第18話 少年と大人
「あ」
アンドレイアの中でヒビキは、母たちの無様な姿を間の抜けた顔で見つめていた。
きっとダナエだな、と嘆息しつつ、ヒビキはランチの落下地点へアンドレイアを移動させる。
しかし、落ちてこない。
モニターを拡大してみれば、ランチはまるで目を回した鳥のような軌道でふらふらと飛び、ゆっくりと国境線を越えて着地した。
「もう。なにやってるのさ」
駆け寄りながら声をかけると目を回しながら母たちが出てくる。胸をなで下ろしながらアンドレイアを跪かせて降りる。
「みんな大丈夫?」
ランチにも重力制御機構が搭載されているので洗濯機のようにぐしゃぐしゃにかき回されることは無いが、それでも回転している感覚はしっかりと肉体に刻まれる。
日々厳しい訓練を受けているお庭番たちでさえ、ふらつきを隠しきれていない。
「な、なんとかね」
「うかつじゃった。わらわとしたことがすっかり高揚しておった」
「あたしももっと注意しておくべきだったわ」
まあまあ、とふたりを宥め、ランチを見やる。
あれだけ派手にぶつかったにもかかわらず、フロント部分には一本の筋が入っている程度。ライトもカバーに亀裂が入っているだけで、まだ点灯している。すごい。
「ともあれ、国境は抜けた。これからの方策はここを離れてから考えるとしようかの」
うん、と頷いてヒビキはアンドレイアに向き直る。
直後、
『動くな!』
威圧的な叫びがヒビキたちの鼓膜を襲う。
反射的に身をすくめつつも声のした方向に視線をやると、
オレンジ色の騎士鎧(プレートメイル)を纏い、全長の七割近くもカバーする盾と紡錘型の槍も携えたガウディウム、バリエンテがそこにあった。
「ヴィルトガントさん……?」
ヒビキの問いに答えず、苦々しい口調で告げた。
『ダナエ姫殿下。誠に残念ですが拘束させていただきます』
バリエンテが右手を挙げると、後ろの装甲車から、銃で武装した生身の兵士たちがぞろぞろと出てくる。
こんな時でも気丈に、いやこんな時だからこそ大胆になるのがダナエだ。
「ほう。拘束とな? わらわたちはただ船に戻ろうとしただけ。それを軍用車で追い回し、挙げ句バリケードまで展開した。これは正当防衛を主張しても釣りは出ると思うがの?」
『いいえ。それ以前に、我が国の機密へ侵入が確認されました。小国と言えどもハッキングに気付かないほど、パライオンは無能ではありません』
これは決してお庭番たちの不手際を示すものではない。
闇に生き、闇と共にある彼らにとって、仕事の痕跡を残さないのは呼吸をするよりも容易いこと。それは電脳空間での仕事であっても同じ。
その上で影を踏まれたということは、最初から罠を張られていたということ。
ダナエはそのことをおくびにも出さず、むしろ不敵に胸を反らして言う。
「その手際は賞賛に値するの。じゃがヴィルトガントよ、なぜそちはパライオンに与する? そちもまたわらわが愛する臣民であるというのに」
『人手が足りないと、組織所属の軍属が若干名パライオン側の護衛任務にあたっています。王陛下もご存知です』
あの男め、と父に悪態をついて、
「それは任務ご苦労であるな。じゃが今回の訪問は先の会食をもって終了した。そちの任務も解かれていよう」
『いえ。明日(みようにち)までは任務期間にあたります。故に、いまはパライオンの人間とお考えください』
堅いの、と苦笑し、ダナエはマイクを握り直す。
「ならばわらわもそちたちをパライオンの者として扱おう」
『心苦しいですが、そうして頂けるなら助かります』
分かった、と返し、続ける。
「わらわたちを追う、ということならば、この新型内燃機関に関する資料を認める、と言うことじゃな?」
『それは、会食の場でも姉も認めたはずです』
にいっ、とダナエの口角が上がる。
「ここにはこう記されておる。『動力炉の付近に十歳未満の子が居る場合の出力向上は、そうでない場合の比では無い』。そちたちまさか、わらわたちのような幼く無垢な子を使役しておるのでは無かろうな」
誰が無垢だ、とヒビキを含む全員が思った。カーラに至ってはもう半拍間(ま)があればツッコミを入れていた。
「そしてこうもある。『新型機関の燃料には、魔素と呼ばれる物質を使用。魔素はこの星の次元断層を破壊することで現れる遺跡から採掘が可能』とな。
ヴィルトガントよ。そちなら知っておろう。船団の中心人物、いまの王族を中心に布告された銀河法の第一条を」
う、とヴィルトガントは呻きつつその条文を口にする。
『移住者による先住文明への暴力的、破壊的な一次接触はいかなる理由があっても不可とする』
それは、もう忘却の彼方にあるような条約。
自分たちは入植をする側だと忘れないための、半ば口約束のような、それでも歴然と懲罰も記載されている法律だ。
「そうじゃ。聡明なレイナのこと。きっと事前調査も行い、無人であると確証した上での行為じゃろうの」
ヴィルトガントの無言をそのままに、ダナエは続ける。
「さて、そこでじゃ。わらわのからだには同居人がおる。この星の先住民で名をイースファニウムと名乗っておる。その者の証言によれば、」
『お前! やはりそこに居たのか!』
