第8話 少年と少年

 薄暗い工作室の片隅から、ハンダ付けの音と、細かな金属音が聞こえて来る。

 白いシャツにオーバーオール姿の赤鴇色の少女は、入り口付近のスイッチで照明を入れ、足取り強く、工作音のする方へ向かう。

 やがてたどり着いたそこは、ジャンクパーツが山積みになった一角。

 少女は腕をお腹のあたりで組んで、意を決して言う。


「の、のうヒビキ。そろそろ、定期検診の時間じゃぞ」


 きっと何度も呼びかけるのだろうと覚悟していたが、返事はあっさりと返ってきた。


「ちょっと待ってダナエ。もう少ししたら終わるから」


 背中を向けてあぐらをかくヒビキの肩口から彼の彼の手元を覗き込む。

 ちらりと見たヒビキの顔は確かに職人の色を帯びていて。

 こんな表情もするのかえ、と内心驚きながらダナエは言う。


「何を作っておるのじゃ?」

「んっと、ぼくの重機の変形がもっとスムーズに行くようにする回路」


 そう言って彼の手には少し余るサイズの基盤をダナエの顔の前にやる。


「ふむふむ。……機械のことはヒビキほど分からぬが、美しさがあるの」


 褒められてヒビキはぱっと表情を輝かせる。


「でしょ! 自信作なんだ!」


 そのまぶしさに目をくらませつつ一旦からだを離し、彼の重機へ視線をやる。


「そうじゃヒビキ。坑道で助けてもらった礼をまだしておらなんだな。何でも言うがよいぞ」

「え、いいよそういうの。お礼してもらいたくて助けたんじゃないし」

「だめじゃ。功は讃えねばならぬ。褒美も然り」

「でもぼく、」


 足を止め、顔を伏せた理由をダナエは察し、ヒビキの肩を掴んで強く言う。


「その先を言うでない。……いますぐに、とは言わぬ。なんでもよい。考えておいてくりゃれ」

「……わかった。考えておくよ」


 暗く沈んでしまったヒビキの表情を晴らそうと、ダナエは明るく言う。


「のうヒビキ、そちの重機に銘はあるのかえ?」

「ないよ? ジノさんたちも付けてないし、みんな勝手に改造した専用のを使ってるから間違えることもないし」

「ならば、わらわが付けてもよいか?」


 え、とヒビキは戸惑う。


「この機体はヒビキと共にわらわを守ってくれた。その栄誉を讃えなければならぬ」

「あ、うん。そうだね。お願い」


 うむ、と明るく笑ってダナエは重機へ人差し指を突きつける。


「今日からそちはアンドレイアじゃ! 勇敢を意味する、ヒビキの愛機に剴切な銘であろう?」

「うん。ありがとう。嬉しいよ、ダナエ」


 言いながら立ち上がり、アンドレイアの無骨な脚部に触れる。


「改めてよろしくね、アンドレイア」


 明るさが戻ったヒビキに内心安堵しつつ、ダナエは話題を変える。


「作業はまだ時間がかかりそうなのかえ?」

「んーと、ひと区切りできたから大丈夫だよ。遅れると母さんが怒るからそろそろ行かないと」

「そうじゃの。母上の怒りは心身ともに堪えるからのう」

「やっぱりダナエって母さんのこと知ってたの?」

「うむ。以前よりちょくちょくこの船に忍んでおる。そのたびに母上に見つかって、の」


 そうなんだ、とヒビキは苦笑する。

 実際、各地を転々とするグレイブ・スペランツァ号には密航者が多い。

 入植から十年ほどしか経過していないこの星テイアでは、土地への執着や縁が薄いからなのか、単純な理由から引っ越したり夜逃げしたりする者は多く、果ては逃亡中の犯罪者もよくグレイブ号に転がり込んでくる。

 夜逃げしてきた者は当然として、犯罪者たちもカーラは無闇に断罪はせずに労働などをさせて毒気を抜き、まっとうな生活ができる心身にしてから適当な国に下ろしている。


「じゃあはやく行かないと。母さん待ってるはずだから」


 うむ、とふたりは駆け出す。


     *     *     *


 遅い、とカーラに睨まれながらヒビキは手早く検査服に着替え、検査機械に寝そべった。

 カーラとダナエはそれをすぐ隣の部屋からモニターしていた。


「ねえアーサー。あんたの目にはイスファはどう映るの?」


 ほんの数秒、間があった。珍しい。


『ヒビキの体内に、別の生体反応があります。この船にも両性のクルーや乗員はいますが、ヒビキの肉体は完全に男性です。

 念のために妊娠時に見られる兆候や、肉体および精神にみられる反応と比較しましたが、それらとも明らかに違います。いまヒビキが経験している状況は、私が蓄積してきたどの生命体の生理、行動からも外れる異質な現象です』

