リミッター

 生物には自らの限界を超えて活動できる能力が備わっている。しかし、日常生活でその能力を発揮することはまれである。何故なら限界を超えると言うことは、身体や精神に多大な負担を強いることになるからだ。


『火事場の馬鹿力』がその代表例だろう。危険、危機が差し迫った状況下で生物は思いもよらない潜在能力を発揮することがある。火事の際、普段は一人ではとても持ち上げられないような、とてつもなく重い家具を持って逃げたなんて話を聞いたことがないだろうか。


 もちろん、こんな力を日常的に使ったのでは筋肉や腱が切れたり、場合によっては骨折することだってある。だから普段は使えない様に、脳の中に『リミッター』が存在する。


 事故の様子をスローモーションのように記憶しているなんてのもそうだ。一時的に感覚神経が研ぎすまされ、メモリー領域が拡張される。神経も脳も多大な疲労を強いられる。気を失ったり、最悪、そのまま死に至ることもある。


『リミッター』は通常、痛みや苦痛としてあらわれる。肉体が限界を超えて活動できない様に脳が制御しているのだ。


 しかし、ある種のスポーツ選手や武術家などは鍛錬によってこれを乗り越える。『ランナーズ・ハイ』などが、その代表例だろう。脳内にモルヒネのような麻薬作用のある物質が生成されて、痛みや苦痛を緩和するとされている。


 私は科学者として、この『リミッター』を解除する薬を研究している。これさえあれば苦労せずとも、瞬時にして達人の境地にたどり着くことができる。夢の薬だ。


「博士、例の薬はまだできんのか!」


 見るからに高級な黒服に身をまとった紳士が、研究室を訪れて私を睨み付けている。私は研究に没頭して、汗や垢で薄汚れた白衣のまま彼に対峙した。


「そう急かさないでください。研究は最終段階に来ています。動物(モルモット)を使った実験では順調な成果が出ております」


「どんな成果だ。報告が遅いぞ。早く見せろ」


 紳士は険しい顔を崩さないが、その声に先ほどまでの怒りは見られない。私は胸を撫でおろして話を続ける。


「ここにいるマウスが薬を投与したものです。どうですか。迷路上の障害物、体の何倍もある岩を軽々と押し退けています」


「素晴らしい。これ程の成果があるのなら、なぜもっと早く実戦投入せんのか」


「どうも副作用があるようで・・・。それが・・・」


「ハッキリ言わんか!」


「魔王様・・・。その、あの。この『リミッター解除薬』を飲むと・・・」


「飲むと?」


「勇者になってしまうんです」


 私は研究机の下に隠していた聖剣を握り、目にも止まらぬスピードで黒服の紳士の首をはねた。鋼鉄よりも固いと言われたその首は、大根よりも容易く切り裂かれ、空しく飛んでいった。


「モルモットか・・・」


 私は聖剣を握りしめる自分の手を見つめてから、首のない魔王の心臓に剣を突き刺してとどめをさした。






おしまい。

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