第10話 少年と瑠璃色の

『どうした。もう終わりか』


 強い。

 軍用か土木用かどうかなんて些細な問題だった。


『ヒビキ、しっかりするのじゃ!』

「う、ん……、だいじょうぶ、だから……」


 息は荒く、あちこちぶつけて血やアザが出来ている。

 アンドレイアも同じく満身創痍だ。右腕は肘から先がなくなり、左腕はもう前後に振ることすらできない。履帯は無残に剥がされ、左前足は自分でちぎって捨てた。

 序盤こそ数で圧して何度かダメージも与えられた。

 軍服女自身が受けた腕へのダメージがまだ残っていたのか、右半身への対応は僅かに遅い。しかしあの黒いガウディウムはそれをエサにして最初の一機を行動不能に。

 その後は決壊したダムの如く、二機目、三機目と一瞬で倒され、崩れた連携をどうにか立て直そうとする焦りがさらなる破壊を呼び込み、一機目が落とされてからものの五分で残っているのはヒビキだけになってしまった。


『はやく逃げなさい、ヒビキ!』

「やだ! アルカくんを助けるんだ!」

『母上の言う通りじゃヒビキ。このままでは共倒れになってしまう』

「でも」

『幸い大人たちに死人はおらぬ。じゃがこれ以上やればヒビキが死ぬ。そんな未来などこの船の誰も望んでおらぬ』

「でも!」


 震える手でヒビキは操縦桿を握り、モニターを見据える。

 大人たちはやられながらも黒いガウディウムに爪痕を残し、望みを繋いでくれている。

 アルカを救うために。

 それを自分が無為にするわけにはいかない。

 いまヒビキを動かしているのはその思いだけだ。


「う、ご、けえええっ!」


 策なんかあるはずがない。

 でも動かなければどうにもならない。

 大人達の仕事を手伝うようになったのは、病気のことを知らされたあとのこと。

 じっとしてて良くなる病気じゃないなら、ぼくも働かせて。

 そう言い出した息子をどうして止められようか。

 危険なことは大人に任せること。

 自分一人で行動しないこと。

 大人の言うことは絶対に聞くこと。

 この三つを絶対条件として、カーラはヒビキを働かせることにした。

 この全部を無視してでもヒビキはペダルを踏み、操縦桿を倒す。

 アルカを、助けるために。


『往生際の悪い』


 黒いガウディウムが動く。


「わあああああああああっ!」


 叫んだ直後、ペンダントにしていた魔素が輝く。

 その輝きはアンドレイアを包み、さらにまばゆく光を放つ。


『ヒビキ!』


 カーラとダナエが叫ぶ。


『大丈夫、だよ。そんなに、怖くない』


 聞こえてきた声に、苦しさは感じられなかった。

 輝きはさらに増し、色は赤から白へと変わる。船橋(ブリッヂ)のモニターが自動で明度を調整してもなお眩しく感じるほどに。


『わああああああああああああっ!』


 ヒビキの絶叫の後、光が弾ける。

 光の残滓から瑠璃色の人型ガウディウムが飛び出す。


『っ!』


 飛び出してきたガウディウムの姿に女の反応が一瞬遅れ、顔面に拳をもらってしまう。


『このおっ!』


 纏う軍服は伊達では無いのだろう。飛び出してきた瑠璃色のガウディウムの正体を探ることは一切せず、顔面に食い込む拳を腕を素早く絡め取り、肘関節を極め、さきほど自分がそうされたようにハンマーロックの体勢に入る。

 流れるような一連の挙動に、しかし瑠璃色のガウディウムは逆らわない。腕を極められたまま前方宙返りをうつ。その勢いで拘束を振り解き、追撃か後退かで迷った黒いガウディウムに体当たりを仕掛ける。


『だああっ!』


 瑠璃色のガウディウムから聞こえたのは確かにヒビキの雄叫び。

 ならばあの瑠璃色はアンドレイアなのだろうと、カーラやダナエは結論づけ、胸をなで下ろした。

 ゼクレティアが迷った一瞬だけ体当たりは命中率を上げ、その一瞬は直撃を導き入れた。


『がっ!』


 派手に吹き飛ばされ、ひび割れた遺跡を転がり、三転目で地面に手を突き入れてどうにか止まる。


『貴様ぁっ!』


 怒りも顕わに軍服女が叫ぶ。

 彼女の視線の先にあるガウディウムの、なんと美しいことか。

 瑠璃色の装甲は澄んだ湖面のように陽光を反射し、筋肉質で均整のとれたプロポーションは野生の獣のように猛々しい。

 それは軍服女でさえ戦いを忘れて見惚れるほどに。

 だがその時間も、猛然と迫ってくるガウディウムの気迫により霧散する。


『おおおおっ!』


 地面に突き入れていた手をずぼっと抜いて、もう眼前に迫っていたアンドレイアの腹部へ、しゃがんだまま拳を放つ。完全に攻撃態勢に入っていたアンドレイアは回避も防御も間に合わず、もろに喰らってしまう。


