第23話 少年と会戦
「わらわは、リングラウズの姫。ダナエ・ロニ・セネカである」
ダナエが、敵味方双方の通信回線に割り込んで語り始めたのは、両陣営の陣形が間もなく整うという頃合いだった。
場所はグレイブ号の
この場に居るのはカーラ以下船のクルーとリングラウズから派遣された通信士などの兵士たち。ヒビキは格納庫でアンドレイアの中で待機している。
以前の晩餐会に参列してもらった乳母も護衛として、質素な濃紺のメイド服姿でダナエの後方に控えている。
「リングラウズ、パライオン双方の兵士たちへ、この戦を始める前に伝えたいことがある。なに、すぐ終わる故、案ずるでない」
小さな笑いがさざ波のように広がる。
「さて、此度の騒乱の元凶は、レイナの言うようにわらわにある。
ヴィルトガントの極秘任務に裏を感じたわらわはそれを暴こうと現場に潜り込み、その場で魔族と出会った。
それがすべての発端であり、現状へ繋がるのじゃがわらわはそれを悔いておらぬ。
なぜならば、わらわの想い人が罹っておる病の特効薬が、その現場から見つかったからじゃ。この
まだ確証は無い。
全ての者に有効な治療方法かどうかも分からぬ。
これは、可能性じゃ。
そちたちの中で病に苦しむ子の為に戦うという者があれば、武器を捨て、わらわの元へ来るがよい。
いま手薄なパライオンにはわらわの配下が向かい、対象者の保護に向かっておる故、万が一は起こらぬ。それだけは約束しよう」
ダナエが合図を送ると、平原のど真ん中に大型のホロ・スクリーンが現れ、パライオンの様子が映し出される。
まずは貧相にも思える謁見の間で、両手を挙げるパライオン王。
六十歳前後の、やや白髪交じりのくたびれた印象の強い男。こんな気弱そうな男からレイナのような女性が生まれたことがヒビキには信じられなかった。
続いて城内。石造りの無骨な広場には腕カバーにワイシャツ姿の職員や、フリル付きのカチューシャを付けたメイドたちが集められ、こちらには笑顔を浮かべている者も散見される。
次いで映像は城下町に切り替わる。
そこかしこにライフルで武装した兵士やガウディウムが立っているが、その周りを子供たちがはしゃぎ回っていたり、女学生たちが兵士と一緒に写真を撮ったり、野良犬がガウディウムの足におしっこをかけていたりと至って平和な風景が広がっていた。
最後に病院。包帯やギプスを巻いたパライオン兵たちの姿と共に、おそらくはヒビキと同じ病に罹っているであろう少年少女に、あのロボットのような医師が診察して回っている様子が映し出される。
『信じてはなりません!』
怒号と共に通信に割り込んできたのは、無論レイナだ。
彼女もこの戦場に来ているとの情報は、ダナエたちの耳にも入っている。
『ダナエ姫が言う治療方法は、三年前に私の子が受けたもの。その結果がどうなったか、知っている者も多いはずです! あなたたちは、私と同じ悲しみを子や家族に与えるつもりですか!』
ダナエはまるで怯んだ様子も見せず、マイクを握り直す。
「確かに、魔族はいかがわしい存在じゃ。実体は無く、ひとのからだに入って自在に操る。
しかしの。医学は、ひとは、そして命は日々進歩する存在。三年もあれば問題点の改善ぐらい容易い、とわらわは信じておる」
ひと呼吸、置いて。
「パライオンの兵士たちよ、いま改めて言うぞ。そちたちとわらわたちの兵力差は倍。
士気の高さで言えば十倍では効かぬであろうな。
いかに強力なガウディウムがあろうが、この数の前では微差。
それでも戦うというのならば、我が全力を持って相手をする。覚悟するがよい」
『黙りなさい! 忌々しい魔族に与する魔女が!』
レイナの割り込みに、ダナエは嘲笑さえ浮かべて返す。
「そちこそよいのか? 後ろ盾であるパライオン王はすでに降伏。士気も右肩下がり。この状況でどうやって勝つと言うのじゃ?」
くふふ、と笑うダナエの、なんと楽しそうなことか。
言い返せないでいるレイナに、ダナエはさらに続ける。
「それに、わらわは強制なぞしておらぬ。可能性を提示したまでじゃ。
そしてわらわはこれに賭けたい。わらわの想い人と共に同じ時を歩める可能性がわずかでもあるのならば、わらわはそれを夢見たい。
例えそれが潰えたとしても、その夢をよすがにわらわは生きて行こうと思う。
ただ、それだけじゃ」
言い終えてマイクを置こうとした瞬間、
「なにふざけたこと言ってんのよ!」
カーラに肩を掴まれて怒鳴られた。
「あんたその歳でなに人生悟ってんの!
ヒビキはまだ生きてるし、当分死なない!
イスファが治すし、ヒビキは治るの!
その可能性に賭けるって言ったのはあんたでしょうが!
あんたはあたしの娘だけど、今度そんなことほざいたら、船から放り出すからね!」
後半は涙目の震え声ではあったが、瞳に宿る怒りと悲しみはダナエに十分すぎるほど伝わった。
「すまぬ母上。……じゃが、マイクはまだ生きておるぞ?」
にやりと上がったダナエの口角を、カーラは一生忘れないと思う。
「い、いいのよ!」マイクをひったくり、「つまりそういうことだから! 自分の子供と一緒に生きて行きたいなら、こっちはいくらでも受け入れるから! グレイブ・スペランツァ号船長渡瀬カーラが約束するから! 三時間だけ待つからその間に決めて!」
ばんっ! と叩き付けるようにマイクを置き、真っ赤になった顔を両手で覆って、消え入るように言った。
「あと、お願い……っ」
クルーの誰一人茶化すようなことをしなかったのは、全員がカーラと同じ思いだったから。
戦いが、始まろうとしていた。
* * *
「かふっ!」
アンドレイアの中でイスファと共にふたりの言葉を聞いていたヒビキは、それが終わるのとほぼ同時に吐血した。
発作だ。
アルカの思いを受けた時の感覚とはまるで逆の、全身が引き裂かれそうになるこの発作は、実は誰にも言っていないが、感覚や回数が増えてきている。
アンドレイアが受信したり、健康診断で出る自分のデータはアーサーに頼み込んで嘘のデータを流してある。
母に嘘をつくのは心が痛むけれど、本当のデータを知ればきっとアンドレイアから引きずり下ろされて病院に縛り付けられる。
それはいやだ。
「くふっ!」
抑えきれない二度目の吐血が、操縦桿やメーター類を赤く穢す。
『ヒビキくん、魔素を握ってゆっくりと呼吸を』
震える手でヒビキはゆっくりと魔素を握り、強く願いを込める。
ちゃんと大人になろう。
ずっと生きていよう。
ダナエと、母さんと、船のみんなと一緒に。
その願いが強まるのと、発作が弱まっていくのは同時だった。
魔素があれば、発作を抑えることが出来る。
だから発作が増えていることは、アーサーも含めて誰にも言っていない。
「イスファさん。できるだけ、はやくしてください」
『うん、いまの発作で完成に足りなかった要素がようやく見つかったよ。あとはアーサーと検証するだけ。でも彼はいま船の制御や管理で手一杯だ。すまないがヒビキくん。この戦いが終わるまでは、持ちこたえてくれ』
「わかり、ました」
ぐい、と袖口で口元を拭う。
イスファの言動が信頼に値するものだと、この数日共に過ごしてよく分かっている。
でも。
自分のからだのことは自分が一番よく分かっている。
もういくらも時間が無いことが、唯一の不安だった。
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