第11話 少年とお嫁さん
「ヒビキ、入るぞ」
どこか遠慮がちに、そして緊張気味にダナエは病室のドアをノックする。
ヴィルトガントたちが去ったあと、ヒビキは極度の疲労に襲われ、そのまま医務室へ直行。身体そのものに異常は認められなかったので、点滴と安眠による回復が始まった。
「ダナエ? ちょっと待って。いま開けるから」
読んでいた小説を枕元に置いて、足早にドアを開ける。
「もう動いてよいのかえ?」
「うん。母さんいつも大げさだから」
ダナエを招き入れ、サイドテーブルの脇に丸椅子を用意して自身はベッドに腰掛ける。
「土産じゃ。あとで食すがよい」
サイドテーブルに置いたバスケットにはバナナやメロンなどの果物が盛り付けられていた。
「……どうしたの? 元気ないみたいだけど」
ドアを開けた瞬間からずっとダナエはうつむいていて、こちらをまともに見ようとしない。
促されてようやくおずおずと、ダナエは話し始めた。
「そちを苦しめておるのは、我がリングラウズの軍人。そしてわらわはリングラウズの姫。ヴィルトガントたちはわらわの直轄の部下ではないが、わらわの愛する臣民でもある。それが、苦しゅうて、の」
「そんなの、ダナエが悩むことじゃないよ」
「しかしの。あやつらの暴走はわらわの監督不行き届きでもある。その結果がヒビキを苦しめるのであれば、わらわの心は張り裂けそうに痛むのじゃ」
「ぼくなら、大丈夫だよ」
ようやく上げたダナエの視線の先にあるヒビキの顔は、晴れ晴れとしていた。
「ヴィルトガントさんにも事情はあるだろうし、命令してるひとにも事情はある。あの怖い軍人さんも、たぶん」
「やむにやまれぬ事情があればなにをやってもよい訳ではないであろ!」
ダナエもなぜ自分が大声を出しているのかわからない。
ヒビキが、ヒビキの言葉の奥にある考え方があまりにも達観しすぎていて、それはきっと彼の病が起因しているからであり、その先にあるヒビキの思いはきっと。
「だって、ダナエの国のひとでしょ? ダナエが愛してるひとなら、絶対に悪いひとじゃない。それはダナエ見てたらわかる。だから、ヴィルトガントさんが決闘したいって言うのにも理由はあるって思えるんだ」
まっすぐに、ヒビキの背後にある窓から差し込む光も相まってよりまばゆく感じる笑顔に、ダナエは自分の考えが杞憂であったと考え直した。
「……そうかえ。ヒビキは優しいの」
「そうかな。ぼくだって怒ることぐらいあるよ」
「そうかも知れぬが、その奥にあるのはヒビキの優しさじゃとわらわは思うぞえ」
そっか、とつぶやいて、今度はヒビキが意を決したように言う。
「ねえダナエ、前ぼくにご褒美くれるって言ってたよね」
「うむ。決まったのかえ?」
「うん。ダナエに、ぼくのお嫁さんになって欲しいんだ」
「ひゃいっ?!」
予想外の願いに、ダナエの声が上擦る。
グレイブ号に忍び込んでいたのは無論、お忍びの公務が大前提。
が、本音はヒビキに会いたい一心だった。
所詮は叶わぬ恋と、あの日坑道で助けられるまでは半ば諦めていた。
「む、むむ無論、その願いはわらわにとっても願ったりのものじゃが、その、わらわたちはまだ
言い訳だ。
降って湧いた幸運にどうしていいか分からず、先送りにしているだけだ。
「けど、ほかに欲しいものとかして欲しいことなんて無いからさ、お願い」
しかしの、と言いよどみ、ヒビキとしっかりと視線を合わせる。
真摯な、あの日アンドレイアに助けられた時のそれと変わらない力強い瞳。
この瞳に自分は恋に落ち、娶られたいと思ったのだ。
その瞳に、病による自暴自棄は一切感じられない。
それに応えなければいけない。
「わかった。わらわはいつでも祝言をあげる用意をしておく。が、母上にも一度わらわから話しておく。話さねばならぬ。それぐらいはよかろう?」
「……うん。わかった」
寂しげに答えるヒビキに、胸が痛んだ。
* * *
「……うん。そういう感じです。お願いします」
ダナエが去ったあと、ヒビキは医務室にアンドレイアの整備を担当しているメカマンを呼び、自筆のメモ紙を渡していた。
この病室から絶対に出るな、と母がジノを通じて船長命令で言い渡してきたので、ヒビキとしては仕方なくの行為だ。
受け取ったメモを手に病室を後にするメカマンと入れ替わるように、カーラが駆け込んできた。
