第14話 少年と迷子

「……かふっ!」


 赤い光を受けてこみ上げてきた吐き気を、ヒビキは耐えることが出来ずに吐瀉してしまう。

 血だ。

 いままでも、病の発作で吐血したことはある。

 けれど、この量は異常だ。


「ヒビキ?!」


 慌ててのぞき込んだヒビキの表情は土気色に変わり、全身が激しく震えている。


「だいじょうぶ、って言いたいけど、ちょっと……苦しい。ごめん」

「謝るでない!」


 ぎゅっとヒビキの手を握りながら、からだをさすりながら、ダナエは言う。


「イスファ! どういうことじゃ!」


 ほんの一瞬、ヒビキはイスファの表情になる。


『ヒビキくんのからだに負担をかけたくない。ダナエ、きみのからだを借りるよ』

「はようせい!」


 うん、と頷くと、ふわりと、風のようなものがヒビキからダナエに吹き、ダナエの表情がイスファのそれに変わる。


『魔素はひとの、心を持つ生命体の感情を増幅し、相手に直接伝える物質だ。ヒビキくんはいまアルカくんからの強い感情の奔流を受けて苦しんでいる。ヒビキくんが罹っている病が亀裂となって、受けた感情の奔流がからだに影響を及ぼしているんだ』

「説明はよい。はよう、ヒビキを治す手立てを」

『うん。ヒビキくん、魔素を握って強く願うんだ。生きたいと。強い感情の奔流に抗えるのは、地面に、星に深く根ざした意思だけだ』

「わかった。……やってみる」


 胸元から魔素のペンダントを取り出し、空いている手で強く握る。


「わらわも、わらわの思いを乗せても構わぬか?」

『大丈夫だよ。ひとりよりふたり。孤独な願いよりも大勢の祈りはなによりも強いエネルギーを生むからね』

「ならばよい。……ヒビキ、感じるかえ? わらわの、そしてわらわが受け取ってきた母上や船のクルーたちのヒビキへの想いを」

「……、うん。暖かくて、優しいね」


 緩やかに、ヒビキの握る魔素が輝きはじめる。

 放出されてきた赤い光とは違う、たき火のように穏やかな光だ。

 その光はふたりを包みながら膨らみ、苦悶一色だったヒビキの表情も和らぎ、アンドレイアの全身を包み終えたあたりで止まった。


「……もう、だいじょうぶ。苦しいのは、収まったから」

「そうかえ。……あまり言いたくはないが、まだ動けるかの?」

「うん。少しなら、大丈夫」


 名残惜しそうにつないだ手を離し、すぐさま猫のようにするりとシートの後ろに回り込み、耳元に囁く。


「あの哀れな迷い子を助けるのじゃ」


 本音を言えば、いますぐベッドに潜り込みたいぐらいにからだは疲弊している。けれど、目の前で暴れるバリエンテを見ればそれも吹き飛んでしまった。


「うん!」


 計器類に付いた血を拭い取ってペダルを踏み込み、暴れるバリエンテの正面に回り込む。


『アルカくん落ち着いて!』

『やだ! おまえも大佐をいじめた! あっちいけ!』

『それは謝る! でも大人のひとにただ暴れるだけじゃなにも解決しないから!』

『やだ! 大佐にひどいことするな!』


 ただの駄々っ子なら、このまま暴れ疲れて眠るまで放っておけばいい。が、相手はガウディウムだ。草原に広がっていた火災は消化ロボットたちが鎮火してくれたが、アルカが新たな火種になる可能性だってある。


