第17話 少女と逃走劇

 笑顔、なのだろう。

 レイナの浮かべたその表情は。

 唐突な、あまりに脈絡の無い告白に、ダナエは訝しむばかり。


「毒、とな?」

「ええ。味を変化させず、食中毒と似た症状を引き起こし、果てには死に至らしめる遅効性の毒を仕込んである、と申したらどうなさいますか?」


 ふむ、と考え込む。ちらりと見たカーラも秘書役の乳母も変わった様子はない。遅効性の毒であればいまの様子が変わるはずもないのだが。


「無論、父王陛下ががそちたちを糾弾するじゃろうな。いまの議題である新型機関のそれとは違い、こちらは確実に証拠も証言もある。言い逃れは出来ぬじゃろ」

「確かにそうでしょう。いくらリングラウズ王がお優しい方とは言え、わたくしは王族殺しの罪で極刑に、我が祖国はその幇助をしたとしてお取り潰しになるのは間違いないかと。

 子の苦しみや死に対してなにもしないのは、親とも人とも呼べない、愚者以下の存在なのですから」


 厳しいの、と小さく笑うダナエ。


「そこまでの予想がついておるのならば、なぜ毒なぞを盛った? わらわたち……いや、そちがわらわ個人を憎悪しておるというのはこれまでも薄々感じておったが、カーラ船長は関係あるまいて」


 リングラウズ王家とレイナが嫁入りしたズヴィエーリ家は、移民船時代から


「わたくしは、仮定の話をしたまでです。あらぬ疑いをかけられて傷ついたので、その意趣返しとお思いいただければ幸いです」

「ならば毒は入っておらぬ、と言うことじゃな?」

「わたくしは命じておりません。ですが、料理人やわたくしの側近が独自に動いた可能性は否定しません」

「そういうことかえ。ならば仕方ないの」

「お望みならあとで解毒剤をお渡しするとして、いまはこちらへの疑惑です」

「そうじゃの。ふたりとも、苦しくなったら早く申すのじゃぞ」


 皮肉たっぷりの言葉と共にふたりへ流し目を送る。

 カーラは不安そうに、メイドは恭しく頷き、ダナエはレイナに続きを促す。


「我が祖国はリングラウズと違い、資源に乏しい国です。自立できる力を求め、大国に救いの手を求めることになんの不都合が御座いましょうか」

「足るを知る、という言葉もある。今日一日の視察はそちたちへの援助の有無も推し量る目的もあった。精査は本国の役人共がやるじゃろうが、わらわの見立てでは不要と判断した」

「姫殿下は、本当に餓えたことが無いからそう仰るのです」

「確かにわらわは、腹を減らしたことはあっても、命の危機を覚えるほどの飢餓は経験しておらぬ」


 ちらりとカーラを見やった理由をカーラ本人は気づけず、僅かに首を傾げただけだった。


「わらわは恵まれておる。放蕩しておきながらこういう時に力を貸してくれる血縁者も、カーラ船長たちのような良き方々との出会いも存分にある。そちのように客に毒を振る舞ったなどと嘯くような卑屈さなど、持ち合わせておらぬ」


