第20話 少年と母

 泣きじゃくるヒビキをダナエに任せ、カーラはマイクを取る。


『レイナさん。グレイブ・スペランツァ号船長の渡瀬(わたらせ)カーラです。まだ聞いていらっしゃるなら、私からも言わせてください』


 返事は無かった。

 それでもカーラは言う。


『自分の部下が、ここまでのことをしておいて、何も知らなかったとは言わせません。

 先ほどの会食でも、幼い子を亡くしたと仰いましたが、だったらなぜこんな非道を見過ごせるのですか。

 こんな無垢な子に負担を強いてまで、力が必要なんですか!』


 ヒビキの姉の最期は、いまでもふとしたきっかけで脳裏をよぎる。

 生まれてからの大半を苦痛の中で過ごした彼女は、いまごろ天国で元気にしているだろうか、それとも新しく生まれて元気に幸せに生きているだろうか、とそのたびに思う。

 無いと思っていた返事は、後ろに控えていたもう一機のガウディウムから発せられた。


『レイナさまのお子は、そこにいる魔族に殺された』


 以前、カーラが「お説教」を喰らわせたあの女だ。


『だから魔族は根絶やしにしなければいけない。自分と同じ悲しみをする者がいなくなるように、とレイナさまは仰った。

 魔素機関に使っているものは、親に捨てられ、売られ、死別した身寄りの無いものだけだ。どう扱おうと、いついなくなろうと誰も悲しまない。

 出来ることをできる限り行って、どれだけの不都合があると言うのだ!』


 一瞬の静寂の後、バリエンテに馬乗りになっていたアンドレイアの姿がかき消えた。


『わあああああああああっ!』

『そう何度も!』


 恐らく彼女以外に目で追えた者は居ないであろう速度の拳を、彼女は片手で受け止め、ねじり、吊し上げた。


『子供が出る幕じゃない!』

『ワケが分からないです』

『どういう意味だ』

『子供を殺されたから、魔族を根絶やしにするっていうのは、分かりたくないけど、分かります。でも、そのために子供を使うのは、絶対に理解出来ません』

『子供に理解されるためにやっている事じゃない!』


 吊り上げていたアンドレイアの右腕を、力任せに振り回し、背中から叩き付ける。


『がっ!』

『レイナさまが作ろうとされているのは、母親が悲しまなくていい世界だ! 身寄りの居ない子供が、国のために出来ることは命を捧げることだけだ!』

『そんなの、理屈にもなっていません!』


 立ち上がろうとしたアンドレイアに、スキアーが馬乗りになる。


『だったらお前はなにができる! お前のような子供に! レイナさまの、女の、母親の悲しみが癒やせるものか!』


 馬乗りのまま拳の乱打を浴びせながら、女は、泣いているように感じた。


『ぼくの作った魔素機関のデータをあげます!』


 乱打が止まった。


『お前の、作った……?』

『はい。ぼくの魔素機関は、魔素だけを使います。アルカくんみたいなことをさせなくても、動きます』

『…………。おまえの、お前の機体に、大人は乗っているのか?』

『いいえ。もうひとり、女の子が乗ってますけど、大人は乗っていません』


 スキアーの拳が震えだした。


『もうひとつだけ、訊く。それは、大人が使えるのか?』

『……、たぶん、使えません。作っている間も、手伝ってもらった大人のひとは誰も動かせなかったので』

『それでは意味が無いのだ! 大人が使えなければ、子供を戦わせるわけにはいかないんだ!』


 矛盾している。

 たまらずダナエが問いかける。


『どういう意味じゃ。そちたちは子供を動力炉に組み込んでおきながら、子供は戦わせたくないとそう言っておるのじゃぞ?』

『子供がガウディウムで戦えば、死ぬ。そうすれば親が悲しむ。だけど、魔素機関に組み込めば、死ぬことはない。孤児が国に貢献できるのは』


 二度も言った。

 もう黙って聞いていられるほど、ヒビキたちは寛容ではなかった。


『子に貢献を求めるでない!』

『ぼくは、やりたいからガウディウムに乗って大人の手伝いをやってるんだ! やりたくないって言う子に、苦しませてまでそんなの求めるな!』


 スキアーを一気に押しのけ、胸を蹴り飛ばし、追撃に入る。


『あなたたちみたいな人が、大人を名乗るな!』


 イスファの依頼で各地の遺跡を見て回るよりも以前から、ヒビキは色々な街を訪れていた。

 豊かな街、そうでない街。もちろんそれぞれの家でも貧富の差はあったけれど、貧しいからと言って子供たちが皆悲しんでいるわけでは無かったし、裕福な家で生活していても辛そうな子供たちのことも、ヒビキはたくさん見てきた。