『ヴィルトガントさん! どうにかできないんですか!』

『だ、だめだ! 完全に私の制御を受け付けない!』

『そうじゃなくって、アルカくんを鎮めてください!』


 やっと気付いたのか、そうか、と返してヴィルトガントは通信を切る。

 ややあってバリエンテは糸が切れた人形のようにうなだれ、地面にへたりこんだ。

 ふう、と場の全員が胸をなで下ろしたのも束の間。

 スキアーがバリエンテの正面に立ち、冷淡に言う。


『なにをやっているんですか大佐。あなたが成すべきことはひとつだけです』


 あ、と場の全員が息を漏らした。


『余計なことを言うんじゃない!』


 ヴィルトガントの叱責も、果たして彼女に聞こえていただろうか。


『お前が! お前が一番大佐にひどいことするから!』


 バリエンテの拳がスキアーの胸部にめり込むまで恐らく一秒もかかっていない。


『な、なにを!』


 なにかしら反撃しようとしたことは、ヒビキにも見えた。それよりも速く拳は振り抜かれ、スキアーの巨体は遺跡の外縁に広がる焼け野原まで一気に吹き飛ばされてしまった。


『おまえなんかいなくなっちゃえ!』


 そしてそのまま天を仰いで大声で泣き始めた。

 まるで雨に打たれる迷子のように。

 もう暴れることは無いだろう。

 船橋(ブリッヂ)からの観測で、操縦者が気絶し、スキアーが動きを完全に止めたと通信が入った。

 誰にもどうすることができないまま、ただアルカの泣き声だけが平原にこだまする。


『……ヒビキくん。申し訳無いが、バリエンテの駆動炉を抜き取ってくれ』


 思いがけない申し出に、ヒビキは困惑しながらもバリエンテの前に出る。


『なにするの! あっち行けって言ったでしょ!』


 アルカの泣き声が耳に痛い。


『駆動炉は腹部だ。こちらでハッチを開くからすぐに見える』


 はい、と答え、ゆっくりと両手を伸ばす。


『くるな! たいさからはなれろ!』


 ぽかぽかと殴りつけてくるが、彼自身の体力も残り少ないのか、さほどダメージはない。


『ほら、じっとしてなさい』


 ヴィルトガントが優しい声で言うとげんこつの雨は一旦止む。そしてハッチが開く。


『……なんですか、これ』


 ヒビキがいままで見た、どんな駆動炉とも形が違っていた。

 赤い液体で満たされた筒状の水槽と、その底に何本ものケーブルが繋がれている。

 赤い液体は魔素だよ、とイスファがささやく。


『これが、バリエンテの駆動炉なんですか』

『……そうだ。魔素を使っているからな』


 とても苦しそうにヴィルトガントは言う。

 けれど脳をよぎったのは、液体にした方がエネルギー効率はいいのかな、というメカニックとしての考えだった。


『魔素を使ったエンジンを作ったのは、ぼくも同じです』

『そうか。きっときみの方が……』


 え、と聞き返すよりもはやく、


『はやく抜き取ってくれ。そろそろぐずりそうだ』


 はい、と答え、水槽の脇にある隙間に指を突っ込んで力任せに抜き取る。まだ繋がっていたケーブルも引き千切ると、バリエンテは立っている力も失い、アンドレイアにもたれかかってしまう。


『ありがとう。色々迷惑をかけてしまった』


 礼を言ってバリエンテはすぐに体勢を立て直し、アンドレイアから離れる。

 いえ、と答えて炉を渡し、単純な興味からヒビキは問いかける。


『予備動力とかあるんですか?』

『ああ。ゼクレティアを連れてここから帰るぐらいまでは大丈夫だ』

『帰る、んですか?』

『……約束を破って申し訳無いが、いまはまだやるべきことが残っている』


 でも、と言いかけたヒビキを、ダナエがそっと制する。


『ヒビキ、そうわがままを申すでない。ヴィルトガント、引き留めてしもうてすまぬ。いまはアルカの養生を優先させるがよい』

『はい』

『それと、レイナにはわらわからも直接話す。もう看過出来ぬ。そのためにそちの立場が悪くなればいくらでも力添えする故、いつでも頼ってくりゃれ』


 左膝をつき、右手を左肩に。パライオン流の最敬礼の姿勢をとる。


『勿体ないお言葉。ヴィルトガント、生涯忘れません』


 うむ、とダナエが返すのを待って、バリエンテは立ち上がる。

 最後にもう一度深く頭を下げ、バリエンテは去って行った。

 姿が見えなくなってようやく、ヒビキは操縦席の中で倒れ込んだ。




 カツン、カツン、とグレイブ号の廊下に小気味よいリズムが刻まれる。

 グレイブ号の通路、特に居住区の壁には基本的に木材や石材を壁に貼り付けたり塗布して無機質な金属に囲まれる圧迫感を極力排除している。

 逆に床は人や物が通りやすいように、とセンターラインや道順を示す矢印などが印字され、始めてでも迷うことは少ない。

 そんな通路を、ヒビキの見舞いを終えたダナエはひとり歩いていた。


「姫殿下」


 どうやら女声である、そしてそれがダナエの影から発せられたということしか分からない低音に、ダナエは足を止めずに言う。


「そちか。報告かえ?」

「は。予てよりご指示のあった、各地の遺跡の調査と、そこに埋蔵されている魔素に関する報告にございます」

「うむ。詳細はあとで紙にしてわらわの部屋に届けてくりゃれ」

「すでにそのように」

「そちも慣れてきたの。よいことじゃ」


 褒められるとは思っていなかったのか、影はほんの少し嬉しそうに答えた。


「ありがとうございます」

「これ。影が任務中に易々と感情を表にするでない。少し褒めればこれじゃ。全く」


 冗談めかして鼻息を鳴らすダナエ。


「精進します」

「よい。それよりも、イスファ以外の魔族からは接触はあったかえ?」

「いえ。気配のようなものは感じるのですが、向こうからの接触は一切ありません」

「ふむ。静観しておるだけなのか、イスファが裏で橋渡しをしてくれているのか、というところかの。どちらにしても、こちらから薮をつつくような真似をするでないぞ。よいな」


 は、と影は短く答え、次の報告をあげる。


「例の件ですが、王陛下からも承認をいただけました。なのでこのまま進めていきます」

「うむ。じゃが相手がレイナでは一筋縄ではいかぬ。慎重にな」


 もう一度、は、と短く答え、影は再びダナエを所有者とした。

 部屋に戻ったダナエが目を通した資料には、各地に点在する魔族の遺跡は、その大半が荒らされ、魔素も根こそぎ奪われていたと記されていた。


「恐れを知らぬとは、ほんにうらやましいことじゃの」

 ふふ、と零した笑みは、凍てつく吹雪よりもなお冷たかった。

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