第22話 少女と母と
「ふむ。社交界の場を潰された、ときたか」
先日のパライオン国境での戦闘。
それをレイナはそう発表し、グレイブ号を悪に仕立て上げた。
曰く特使であるダナエ姫が晩餐会の料理に因縁を付けた。
曰くグレイブ号の船長が会食の場で狼藉を働いた。
曰くそれらを窘めれば逆上して城を飛び出し、不手際を詫びようとした兵士を返り討ちにした。
等など。
配信される電子新聞もテレビやラジオのニュースも、ありとあらゆるメディアがあること無いことでっち上げて、グレイブ号を叩いて盛り上がっていた。
「こんなのは言わせておけばいいとしてさ」
大して気にしていない様子でタブレットのニュースサイトを閉じつつ、編み物を始めていたダナエに問いかける。
「なんじゃ母上」
「あのレイナってひと、きれいなのよね」
いきなりなにを、と渋面を作ってダナエは適当な相づちで返した。
「ヴィルトガントさんも美形だし、やっぱこういうのって血筋なのかしらねぇ」
「いや母上、ヴィルトガントとレイナに血縁はないぞ」
「だったら余計ずるいー」
子供っぽく足をじたばたさせて不満をあらわにする。
「なにを言うか。母上もきれいではないか」
「あんなの、メイクの力よ」
唇をとがらせて拗ねる。
「化粧が映えるのも下地があってこそ。それに母上の魅力はその凜としたたたずまいにあるとわらわは思うがの」
もう、と立ち上がってダナエのおでこを指で弾く。
「子供がお世辞なんか言わないの」
「世辞ではない。わらわは素直な思いをじゃな」
と、カーラの私室で盛り上がっていると、通信長から呼び出しが入った。
ベッドの枕元にある受話器を取り、数度のやりとりの後、はい、とダナエに差し出す。
「あんたにって。お父さんから」
持っていた編み棒と編み物で顔を隠し、壁際まで後ずさる。
「い、いやじゃ。出とうない」
「そんなこと言われてもさ、すぐ近くにいますって言っちゃったし」
「か、厠にでも行ったと」
「だめだってば。急ぎの用だから早くして欲しいって」
むううう、といまにも地団駄を踏みそうなうめき声をあげて、上目遣いにカーラを見つめて、それでも受話器を収めないのを恨めしそうに睨んで。
「仕方ないのう」
ようやく渋々受け取った。
「わ、わらわじゃ。父から連絡なぞ珍しいの。……は? わらわに本国へ帰れと申すのか?」
でしょうね、とカーラが呟く。
今回の騒ぎはスキャンダルにもならないような些細なこと。
いままでダナエがグレイブ号で起こしたトラブルの多くは、主にカーラが面白がって配信しているため周知の事実だが、今回は国が絡んでいる。
さすがに笑って済ませられるほど、ダナエの父は甘く無かった。
「父は、わらわの言葉よりも、あんな報道を信じるのかえ?」
信じる信じないの問題ではなく、これは娘の命を心配しての行為だと、カーラは最初に通話した際に聞いている。
カーラとしてはダナエの父の意見に賛成であり、嫌がるならば首根っこ捕まえてでも彼女を故郷リングラウズへ連れて行くつもりだ。
「……仕方ないの。そこまで言うのなら、今回は従っておくことにしよう」
お、とカーラは感心する。
受話器を戻したダナエの顔はいささかだが晴れていた。
「父も案外親らしいことをするものじゃの」
すっと立ち上がって出口に向き直る。
「どこ行くの?」
「荷仕度に決まっておる。長旅になるじゃろうからな」
「何言ってるの。お送りいたしますわ。ダナエ姫殿下」
「じゃが、これ以上この船を巻き込むわけには」
あのね、と荒い鼻息をひとつ入れて、カーラは強く言う。
「こういうときぐらい甘えなさい」
人々がこの星に降り立ってまだ十年。
どの国も自国のインフラを整備するので手一杯。
貿易のまねごとはグレイブ号が輸送手段となって行っている、と前述したように、多国間で何かしらの交通機関や道路が繋がったという事実も、繋げようという案が出たという報道すら無いのが現状だ。
「……すまぬ」
「ヒビキの病気と魔素の資料をね、リングラウズの研究機関にも渡してあるの。アーサーの解析だけじゃ分からないこともあるだろうから、って。ひょっとしたら何か進展あるかも知れないから、っていうのもあるんだけど」
「なんじゃそれは」
「だから、そういうことにしておいてよ」
きゅっ、と背中から優しく抱きしめて、ゆっくりと囁いた。
「……ずるい、ぞ。母上」
「大人はずるいのよ」
リングラウズ。
グレイブ号がまだ移民船として宇宙を流離っていた頃からずっと、船の中心として名を馳せていた国。
その影響力は星に降りた今も、いや増して強くなっており、今回パライオンが起こした一連の騒動を決して快くは思っていない。
まして自国の姫が多大な迷惑を被ったとあれば、その怒りは推して知るべしであろう。
ダナエ自身、ここまで母国が怒りを顕わにするとは思っておらず、むしろパライオン側からの報道を真に受けてなんらかの処罰が下るものだと、父王に再会するまで思っていたぐらいだ。
「わらわを庇護すると言うのか。あの父が、成長したものよの」
皮肉たっぷりに睨み付け、
「さりとて、いまのわらわに武力は喉から手が出るほどに欲しい。愛しい者たちを守るためにの。指揮権はすべてわらわに預けよ。そち程度が指揮するとあっては命を賭してくれる兵士たちに申し訳が立たぬ」
憮然と言い放ち、
「これが終わったら、そちに紹介したい男(お)の子(こ)がおる。そちより百倍勇ましく、そちより百倍優しい、真の男の子じゃ」