「ごめんヒビキ! 怖い思いさせた!」
開口一番そう叫び、強く抱きしめた。
「痛いよ母さん。ぼくのことなら、へいきだから」
「だって!」
「母さんなら絶対に、あの女の人にも当てないってわかってるから。ああでもしないと、ぼくを助けられないって母さん思ってるんだろうなってわかったから。大丈夫」
ゆっくりとヒビキを離し、まじまじと見つめ、そしてゆっくりと大きく息を吐く。
「ほんとうにごめん。二度としない」
「いいってば。もう」
うん、と返してヒビキの頭を撫でて。
ぱしん、と両手で自分の頬を叩いて。
「ん。これでもうこの話は終わり。金輪際触れない。決めた」
つぶやくように言って、船長の顔に切り替えた。
「さっき出て行ったのドルニアよね。なに手渡してたの?」
えっと、と一拍置いて。
「ヴィルトガントさんたちの機体って、魔素の力で動かしてるらしいから、ぼくにも作れないかなって思ってさ。アイデアまとめたの」
「だれが魔素で動かしてるって言ったの?」
「イスファさん。戦ってる間、ずっと向こうの観察してたんだって」
ということはつまり。
「やっぱり決闘、受けるのね」
「うん。アルカくんを助けたいんだ。あの軍服着た女の人をすごく怖がってた。ヴィルトガントさんはいい人だけど、あの女の人はきれいだけど、イヤだ」
それはわかる。
目の覚めるような、とはきっとあのゼクレティアとかいう女みたいな顔を言うのだろう。
おそらく年齢は自分よりも十歳ほど下。お肌がぴちぴちだった。うらやましい。違う。
あんなにきれいなら、軍人なんかやらなくても楽に生きられるだろうに。
だけどいま考えなくてはいけないのは、ヒビキのことだ。
どうにかして決闘を回避する手立てはないものか、と考えるカーラの視線が、枕元に置かれた果物の盛り付けられた篭を捉える。
「いいにおいすると思ったら、なにこれ。ドルニアから?」
「ううん。さっきダナエがお見舞いに来てくれた時に」
ダナエの名を聞いて、カーラの表情が曇る。
「聞いたわよ。ダナエから」
「……母さんがなんて言っても、ぼくはダナエをお嫁さんにする。もう決めたんだから」
ヒビキの決意に、カーラは困ったように言う。
「あのねヒビキ」
「なに」
「あたしは、あんたに幸せになって欲しい」
「うん」
「いくらイスファが病気を治すって言っても、まだ不確定な要素がいっぱいある。それで不安になって自棄になってダナエにそういうこと言ったんじゃないのね?」
「うん。そういうのじゃない。ぼくはイスファさんを信じてるから」
それだ。
ヒビキはひとを簡単に信じすぎる。
それはとても危うい美点だ。
「大丈夫だよ。母さんこそ心配しすぎ。だってイスファさん、ずっと頑張ってるんだよ? 時々アーサーのところに行ってるし、毎日ぼくに進捗状況を教えてくれるの」
「……時々アーサーの返事が遅い時があるって思ったらそういうことね」
つぶやくように言って、じろりとヒビキのお腹のあたりを睨み付けて、
「イスファ。その報告、あたしにもちょうだい。アーサーに言伝とかでもいいから。お願い」
瞬間、ヒビキの顔つきがイスファのそれに変わる。
『わかった。きみはいつも忙しそうにしているから、もう少し纏まってからにしようと思っていたんだ』
「そういう気遣いはいいから」
『ぼくはもう、親子の情とかの概念は無くしてしまって永いからね。アーサーに頼んでおくよ』
そう言い残してイスファは去り、またヒビキへ主導権が戻った。
「ただいま」
「ん。お帰りなさい」
いまのイスファの言動に嘘は感じられなかった。アーサーもイスファを信用している。ならば、自分も少しはイスファのことを信じてみようと、考えを改めた。
だから、カーラはずっと言わずにいた過去を話した。
「あんたにはね、お姉ちゃんがいたの。でもあんたと同じ病気で、一歳にもなれずに死んだ。あたしがお乳をあげた回数なんてほとんどないうちに。
あんたをあの子の代わりだなんて一回も思ったことなんて無いけど、それでも、あんたを失いたくない。奪われたくない」
はじめて見る母の真剣な表情に、ヒビキはうなずくこともできない。
「それが、よりによってあのダナエだって言うんだもん。驚くより笑ったわ」
「でもダナエは優しい子だよ?」
