第9話 少年と軍服女
「アルカ・ブリーズか。良い名じゃの」
近くに保護者も見えなかったので取りあえず船に連れ込み、おやつを与えたりと色々工夫しながら訊ねてみたが、教えてくれたのは名前だけ。あとはどこか落ち着かない様子でもじもじしているだけだった。
ダークブラウンの短髪は猫っ毛なのか寝癖なのかくしゃくしゃで、肌つやも肉付きも健康そうに見えるのは、同席した大人達を安堵させた。
あと気になる点と言えば、彼の着ている衣服。白い、生地自体は丈夫そうだが、入院服のような造りのものを一枚羽織ってるだけ。パンツは履いているが、シャツは着ていない。
「えーと、家の場所はわかる?」
ふるふると首を振るアルカ。
「あんまりこういうことは訊きたくないけど、なんであそこにひとりで居たの?」
「あ、遊んでて、いいって。言われた、から」
では保護者が居ると言うことだ。
何度思い返しても、アルカ以外の大人は見なかったし、仮に目が届く距離に居たのならば、この船に連れてくる前に飛んでくるはずだ。
「かえらないと、いけない、の」
「うむ。そうしてやりたいのは山々なんじゃがな。……ともあれ、もう一度あそこに連れていってみるかの」
「そうだね。お母さんが探してるかも知れないし」
そのままもう一度アルカを連れて遺跡に戻ったヒビキたちは、調査を行っている大人たちにも協力してもらいながらアルカの保護者を探した。
遺跡は広く、地球人が暮らしていたならばざっと一千人は生活していただろうと調査班は報告書に記した。
捜索をしながらもヒビキは、遺跡の電気も使っていないインフラの痕跡に感心し、ダナエは点在する彫刻物の精緻さに感心しきりだった。
昼前に始まった捜索は陽が傾き初めても目処が立たず、アルカはひとまず今日は泊まっていく方向で大人達が動き出したその時、ブーツの硬い音が遺跡に響き渡った。
「こんなところでなにをしている」
まだ若さは残るものの、低く重い女声。
重々しい軍服に軍帽は濃緑色。ブーツと手袋だけは革製なのか焦げ茶色が夕陽に輝いている。
軍服の女は足早にアルカの元へ詰め寄り、後ろ腰に指していた短鞭の先端を突きつける。
「た、大佐、が、遊んでていいって、言われたから」
いきなりのことに怯えながらもアルカは返す。目に涙が浮かんでいるのをヒビキはしっかりと見つけ、女を睨みながら突きつけられた短鞭を握り、ぐい、と下にやる。
「あなたこそなんですか。泣いてるじゃないですか」
女は苛立ちも顕わにヒビキを睨み付ける。
「なんだ貴様」
「
大の大人ですら怯む眼光を浴びせられてもヒビキは一歩も引かない。
「これはこちらの所有物だ。どう扱おうと関係ないだろう」
「そんな言い方!」
握った鞭を取り上げようと引っ張るが、やはり大人と子供では力の差は歴然。あっさりと振り解かれ、地面に転がってしまう。
それには目もくれず、女はアルカの手を強引に掴む。
「行くぞ」
「やだ!」
「……大佐も待っている」
「うそだ!」
掴まれた腕を放そうと、アルカは女の手を叩いたり噛みついたりしているが、どれも効果がなく、軽々と抱き上げられてしまう。
「はなして! ぼくは大佐と帰るんだ!」
「だから、大佐は療養中だと言っただろうが!」
ぽかぽかと顔を肩を殴りつけられても、女はアルカを離さない。それどころかそんな不安定な状況ながらも歩き出そうとしている。
「あの、少しいいですか?」
ゆったりと話しかけたのは、カーラだった。
「なんだ」
「あなたとアルカくんがどんな関係なんか知ったことじゃ無いですけど、そんなに暴れているのに連れていこうとするのは見ていて非常に不愉快です」
「だからなんだ。見世物じゃないんだから、去ればいいだろう」
「いいえ。その子はウチで作ったご飯を食べました。食べた以上縁があります。そういう子に狼藉されて黙っていられるほど、あたし、優しくないんですよ」
ヒビキが見上げた母の顔は、表情こそ柔和だが、瞳の奥に深い怒りを孕ませていた。
逃げよう。
あれはお説教するときの顔だから。
