第27話 王女と母たち
『ヒビキ!』
グレイブ号ごと駆けつけたカーラの手に渡されたヒビキの顔はすっかり土気色に変わっていて、あと数分集中治療室へ運び込むことが遅れていれば、という容態だった。
ヒビキの容態がどうにか安定し、全員が安堵のため息をついたとき、ダナエはレイナ小さな部屋へと連れ出した。
スタンドの置かれた二人がけのテーブルと、明かり取りの窓がひとつの細長い部屋は、快適さよりも狭苦しさが先に立つ。その奥側にレイナを座らせ、ドア側にダナエが座る。
やや遅れてヒトヨがメイド姿で入室し、ふたりに紅茶を淹れる。
典雅な仕草でひとくち飲んでダナエは切り出す。
「憑物が落ちたような顔じゃの」
「それはもう。あの子にもう一度会えましたし、ヒビキくんも持ち直しましたから」
「ならば、もう私怨で動くことはないと申すのじゃな?」
ふふ、と意味深に微笑み、
「それはどうでしょう。魔族への、イスファ個人への怒りはまだ消えていませんので」
悲しそうに視線を落とし、ダナエは言う。
「子の顔をもう一度見てもなお、かえ?」
「ええ。イスファの過失なのだと理解はできても、心はまだ納得できません。これはきっと、子を成したことのない姫殿下にはご理解頂けないと思います」
「……むう。こればかりは、いくら知識を重ねても分からぬからの」
「ええ。わたくしも、姫殿下のお子を見てみたかったです」
その言葉にダナエは目を丸くする。
「なぜじゃ。あと十年もすればわらわはヒビキの子を授かる。絶対にじゃ。それをそちは見たくないと申すのか」
「本心を言えば、いますぐにでも死罪にして頂きたいのですが、お優しい姫殿下はなさらないでしょう」
す、とダナエに劣らずの典雅な仕草で紅茶をひとくち。
「それに、わたくしはイスファ以上に姫殿下を憎んでおります。なぜ、わたくしの子だけが病に罹り、なぜこいつは風邪ひとつひかずに走り回っているのか、と」
苦笑したのはダナエも同じ。
「それは、丈夫に産んでくれた母に感謝するしかないことじゃからの」
「あの子も、あの病に罹るまでは本当に聞かん坊の暴れん坊で、手が付けられないほどでした」
そうじゃの、と寂しげに返す。
「故に、姫殿下の幸せな姿など、まっぴらごめんなのでございます」
「それでも、わらわの子は見たい気持ちはあるのかえ?」
「はい。わたくし、こう見えても子供好きなんです」
このときにこりと浮かべた笑みにレイナが秘めた感情を、ダナエは終生読み解くことが出来なかった。
「……その上であの魔素機関か」
重く息を吐いたダナエによぎるのは、子に貢献を求めたゼクレティアの発言。
「ああいう風に思い込まなければ、考えなければあのような行為はできません」
「ならばそうまでして、なぜ魔素にこだわった?」
「一度動き出したものはそう簡単には止められません。それが、大人のやることなのですよ。姫殿下」
「……、わらわも、大人になったらそうなってしまうのじゃろうか」
「そうかも知れませんが、姫殿下はそのお年で芯が図太くできあがっていらっしゃいます。わたくしは大丈夫と思います」
そうかえ、と苦笑するダナエ。
「それでも、機関に組み込んだ子供たちには十分に愛情を注いでいたのです。そうしなければ動かない、というのも無論ありますが、孤児の心のさみしさを少しでも埋めることが出来ていたのなら、わたくしはここで命が終わっても惜しくはありません」
待て待て、と両手を振ってダナエは腰を浮かせる。
「じゃからなぜそう死にたがる。そちにはまだまだやってもらわねばならぬことが山積しておるのじゃぞ?」
「……生きて償え、と?」
思い詰めたレイナの言葉に、ダナエは渋面を作る。
「そうじゃ。本陣でも申したであろ。死罪になる覚悟があるならば、生きて働くのじゃ」
ですが、と反論するレイナを手で制し、できるだけ穏やかに言う。
「此度の……、わらわがヒビキと出会ってから起こった争乱では誰一人として死んでおらぬ。死なねば良いというつもりはさらさら無いがの。
新型機関の開発に関しても、そちがいま申したことが真実なら、孤児院としても十分すぎる機能を果たしておるではないか。
そちは、与えられた仕事を果たしただけにすぎぬ。
報償こそあれ、処罰などもっての他じゃ」
今度はレイナが目を丸くする番だった。
「姫殿下は、お甘い」
そうじゃ、と会心の笑みを浮かべる。
「わらわが憎ければ、わらわを追い落とし、そちが女王になればよい。わらわにはヒビキとグレイブ号で生きる道も、あるのじゃからの」
ダナエのその言葉で今回の騒乱は幕が下りた。
「姫殿下こそ、無闇に逃げたりなさらないでくださいね」
「な、なんじゃその笑みは」
「そういうものは実力で掴み取りたい性分ですので」
「ならば、全力で受けよう。タダでくれてやれるほど、我が家督、軽くはないぞ」
「はい。承知しております」
*
五日が過ぎた。
ヒビキの容態は安定し、術式を行えるだけの体力も戻ったため、いまは別室でイスファやアーサー、あのロボットみたいな医者と共に準備を行っている。
この五日間でレイナへの処遇について動きがあった。
ダナエが言ったように無罪放免、とは行かなかったのだ。
理由は、パライオン軍の私的利用。
それでもパライオン王は最後まで娘をかばい、ダナエの口添えもあって懲役一ヶ月にまで減刑された。
その判決は物議を醸したものの、レイナとイスファの関係や経緯が公表されるにつれて次第に収まっていった。