恥ずかしそうに歩み寄り、
「じゃからと言って、放蕩は止めぬがの」
意地悪く笑って、ダナエは颯爽と王の間を去った。
「姫殿下」
影から呼びかけられ、ダナエは歩調を緩めずに返事をする。
お庭番のひとりで、表敬訪問の時にはメイク役をやってくれた忍だ。
ダナエが歩くのは、兵士たちの詰め所へと続く通路。ここも王宮の一部であるからの、とのダナエの命により、ふかふかの絨毯が敷かれ、品のいい調度品が随所に置かれ、訓練場へ向かう兵士たちの心を落ち着かせていると言う。
「パライオンより通達です。
『魔族は子を殺す病をまき散らす、諸悪の根源。
その魔族を庇護するダナエ王女はいずれ国を、果ては人間世界を滅ぼす。
故に我らは武力をもってこれを阻止する』
……以上です」
大きく出たの、と口角を上げ、ダナエはこう返す。
「感謝する。敵軍の配置はどうか」
「
「思ったよりも揃えてきたの。ならばこちらも相応の数を出さねば不遜というものじゃ」
「はい。姫殿下の還御とあって兵士たちの士気もうなぎ登りです。すでに人型戦車五〇〇、歩兵一〇〇、戦車同じく一〇〇が待機中です」
「照れるのう。わらわには心に決めた男の子がおると言うのに」
「兵士たちは、恋する姫殿下がなによりも尊いと口々に申しております。かく言う私も、姫殿下の恋が成就する日を待ち望んでおります故」
「なんじゃそれは。ひとの恋路を羨んでおるヒマがあるならば、自らの恋を成就せよと伝えおくがよい」
は、と短く答えた中にあったのは、小さな微笑み。
「それと、例の部隊は動いておるな?」
「はい。会食の件の後、姫殿下のご指示のあった部隊は、第一陣が目的地へ浸透。第二陣は姫殿下の合図でいつでも目的を果たすことが可能です」
「ならばよい。ヒビキにこれ以上負担を強いるわけにはいかぬからの」
会食の時にダナエはイスファを受け入れた。
イスファは特に何も言わなかったが、ダナエはヒビキの容態がかなり深刻なのだと感じ取った。そして、ヒビキがアーサーと共に嘘をついていることも。
ダナエはヒビキの嘘を守ることを決意し、以前イスファが魔族は嘘をつけない、と言っていた意味を痛感した。
故にダナエはこの一手を打ったのだ。
ヒビキひとりを助けるために。
「わらわとレイナは、本質では同じやも知れぬな」
影は言われた意味が分からず、愚直に聞き返してしまう。
「だってそうであろ。わらわは愛する者を守るため、レイナは失った子の尊厳を守るために軍を動かした。自らの手を血で穢すわけでもないのに、じゃ」
「恐れながら、姫殿下の動機は万人が認めるもの。レイナさまのそれは、私怨と感じます」
「レイナの私怨も根源にあるのは己が子への愛じゃ。
そして愛をもって成す行為に、他人程度が分別を付けてよいものではない、とわらわは考えるがの」
年の差だけで言えば十は軽く超えているというのに、影はダナエの言葉に押し黙ってしまった。なにか言葉を、と思案する影を小さく笑ってダナエは言う。
「よいよ。詮無きことを口にしてしもうた。許すがよい」
「いえ、もったいないお言葉にございます」
そうかえ、と返してダナエは自分の下腹部にそっと手を当てる。
「……別の命が宿る感覚は、あれとは違うのであろうな」
それがダナエにイスファが取り憑いていた時の感想なのだと影が気付いたのは一拍置いてからのことだった。
「初めては、ヒビキに取っておきたかったのじゃがの」
「……差し出がましいようですが、ヒビキさまの病気、本当に治るのでしょうか」
「そちは……、そうじゃったな。弟であったか」
「はい。レイナさまのお子と同じ時期でした」
「そちは、恨んでおるのか? 魔族のことを」
返事に間があった。
「病は、病に罹ったことは仕方の無いことだと思います。けれど、わたしもレイナさまと同じ状況であったなら、魔族を恨むかも知れません」
「そうか。二度も詮無きことを訊いたの、すまぬ」
「そんな、謝罪などもったいない」
よいよ、と返してダナエは大げさに伸びをして話題を変えた。
「しかし、子を殺すと申しても、それはほんの一回。当人にとってすれば一大事じゃが、世界の命運をお題目に掲げるにはいささか大げさすぎるの」
「ですが、民も軍人も真相を知りません」
「かと言って、いまわらわがパライオンへ真相を語ろうとも、耳を傾ける者は少なかろうし、真に受け止める者はもっとおらぬじゃろうの」
「それが姫殿下。前触れも無い急な、しかもいまはリングラウズの縁者であるレイナさまが先導しての戦闘に、パライオンの士気はさほど高くありません」
うむ、と頷いて、ダナエは一度足を止める。
「ではヒトヨ、頼みがある」
影は急に名を呼ばれ、驚いたように返事をする。
「レイナに返信じゃ。
『我の全力をもって我の正当性を証明する。それでもよければかかって来るがよい。そして、そちの家でもあるリングラウズに牙を剥いたこと、たっぷりと後悔させてやる』とな」
は、と短く答え、影の所有者は再びダナエに戻った。
「さりとて、まだ軍をぶつける段階ではない。打てる手は全て打っておかねばな」
呟いて上げた口角の、なんと楽しそうなことか。
惑星テイア史上初の国家間による戦争の火蓋が、いままさに切られようとしている。
植民から十年での戦争は、人類史上でも最短であることも、ダナエは無論知っている。
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