第28話 少年と魔素 (前編)

 その頃ヒビキは、闇の中に居た。

 以前、イスファと最初に会った時に連れてこられたあの漆黒の空間だ。


「なんか、ずいぶん前のような気がする」


 日数にすれば一ヶ月も経過していない。でもこんなに密度の濃い一ヶ月なんて後にも先にも今回ぐらいだろう。


「楽しかったな。いろいろと」


 たくさんのひとと知り合えたし、アルカを助けられた。

 例え手術が失敗しても、きっと後悔はない。

 そんなことを考えているうちに、ヒビキの正面に光が集まっていく。

 それは確かに人の姿をしていた。

 しかし、朧に光っていて、細かな形を確認できない。


『待たせたねヒビキくん』

「いえ。大丈夫です」


 その朧な光がイスファなのだと、声をかけられてようやく納得した。


『手術を始める前に、魔素について説明しておこうと思う』

「いま、ですか?」

『今回の騒動で、魔素は単純なエネルギー物質じゃないと分かったんだ』

「えっと、最初に説明してた時に、魔素を使えば病気を治せるって言ってましたよね」

『正直に言おう。ぼくはぼくの目的のためにきみたちを利用させてもらった』


 利用されたことへの驚きは、自分でも驚くほど少なかった。

 それぐらいのことはされて当然だと思うから。


『魔素は、この星にはありふれたもの。だからぼくは惹かれることも無かったし、感情をエネルギーに変換するっていう基本的な性質しか知らなかった』

「でも、船の大人のひとたちは、魔素はレイナさんたちの組織が見つけるまで誰も気付かなかったって言ってましたよ?」

『じゃあなぜ大人たちは魔素を扱えないか、を説明しようか』


 はぐらかされているような気もするが、多分いずれ繋がるのだろうと思い、ヒビキはこの説明を受けることにした。


『大人たちは星の上で生を受けず、人工的な自然の中で生まれ、成長した。それは星の息吹を血に刻んでいないということだ』

「星の息吹?」

『星は生命体だ。星の上で生まれると言うことは、星の一部として生を受けるということ』


 頷くのを待ってイスファは口調を少し変えた。


『きみたちの体の組成は、七割が水分。それはきみたちの母星の、表面上とはいえ海が占める割合と同じ。そうだったね』

「えっと、確か、そうです」


 自分たちの母星は、見た目こそ海が大半を占めているが、水をすべて集めたとしても星全体からすればわずかでしかない。以前アーサーからそんな話を聞いた記憶がヒビキの脳裏をよぎった。