その怒りを察したのか、アルカも手を止め、だが女にしがみつくことはせずにじっと身を固くした。
「さっきも言った。これはこちらの所有ぶ、」
すぱぁん! と乾いた音が鳴り響く。
「ぶっ叩くわよ」
女の軍帽がずれ、左頬がみるみる赤くなっていく。
いくら両手が塞がっていたとは言え、素人に頬を叩かれたことがショックだったのか、女はしばし虚空を見つめ、向き直ってカーラを睨、
めしっ、と重い音が響いた。
鼻だ。
「何その目。まず最初にごめんなさいでしょ?」
女の上体が傾いだ隙を狙ってアルカをひょいと担ぎ上げ、近くに居た通信長に押しつける。
「貴様!」
ごすっ、と鈍い音が腹から。
「私を誰だと思っている!」
あっという間に腕をハンマーロックに極め、女をうつ伏せに押さえ込む。
「ご、め、ん、な、さ、い、は?」
お尻を背中に乗せ、カーラは容赦なく女の右腕を締め上げる。
悲鳴を上げなかったのはさすがと言うべきか。
「貴様ぁっ!」
ケンカにとって大事なのは、相手に攻撃させないこと。一度攻撃したら休まず攻撃し続けること。
カーラはそれを実行し、女はそれをしなかった。
みしみしみしっ、と聞くに恐ろしい音が女の腕から鳴る。
念のため申し添えておくが、ヒビキたちを叱る時は暴力は決して振るわない。が、大人ならば別だ。
想い人の取り合いから酒場でのいざこざに至るまで、船乗りという気性の荒い連中を束ねるのには多少の実力行使は必要なのだ。
「か、母さん。そのぐらいにしないと、折れちゃうよ」
「なにかしらヒビキ。母さんいま忙しいの」
だめだ。完全にスイッチが入っている。
こうなると、相手がごめんなさいを言うまで徹底的にいたぶる。
「ええとね。アルカくんも怒ってないし、相手は軍人さんだから、それ以上やるときっととっても面倒なことになると、思うんだ」
それもそうね、と女に座ったまま頷き、
「でもまだごめんなさいを、」
ずしゅん、と重い足音が響く。
「やれ!」
お尻の下の女が叫ぶ。
「母さん!」
あれを避けられたのは母だからだと思う。突如現れた軍用ガウディウムの巨大な漆黒の手の平。それをカーラは間一髪、身を捻って回避し、事なきを得た。
「あら。ちっとも反省してないようね」
「母さん、そんなこと言ってる場合じゃ!」
大人達もヒビキも、慌てふためきながらもそれぞれの重機を起動させ、あるいは船の持ち場に戻り、臨戦態勢に入る。
これはあとで母から聞いたことだが、このときカーラの通信端末にはガウディウムの反応が出たことへの報告がひっきりなしに行われていた。が、マナーモードに変えていたこと、お説教へ意識が向きすぎていたことなどが重なって現れるまで気づけずにいたのだ。
「アルカくんは?!」
混乱が収まり、気がついた時にはもうアルカは軍服女の腕に抱かれていた。通信長は、と視線を巡らせれば、当て身でも喰らったのか気絶して目を回して転がっていた。
それに気付いた操舵長がひょい、と担ぎ上げ、ハッチが閉じ始めた船の中へ駆け込んでいった。
「このわたしにケンカを売ったこと! 後悔させてやる!」
言いながら、同じく気絶させたアルカを抱いたまま、女は漆黒のガウディウムへ搭乗する。
「絶対にごめんなさい言わせてやるから、覚えておきなさい。お嬢ちゃん」
「母さんもはやく中へ!」
自身もアンドレイアを呼び寄せながら、ヒビキは母を船の中に押し込む。
「あ、こら、あんたも中よ!」
「アルカくんを放っておけないよ!」
カーラが伸ばした手は、閉じたシャッターにより届くことは無かった。
「お願い」
ダナエがいない操縦席は妙に広く感じる。
四点式シートベルトを慣れた手つきで装着し、居並ぶ大人たちのガウディウムの列に加わる。
今日の装備は前回と同じ、ノーマルな二本腕。武器になりそうなものは持っていない。
怖い。手が震える。でも、やるんだ。
黒いガウディウムがこちらを睥睨して吼える。
『十四機か。いくら集まろうと、同じ事!』
それが、始まりの合図だった。
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