俺の夢

 俺の名前は鈴木一郎。銀行や役所の受付に置かれている記入見本で見つけるような平凡な名前だ。事実、とある銀行では「偽名は困ります」と断られそうになったこともある。


「名は体を表す」というが、俺の場合は正にそのとおりだった。


 特に賢いわけでもないし、運動も飛びぬけたところもなく、芸術的なセンスもなかった。中肉中背で、容姿もありきたり。野望を抱くでもなく、度胸があるわけでもない。自分で言うのもなんだが、正に平凡を絵にかいたようなサラリーマン人生を送っていた。


そんな俺だったが唯一みんなと違うところが一つだけあった。


 それは「俺の夢」だった。


 夢といっても将来の夢とかではなくて、寝ているときにみるあの夢だ。俺の夢は物心ついた時から連続ドラマの様に続いているのだ。


 夢の中で俺は、テレビ画面でしか見たことのない女優と恋をし、昼間、俺を罵る上司を部下にしてこきつかっていた。


世の中にはいろいろな趣味を持つ人々がいるが、夢が俺の趣味で、たった一つのストレス解消法だった。夢の中では何もかもが思い通りにうまくいった。


 ある晩、会社の先輩と飲みに行って、酔った勢いで夢の話をした。


「そんな子供みたいなことを言っているから、いつまでたっても彼女の一人もできずに独身なんだ」


「僕の知り合いに、よさそうな女の子がいるから、今度紹介してやるよ」


「彼女でもできたら、そんな夢に頼らず現実を見すえて生きられるんじゃないか」


「鈴木君がしっかりしてくれないと、教育係としての僕の出世まで危うくなりそうだ」


先輩はとても面倒見のよい人で断ることもできず、俺は期待せずに、


「よろしくお願いします」


と答えてしまった。


 それからほどなくして、俺は夢の世界で日本国の大統領にまでのぼりつめた。内閣総理大臣でないあたりが滑稽だったが、夢の中での俺は日本で一番の権限を持つ男となった。


 俺はどうせ夢なのだからと大胆な政策をおこない、それがまた庶民にうけた。俺の夢は現実世界の数年前の世界だった。未来を予測できる俺の政策は外れなしだった。


 地震や台風などの自然災害はもちろん、他国の金融危機や経済恐慌まで察知して関係省庁に指示を出した。若き日本の指導者として、国内外のマスコミが鈴木一郎を称賛した。


 夢の世界での俺の仕事は多忙をきわめることとなり、夜寝ている時間だけでは不足するようになってきた。平日は同僚や上司の誘いを断り、残業もせずに家に帰った。土日や祝日はほとんど寝て過ごした。


 それでも足りず営業に出たふりをしてマンガ喫茶で居眠りした。現実世界での俺の営業成績は日を追うごとに低下していった。


 上司は俺を罵倒し、先輩は俺のことを心配した。会社をクビになってしまっては夢を見続けることも難しくなってしまう。俺は先輩の誘いを断り切れず、付き合いで飲みにいくことになってしまった。


 飲み屋に入ると、一人の女の子が待っていた。


「山田花子です」


鈴木一郎に山田花子はないだろうと思ったが、俺は彼女の吸い込まれるような瞳をみて恋に落ちてしまった。夢の世界でつき合っている女優に比べれば顔もスタイルも落ちるが、素直で素朴な彼女に癒やされた。


 どういうわけか彼女も俺のことを気に入ってくれて、二人は交際をはじめた。彼女との時間をとろうとすると、今まで通りに休日を寝て過ごすわけにもいかず、デート代をつくるために平日の残業も必要になった。


 眠る時間が制限され、夢の世界での大統領としての仕事がとどこおるようになってしまった。すると夢の世界のマスコミは手のひらを返したように俺をバッシングしはじめた。


 現実世界が充実すればするほど、夢の世界の人々のために奉仕することがうとましいことに思えるようになっていった。夢の世界でストレスをため、現実世界の彼女に癒やされる生活をしばらく続けた。


 夢の世界で疲れ切った俺は、常に俺と行動をともにしているある男を呼んだ。


「そのカバンを開けてくれないか」


「よろしいのですか」


男の表情が強張っているのがわかる。それでも男は訓練通りに三重のロックを手際よく解除し、カバンを開いた。


「私が大統領になって一度でも失敗したことがあるかね」


男は直立不動で敬礼をしながら答えた。


「ありません。閣下」


「よろしい。では奇襲をかける」


俺は、胸にかけたカギを取り出し、カバンに取りつけられたカギ穴に差し込んでひねった。けたたましく警報が鳴り響き、補佐官や大臣たちが執務室に駆け込んできた。


「核弾頭ミサイルが発射されました。これは訓練ではありません。繰り返します。核弾頭ミサイルが発射されました。これは訓練ではありません」


俺は彼らに向かって倒れ込むように眠りについた。


 俺はすがすがしい気分で目覚めた。俺の夢という長いドラマに終えんをつげたのだ。今晩、彼女にプロポーズすると決めていた。俺は机の上に乗せた婚約指輪の箱を手に取って開いた。


「そんな」


俺は自分の目を疑った。箱の中に指輪はなく、先ほど夢の世界で回したカギがひねられた状態で刺さっていた。突然目の前が真っ暗になった。


「大統領。起きてください」


体をゆすられて俺は目覚めた。


「大統領。報復ミサイルがこちらに向かっています」




おしまい。

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