第19話 少年と涙

『……やはり、強いな。むしろ以前よりも反応速度が上がっている』

『アンドレイアのお陰、です』


 動きが止まったのは、開始からおよそ八分後。

 互いに決定打を打てないまま、互いの体力だけは確実に削られ、そしてそれは八歳のヒビキには分が悪すぎる消耗戦となった。

 このままでは負ける。

 それはダメだ。この戦いにかかっているのは自分の命じゃなく、アルカたちの命。

 出会ってからほとんど言葉を交わしていないアルカだが、イスファの見立てによりヒビキと同じ病に罹っていると判明した。

 普段は何事もなく生活できるのに、一切の周期性も前触れもなく起こる発作は、泣きたくなるほどに辛く苦しい。内側からなにか溢れてくるような、見えないものに圧し潰されるような、そういう発作が数分から時に数十分も全身を襲う。


 正直、諦めていた。


 ダナエと遊ぶのは色々大変だけど、楽しい。

 機械を弄るのはいっぱい頭を使うけど、楽しい。

 大人に混じって仕事をするのは母さんに心配をかけるけど、楽しい。

 大人になれば、きっともっと楽しいことが待っているのだろうけど、自分にはそれができない。

 大人になれないなら、いまを精一杯生きようと。

 いつ自分が終わってもいいように。

 アルカもきっと、そういう思いがあるからあんなに頑張るんだと思う。

 なのに。

 イスファは病を治す方法があると言った。

 もっと生きられる。

 もっと生きていていいんだ。


「アルカ! ぼくたちは、生きていいんだ!」


 気がつけば叫んでいた。


「だから、ヴィルトガントさんと一緒に、ぼくたちのところに来るんだ!」


 バリエンテの動きが、止まった。


『まさか信じるのですか。ヴィルトガント』


 バリエンテから聞こえたのは、レイナの冷淡な声。


『ダナエに取り憑いたのは、あのイースファニウム。私の子を、お前の甥を見殺しにしたあの、忌々しい魔族なのですよ!』


 本当なの、とヒビキがイスファを振り返る。

 案ずるでない、と微笑むダナエ。


「でも、大丈夫だって言っています。ぼくは、それを信じます」

『惑わされてはいけません。あいつはあの子を奪った。その事実は変わりません。なにより奪われた悲しみを、お前は忘れたのですか!』


 レイナの叱責により、バリエンテに力が戻る。


『姉上がなんと言おうと、約束は変わらない。渡瀬ヒビキ、きみが勝たない限り私たちの気持ちは動かない!』


 猛然と、音の壁をも超えてバリエンテが迫る。大丈夫。見えている。腰溜めに構えたスピアが来る。紙一重で回避。胸元の装甲が火花を上げる。


『せえっ!』


 伸びきったバリエンテの右肘に膝を合わせる。跳ね上がった右腕の下に素早く潜り込み、肘関節を極めつつ背負い投げを打つ。


『くっ!』


 投げ飛ばされながらもバリエンテは空中で巧みに体を捻り、どうにか両手両脚をブレーキに使って止まる。その隙を逃さずアンドレイアが追う。水面蹴り。四肢で跳んで回避。蹴りが空を切る。両足で着地。こちらは立ち上がったばかり。盾で突き押す。


『がっ!』


 正面からの、タックルに等しい攻撃にアンドレイアはよろけ、たたらを踏み、


『だあっ!』


 しかしぐっと踏ん張ってダッシュ。やはりあの盾をどうにかしないと。

 あの盾の向こうにアルカがいる。あの大泣きを見てもまだ彼らを放置していられるような薄情者に、ヒビキはなりたくない。

 自分が勝つ以外にふたりを助けられる方法は、と思考を巡らせた刹那、ある考えが閃く。

 バリエンテの腹部ハッチの奥にある赤い水槽。あれを抜き取れば予備動力になると言っていた。

 ならば、と魔素機関を抜き取る作戦に切り替える。


『だああっ!』


 だが悟られるな。そうなれば、向こうはガードを一層固めてしまう。

 まずは槍を持つ右手側に回り込む。瑠璃色の軌跡を残しての滑らかな挙動は見る者の目を奪い、反応を一瞬だけ遅らせる。


『くっ!』 


 気付いた時はもう遅い。

 咄嗟に繰り出した、槍の石突き部分による突きを紙一重でかわし、右手首を掴み、肘関節を極め、


『ふんっ!』


 肘へ頭突きをかます。みしっ、と聞こえた音は恐らく内部骨格にもダメージを与えた証拠。これでいい、と右腕を解放し、そのままバックをとる。


『させん!』


 今度は盾でアンドレイアの脇腹を狙ってくる。これが本命。一歩下がって盾を回避。縮こまった左腕側に回り、右手で左手首を掴み、足払いを仕掛け、仰向けにダウンさせる。


『ぐっ!』

『たあっ!』


 そのままジャンプして馬乗りになり、素早くバリエンテの脇腹に手を伸ばす。

 以前腹部ハッチの解放を見た時に、大体の構造も把握している。だから、できる!


『だあああっ!』


 腹部装甲を両手で掴み、引き剥がす。


『……なんだ、これ』


 場に居合わせた誰もが言葉を失った。

 バリエンテの腹部にあったのは、何本もケーブルが繋がれた筒状の水槽。それは以前にも見たから驚きは無い。

 問題は、水槽の中には赤い液体だけでなく、アルカが胎児のように身を丸めた姿で押し込められていたこと。


『それが、私たちが作った魔素機関だ。こんな非道なやり方でしか、私たちは魔素の力を取り出せないんだ』

『なんなんですかこれ!』


 水槽の中のアルカは、悪夢にうなされているように表情を歪め、身をこわばらせ、それでも何かと懸命に戦っているように見えた。

 きっと、ダナエと自分のように操縦席に一緒にいるのだと思っていた。

 だから腹部の装甲を剥がして操縦席を剥き出しにして、ふたりを助け出そうとしたのに。


『魔素は、子供にしか扱えない。だから、大人が扱うにはこういう形にしか出来なかったんだ』

『そんなことを訊いてるんじゃないです!』


 いまにも泣き出しそうなヒビキを、ダナエがそっと抱きしめる。


「大丈夫じゃヒビキ。アルカは生きておる。そして戦っておる。強い子じゃ」


 うん。と頷くヒビキ。

 こんなことをされてもまだ、アルカはヴィルトガントを慕っていたのか。

 自分だったら、出来ただろうか。


『すまない』

『なんでぼくに謝るんですか!』


 ついに泣き出してしまった。


『ぼくは、ヴィルトガントさんは信じられるって、信じていい、ちゃんとした大人のひとだって思ってたのに! なんで!』

『……大人なんだ。私たちは』


 辛そうな声音がヒビキの胸をさらに締め付ける。

 もう言葉に出来ず、ヒビキはただただ泣きじゃくった。

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