第12話 少年と矜持

「イスファさん。まだいますか?」


 話題はヒビキのことからお互いの素行に移りつつも仲良くケンカしていたふたりが、急に動きを止めた。

 そしてそれ以上口げんかをすることはせず、イスファの言葉を待った。


『いるよ。魔素のことについて訊きたいんだね?』

「はい。単刀直入に訊きます。魔素って一体なんなんですか」

『最初に説明した通りだよ。強い感情を受けると強いエネルギーを発する、それだけの物質さ』

「だったらなんでアンドレイアはあんな風になったんですか」


 イスファは、ゆっくりと首を振る。


『残念だけどぼくにも分からないよ。魔素がエネルギーの放出以外のことを行うなんて、ぼくだって初めて視る。なのに憶測だけで答えるのは学者として不本意だからね』


 ふむ、とダナエが相づちをうつ。


「しかしそちは魔素がヒビキたちの病に効く、と申したではないか」

『うん。なにも魔素を粉にして薬にしよう、って言う意味じゃないよ。魔素が放つエネルギーが必要と考えているんだ』


 そうかえ、とどこか冷たく言うダナエに、ヒビキが反論する。


「なんでそんなこと訊いたの?」


 む、と困ったようにうなり、


「なに、よりによってヒビキのガウディウムの姿を大きく変質させてしまうほどのチカラを見せつけられて、さすがのわらわも不安になっただけじゃ。ヒビキ、イスファ、気に障ったなら謝る。許すがよい」


 言って深く頭を下げるダナエに、ヒビキは思わず両手を振って制する。


「わ、やめてよ。ぼくだって悪い意味で訊いたんじゃないから。頭を上げて」


 すまぬの、と上げた顔は、困ったような笑顔。

 ダナエにそんな顔をさせてしまったことにヒビキは反省し、


『ぼくの見立てでは、魔素が一定の感情エネルギーを浴びると、その願いを具現化する作用があるんだ。だからアンドレイアは姿が変わった』


 イスファは強引に自説を述べ始めた。


『いま、アーサーからも同意をもらえた。彼も興奮しているよ。大元の人格データは学者だったみたいだね』


 ふふ、と笑うイスファに重くなりかけた空気が少し和らいだ。

 そしてしばしの沈黙のあと、イスファはこう言った。


『得体の知れない存在に恐怖する感覚、というものをぼくはとっくに失ってしまった。

 ぼくたち魔族は基本的に死ぬことは無いし、肉体があった頃からこの星にあったのは、死というものは状態が変わっただけでしかない、っていう考えが大半だったからね』

「だから、そんな姿になることに躊躇がなかった、ということね」


 今度はカーラが言う。


『うん。でもきみたちは死を恐れる。納得は難しいけど、理解はするつもりだよ』

「じゃあ、死ぬことが怖くないならなんでそんな体になったの?」

『状態が変わらない、というのは他者からの観測。個々体にとっての死はそれまでの蓄積が終了してしまう。それを誰かが引き継ぐとしても、本人が完全に望んだ形になるとは限らないからね』

「わがままな理由じゃの」

「反対したひとはいなかったの?」

『もちろんいたよ。でもそういう個体に強制はしなかった。ぼくたちの寿命もきみたちとそう変わらないから、みんな死んでしまったけどね』


 ふぅん、とカーラは納得した素振りを見せ、ダナエは釈然としないまなざしをイスファに向けていた。

 いろいろ教えてくれてありがと、とカーラが一度大きく手を叩いて言う。


「じゃあここでお開きね。ヒビキはまだ安静にしてないといけないんだから」

「ではヒビキ。そちがあのとき操縦席で経験したことを話すがよい。こちらはアーサーに連絡して船が集めたデータを元にすり合わせて精査するとしよう。きっと魔素機関の開発にも役立つはずじゃ」