『そういう風に、星と、そこで生まれる生命体は少なからず共通点があるんだ。でも、きみたちはずうっと人工的な自然の中で何世代も何世代もかけて星の海を渡ってきた。

 その間に刻まれていた星の息吹は薄まり、ほとんど必要としないからだになっていた。

 でも、ヒビキくんたちは星の上で生まれた。

 ここに病の原因があるんだ』


 え、とヒビキは戸惑う。


『きみたちの血や遺伝子や心が受け入れられる星の息吹と、この星の息吹は型が違う。違う血液型を輸血すれば死んでしまうのと同じで、ヒビキくんたちは病に冒されたんだ』


 自分のことながら、イスファの説明に感心してしまった。


「だったら、全員が病に罹るはずじゃないですか? でもダナエは元気だし、罹ってない子だって他にもたくさんいます」

 ううん、と首を振ったように見えた。

『さっきぼくは血液型の例えをしたように、受け入れられる星の息吹も個々人で少しずつ違うんだ。ダナエさんや罹っていない子供たちは、適合できる型をもって生まれたのさ』


 なるほど、とうなずき、あることに気付く。


「……あれ? 大人の人が魔素を使えないって話は?」


 朧な人影が、ゆっくりと人差し指を立てたように見えた。結構細かい動きをするんだな、とヒビキは小さく笑った。


『魔素とはぼくたち魔族そのものなんだ』

「魔族? え、だって、魔族のひとって」


 そんなものを使っていたなんて、と空恐ろしくなる。


『大丈夫だよ。化石燃料みたいなものさ』

「でも」

『本当に怖いなら、手術が終わったらこの記憶は消してあげるけど?』

「それは、イヤです。誰かに言いふらすつもりは無いですけど、大事なことだと思うので」


 ふふ、とイスファが笑ったような気がした。


『そういう聡いきみだから、ここから先を話そうって思えるんだ』


 褒められているのだと思う。


『魔素は、魔族になる時に捨てた肉の器のなれの果て。


 それが長い時間をかけて星の息吹をたっぷり吸って、いまの形になった。強い感情を受けて強いエネルギーを放出したり、物質の形状を変化させるのはたぶん、この星が持つ願いそのものなんだと思う』

「星が、願いを持つって言うんですか?」

『星は生命体だよ。願いぐらい持つさ』


 そう言われればそうかも知れない。

 でも、星はあまりにも大きすぎて、願いを持つなんて俄には信じられなかった。


『魔素を研究して分かったのは、魔素に宿る星の息吹には後悔が混じっているということ。

 これは仮説だけど、星はぼくたちが肉の器を捨てたことにショックを受けているんだろう。

 だってそうだろう? 自分が産んだ命が、ある日勝手に限界を決めて丸っきり姿を変えてしまうなんて、ぼくだったら耐えられない。

 だから、残骸に息吹を吹き込み続け、新しくやってきたきみたちの願いは叶えようと強い力を放出するんだと、ぼくは思う』


 そう言われてやっと、ヒビキは納得できたような気がした。


『でも大人たちは星の息吹を感じられない。だから魔素に感情を込めても、トリガーとなる星の息吹が反応しない。その結果、魔素は使えないのさ』

「少し、分かりました」

『魔素についてはこのぐらいかな。じゃあ次は手術の内容についてだ』


 長くなりそうだな、とヒビキは身構えた。




「遅いわね」

「そうじゃの」


 ヒビキがイスファによって黒い空間に連れて行かれてから、まだ一時間も経過していない。待つ間に流れる時間ほど遅いものは無いのだ。

 依然としてふたりは船橋ブリッヂでだらだらとすごしている。他のクルーたちはめまぐるしく働いていると言うのに。

 いや、クルーたちもからだは動いているが、誰も彼も気はそぞろで、機関長は先ほどから五分おきにトイレへ行き、通信長は虚空を見つめ、操舵長は舵輪をぐるぐる回し続けている。


「あんたは平気なの?」

「信頼しておるからの」

「それってイスファのこと、じゃないわよね」


 一瞬、視線を逸らしたことに気付かないカーラではない。


「あんたって結構警戒心強いからね。受け入れはしても信頼するまで一年ぐらいはかけるタイプ。だからあたしもまだ完全には信頼してない。違う?」

「そんなことはない! 母上は、ヒビキの次に信じておる!」


 弾かれたように飛び上がり、真っ正面に回って、赤鴇色の髪よりも顔を赤くして叫んだ。


「ありがと。ちょっとからかってみただけよ」

「な、ならばよい! わらわも取り乱してしもうた。すまぬ」


 ふふ、と笑って抱き寄せ、耳元に囁く。


「あんたのお陰で、ヒビキが大人になれそう。本当に、ありがとう」

「わらわはなにも、しておらぬ。イスファが研究に励み、アーサーが力添えをし、星の息吹に耐えて今日まで命を繋いだヒビキのがんばりの結果じゃ」

「魔素は星の息吹を集めた存在、だっけ。そういうの、あたしも感じたかったな」


 寂しそうに微笑んでダナエを離し、カーラはヒビキたちが居る部屋の様子をモニターに映し出す。

 やはりまだ漆黒の球体だけがある。

 出産を待つ父親の気分ってこんな感じなのかな、と球体を眺めながら思った。

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