第21話 母と大佐

「ここは……?」


 ヴィルトガントが目を覚ましたのは、グレイブ号の医務室だった。

 グレイブ号に収容されて、アルカが医務室に運ばれたのを確認すると、彼もまた気絶するように眠ってしまった。

 気付いた看護婦が近寄り、枕元のクリップボードを手に取って事務的に問いかける。ヴィルトガントも看護婦のいる右側に顔を向けて視線を合わせる。


「ここはグレイブ・スペランツァ号の第十一医務室です。ご自身の名前、分かりますか?」

「ヴィルトガント・ズヴィエーリ。リングラウズ軍所属、階級は大佐だ」

「はい、大丈夫ですね。いま先生呼びますから、ちょっと待って下さい」


 手にしていたボードを枕元のフックに引っかけ、看護婦は足早に部屋をあとにした。

 残され、からだの具合を確認しながら上体を起こす。

 意識がはっきりしてきた彼の鼻腔に、消毒液のにおいがつんと突き刺さる。


「こういうのは何処の国でも同じだな」


 苦笑しつつゆっくりと記憶を探る。

 アンドレイアがまばゆく輝き出したあたりまでははっきりと覚えている。あの後は子供とは思えない挙動で黒いガウディウム(スキアー)と渡り合い、アルカのために泣いてくれた。

 ヒビキ自身もまだ幼い年齢なのに。

 いままでヴィルトガントが接してきた、あの病に冒されて子供たちは皆、どこか達観した振る舞いをしていた。


「私に、出来るだろうか」


 仮にいま余命三ヶ月と宣告されて、あの子供たちのように強く正直に生きられるだろうか。


「きっと、みっともなく逃げ回るんだろうな」


 そうだ。

 あの子たちだって死にたくて死んだわけじゃない。

 どうしようも無いからと諦めていたわけでもない。

 ただ今日を、ひたすらに生きていただけだ。


「だから、私はあんな少年に負けたのか」


 スキアーを退けたあと、グレイブ号の大人たちはアルカと自分を回収してくれた。

 実際、アンドレイアが輝き始めて以降、自分はなにも出来なかった。

 アルカたち子供が格納されている魔素炉は操縦席と物理的に断絶され、子供達も眠らされているため、手元に表示されるパラメータだけで判断するしかなく、ヴィルトガントはただアルカたちの無事を祈るしか出来なかったのだ。