「うん。ありがとダナエ」

「嫁として当然のことじゃ」


 長くなりそうね、とカーラは観念した。


「少し早いけどお昼ご飯ね。ここで出前にするけど、なにか食べたいものある?」

「ぼくカツ丼!」

「わらわは……ざる蕎麦がよいの。母上はなににする?」

「あたしもお蕎麦にする。まだ仕事があるから、食べたら戻るわ」

「そうかえ。ならばわらわは好きにさせてもらう」


 含みを感じたのか、カーラは機先を制す。


「分かってるだろうけど、抜け駆けしたらおしりペンペンだからね」

「そ、その仕打ちはあんまりじゃ。せめて厠掃除ぐらいにしてくりゃれ」

「抜け駆けしなきゃいいのよ。じゃ、あたし出前の電話してくるから」


 ひらひらと手を振ってカーラは部屋を後にした。

 残された三人はさっそく情報のすり合わせを始めた。

 魔素を使ったエンジンの組み上げや、それの慣らし運転も必要だ。

 その前に、アーサーに大事な頼み事をしないといけなくなった。

 ゆっくりと休んでいるヒマは、どうやらなくなりそうだ。


    *     *     *


 そして約束の三日後。

 提示された遺跡に到着した一行が目にしたのは、惨状だった。

 本来ならば、心地よい風の吹く草原と、風化し始めた石作りの遺跡が広がる風光明媚な場所だったのだろう。


『待っていたぞ。グレイブ号』


 紡錘型の槍を地面に突き刺し、その石突きに両手を乗せるバリエンテの背後には、火災が広がっていた。


「……え?」


 ヒビキの知る彼なら、広がっている火災があればすぐさま消火活動にあたる。そういう男だと、信頼に値する大人だと思っていた。

 なのに、こうして火災を放置しているということは。

 船橋ブリッヂで惨状を見ていたヒビキは、気がついた時にはマイクを手に取り、叫んでいた。


「なんで、こんなこと。こんなことするひとじゃないって、信じてたのに!」


 返ってきた答えは、シンプルだった。


『勝つためだ!』


 忸怩たる思いが滲み出ていた。

 彼が本心でこんなことをやったのではない、と分かるだけにヒビキの胸も締め付けられる。


「こんなことして勝って、どうなるって言うんです!」

『そんなことぐらい分かっている!』

「あなたは、もっと誠実なひとだと思ってたのに!」

『だが、勝たなければいけないんだ!』


 でも、と反論しようとしたヒビキの肩をダナエが、ぽん、と優しく叩く。


「なにやら子細は分からぬが、追い詰められておるようじゃの」  

「それは、分かるけど、こんなの、こんなの……っ」


 目の端に光るものを見て、ダナエはヒビキをそっと抱きしめる。


『渡瀬ヒビキ。約束通り私と勝負だ。今度は全力でいく』

「全力ってなんですか。いままで手加減してたってことですか!」

『そうだ。子供相手に本気が出せるはずがない』


 有無を言わせぬ迫力に、ヒビキのからだが震える。


「なら、ぼくもアンドレイアも全力でやります」


 でも、と一息置いて、


「これにぼくが勝ったら、アルカくんと一緒にグレイブ号に乗って下さい。アルカくんのために」


 返答に間があったのは言うまでも無い。

 やがて、豪快な笑い声と共にヴィルトガントは答えた。


『全力の私に勝てたらその誘い、受けよう!』




 はい、と答えたヒビキはきびすを返して格納庫へと進む。

 その途中、どうにか追いついたダナエがヒビキの正面に回り込み、息を切らしながら言う。


「待ちやれヒビキ。わらわも行く」

「どうなっても知らないよ」


 背筋が凍った。

 普段からにこやかにしているヒビキが、こんなにも冷淡な目をするなんてダナエには信じられなかった。

 胸に手を当てて息を整えながら、ダナエも表情を引き締めて言う。


「ヒビキ、落ち着くがよい」

「落ち着いてるよ」

「駄目じゃ。心が乱れておる。そんな状態では勝てる戦も勝てぬ」

「そんなの、ダナエには関係ない!」


 ヒビキの怒号にダナエはゆっくりと首を振る。


「大いにある。わらわはそちの嫁。夫の苦しみを悲しみを見過ごすことなど出来ぬ」


 ぐ、と唇をきつく閉じ、絞り出すようにヒビキは言う。


「……でも、これはぼくとヴィルトガントさんの戦いなんだ。ダナエには」


 むふん、と鼻息を荒く吐いて、腰に手を当てて胸を反らして。


「じゃから。ヴィルトガントはわらわの臣民。アルカもこの船の縁者。この船にあのふたりと無縁の者など誰一人おらぬ」

「だけど、ぼくは」


 うむ、と頷いて。


「此度の戦いはたまたまヒビキが選ばれただけ。皆があのふたりを助けたいと願っておることぐらい、ヒビキには感じられるであろ?」

「だけど!」

「案ずるでない。わらわが此度の戦いで受けるであろう傷など、そちたち三人が心に抱える傷に比べたら軽いもの」


 それにの、と口角を上げ、


「わらわが傷物になったとしても、ヒビキがもらい受けてくれる。不安なことなど一つもないのじゃ」


 自信たっぷりに言い放った。


「どうなっても、知らないから」


 先程と同じ言葉。

 けれど、表情は穏やかだった。


「ならば急ぐとしよう。決闘に遅れるなど武人の恥じゃからの」

「? ぼく武人じゃないよ?」


 小首を傾げる姿がかわいい。

 ならば本当にもう大丈夫だ。


「ただの喩えじゃ。気にするでない」

 うん、と頷いてふたりは格納庫へと走る。




「準備できてるぞ」


 格納庫に入るや否や、捻り鉢巻きの整備長がスパナ片手にいい笑顔で声をかけてきた。


「いつもありがと!」


 おう、と返して整備長は自分の作業に戻る。

 それを見てからヒビキとダナエは、相変わらず狭いアンドレイアの操縦席に乗り込む。

 手持ちの武装は無し。素手でいく。

 実は、魔素機関を開発中にも、グレイブ号に残っているガウディウム用の装備が使えないかと試行錯誤もしていた。が、遠距離武器はいずれも魔素機関の出力に耐えられず、近接武器はヒビキの練度が足らないとアーサーが判断した、という経緯がある。


「よいなヒビキ。向上したアンドレイアの性能に頼るでないぞ」


 大きく開かれた搬入出用のハッチの前で、ダナエは忠告する。


「分かってる。ごめんダナエ。怖い思いさせて」


 視線こそ合わせてくれなかったが、その声音は十分に落ち着いたものだった。


「……その言葉を聞けただけで、わらわが同乗した意義は果たせたの」

「じゃあ、降りる?」

「いや、せっかく乗ったのじゃ。最後まで見届けさせてくりゃれ」

「うん。ありがと」


 通信機のスイッチを入れ、船橋に繋ぐ。


「母さん、みんな。いってきます」


 返事も待たずヒビキはスイッチを切り、グレイブ号から飛び出す。少し遅れて、普段は船内で使用している消火用のロボットたちがわらわらと続き、森へ散っていった。

 バリエンテの正面、十歩分の間合いを取ってヒビキは言う。


『お待たせしました。始めましょう』


 地面に刺していた槍を抜き、盾を構え、ヴィルトガントは決然と叫ぶ。


『ああ。行くぞ!』

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