 それはその家族や街だけが解決していい問題よ。

 少なからず悩んでいたヒビキは、カーラから貰ったその言葉でずいぶん心が楽になったことを覚えている。

 だけど。

 この女の人だけは、自分がどうにかしなきゃいけない。

 自分だけが、対抗できる力を持っているのだから。


『わああああああっ!』


 アンドレイアがまばゆく輝く。

『ぼくは、あなたたちのことを、許さない!』

 輝きを纏ったまま、アンドレイアは流星のようにスキアーへ向かう。速度は先ほどよりは遅いが、仕留めるには十分な加速だ。

 流星と化したアンドレイアにスキアーは怯まず、腰を落とし、構える。


『何度やろうと!』

『だああっ!』


 緩急の差なのだろう。初手よりも遅い攻撃はスキアーの反応を僅かに早まらせ、ヒビキはそのガードをくぐり抜けるようにして拳を顔面にぶち当てた。


『くっ!』

『わあああっ!』


 もう、型もなにもない。巨人によるただの殴り合いが始まった。

 蹴りがぶつかり合い、拳が交錯する。その度に赤い光の粒が周囲に飛び散り、地面に吸収されていく。

 それはどうにか立ち上がったバリエンテにも降り注ぎ、機体を淡く輝かせる。


『お前のような子供に!』

『ぼくたちだっていずれ大人になります! イスファさんが治してくれるって言葉、ぼくは絶対に信じます!』

『そいつはレイナさまの子を殺したんだ! お前たちも騙されているんだ!』

『あなたがなんて言っても、ぼくは信じる!』


 放った渾身の拳がスキアーの胸部中央を打ち据える。


『くふっ!』

『わああああっ!』


 怯んだ隙を見逃さず、ヒビキはラッシュをかける。

 顔面、腹部、肩、肘、膝、ありとあらゆる場所へ打撃がねじ込まれ、叩き込まれる拳の豪雨にスキアーは一歩、また一歩と下がっていく。

 そこまで激しいラッシュをしかけながらも、ヒビキの心は実に穏やかだった。

 ぼくの命は、少しだけ残ればいい。

 力を貸して、魔素。

 そう願った瞬間、アンドレイアが輝き出す。

 アンドレイアだけじゃない。二機から無数にこぼれ落ち、地面に吸収されていった光の粒たちも呼応するように輝き出す。


『な、なんだ、この輝きは』


 アンドレイアがいまの姿になった時の反応とはまた違う輝きに、ゼクレティアは戸惑う。


『それに、子供の……泣き声?』


 ヒビキとダナエ、そしてアルカ以外の、苦悶に満ちた泣き声が居合わせる全員の耳に届く。


『それは、あなたの魔素機関に閉じ込められている子供の声です』

『ばかな。子供は眠らせてあるんだ。泣くことなんて』

『魔素は思いをエネルギーに変える物質です。ぼくが使った魔素のエネルギーが、あなたの魔素機関に触れて、ぼくの思いをそこに居る子に伝えたんです』

『思いを、物質が伝えるなんて、あるはずが無い!』


 半狂乱になりながらもゼクレティアはスキアーをバックジャンプさせて間合いを離し、拳を握る。しかし、そこまで。


『な、なぜ動かない!』


 もはや悲鳴だった。

 バックジャンプの着地地点から一歩も動かず、握っていたはずの拳もいつの間にか解け、スキアーはその場にゆっくりとしゃがみ込んでしまった。


『立て! なんで座るんだ!』


 ふう、と息を吐いたのはダナエ。


『まだ分からぬか。それが魔素機関に入れられておる子の本音じゃ』

『もういいでしょう。そうなったら子供はテコでも動きません』


 ぐうう、とゼクレティアは呻く。

 いっそパライオンの兵を呼んでスキアーを回収してもらおうかと思い始めた頃、ゼクレティアが飛び降りてきた。


「わ、わたしが悪かった! だからもう泣かないでくれ!」


 え、とヒビキが目を丸くする。


「お前が動いてくれなければ私は動けないんだ! お菓子か? アニメか? あとで言うこと聞いてやるから、せめて帰り道ぐらいは動いてくれ! 頼む!」