 でしたら、とレイナがなにか言いかけるよりも早く、ダナエは言う。


「確認しておくぞ、レイナ・ズヴィエーリ」

「なんでしょうか、姫殿下」

「そちは此度の会食に毒を盛っておらぬし、新型ガウディウムの開発にも関与しておらぬ」

「はい。エンジンの開発は命じましたが、ガウディウムへの転用は命じていません」

「ならばこの件は不問とする。せっかくの会食に野暮な話をしたの、許すがよい」


 す、と頭を下げてもレイナは変わらず鋭い視線でダナエを見据える。


「差し出がましいようですが、痛くもない腹を探られて怒らぬ者などいない、ということは覚えておいてくださいませ。ダナエ姫殿下」


 ふむ。と頷いて、


「そちの言葉、もっともじゃの。胸に留めておく」

「もったいないお言葉にございます」

「さて。語るべきことは尽きた。会食もこれで終いとしようぞ」


 軽やかに椅子から降り、優雅に一礼してそのまま会場をあとにした。

 カーラも一礼して退室。秘書役の乳母以下、ボディガードたちも足早に会場を去って行った。

 残されたレイナが、側近を呼び寄せてなにかを耳打ちしていたことを、イスファだけが見ていた。


     *     *     *


「あー緊張した。やっぱこういう場所は肩が凝るわね」


 ひとまず控え室に戻ってカーラは、ネクタイを緩めながらソファに倒れ込むように座った。


「ダナエがいてくれて助かったわ。あたしだったら大佐さんの名前出して思いっきり喚いてたもん」

「母上の苛立ち、痛いほど伝わってきたぞ」

「でしょ? ほんっと王族のひとってああいう回りくどい言い回し好きよね」

「金持ち喧嘩せず、と申すであろう」

「あたしが一番キライな言葉よ」


 いつの間にか質素なメイド服に着替えていた秘書役の女性からもらった、暖かいおしぼりで顔を拭きながら、カーラはソファに横になった。


「それよりイスファよ、レイナとは言葉を交わしておらぬが良かったのかえ?」

『ああ、うん。個人的なことだったから、ああいう外交の場で出せる話題じゃ無いんだ』

「まぁあのレイナの様子ではまともな対話は出来ぬであろうな」


 そうだろうね、と寂しそうに答えて、すぐに戻ってしまった。


「まあともあれ、そろそろ……」


 すっ、とダナエの影が起き上がる。

 起き上がった影はすぐにタキシードを纏った人の形を成し、ダナエの前に跪く。


「な、な、なによそれ!」


 驚くカーラに、ダナエは少々呆れた様子で返す。


「ただの忍びじゃ。母上の祖国が発祥の地であろうに」

「知ってるけど! そんなこと出来るのはお話の中だけで!」

「少し黙ってくりゃれ。母上もすぐに慣れる」


 眉根を寄せながら睨まれ、カーラは渋々黙った。

 無礼を承知でタキシードの忍びの顔を見れば、メイクを手伝って貰ったメイドだと分かる。あんなに楽しそうにおしゃべりしながらメイクをやっていたのに、いまの表情はとても鋭く厳しい。あらゆる面で信じられなかった。


「……すまぬの。ネズミのような真似をさせて。で、首尾はどうじゃった?」


 は、とタキシードを着た忍びは数枚の紙をダナエに差し出す。

 受け取ってぺらぺらと捲りながら、ダナエは不敵に笑む。


「証拠も揃った。母上、早急に帰るぞ」

「えー、疲れたー。今日ひと晩ぐらい泊まっていこうよー」


 子供のように駄々をこねるが、す、とダナエが片手を上げると、


「わ、ちょ、どこ触ってんのよ!」


 はち切れんばかりの筋肉を持つ、禿頭にサングラスと黒スーツのボディガードに軽々と持ち上げられ、暴れることも許されないままランチの発着場まで運ばれていった。


「もー! なによこれ!」

 



 一行が足早に外に出た時にはもう陽はとっぷりと暮れ、普段ならヒビキは就寝している時間だった。


「じゃあみんな乗ったわね? 来る時隣に座ってたひとはちゃんと居るわね?」

「うむ。大丈夫じゃ」

「はいじゃあ出発しまーす。運転手さんお願いしまーす」


 遠足の引率のような気分を味わいながら、カーラはランチを発進させる。

 晩餐会はパライオンの郊外に建設された迎賓館で行われ、ランチはその屋外駐車場に停められていた。

 小型宇宙船(ランチ)と言っても、見た目も含めてワンボックス車を一回りほど大きくした程度なので、駐車場にも停泊は可能。そして大気圏内での飛行能力は高く無いため、地上を移動する際にはタイヤを出して車道を走った方が効率がいい。

