第29話 少年と魔素 (後編)
「あ。母さんだ」
漆黒の空間の中で、ヒビキはふいに視線を上に上げて呟く。
『分かるのかい?』
「なんとなく。見ないでって言ったのに」
『他者による観測ぐらいじゃ結果は変わらないよ』
「そうじゃなくって、いまぼく裸なんですよ」
『ああ、そうだったね。すまない』
ヒビキがいま身につけているのは、魔素のペンダントだけ。あとはパンツ一枚身につけていない。
「見ないでって言ったでしょ、母さん!」
見上げたまま、少し強く言うと、視線の気配は消えた。聞こえたのか、気付いてくれたのかしてくれたのだろう。
『じゃあ、術式を始める。でもその前に、対価が欲しいんだ』
いまここで言わなくても、と思いつつヒビキはこう返す。
「ぼくの一存で決められることなんてないです。でも、ぼくに出来ることならなんでもします」
『ああうん。いますぐにやって欲しいことじゃないんだ』
「教えてください。なにをすればいいのかを。……できれば手短に」
分かった、と頷いてイスファは話し始める。
『ぼくたち魔族の、研究成果を銀河中に配信して欲しいんだ』
「そんなこと、ですか?」
グレイブ・スペランツァ号はかつて、ブリズエール号として銀河中の星々にヒトの種と文明をばら蒔いてきた。が、つながりを完全に途絶したわけではなく、超空間通信によるネットワークで繋がっている。
そしてそれは次元干渉における研究結果の発表から、一般人による雑談放送まであらゆる内容が無規制無制限で配信と視聴が可能だ。
『うん。ぼくたちはきみたちの体に間借りすることでしか、きみたちのツールに触れることはできない。
この姿になって、肉体の死からは逃れられたけど、星の死からは逃れられなくなった。ぼくたちの命を繋いでいるのは、星の息吹なんだ。
だからいずれこの星が死ぬ時に、ぼくたちの研究成果を後世に伝えたいんだ。
正直、キミ達が来てくれて助かったんだ。
ぼくたちだけで行ってきた研究が、他の星の住民にも伝えられる。
ぼくたちは半不死だけれど、いつかは朽ちる。星と共に。
でも、きみたちはきっとそのときはこの星から出て行くだろう。
ぼくたちも、せめて研究してきた思いだけはきみ達の船に乗せてほしい』
一度区切って頭を下げる。
『ぼくたちの、多分この姿になってから初めての願いだ。聞き届けてくれると、嬉しい』
あまりにも壮大な依頼だった。
「え、ええと、たぶん、大丈夫だと思います。そのときには魔族のひとたちのことも、ずっと知れ渡ってると思いますし、配信だけならそんなに手間はかからないですから」
相変わらずイスファの姿は朧に光っていて、表情などは分からないが、それでも安堵したように見える。
『良かった。遺跡を回っていたのは、同胞達にそのことを確認するためでもあったんだ』
そうですか、とヒビキも微笑む。
『じゃあ、今度こそ本題だ』
「はい。お願いします」
* * *
「大佐、おめでとうございます」
どこかおどおどした様子のアルカからそう言われ、白のタキシード姿のヴィルトガントは彼の猫っ毛をさらにくしゃくしゃにかき回した。
「あいにく俺はもう大佐じゃない。軍は辞めたんだ」
「でも、大佐は大佐、です」
苦笑しつつもヴィルトガントはアルカを抱き上げ、左腕に乗せる。
「父さんって呼んでくれると、嬉しいんだがな」
「は、恥ずかしい、です」
彼らが所属していた組織は、ヒビキが発明した魔素機関のさらなる発展や研究を行う部署と、機関に「使われていた」子供たちの面倒を見る孤児院のふたつに分割された。
アルカもそこで暮らす予定だったが、「大佐といっしょじゃなきゃやだ」と駄々をこねた結果、ヴィルトガントの養子になった。
「そ、そうだぞアルカ。私たちは家族になったんだ。できれば、その、私も……」
純白の鮮やかなウエディングドレス姿のゼクレティアは、彼女を知る誰もが目を疑うような美しさを見せ、男女問わず感嘆のため息を零させた。
ゼクレティアが「使っていた」女の子もまた、彼女の養子となり、いまはドレスの裾をその小さな指でつまんでアルカをじっと見上げている。
「きれいな格好してても、怖いから、やだ。大佐、なんで、このひとなの」
すっかり怯えてしまったアルカを、ヴィルトガントは豪快に笑い飛ばす。
「そう言うな。お前達に冷たくあたっていたのは、子供が苦手だからだよ」
そうなの? と首を傾げる姿が愛らしい。
「わ、私だって子供を使うことに躊躇が無かったわけじゃない」
