押してはいけないスイッチ
真っ白な壁に囲まれた部屋。
何もない空間に白い箱が据えられている。その上に一際目立つ赤いボタンスイッチ。
クイズ番組の回答者が押すあれだ。スイッチの手前に一言添えられている。
『警告:このスイッチを決して押してはいけません』
スイッチを前にして男が独り、そこに立っている。
かれこれ二時間ほど経っただろうか。周囲は何一つ変わることなく、窓もないので時間の感覚がなくなっていく。
このままこの時が永遠に続いたらと考えると気か変になると男は感じていた。
「くそっ!何処なんだここは。誰かいないか!」
苛立ちを抑えきれずに叫んでみる。が、何の反応も帰ってこない。彼の声は壁に吸い込まれるかのように消えていく。
「何なんだよ。俺が何か悪いコトをしたとでも言うのか」
もちろん彼の問いかけに返事などいし、白い壁の向こうには人の気配一つない。
物音一つしない静寂の中で、あるのは目の前の赤いボタンスイッチだけ・・・。
「押してみるか」
男は右手の指でそっとスイッチの表面をなぞる。硬質なプラスチックでできたそれは、いかにも押し心地がよさそうだ。
ほら、押せよ。真っ赤な色が挑発しているかのようだ。
開けてはいけないふすまを開けた男はどうなったっけ。妻がツルだったとこまでは思い出せるが・・・。
どうでも良い昔話の場面が頭を過り、迷いが生じる。このボタンは『押してはいけないスイッチ』だ。
かつて同じような『押してはいけないスイッチ』を押してしまった男がいた。轟音とともに何百本ものミサイルが発射され、世界は破滅しかけた。
誰が何を言おうが、押すために作り出されたスイッチを押したのだから、彼に責任はない。そんなものを平気で作り出した人類を責めるべきだと、目の前のスイッチに触れた指を見つめて思う。
何もすることがない。
しかし、今のところ身の危険もない。
後一時間ほど待って、何の変化もなければこのスイッチを押そう。
彼はため息一つ漏らしてスイッチから指を離した。
何もない安全な世界を求めるべきか。それとも現状を打破すべく、得体の知れないスイッチを押すリスクをとるか。
彼の心は揺れ動く。
その時、ぐらりと空間が揺れた。
長い間、真っ白な空間に佇んでいたので平衡感覚が失われ、そう感じただけかも知れない。
いずれにせよ、彼は足を絡ませてしまい、転ばぬように反射的にスイッチの上に手をついてしまった。
「しまった!」
大声で叫んでも後の祭り・・・。
「あれっ?」
「何だよ!このスイッチ。押せないじゃん」
彼は恐るおそるスイッチと台座との間を真横から覗き込む。
見るからに押し込めそうな隙間がある。
「くそっ!」
力任せに叩いてみる。
全体重を乗せて両手で押し込んでみる。
が、ピクリともしない。
何も起きない。
「ふざけやがって!」
男は怒りを抑え切れずに真っ白な台座を力任せに蹴った。
その時、赤いボタンスイッチの手前に添えられた表示が変わっていることに男は気づく。
『警告:このスイッチを決して引いてはいけません』
男はためらうことなく赤いスイッチを引いた。
その頃、別空間で・・・。
「やっぱり、この男もスイッチを引きましたな」
「ああ、人間と言うものはそう言うものだ。我々の手には負えん」
「ですな。この男の行動によって銀河が消滅したのですから」
「やり直す以外ないな」
「そうですね」
三本指の銀色の手が伸びて、目の前の赤いボタンスイッチを押した。
おしまい。
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