「へー。レイナさんて人気あるのね」
今日ばかりはひとりでいるのは不安だから、とカーラの隣で編み物をしていたダナエが、編み棒を膝に置いて言う。
「顔立ちも仕事ぶりも美しいと事務官たちはいつも噂しておったの。レイナの輿入れに関しては母上の方がよく知っておるじゃろうに」
レイナの婚姻は、星の海からの長旅に疲れた人々の心を和ませ、子の出産は星全土が祝福ムードに包まれていた。
「あー、でもあたしその頃船長業務の引き継ぎやらなにやらでほんと忙しかったからさ、あんまり覚えてないのよ」
「なんじゃそれは。仕事にかまけるとは母上らしからぬの」
「仕方ないでしょ、まだ二十代だったんだし、この仕事に余裕出来るようになったのって最近だし」
「そうかえ。母上はなんでもそつなく熟す印象が強くての」
ありがと、と返してカーラは話題を変える。
「そういえばあんたさ、パライオンから機密文書盗んだアレはどうなったのよ」
それがの、と困ったように鼻をかくダナエ。
「父がもみ消してしもうた」
「は? なにそれずるい」
「いや、もみ消したというのは言葉が足らぬか。
父は、レイナの罪を軽くする代わりにわらわの罪を放免とさせてしもうたのじゃ。余計なことはするなと申したのに、あの男、そういう智恵ばかり頭が回るようじゃ」
ちょいちょい、とダナエを手招きして、
「あんただけなんの罰も受けないのはやっぱり不公平だから」
む、と唇を引き絞り、身を固くする。
「じゃあ、いくわよ」
ゆっくりと立ち上がり、威圧感たっぷりにダナエの前に立つ。
恐怖のあまり目を閉じ、両の拳を固く結ぶ。
「えいっ」
ぺし、とおでこに鋭い痛み。
恐る恐る目を開ければ、腕組みしつつ、むふん、と鼻息を鳴らすカーラの姿があった。
「あんたもがんばったんだから、デコピン一発で赦してあげるわ」
「こ、これでよいのか? おしりペンペンとかでなくてよいのか?」
「やーよ。あれ結構疲れるんだから」
ふふん、と意味深に微笑んで船長席に座り直す。
「じゃが、あのときヒビキにあそこまで格好つけてしもうたのじゃ。せめて母上になにかしてもらわねば落ち着かぬ」
「じゃあその思いを抱えたまま生きなさい。いつかあんたがもっと悪いことしそうになったとき、絶対にブレーキになってくれるから」
「……すまぬ、母上」
ありがと、と返してテレビを見やる。
『続いてのニュースは、おめでたい話題です』
「お、ついに発表かの」
気持ちを切り替えて自分のシートに戻ったダナエが、にまにまとカーラの反応を伺う。
なんであんたがそんな顔してるのよ、と怪訝に思いつつコーヒーをもうひと口。
『先程も取り上げたレイナ元王女の義弟であり、リングラウズの名家ズヴィエーリ家の長男であるヴィルトガントさんが、リングラウズ軍のゼクレティア少尉との婚約を発表しました』
ぶふっ、と吹き出したのはカーラだけではない。
テレビからのニュースを聞くとは無しに聞いていたクルー全員が、コンソールに頭をぶつけたり、シートから転げ落ちたり、同じく飲み物を吹き出したりと激しいリアクションを一斉に取った。
『ヴィルトガントさんは、義姉であるレイナ元王女の刑期が終了する来月はじめ頃に結婚式を挙げる、ともコメントしており、リングラウズとパライオンでは早くも祝賀ムードに包まれています』
その発表に驚かなかった唯一人、ダナエがいたずらっぽく笑いながら船橋の一同を眺める。
「くふふふ。やはり驚いたかえ。愉快愉快」
「あんた知ってたの?」
吹き散らしたコーヒーを、いつの間にか船に居着いているヒトヨに手伝ってもらいながら拭きつつ、ダナエに問いかける。
「まあの。ヴィルトガントとゼクレティアは親が決めた許嫁でな。レイナの子が死去してからはそんなことを言い出せる雰囲気では無くなっていたそうじゃ」
「はー……。まあ人様の家庭に口出しはしない、けどさ……」
口元をヒトヨから渡されたタオルで拭うカーラ。ヒトヨは他に飲み物をこぼしたクルーへと音も無く近寄り、タオルを手渡して回っている。
「あれでゼクレティアは中々の器量良しじゃぞ? 気弱な性格を改めるため、軍に入ったはよいが、というやつじゃ」
「なんかもう、うん。好きにしてって感じ」
最後に大きく深呼吸をして、この話題から頭を切り替える。
「……なによその期待に満ちた目は」
正面で腕組みしながら見つめてくるダナエに、カーラは不吉なものを感じた。
「さて次はわらわたちの番じゃの」
ほらきた、とつぶやいて、少し強く言う。
「まだだめ。十年早いわ」
「そんなにも待てぬ!」
「あのね、あんたとヒビキのことはもう諦めたけど、あんたまだ八歳でしょうが。世間さまが許しても法律が許さないのよ」
むぅ、と唇をとがらせるダナエ。
「それに、もうちょっとだけあいつの母親でいさせてよ」
むくれるダナエの髪をかき回し、困ったように言う。
「ならば仕方ないの。わらわも母上にたっぷりと甘えたいしの」
「ばぁか。あんたみたいなの、産んだ覚えないけど?」
「血のつながりなぞ、愛の前ではなんの効力も持たぬ」
ああもう、と船長席から立ち上がってダナエをひょい、と担ぎ上げて。
「しょうがないわね。胸焼けするぐらいたっぷりしっかり溺愛してあげるから、覚悟しておきなさい!」
「うむ!」
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