第15話 少女と母

「アーサー、ヒビキの容態はどうなの?」


 決闘から三日。

 あの日、ヒビキの受けたダメージは予想以上に深刻で、数日から十日ほどの入院が必要と診断された。

 今日は退院を判定する日だ。

 僅かに声を振るわせながら、カーラは問いかける。


『はい。吐血による内臓の傷は完治。いまは決闘による肉体的、および精神的な疲労を取る段階に入っています。脳波、心拍数、および各臓器は全て彼の平均値を出しています。ご安心ください。カーラ船長』

 こういう時は、絶対に取り乱すことのないAIの口調がありがたい。


「あーもう……、毎回毎回心配ばっかりかけて……」


 深く深く、沈み込むようにソファに座り、長い長いため息を吐いた。


「だから言ったであろうに。何も心配せずとも良いとな」

「あんたは一番近くで見てたから平気でしょうけどね、こっちはほとんどモニターできてないんだからね」


 言いながらカーラはコンソールを操作し、医療ロボットたちにヒビキを病室へ運ぶよう指示する。と、診察室に数台の自走式ロボットが数台入り、診察台で眠るヒビキをストレッチャーに乗せ、そのまま滑らかな挙動で部屋を出て行った。


「そうなのかえ? アーサーでも不可能なことはあるのじゃのう」

『私は万能ではありません。ダナエ』


 思わぬ反論に、む、と苦笑し、ダナエは続ける。


「しかし、さすがのわらわも今回は肝を冷やした。ヒビキがあそこまで命を省みぬとは思わなかった故な」

「ほんと、ああいうところばっかりあのロクデナシに似てさ……」


 カーラのつぶやきに、ダナエは獲物を見つけた猫のように瞳を輝かせる。


「それは父上のことかえ? 詳しく聞かせてくりゃれ!」

「いやよ。思い出したくもないわ。あんなやつのことなんか」

「そういう割に頬は赤いし、声音は上気しておるぞ。母上もヒビキと同じで隠し事が下手じゃのう」

「ば、ばかなこと言わないでよ! だれが、あんなやつを!」


 乙女のように照れるカーラを、ダナエは意地悪い笑みで見つめる。


「一度、……そうじゃの、結婚前夜にでも母上たちの馴れ初めをじっくり聞いてみたいものじゃ。わらわたちの参考になるやも知れぬからの」

「ばか! 大人をからかうんじゃないの!」

「ふふ。弱音を吐く母上なぞ、そう見れるものでは無いからの。堪能しておかねば損というもの」

「あたしだって弱音ぐらい吐くわよ。他人に見せないだけで。ね、アーサー」

『保守義務に抵触するため、回答は拒否させていただきます』


 時に物言わぬぬいぐるみであったり、時に共に暮らす動物とであったり、時に人間以上の能力を持つAIであったり。

 己の弱く脆い心を保つには、人知れず弱音を吐ける存在が必要なのだ。


「……そうなのか。うらやましいのう」


 けれど、ダナエは王女だ。

 ひと言でも弱音を、いや、ため息のひとつでも吐こうものならそれは臣民の不安となり、彼らの生活に影を落とすことになる。


「いかんの。母上の前だと心がもろくなってしまう」

「何言ってるのよ、あんたは自称でもあたしの娘でしょ。少しぐらい甘えなさい」


 ふ、と浮かべた笑みは、とてもヒビキと同い年とは思えないほど大人びていて。


「その言葉が聞けただけで十分じゃ。感謝す……。ありがとう、母上」


 ぴし、とダナエのおでこを指で弾いてカーラは鼻息を鳴らす。


「ばか。子のためならなんでもするのが親よ」

「自称でも、かえ?」

「あんたがあたしを母上、って呼んでくれる間は、ずっとそうよ」

「……」


 何か言おうとして、何度か口を開け閉めして。結局なにも言えずに、そっとカーラの作業着の裾を摘まんだ。


「ああもう、なに遠慮してんのよ!」


 ぐい、と抱き上げ、そのまま抱きしめる。


「な、なにをするのじゃ、こんな急に!」

「いいのよ。母娘なんだから!」


 そのままくるりと一回転してそっと降ろす。


「な、なんだと言うのじゃ。まったく。目が回るではないか」

「子供のあんたが遠慮なんかするから、酌み取っただけよ」

「こ、ここまでして欲しいなど思っておらぬ」


 ぽんぽん、とダナエの頭をなで、恥ずかしそうに視線を逸らして。


「半分ぐらいはあたしがやりたかったこと、なの」

「……そうかえ、ならば仕方ないの」


 芝居がかった口調で腰に手を当て、やはり大げさに鼻息を鳴らす。


「そうよ。やりたいことやらずにしておくなんて、もったいないもの」


 そうじゃの、と視線を合わせ、ふたりで笑い合った。

 宇宙は広すぎるんだ。こんな母娘がひと組ぐらいいてもいい。

 そう思った。


「さりとて、いまは愛しいヒビキにこれ以上の負担をかけぬことじゃの」

「うん。そういう風に言うってことはなにか考えがあるのね」


 任せておくがよい、と胸を叩くダナエ。


「また変なことしないでよ。あんたがこの船で動くとろくなことが起きないんだから」

「案ずるでない。わらわがしくじったことなど、数えるほど、しか……」

「枚挙にいとまが無いと思うんですけど」


 じとっ、とカーラに睨み付けられ、ダナエは珍しく消沈する。

 こう見えてかなり抜けているのがダナエだ。

 グレイブ・スペランツァ号がこの星を巡るのは、各地で採れる鉱石や食物などを販売したり、遠方への荷物を届けたりするためでもある。

 国同士を結ぶ輸送網がまだ確立しておらず、しかもどんな未知の脅威があるかも判然としない惑星テイアにおいてこの役割は非常に有用で、個人や法人、果ては国家でさえ重宝しているのが実情だ。

 そんな便利な存在をダナエが見逃すはずもなく、ヒビキと出会う以前から、表向きは見聞を広めるため、と称して各地へ飛び回っていたダナエはその移動にグレイブ号へよく密航していた。

 だが、ダナエの性分として大人しく密航していることなど出来るはずも無く。

 船を危機に陥れたことはザラで、その度にカーラは方々へ頭を下げに回っていた。

 その度にお説教をして、同じ失敗は繰り返さなかったがまたぞろ新しい方法でトラブルを起こす。それでも国へ送り返さずにいたのは、本人に悪意が無いこともそうだが、システム自体の穴だったり人間関係のほころびだったりを気付かせてくれることが多いからだ。

 雨降って地固まるの言葉通り、ダナエはグレイブ号に欠かせない人材なのだ。


「まあいいわ。任せる。なんたって、あたしの自慢の娘だから」


 にっ、と笑うカーラ。


「ま、任せるがよい!」


 今度はちょっぴり不安げに、ダナエは胸を叩いた。

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