『ぐうっ!』


 苦悶に満ちた幼い悲鳴が胸に痛い。

 唯一胸を痛めなかった軍服女が、まだ体勢を立て直せないでいるアンドレイアの腹部へ、膝蹴りを放つ。


『……かは……っ』


 べしゃっ、とアンドレイアのマイクはヒビキが吐瀉した音も拾い、伝える。


『手こずらせるな』


 よろけたアンドレイアの右腕を再度掴み、今度こそハンマーロックを極め、瑠璃色の背中にどかりと腰を下ろす。

 何をする気だ、と小さく唸ったのはヒビキだったか、それとも船の誰かだったか。

 そんな疑問に軍服女は委細答えず、黒いガウディウムからばしゅん、と圧搾空気を放出し、アンドレイアを拘束した姿勢のまま、外へと降り立つ。

 無遠慮にアンドレイアの表面に触り、見上げ、ぽつりともらす。


「こんな変形を行うとはな……。やはり子供を使ったほうが出力が高いか」


 そのまま視線を黒いガウディウムへ向け、


「スキアー。連行だ。やれるな」


 冷淡に指示し、軍服女はその場から離れる。


『待ちなさい!』


 耳をつんざくような大音声は、カーラのもの。もちろん、グレイブ号の外部スピーカーを使ってのものだ。


「さきほどの女か。何の用だ」

『いま、この船の砲門が全てあなたに向けられています。ごめんなさいを言ってそのまま立ち去るなら、引き金を引くことはありません』


 重い音と共に、グレイブ号の側面に無数のスリットが入り、上へ下へと装甲がスライドしていく。その奥から、三十を超える大小様々な砲門が現れ、その全てが黒いガウディウム(スキアー)と軍服女と、アンドレイアに向けられた。

 脅しにしたってやり過ぎだ。

 だというのに軍服女に動揺した様子は見られない。


「どういうつもりだ。このまま撃てば、この青いガウディウムも巻き込まれるぞ」

『その青いガウディウムに乗っているのは、私の息子です。その息子があなたのような子供を大切にしないひとに連れ去られるというのなら、いまこの手で消し去ります』

「ほう。大した覚悟だが、そんな脅しに、」


 女の、ほんの五メートルほど左。

 地面が炸裂し、わずかに遅れて砲撃音が鳴り響いた。

 さすがに女の瞳が驚きに満ちる。


『いまのが最後通告です。あと、十数える間に退かなければ、私は』


 く、と女がうめく。


『十、九、八』


 躊躇なくカウントダウンを始めるカーラ。

 それでも女は動こうとしない。


『七、六、』

『待ってください』


 グレイブ号とスキアーの間に、一隻のランチが降り立つ。


『ヴィルトガントです。カーラ船長、どうか早まらないでください』

『そこにいると、当たります』


 決意の変わらないカーラに、ヴィルトガントは冷静に言う。


『部下の非礼は私が謝罪します。ここは私の名において退(ひ)かせます。ですからどうか、トリガーから手を離してください』


 どれだけの時間が流れたのか、正確に感じ取れた者は恐らくいない。

 やがて、カーラが震える声で言う。


『分かりました。はやく、してください』


 ふうっ、と張り詰めていた空気がほぐれる。


『聞こえなかったか、大尉』


 信じられないようなものを見るようにランチを見つめていた軍服女は、弾かれた様にスキアーにアンドレイアから離れるように指示をする。拘束を解かれたヒビキは、ゆっくりと立ち上がり、ランチとグレイブ号の間にぬるりと移動する。

 その後、足早にランチから降りたヴィルトガントは、つかつかと軍服女に近寄り、


「ゼクレティア大尉。なにをやっている」


 低く静かに言った。

 あれだけの数の砲塔を向けられても怯まなかった軍服女の肩が、わずかに震えた。


「大佐……、療養中のはず、では……」


 じろりと睨み付け、


「誰がそんなことを言った」

「い、いえ、その……っ!」

「……姉上か。まったくあのひとは」


 深くため息を吐いて、もう一度ゼクレティアを見据える。


「子供達に乱暴するな。物理的にも精神的にもだと、それが姉上が定めた組織の方針であり、厳命だと何回言えば分かる」


 青ざめ、直後に直立不動となってゼクレティアは叫ぶ。


「了解しました!」


 その大音声に眉を顰めながらもヴィルトガントは「休め」と告げて、アンドレイアに向き直り、固い声で言う。


「三日後、この座標の遺跡で待っている。今度こそ一騎打ちで決着を付ける」


 彼の手にしていた小型端末から送られた位置座標を確認しながらも、ヒビキは混乱したように返す。


『なんで。負けたからもう戦わなくてもいいはずじゃ』


 そのために決闘までしたのだ。

 見つめた彼の瞳は、後悔の混じった悲しい色だった。


「私が浅はかだった。言えるのはそれだけだ」


 マントを翻し、肩越しにゼクレティアに言う。


「帰るぞゼクレティア。処罰は後ほど言い渡すからな」

「……はっ」

『待って、ください。こちらは喧嘩を売られたのに、一方的に止めておいてそれで終わりですか。いくら軍人だからってそういうことされると、腹が立ちます』


 くるりとグレイブ号へ振り返り、深々と頭を下げるヴィルトガント。


「部下が本当に申し訳無いことをしたと思っています。失われた資材は決闘の時にまとめて請求してください。私ができることはそれだけです」

『あなたに謝ってもらいたいわけじゃないんです』


 その声音に込められた一番近い感情は、悲しみだろうか。

 まだ背を向けていたゼクレティアは拳を強く握りしめ、振り返る。


「……すまない」


 たったひと言だけ。

 長々と言い訳をするような、恥知らずな性格で無かったことにカーラはほんの少しだけゼクレティアを見直した。


『それと、アルカくんの無事を確認させてください』

「申し訳無いがカーラ船長。このガウディウムは軍事機密が詰まっている。だが、アルカは無事だ。信じてはくれないだろうが、分かってほしい」

『……わかりました。決闘に関しては、こちらでも検討します。行かないという判断も当然ありますので、ご容赦下さい』

「そうなれば、こちらも強硬手段を採る。これは脅しではない。そして、今度は負けてやるつもりも無い。……賢明な判断を頼みたい」


 そう言って振り返り、スキアーを随伴させてヴィルトガントたちは遺跡を去って行った。


「ヒビキは、やりたいって言うんでしょうね……」


 ならば、大人としてなにがやれるのか。

 それを模索するしか無かった。

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