足下の子をひょいと担ぎ上げ、アルカと視線を合わせてやる。一瞬目が合うと、急にじたばた暴れ出したので困ったように床に降ろす。ささっとゼクレティアの後ろに隠れてまた裾をつまみ、おずおずとアルカを見上げた。
よしよし、と頭を撫でてゼクレティアはアルカに視線を戻す。
「でも、レイナさまの理念を実現させるためには仕方なかったんだ」
「そんなこと、どうでもいい」
きっぱりと言われ、呻くゼクレティア。
「だから、これからは怖いことしないって約束して」
「……分かった」
一歩踏み出し、肘まであるシルクの手袋を外しておずおずと手を差し伸べる。
「約束しよう。だけど、お前が悪さをしたら、ちゃんとげんこつだからな」
差し伸べられた手にゆっくりと、だが確実にその小さな手を伸ばし、アルカはおっかなびっくりゼクレティアの手に触れる。
暖かかった。
驚いたようにゼクレティアに視線を上げる。ぎこちなく笑うゼクレティアに、アルカはもう片方の手も伸ばして挟み込み、きゅっ、と優しく握って。
「……うん。約束」
満面の笑みを浮かべた。
* * *
『きみに魔素だけを持たせたのは他でもない。その魔素に残っている命の残滓と、きみ自身の命。このふたつを交換するんだ』
「そ、そんなことして、大丈夫なんですか?」
『ほんの少しだよ。血液にして数ミリリットル。きみが今回の騒動で流した血液よりも遙かに少ない量さ』
よかった、と胸をなで下ろすのを見てイスファは続ける。
『命を交換することで、きみの中に入った魔素が星の息吹を吸収してからだにかかる負担を軽減する。そしてきみが星の息吹に耐えられるまでに成長したら、交換した命を戻す。これが今回の術式だよ』
思ったよりも単純な手術に、ヒビキは拍子抜けした。
「もっとからだにあちこちメスを入れたりするのかと思ってました」
ふふ、と笑って、イスファは続けた。
『レイナの子への治療には、これをやらなかった。やらずに治せると判断したこともあるけど、副作用が大きいっていうことが、今回の研究で分かったんだ』
「副作用、ですか?」
『ああ。この方法は確実に治せる。けれど、きみの肉体に大きな変化をもたらす可能性があるんだ』
え、とヒビキの表情がこわばる。
『魔素と交換する命の影響を、きみの肉体は強く受ける。
ぼくたちの肉体は、きみたちとは大きく違う。頭には角が生え、尻尾もある。不定形の者も少なからずいた。
だから魔族を名乗ったんだ。
だから心にもそれに見合う変化がある。心と肉体は相互に影響し合うものだからね。
そうなった時、きみはバケモノと誹りを受け、迫害され、カーラたちの元を去らなければいけない可能性だってある』
こくり、とヒビキは息を呑む。
『もちろん、いまのまま魔素を肌身離さず持っていれば、あるいは星の息吹に耐えられるからだになれるかも知れないけど、その可能性は低い。
それでもきみはこの手術を、』
「受けます。受けない選択肢なんて、最初からないです。おとなになって魔素を抜き取ってもらえば、からだも戻るんでしょう? だったら、大丈夫です」
相変わらず表情は読み取れないけれど、きっと苦笑したんだと思う。
それに、とヒビキは晴れやかに言う。
「ぼくの心が壊れかけたなら、きっとダナエが支えてくれます。ぼくがどんな姿になっても、ダナエだけはそばにいてくれる。そう信じられます」
『ダナエさん、か。あの子は本当に不思議な子だ。ぼくが知っている魔族にも、あそこまでの天才はいなかったからね』
へぇ、と意外そうに相づちを打ち、続ける。
「最初は違う世界のひとみたいに感じて怖かったんですけど、一緒にいると、すごい落ち着くんです。母さんは心配してばっかりだけど、ダナエはぼくと同じ目線で見てくれてる。
だから、ダナエが辛いときはぼくが支えたいです。
ずっとずっと、一緒に暮らしたいんです」
大人になったら。病気が治ったら。気がつけばこの願いが一番にやりたいことになっていた。
『……そうかい。きみたちが幸せに生きられることを願うよ』
改めて言われると照れる。
えへへ、と頭をかくヒビキを、きっと薄く笑ってイスファは高らかに言う。
『分かったよ。この魔素はきみを認めた。
だから、ぼくも魔素ときみとダナエさんの愛を信じよう』
「あ、ありがとうございます」
『じゃあ、やるよ。ヒビキくんは、ただリラックスしていてくれればいい』
イスファの手とおぼしき箇所がゆっくりと伸び、ヒビキの魔素に触れる。
「お願いします」
目を閉じ、全てをイスファに委ねた。
漆黒の空間が、深紅の光に包まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます