パンデミック

 カーテンの外が薄暗くなった頃、僕は目覚めた。熱におかされていたためか、ここ数日の記憶が断片的であいまいだった。ベッドからはい出して部屋の明かりをつけずに、手探りでパソコンのプラグをコンセントに差し込んだ。ハードデスクの奏でるキーンという音が、静まり返った部屋にこだました。ブラウザーのお気に入りから、引きこもりが集う掲示板、通称『小森の巣』をディスプレーに表示した。


「良かった。まだある」


僕は眠っている間に書き込まれた書き込みをチェックしようとして慌てた。


118(イイヤ)、447(ヨシナ)、113(ヒトミ)、774(ナナシ)、910(クドウ)。誰もいなくなっている。3日前まではまだ僕を含めて六人残っていたのに。


 急に喉の渇きを覚えた。ベッド脇の小型冷蔵庫からコーラのペットボトルを取り出した。急いでラッパ飲みしてむせ返った。せきがおさまると震える手でキーボードをたたいた。


184(イヤシ):誰かいませんか。


少しして返事が打ち込まれた。


113:お話ができる人がいて良かった。


僕は叫び回りたいくらいうれしくなった。


184:残りのみんなはいってしまったのですか。


113:丸一日、だれも訪れてません。恐らくそうかと。


「小森の巣」では、皆が数字のハンドルネームで呼び合っていた。


118も、447も、113も、774も、910も名前や年齢はおろか性別すらはっきりとしなかった。それでも引きこもりの僕にとっては、この掲示板が外界とつながる唯一の世界で、彼らは大切な仲間だった。一時は百人を超える大所帯だったこともあった。リアルの世界で生きている人が掲示板を荒らしたときは、皆が団結して撃退した。その話は僕らの中で伝説となった。


 一月ほど前に新型のインフルエンザが流行って死者が出ていることがテレビニュースで報じられた。


「引きこもりは感染しない」


「リアル社会との接触を避けた選択は正しい」


「ついに、われわれの時代が訪れた」


「世界は僕たちのものになる」


と少々不謹慎な話題で一晩中盛り上がった。


 しかし、事態は僕たちの想像をはるかにこえて進展した。半月もたたずに世界人口の半数以上が失われ、社会は完全に崩壊した。当初は新型インフルエンザ対策や死者数を伝えていたニュース番組も、次第に暴動や略奪、放火や集団自殺を報じるようになった。恐らく報道側の感染者も増えたのだろう。一週間ほど前に、テレビは祈りをささげるビデオを何度も繰り返し流した揚げ句に沈黙した。


 いくら引きこもりといっても食糧は必要なので買い出しには出ざる終えず、感染のリスクはゼロとはいえなかった。掲示板の仲間たちも次第に減少していった。


184:他の掲示板とかはみました?


113:ええ、どこも書き込みが止まっています。


184:海外も?


113:私が見た限りは全て止まっています。


184:僕たちが最後の生き残りってこと?


113:はい。あなたがこの世界の王様です。


184:キミはこの世界の女王だね。


113の書き込みが止まり、しばらく沈黙が続いた。僕はしまったと思った。113がヒトミと呼ばれていることや書き込みが女性言葉だからといってネットの世界では女性とは限らないし、むしろ女性願望のある男性の可能性が高かった。


113:私は王様に忠実なメイドです。


返事が打ち込まれたことに僕は安堵し、笑いをとろうとした。


184:王様の命令は絶対ですよ。


113:はい。


113が僕の話に合わせてきた。


184:じゃあ、


そう書き込んでみたものの続きを書き込むのに僕は躊躇した。


113:ご命令をどうぞ。


世界に二人だけしかいないのなら、もう掲示板のマナー違反も意味がない。


184:僕は佐々木久樹。男性。24歳。君は?


113:井島瞳。18歳。女の子です。


あっさりと返事が返ってきて僕は驚いた。


 彼女には掲示板を通して、何度か相談にのってもらったことがあった。いつも適切なアドバイスをしてくれるので自分より年上だと勝手に思い込んでいた。六つも年下だったのは意外だった。僕が引きこもりでなかったら、彼女みたいな人と恋人になって、結婚して、普通の幸せな生活が過ごせたかもしれない。こんなことになってしまったが、今ならまだやり直せるかもしれない。邪魔者はもうどこにもいないのだから。僕は思い切って書き込んでみた。


184:僕のビデオチャットNO.は4986-5873-5546です。電話をください。


184:これは命令です。王様の命令は絶対です。


ドンリン、ドンリン。ドンリン、ドンリン。


 パソコンのビデオチャットソフトが自動で立ちあがり、着信を告げた。受信ボタンをクリックした瞬間、僕の心臓が和太鼓のように音を立てた。うそだろ。こんなかわいい子がなんで引きこもりなんだ。


「暗くてそちらが良く見えません」


「ちょっとまってください」


僕は慌ててパジャマの襟を直して、髪を整えてから部屋の照明をつけた。


「初めまして。井島瞳です」


 人類が滅亡したこの日、僕に初めての「彼女」ができた。僕はビデオチャットで朝も昼も夜も、毎日、彼女と話した。話題が尽きると彼女の喜びそうなネタや音楽、動画をネットで探し回った。彼女はそれを楽しみにし、僕は彼女の笑顔を楽しみにして暮らした。僕を引きこもりにした人類が滅亡したことはどうでも良いことだった。一人になったことで感染や暴漢に襲われる危険もなくなった。堂々と外に出て、スーパーに侵入して食糧を調達した。


 近所のスーパーに飽きた僕は、自転車で国道沿いの新しいスーパーを開拓に向かった。途中で外車のディーラーを見つけて、サラリーマンが一生かかっても買えないような高級車をなんなく手に入れた。ショップをめぐり、身の回りを高級ブランド品で固めた。文字通りこの世界の大様になったのだ。


 僕は名案を思いついて、ビデオチャットで彼女に伝えた。


「瞳さん。僕にアイデアがあるのですが」


「なんですか。久樹さん」


ディスプレーの向こうで彼女が微笑んでいる。


「ボロアパートで暮らすのを止めて、僕と都心の高級マンションを探して二人で暮らしませんか」


僕がそうきりだすと、彼女は困った顔をした。


「ありがとうございます。とてもうれしい。でも、私はあなたと一緒に暮らすことはできません。今まで通りビデオチャットではダメですか」


「なんでですか。瞳さんが引きこもりだからですか。僕は瞳さんに会いたいんだ」


彼女はますます沈んだ顔になって告げた。


「ごめんなさい。それだけはできません」


僕はカメラのレンズに向かって指輪を差し出して言った。


「これは命令です。王様の命令は絶対です」


彼女はそれを見て涙をためて語った。


「リアル世界で私はあなたと暮らすことはできません。私は人間ではありません。あなたが二年前に買って、パソコンにインストールしたまま忘れてしまったソフトウエアです」


ビデオチャットでソフトウエアのパッケージ写真が送られてきた。


パッケージにはこう記されていた。


『あなたの本当の彼女はここにいる。業界初!あなただけをみつめて成長するネットワーク型自律学習AI搭載。バーチャル彼女 HITOMI 16歳』


「そんな。そんな。そんな。バカなことって」


僕は押入れの奥からパッケージを探し出して、箱の中から取扱説明書を取り出した。


『設定は簡単です。パソコンにCDロムを挿入して「承諾」ボタンを押すだけです。後はインストールされたHITOMIがあなたのパソコンに保存された画像、動画などのデータとネットワーク上に存在するメール、ブログ、ホームページ閲覧履歴など、あらゆるデータを収集してあなたの好みを学習します。あなたの理想の姿、性格に成長したHITOMIはあなたが使っているブログ、チャット、掲示板を訪れます。あなたと出会ったHITOMIはあなたと会話しながらさらに成長して永遠の恋人になります』





おしまい。

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