第26話 少年と終戦
「全員下がりなさい。ダナエは私ひとりで対応します」
アンドレイアの姿が見えると同時に、レイナは残っていた兵士たちに告げ、鉄パイプの骨組みに分厚い布の屋根をかぶせただけの急ごしらえの本陣に、パイプ椅子を用意して座った。
その様子を見届けていたアンドレイアは、本陣の前で静かに立ち止まった。
「逃げずに本陣にとどまるとは、将としては立派じゃの。レイナ」
アンドレイアの手の平の上で仁王立ちのダナエは挑発的に言い放つ。
『イスファさんが、謝りたいそうです』
ヒビキはゆっくりとアンドレイアをしゃがませ、胸部ハッチを開き、ダナエと共にレイナの前に降り立つ。
「イスファさんは、ぼくの中にいます。いま、代わります」
言って一度目を閉じ、開けた表情はイスファのものだった。
『まず、謝らせてほしい。ぼくの技術と知識が不足していたために、きみの子を死なせてしまったことを』
見た目が少年であるから、なのだろうか、レイナの怒気は一瞬弱まる。だが声音や口調や細かな仕草からイスファの存在を感じ取り、怒気はいや増した。
「まさか、口先だけの謝罪で済ませるつもりではないでしょうね」
『このからだはヒビキくんのものだ。そしてぼくはヒビキくんの病を治さなければいけない。命を差し出すことはできない』
「そう言っておまえは三年前もわたしたちを騙した!」
『騙したつもりはない。あのときだってぼくは懸命に、』
「懸命にあの子を殺したのでしょうが!」
これでは平行線だと察したダナエが一歩前に出て言う。
「子を設けたことのないわらわには、そちの悲しみは半分も理解できぬ。
しかしの。
幼子を贄とし、国へ貢献を求めるような行為を、わらわは一国の姫として赦すことだけは到底できぬ」
す、とオーバーオールのポケットから取り出したのは、ずしりと重い匕首。
唇を噛みしめ、震える声でダナエを睨み付ける。
「殺せばいいでしょう! 極刑は覚悟の上!」
「その覚悟やよし。ならば生き延び、裁判を受け、罪を償うことぐらい容易かろう」
その言葉で少しは冷静になれたのか、ヒステリックに叫ぶことはしなくなった。
うむ、と頷いてダナエは匕首をしまい、言葉を続ける。
「さりとてレイナよ。そちがイスファを赦さぬ限り、そちの子は永遠にそちの呪いを受け続けることになる。それでもよいのかえ?」
「どういう……意味よ……」
「そちがイスファを恨めば恨むほど、憎めば憎むほど、そちの子もまた死した時の姿のまま、そちの記憶にとどまり続ける。
失われた命は、いや、命は失われるからこそ尊い。
その尊い命を、自らの呪いで穢していることに気付かぬほど、そちは愚かではあるまい」
言い返せないレイナに、イスファが一歩踏み出して言う。
『あの頃のぼくは、命の尊さを忘れていた。この姿になって千年以上経っているんだ。経験していないことを簡単に忘れてしまうのは、ぼくたち魔族もきみたち人類も同じだし、そうしなければ生きていけないからね』
レイナの前に跪き、そっとレイナの手を握る。
『こうやって、血肉にぬくもりがあることも、ぼくは三年前まで忘れていた。
だからあのときはここまで拒絶されるとはぼくも思わなかった。
だって死んだとしても、本質的にはなにも変わらないのだから』
イスファの言葉にレイナの表情は困惑に染まっていく。
『分からなかったから、どうやって謝ればいいのか分からなかったし、そうするよりも早くレイナはぼくを拒絶した。だから姿を消したんだ』
藁にも縋る思いで頼ったのはレイナで、
任せて、と言ったのはイスファ。
失ったものの大きさに気付くには、ふたりの種族は違いすぎた。
『でも、今日までダナエたちと一緒に旅をして、ヒビキくんのからだに宿って、肉と魂と心が揃ってやっと命は命と呼べる存在なんだっていうことを、
そして生き物にとって生きていることがどれだけ大切なことなのか、少しだけど思い出せたんだ。
もう星と共にしか生きられないぼくたちが、忘れてしまった思いを。
命は、大切なものだということを』
正面に座るのは、あの子ではない。
そう自分に何度も何度も何度も言い聞かせて、でもどうしてもあの子の姿が重なって。
生きていたら、病が治ったら今頃この子ぐらいの年齢で。
でもあの子はもういなくて。
気がついた時には、レイナの瞳から涙が溢れていた。
「なんで、なんでいまさら……。いまさらそんなことを言われても、わたしは……っ!」
『だから、レイナがいま抱いている怒りも理解できる。殺されようとも仕方の無いことだって。軽はずみな興味で触っていいものじゃ無かったって』
レイナの手から力が抜け、そのまま自分の膝に手を置く。それを追ってイスファは彼女の手にそっと手を重ねた。
『だから、あの子が持っていた最期の記憶をきみに返すよ。レイナ』
ふわ、とヒビキの中から風が吹き、それはゆっくりとレイナへと向かっていった。
風が収まり、二、三度瞬きをしたレイナの瞳から、一層の涙が溢れ落ちる。
「そんな……、なんで、そんな風に笑うの……っ」
もうそれ以上言葉に出来ず、レイナは自身を抱きしめていた。まるでそこに誰かがいるような空間を作って。
はらはらと落ちる涙をそのままに、レイナはゆっくりとヒビキを見る。
「ありがとう。あなたには、縁もゆかりもない子のことなのに」
ふわりと笑ったヒビキに、レイナはなにを思ったのか。
「……ごめんなさい。あなたのような子に、負担をかけてしまって」
そう言って、ゆっくりとヒビキの頭を撫でる。
大丈夫ですよ、と言おうとしたのだろう。
しかし、開いた口からは、鮮血が溢れ落ちた。
「医者を! 担架を早く!」
立ち上がり、真っ先に叫んだのは、レイナだった。
「誰でもいいからこの子を助けて!」
ヒビキを抱き上げて叫ぶ姿は、母のそれだった。
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