「知ってるわよ。そうでなきゃとっくに追い出してるもの」
思わず苦笑するヒビキ。
「だから、約束して。ちゃんと大人になってから結婚式をあげるって。いまあたしが認められるのは、結婚をする約束をするところまで。それが飲めないなら、絶対に許さないし、祝福もしない。約束できる?」
にこりと笑って、ヒビキは晴れやかに返す。
「大丈夫だよ。約束する。病気も治す。だから、ちゃんと結婚式に来て」
「わかったわ。ダナエを祝福するのはしゃくだけど、ちゃんと出席するわ」
成長したダナエはきっといまよりもきれいになっているだろうし、ヒビキはもっともっと格好よくなっているだろう。
お似合いの夫婦だと誰からも祝福され、自分とあの男のように破堤もせず、ただただ幸せに包まれて生きていくのだろう。
長女の分まで、などというのは彼女の命を冒涜する願いだ。
けれどどうか、母より先に逝くことだけはしないで欲しい。
そんな風景を想像したら、自然としずくが頬を伝った。
「ど、どうしたの母さん」
「あ、ごめん。だいじょうぶよ。……うん。だいじょうぶ、だから」
でも、と心配そうな瞳を向けるヒビキの頭をゆっくりと撫でる。
「いま心配しなきゃいけないのは、あんたのことよ」
「……ぼくは、決闘から逃げたくない」
「うん。だから、あんたとヴィルトガントさんとアルカくんが無事に帰ってこれるように考えないといけないわ」
ぱぁっとコウタの表情が明るくなる。
「本当に何回でも言うけど、あたしはあんたが矢面に立つことには大反対なんだからね」
いまだって力尽くでも止めさせたいのだ。
それでもやらせているのは、押さえつけて逃げ出されて勝手に動かれて一層危険な事態に陥るよりは、という判断からだ。
「うん。ぼくも戦いたいんじゃないんだ。アルカくんも、ヴィルトガントさんも困ってるみたいだからなんとかしたいって思ってるだけ。ぼくには、アンドレイアがあるから、そういうことも出来るから」
突きつけていた指をぷにぷにのほっぺたにずらして思いっきり抓る。
「痛い痛い! なにするの!」
「生意気言うんじゃないの! あんたが、あんたみたいな子供が他人のために自分の命晒すとか! こんな時で無かったら、ビンタじゃ済まさないからね!」
思った以上に強く、悲しい声音に、ヒビキも抵抗を止める。
「大丈夫だよ。魔素を使って分かったんだ。あれはいいものだって。だから、怖い気持ちで魔素を使うあのひと逹には、負けない。絶対」
ん、とほっぺたから手を離し、ぎゅぅっと頭を抱きしめる。
「いいわね。ちゃんと無事に帰ってくること。ちゃんと大人になってちゃんと結婚式をあげること。約束よ」
「……うん。約束する」
ぱっと解放してカーラはヒビキの頭を撫でる。
「じゃああたしは仕事に、」
「なにをしておるか母上! 抜け駆けは無しと先ほど約束したじゃろうが!」
大音声が窓ガラスをビリビリと振るわせる。
確認するまでも無くダナエだ。
「これは抜け駆けじゃありませーん。母親としての当然の権利でーすー」
べーっ、と舌を出して挑発するカーラ。
「ならばわらわも嫁としてヒビキを抱きしめるのじゃ!」
「それはダメですー。あんたはまだ嫁じゃありませんー」
「いずれ嫁になるのじゃからよいではないか!」
「だーめーでーすー」
むううう、と唸って地団駄を踏む。
ふたりのやりとりをゆっくりと見ていたヒビキは、アンドレイアに起こった変化について考えていた。
アンドレイアは完全な人型に変わった。
操縦席に変化は無かったが、破損箇所などの機体の情報を示す簡略化されたシルエットも人型に変わっていたから、変化は内部にまで起こっているのだろう。
困ったな、とヒビキは思う。これじゃあ採掘の仕事が手伝えない。
変化のトリガーは魔素だろうから、魔素を使えば戻るだろう。けどあのときは夢中だったからどうやって使ったのか、そもそもなんで人型に変わったのかも分からない。
思い出す。
あのとき自分の心にあった思いを。
力が欲しかった。
負けたくなかった。
アルカを取り戻したかった。
そう強く念じた時、ペンダントにしてもらった魔素が輝き出した。
「イスファさん。まだいますか?」
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