右足のスリッパに転生したので左足のスリッパに恋をした。

 朝、目覚めたら俺はスリッパになっていた。どうしてこんなことになったのかさっぱり見当もつかない。なんの前触れも、予告もなくスリッパになっていた。


 気が付いたら別人になっていたとか、異世界に飛ばされていたとか、はたまた虫になっていたとか、様々な物語がある。しかし、俺の姿は生き物ですらなかった。


 スリッパだけに自分の力では一歩も動くことができない。目もない、耳もない、鼻もない。が、しかし、何がどうなっているのか周囲を知覚することができた。テレパシーみたいなものか。


 どうやら俺の姿は、スリッパの中でも安物のビニール製のようだ。公共施設などに良くある茶色のアレだ。更に履き潰されて、だいぶくたびれている。先の所が二つに割れてまるで口のようだ。


 スリッパになってしまって、人間の脚の臭さには辟易(へきえき)する。オッサンの足ならともかく、可愛い女の子の足が入ってきて人間らしい感情が戻った時は最悪だ。人生を呪いたくなる。


 靴を脱ぎたての人間の足がこれほど臭(くさ)いとは思わなかった。若い人間ほど、汗や油の分泌が盛んなのか、雑菌によって発酵した臭(にお)いに鼻をつまみたくなる。が、鼻もないし、つまむ手も、指もない。


 まあ、トイレのスリッパで無かったのが、せめてもの救いと自分を慰める。生きていると言えるかどうかはなはだ疑問だが、仕事のノルマもないし、腹が減ることもない。スリッパの生活は単調だが、気ままな人生と言えばそうともとれた。


 スリッパになって数日が過ぎた。いつかまた、目が覚めたら元の人間に戻るのではと期待もするが、自分ではどうすることもできない。不条理極まりないが、運命を天に任せるしかないとは、正に今の俺の状況を示している。


 与えられた状況でどう楽しむか。それが問題だった。ある日、俺は一つの疑問を抱いた。どうやら俺は右足のスリッパらしい。とするともう一つの左足のスリッパには、俺と同じように感情があるのだろうか。


 周囲を知覚できるのなら、会話もできるはずだ。俺は、施設が閉館して人間どもがいなくなる夕暮れ時を狙って、左足のスリッパに話しかけた。


「左足のスリッパさん。聞こえたら答えてくれないかな」


「・・・」


 今まで、無言だったのだからお隣さんは、無機質なスリッパ、そのものだって考えることもできる。が、しかし、俺が存在する以上、そうとも言い切れない。世間話をするみたいに話しかけてみる。


「この間の女子高生には驚かされたなー。すました顔で、かなりの美人さんだったのに、足の臭さと言ったら。百年の恋も冷めちゃうよなー」


「・・・」


「思い出しただけで、めまいがしてきた」


「・・・」


「それと猫。あいつらには敵わない。くわえられて外に連れていかれたら最後だもんな。俺たちには、どうにもできないけど」


「ちょっと。スリッパのくせしてうるさいのよ!」


「キミ、もしかして女の子?」


「そうよ!女の子で悪い」


 まあ、そう言われても同じカッコをした茶色のスリッパなので男も女もないのだが。それでも、いかつい野郎でなくてホッとする。


「あっ、俺、木下学。25歳。スリッパになる前は、不動産会社の営業でマンションを売っていた」


「えっ。学君?そっ、そうなの?私、星崎真奈美です。受付の!」


「星崎さん?」


 うっそだろー。会社のアイドルの星崎さんなの?茶色い左足のスリッパがか!


「星崎さんはなんでスリッパになんかなったの?」


「それが、朝、目覚めたらこうなっちやってて」


「俺もだ」


「そうなんだ。じゃあ元に戻る方法なんて知らないよね」


「うん。でもまあ、勝手になったんだから、勝手に戻ることもあるかなーって。期待もしている」


「そうよね。お互いに気楽に考えるしかないよね」


「星崎さんは、なんで今まで黙っていたの」


「それがさー。スリッパライフも意外と悪くないかなーって。言い寄ってくるうるさい男子もいないし」


「星崎さんって会社でも美人で有名だったものな」


「ふふっ。今はスリッパだけど」


「だね」


「スリッパになって思うんだけど、人間の暮らしってセコセコしていて結構辛かったかも。営業部は花形なんて呼ばれていたけど、ノルマはきついし。残業が当たり前だったし。今、思えばブラック企業だよね」


「そうなんだ。大変だったんだね」


「友達にならない」


 おっ。スリッパになったせいもあって、すんなり言えた。これは運命かもしれない。


「スリッパの私なんかで良ければ」


 こうして俺たちは仲良しになった。スリッパになった僕たちにはタップリと時間がある。子供の頃の話から、初めての恋の話。趣味や人間の時の悩み事まで気軽に話し合った。気持ちが少しずつ近づいて、友達から恋人へとステップアップしていった。


「あのさー。真奈美さん。もしもだけど、もしも人間に戻れたら、俺と結婚してください」


「それってプロポーズ。右足のスリッパが左足のスリッパにプロポーズするんだ。スリッパだもんね。笑える」


「変かな」


「変だけど嬉しい。学くん。結婚しよっか」


 次の朝、目覚めたら僕たちは人間に戻っていた。無断欠勤で二人とも会社をクビになっている。まあ、ブラック企業なので惜しいとも思わない。スリッパで過ごせたんだから、きっと二人なら何だってできる。


 何で僕たちがスリッパになったのか、いまだに分からないけど。人生なんて不条理なものだ。幸せをつかんだものが勝ち組かな・・・。






おしまい。

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