怒号は、ヴィルトガントからではなかった。
その主を察したダナエが不敵に笑みながら言う。
「レイナか。きっとそこにはおらぬのじゃろうが、弁明したいことがあるならするがよい」
『そいつは! イースファニウムはわたしの子を殺した! 自分なら治せると言っておきながら、苦しませて泣かせて、殺した!』
「じゃからわらわごと殺そうと言うのかえ? じゃが、わらわとイスファの繋がりは薄い。こやつはわらわのことを通話機程度にしか捉えておらぬ故な」
『うるさいうるさい! ヴィルトガント! 国家機密の複製の罪で抹殺するのです!』
ヴィルトガントのため息がここまで聞こえてきそうだった。
『姉上、その程度では武力を行使するだけの罪状になりません』
『わたしがやれと言っているのです!』
『姉上、いまは書面上パライオンに与していますが、私は産まれも育ちもリングラウズです。敬愛する姫殿下を手にかけることなんてとてもできません』
言って槍の石突きを地に付ける。
『ダナエを殺せるなら誰でもいい! いますぐ、』
『もういいです! これ以上ダナエに怖い思いをさせるなら、ぼくが相手をします!』
ずしゅん、と双方の間に割って入ったのはバリエンテ。
「ヒビキ、さがるがよい。これはそちには関係ないこと」
『関係ないことない!』
まるっきり子供の駄々だ。
そんなことはヒビキも分かっている。
自分の未熟さからくる悔しさと、ダナエが悪事を働いたことの無念から、ヒビキは次第に涙をこぼしていた。
それが耳に届いたダナエは、器用にアンドレイアをよじ登って外部からハッチを開け、操縦席に入り込む。
「……」
操縦桿を握りしめたままうつむき、目と唇をきつく結びながらぼろぼろと、ヒビキは泣いていた。
なぜヒビキがここまで泣いているのか分からず、だがそれでもダナエはヒビキへ手を伸ばす。
「……ヒビキ」
「謝って!」
はじかれたように手を戻し、しかしそのひと言でヒビキが何に対して泣いているのかを察し、ダナエはこう返した。
「謝罪はできぬ」
「なんで! ダナエは悪いことしたんでしょ?! だったら謝らなきゃだめじゃない!」
そっとヒビキの手を取り、自分の胸に添える。
「確かにわらわは罪を犯した。じゃがこれは必要なこと。わらわには、如何なる手段をもってしても為さねばならぬ義と、守らねばならぬ命があるのじゃ」
「そんなこと知らない!」
「知らずともよい。分からずともよい。
……それにのヒビキ。残念じゃが、わらわの身は無垢でも潔白でもない。ヒビキを、母上を、民草を守るためならば、と思い手段を選ばず進んできたが、……そうじゃの。ヒビキがこんな薄汚れた女が厭だと申すなら、」
「誰もそんなこと言ってない!」
「ヒビキ、そう申してくれることはうれしいがの、」
「ダナエはなにがあってもぼくのお嫁さんなの!」
うむ、と頷いて、
「わらわはヒビキの嫁。これは未来永劫変わらぬ。じゃから、すこしわらわの話しを聞いてはくれまいか?」
ゆっくりと、諭すように言われ、ようやくヒビキはダナエの顔を見た。
泣きはらした赤い目が痛々しい。
ヒビキの手を自分の胸に当てたまま、ダナエは片手をヒビキの頬に添え、目元に残っている涙を拭う。
「いま謝罪をして投獄でもされればすべてが無に帰するのじゃ。すべてが片付いた後、わらわも罪を償う。それでは、だめかえ?」
「だめじゃ、ない、けど」
「ならばその怒り、鎮めてくれるかえ?」
「……うん。ごめん。わがまま言って」
「なにを言う。夫の悲しみは嫁の悲しみ。じゃがわらわの罪をヒビキが背負う必要はないからの」
一度目を伏せ、それでも上げた顔は、どうにか笑顔と呼べる苦しげな表情だった。
「だめだよ。自分ひとりで背負うのは」
ダナエは、知っている。
愛するヒビキがアーサーに頼み事をしていることを。
その覚悟を知っているからこそ、ダナエはヒビキを抱きしめる。
「わ、な、なに」
「なんでもない。嫁として当たり前のことをしておるだけじゃ」
うん、と優しくこたえてヒビキもそっと抱きしめる。
そうしてきっかり三秒。ふたりはどちらからともなくからだを離し、ダナエはするりとヒビキの後ろへ回った。
「ヴィルトガントさん、質問があります」
『……なんだ』
「アルカくんも、バリエンテの中にいますか?」
それは、質問の形をした確認。
『……ああ。バリエンテの、中に、いる』
ただそれだけのことなのに、ヴィルトガントはずいぶん苦しそうに言った。
でも、確認は取れた。
「レイナさん、勝手なことを言います。いまからぼくとヴィルトガントさんが決闘して、ぼくが勝ったら、ここは見逃してください。負けたら、どうしてもらってもかまわないですから」
『ヒビキ?!』
思わずカーラが悲鳴をあげる。
大丈夫じゃ、とダナエがなだめ、ヒビキはゆっくりと頷いて返す。
『……いいでしょう。ヴィルトガント、これが最後です。必ずダナエを捕らえること。それができないなら、』
『わかっています。……いくぞ、少年』
はい、と答え、肩越しにダナエを振り返る。
「行くよ。アルカくんを助けるために」
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