 いま一行は国境へ抜ける片道三車線の高速道路に乗ったところ。時間帯のの影響もあるのか、渋滞に巻き込まれることは無さそうだ。

 国境まであと五十キロメートルほどをまっすぐに。この道から直接国境を越えることができるのは幸運と言える。グレイブ号はその少し外側に待機させているので、三〇分ほどで到着できる。


「ん。みんな準備できてるのね。分かった。こっちもできるだけ急いでいくから、絶対に国境線だけは越えないでよ」


 ランチの通信機でグレイブ号と連絡を取りつつカーラは思索を巡らせる。


「アーサー、マップ出して」


 はい、と返事のあと、カーラの手元にホロ・ウィンドウが現れる。同時にウィンドウには周辺の地図と、グレイブ号までの最短ルートなどが表示される。


「別に悪さして逃げてるわけじゃないから追っ手は無いけど……、たぶん尾行はされてると思う。だから、安全運転でお願いします」


 事故でも起こして難癖付けられて逮捕や投獄、なんてことになったら面倒だ。


「いや、母上。さきほどわらわが預かった資料は、この国の中枢から抜き出したものじゃ。レイナが隠匿した情報をわらわたちが持っていると分かれば、すぐに手を打ってくるじゃろうの」


 そうだったぁ、と呻くカーラ。


「案ずるでない。この者たちはわらわが最も信頼するお庭番。そうそう足跡なぞ残してはおらぬよ」

「だといいんだけど」


 ダナエが自信たっぷりな時ほど不安なことはない。


「姫殿下、追っ手にございます」


 言わんこっちゃ無い、とカーラが嘆く。

 ホロ・ウィンドウに後方から来る装甲車が一台。あとはガウディウムを乗せたトレーラーが二台。いずれもカーキ色で塗装されていて、あからさまに軍用だと分かる。

 それらに気付いた一般車両がするすると車列から抜け、気がつけば道路には自分たち以外誰も走っていない状況になった。

 どちらだろうか。

 まだサイレンも警告も行われていない。かといって自分たちとは無関係の案件だろう、まして付け忘れた護衛をいまさら、などという甘い考えは捨てる。


「ちょうどいいわ。法定速度ギリギリまで加速してください」


 こくりと頷いて運転手の禿頭サングラスはペダルを踏み込む。ぐん、とGがかかる。後ろの軍用車も加速。やっぱりか。でもこっちもゴールは近い。手の平ほどに見えていたグレイブ号が、もう横倒しの大木ほどに変わっている。


「あと三分で国境を抜けます」


 運転手が言う。


『ダナエ! 母さん!』


 懐かしささえ感じるヒビキの声がランチに響く。まばゆいばかりの照明に照らされた検問所が、移動式のバリケードを展開する。舌打ちするカーラ。


「構わず進むがよい!」

「ダナエ待ちなさい!」


 よい、とカーラに視線をやりつつ、ダナエは外部音声用のマイクを手に取る。


「先に手を出したのはそちたちの方じゃからな! これは正当防衛である!」


 そうか、とカーラは得心する。

 自分たちは、表向きには何の後ろめたさも無く国を出るだけなのに、パライオンはそれを妨害した。だから実力を持ってこれを突破するのだと。

 そこまで急いでいた理由は、急病人が出たとでも方便を使っておけばいい。

 現にヒビキは病を抱えているのだし、グレイブ号には老人が多い。誤診だったとでも言えば体面は保たれる。


「みんな、対ショック防御!」


 こんなランチにそんな大層な装備などない。ただ何かに掴まって身を固くする以外に、バリケードにぶち当たった衝撃に備える方法は無い。

 大丈夫。デブリ対策にランチは頑丈に、


「あ」


 間の抜けた声に、カーラは思わず反応する。


「どうしたのダナエ!」

「あの程度のバリケードならば、飛んで避ければ良かったの」


 気がついた時にはもう遅い。


「ば、ばかーーーーっ!」


 ごっ、と船体が激しくバリケードにめり込み、殺しきれなかった勢いとともに遙か上空まで回転しながら吹き飛んでいった。

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