 何度も頭を下げ、慌てふためきながらもどこか慣れた仕草で説得する姿に、誰もが吹き出す。


「だからいつも言っているだろう。機関の子供たちとは親密になっておけと」


 いつの間にかアンドレイアの足元に居たヴィルトガントが呆れた口調で言う。


「で、ですが大佐! 私にもメンツが!」

「そんなもの、子供には関係ない。自分にとって優しいかどうかでしか、子供は動かないことを、いい加減学んだらどうだ」

「く、あ、あああもう! 大佐は黙っていてください!」


 はいはい、とおざなりに返事をして、ヴィルトガントはヒビキと、グレイブ号を視界に収め、深く頭を下げる。


「ヴィルトガント・ズヴィエーリ。並びにアルカ・ブリーズ。グレイブ号に投降する」


 返事は二カ所から同時にあがった。


『無論です』

『なりません!』


 後者は言うまでも無くレイナだ。


『いまさら逃げ出すと言うのですか!』

「はい。これ以上組織にいても、アルカの益にはならないと判断しました」

『アルカひとりのために組織を、国を捨てると言うのですか!』

『そうはならぬぞレイナ。なぜならばグレイブ号にはこのダナエ・ロニ・セネカが客人として座乗しておる。ヴィルトガントはわらわの保護下に入る。ただそれだけじゃ』


 ふふん、と笑うダナエからヒビキはマイクを取り、


『あの、先にアルカくんを医務室に運ばせてください。病気が治る治らないの議論よりも、アルカくんを休ませてあげたいんです。ヴィルトガントさんは保護者としてグレイブ号に乗る、というのではダメでしょうか』


 ヒビキの懇願に、返事は少し遅れてあった。


『……あなた、年齢は?』


 なにをこんなときに、と思ったが、ヒビキは素直に答えた。


『え、えっと、八歳です』

『……そう。わかりました。アルカと義弟を一旦そちらに預けます。そちらの方が、パライオンよりも医療設備は整っているでしょうから』

『ありがとうございます。母さん、お願い』


 うん、と返事の後、グレイブ号のハッチが開き、医療ロボットたちがストレッチャーを運んできた。遅れて白衣姿の医師たちも駆け出してきた。

 ほっと胸をなで下ろすヒビキ。


『ガウディウムの少年、……名前を訊いても、いいかしら』

『わ、渡瀬ヒビキです』

『そう。……ありがとう。全員、撤退しなさい』


 礼を言われるとは思わなかった。

 こちらも何か返した方がいいのだろうか、と迷っているうちに、パライオンの兵士たちとようやく立ち上がったスキアーは振り返り、キビキビとした動作で撤退を始めていた。

 やれやれ、とカーラがつぶやきつつ指示を出す。


『はい、じゃあヴィルトガントさんのガウディウム収容したら移動するからね。ヒビキ、まだ動けるなら収容手伝って』

『うん。もうちょっとなら動けるから、がんばるよ』


 そのこと自体に意味は無いと知りつつも、ヒビキはアンドレイアで力こぶを作ってみせる。


「無理をするでないぞ」

「だいじょうぶ。ありがと」


 大人なら、ここでダナエとキスとかするんだろうな、となぜかヒビキは思い、なんでそんなことを、と次の瞬間には顔がどんどん赤くなっていく。


『ど、どうしたのじゃヒビキ! 顔が真っ赤ではないか!』


 ダナエの大声は、ヒビキのマイクを通して外に伝わり、


『なんですって! ダナエ、あんたまたなにかやらかしたのね?!』

『わ、わらわはなにもしておらぬ! ヒビキが勝手に顔を赤くしたのじゃ!』

『だ、大丈夫だよ。収容は手伝えるから』


 恥ずかしそうにしつつも、ヒビキは仰向けに倒れているバリエンテに歩み寄っていく。


『アルカくん。怖い思いさせて、ごめん』


 いまだ魔素機関の中にいるアルカは、うっすらとこちらを見上げ、


「ありがとう。ヒビキ」


 そう、答えてくれた。

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