ってくるだけで五日はかかる。

 治療の日も含めれば、もう少し伸びるだろう。


 つまり、これから一週間程度は、叔母さんと二人きりになるということだ。


 その間をどのように過ごせるかは、これからのやり取りにかかっている。


 ルイは緊張を伴って話しかけた。


「ただいま帰りました、叔母さん」


 叔母さんの態度は、マッシュのお供のクリスとハリーから、どのように話を聞いているかで変わってくる。

 最悪の場合は、肩にしがみついているココの助けを、もう一度借りることになるかもしれない。


 叔母さんは目を真っ赤にして、ルイの方へと振り返った。


「ああ、私のマッシュがあんな怪我を。あんた、どうしてああなったのか知ってる? あの子の友達に訊いても青い顔で首を振るばかりで答えないから、ちっとも分からないの。木登りでもしていたのかしら」

「…………分かりません。すいません」


 ルイは口角がつり上がるのを必死にこらえながら答えた。


 考え得る限りで最高の結果だ。

 あの二人は何もしゃべっていない。叔母さんは何も知らない。

 こんなにいいことがあるだろうか。おかげで明日からの計画がだいぶやりやすくなった。


 エプロンのすそで涙を拭いて、どうにか落ち着きを取り戻した叔母さんは、そこで初めてココに気が付いたようだった。


「何、その子は?」


 叔母さんにキッと睨まれ、ココが鋭く睨み返す。


 直接触れているルイには彼女が魔法を使おうとしているのが分かった。

 鳥肌が立つような不気味な気配。黒の妖精であるココの魔力の特徴だ。


 だがもちろん、ここで叔母さんの足の関節を増やさせるわけにはいかない。

 まだココの危険性は広まっていないが、これ以上被害が拡大すれば、この村に居られなくなる。


 ココを遮ってルイは口を開いた。


「この子は森で出会った子です。たった一人で町まで行く途中らしくて、どうにか手伝ってやりたいのですが」

「うちの子が大変な時に、どうしてよその家の子供の面倒なんか見なきゃならないの! マッシュが二度と歩けなくなるかもしれないのよ! バカ言うんじゃないわよ!」


 叔母さんは、鬼のように目の端を吊り上げ、大声で怒鳴った。

 断固として、家には入れさせないという構えだ。


 だが、これはまだ予想されたことだ。

 ルイはあくまでも、落ち着いて話しかけた。


「そんな、なんとかなりませんか」


 しかし、叔母さんの興奮はなかなか冷めなかった。


「くどいわね! だいたいこんな時にガールフレンドを連れ込もうだなんて、よくもまあそんなことができたものだわ! あんたは世話になっている従弟が怪我をしたのに心配じゃないの!?」


 正直になるなら、ルイの答えは「ちっとも」である。

 その時、肩に掴まって様子を見ていたココが痺れを切らした。


「ヒトの子のことなんか知らないし」

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