 ふと目に留まった、足先の壁に掛けられた自分の服の派手さに小さく嘆息する。


「あんな豪奢な服を着ていながら、子供にしてやれることは何一つ無いのだな」


 アルカは、助かるのだろうか。

 ヒビキは治す術があると言った。

 でもそれを行うのは、あの愛らしい甥を死なせた魔族。

 あのときも、イスファはこちらを騙そうという意図は、少なくとも表面上は感じられなかった。


「治そうとしてくれたのだろう。あのときも」


 きっとそうだと、信じたい。

 あのまばゆい輝きを放つヒビキのように、まっすぐ。

 そう決めたのを待っていたかのように、部屋にノックの音が響く。どうぞ、と答えて開かれたドアには、黒縁めがねに白衣の医者と、薄汚れたツナギ姿の女性が立っていた。

 ツナギ姿の女性が、どこか照れくさそうに言う。


「ええと、ちゃんと自己紹介してないのでしますね。渡瀬カーラです。このグレイブ・スペランツァ号の船長やってます。あと、ヒビキの母です」


 言ってぺこりと頭を下げる。

 このひとが、と他意なく思い、どうぞ、と招き入れる。

 その間にも医者は無遠慮にヴィルトガントへ歩み寄り、脈拍や瞳孔、聴診器を付けて内臓の様子を診察していた。


「問題ないようです。二、三日安静にしていればすぐに復帰できるでしょう」


 事務的に言ってボードにサインを入れて、またフックにかけて。そのままなんの感慨も見せずに部屋を去って行った。


「……ごめんなさいね。昨日の一件でみんな忙しくて」

「ロボットかと思いました」

「みんな最初はそう言うんですよ」


 言って困ったように笑う。


「それよりもヴィルトガントさん」


 急に表情を引き締め、カーラはベッドの脇の椅子に座る。


「あなたの甥が亡くなった時の様子を、詳しく教えて頂けますか」

「え」


 自分でも間の抜けた声が出たと思う。


「ほとんど初対面の相手に訊くようなことじゃないですし、すごい無礼なことだっていうことも理解しています。でも、知りたいんです。ヒビキを治したいんです」


 その必死な様子にヴィルトガントも居住まいを正し、


「私も、全てに立ち会ったわけではありません。主観も入っているでしょう。それでもよければ、私の知る限りのことをお教えします。助けて頂いた礼として」

「はい。お願いします」


     *     *     *


 レイナの子が死亡したのは三年前。

 発症前まではむしろ、暴れん坊と揶揄されるほどに活発で、城内はおろか城下町にまで悪戯の範囲を拡げ、城下の子供達を従えて練り歩いて騒ぎを起こしてはゼクレティアにげんこつをもらう日々を過ごしていた。

 それが、ある日突然不調を訴え、一週間後にはベッドから降りられなくなり、一ヶ月後にイースファニウムが現れた。


『ぼくなら、治すことができるかもしれない』


 藁にも縋る思いでレイナはイスファに協力を仰ぎ、三ヶ月後にはベッドから降りる彼の姿を国民たちに涙して迎え入れた。

 容態が急変したのはそれから一ヶ月後。

 そろそろ彼のいたずらが再開される頃だと誰もが思い始めた頃、願いむなしく急に倒れ、五日と保たずにこの世を去った。


「イースファニウムは姉上に、肉体があるならくびり殺してやるとまで言わせ、いつの間にか姿を消していました。私の目には、死を悲しんでいることを不思議がっているように見えたのが、不気味でした」


 そう締めくくり、ヴィルトガントはカーラが淹れた茶をひと口すすった。


「……そう、ですか。ありがとうございます」


 す、と逸らしたカーラの視線に、光るものを見つけたヴィルトガントはこう付け加えた。


「最期の数日は、本当に穏やかだったんです。ベッドから降りることは出来ませんでしたが、姉や乳母たちと談笑までしていたのを、いまでも覚えています」

「あ、いえ。そんな。お気遣い、ありがとうございます」


 慌てて目元を拭ってヴィルトガントに向き直る。


「ヒビキもイスファも、治ると言って聞きません」


 向けた顔は、不甲斐なさが滲んでいた。


「魔素を使っているとからだが楽になるらしくて、それでいつもあんな無茶をして、……ほんと、もう、どうしたらいいか……」


 深いため息を吐いてうなだれる。


「確かに、甥を治療している時のイスファも魔素を使っていたように記憶しています。私は医療はからっきしなのでどのように使ったのかは分からないのですが」


 パライオンの研究者は、魔素がエネルギーを生み出す物質であるとしか認識していない節が随所に見られ、医療面での研究はほとんど成されていなかった、と先日お庭番たちが仕入れた情報にも記されていた。


「でも、三年前は失敗して、レイナさんはあんなに思い詰めて……」

「つまり、魔素は特効薬にならない可能性があると?」

「そちらの魔素機関とは構造が大きく違う、と聞いています。だから大丈夫、とすがりたいのに、出来ないんです」


 言って、はっと何かに気付いたように取り乱し、赤面する。


「す、すいません。ほとんど初対面のひとにこんなことを……」

「あ、お、お気になさらず。……、どちらにしても、祈ることしかできないのは私も同じです。治療法ができれば、病に苦しむ他の子供たちも助けられます」

「……はい」

「それに、そちらの魔素機関が、大人でも使えるようになればこちらも子供たちを使役しなくてすみます。そう言う意味でも、ヒビキくんには助かって貰いたいのです」


 言って意地悪く笑う。

 結構かわいいひとだな、とカーラも微笑み、それからふたりはとりとめの無い話で盛り上がった。

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