 現象、とアーサーは表現した。

 自分だってほかに例えようが無いのだ。アーサーがこう表現するのも納得できる。


「分かった。あたしも信じられないから、あんたが気にする必要無いからね」

『ありがとうございます。それと、カーラ船長』

「なに?」

『指示通り、イスファが示した座標へ探査機を飛ばし、魔素の採取と分析を行いましたが、イスファの証言の裏付けが取れました』

「……ほんとなのね」


 イスファは魔素がヒビキの病状を改善できる可能性があると言っていた。

 出発前の挨拶であんなことを言って見せたが、実際には半信半疑だった。


『魔素はヒビキの容態が、僅かながら回復する物質です』

「……うん」


 目を伏せ、カーラはゆっくりと頷く。


『発症が確認されてからの一年間、明確な治療方法が無かったヒビキの病の治療に、光明が見えました』

「…………うん」

『まだ、症状がわずかに緩和された程度、です。臨床試験も精査すら行っていない、この星固有の物質です。どんな副作用があるかも含めて検討しなければいけません』

「………………、ありがとう……っ」


 ついに泣き崩れてしまった。


『神に感謝したい気持ち、というのはきっとこういう気持ちなのでしょうね』

「なによ、それ」

『わたしも、ヒビキが子や孫に囲まれながら旅立つ姿を見たいのです。尽力します』


 ばか、と苦笑してカーラは涙を袖口で拭って立ち上がる。


「うん。お願い」


 その顔に、迷いは無かった。


『アーサー、イスファだ。きみの解析能力は、ぼくの研究の助けになる。協力してくれるなら、これ以上望むことはないよ』

『ええ。わたしも明確な実体を持たない、という点ではイスファと同質の存在。よろしくお願いします』


 ふたりともなにを言ってるのよ、とカーラは苦笑するしかなかった。


「なにはともあれ母上、良い方向へ進んでいるようでわらわも嬉しいぞ」

「ありがと。でもなにその母上っての」

「わらわには母親の記憶がない。船長は悪さをしたわらわを叱ってくれた。なによりわらわの愛し君ヒビキの実母。そんなカーラ船長を母上と呼ばずになんと呼ぶ?」

「なんと呼ぶ? じゃないわよ。いままで通りカーラ船長でいいじゃない」

「いやじゃ。もう決めたのじゃ。今日この日より、カーラ船長はわらわの母上じゃ!」


 はあああっ、と深く長いため息を吐いて、カーラはうめくように言う。


「だからあんたとヒビキ会わせたく無かったのよ」

「やはりそうであったか。母上に子息がおると聞いた時から気になって気になって、写真を見た時にはもうわらわは恋に落ちておった。あとはヒビキ次第じゃからの」

「あんまり期待しない方がいいわよ。あの子、そういうのに関心無いみたいだから」

「そんなもの、わらわの愛と魅力で乗り越えてみせるからの。覚えておるがよいぞ」


 くふふ、と笑うダナエに、カーラは呆れるほか無かった。


     *     *     *


 その数日後、グレイブ・スペランツァ号が到着したのは、どこか懐かしい雰囲気を持つ遺跡だった。


「きれいね。思ってたより」

母星ははぼしで言う中近東の遺跡に似ておるの。こちらの方が断然洗練されておるが」

「そう? あたしはあっちのがシンプルで好きかな」


 遺跡の周囲に樹木はまばらで、時折吹く風も乾いている。長く居ては肌に悪そうだと女性一同がそう思い、男達は見たことの無い景色に子供のようにはしゃぎながら、手に手にスコップやふるいや小型のピッケルやブラシを持ち、あるいはメモ帳やカメラなどを携え、あるいは撮影用のドローンを飛ばしつつ遺跡へと散らばっていった。

 無理もない。

 彼らの祖先が遙かな母星を旅立ち、数多の星系に種を蒔いて繁栄や滅亡を繰り返しながらその版図を拡げてきたが、いまだ自分たち以外の文明と接触したという報告は数例しか挙がっていない。

 しかも、入植前の調査で見つかったのは、がれきと大差ない程度のものばかり。どうやら先住文明がいたらしい、という情報しか得られなかったのだから。

 そんな中で見つかった異文明の痕跡と、そこで暮らしたという存在との第五種接近遭遇。

 興奮するなと言う方が無理だろう。


「ついでに色々調べさせてもらうけど、いいわね?」

『このぐらいなら構わないよ。ダナエさんも興味津々だからね』


 ったく、と腰に手を当て、観念したようにカーラは言う。


「ダナエ、ヒビキ連れて行っていいわよ」

「感謝する母上! いくぞヒビキ!」

「わ、ちょっと引っ張らないでよ!」


 胸に魔素のペンダントをきらりと輝かせながら、ヒビキたちは遺跡の奥へと駆けだしていった。


 崩れかけた壁に背を預け、ダナエはゆったりと問いかけた。


「で、イスファよ、わらわはなにをすれば良い?」


 遺跡を調査するフリをしながら、ヒビキとダナエは大人達から見えない場所へやってきた。出発が決まったその日、ダナエはヒビキの元へ、遺跡に着いたら頼みたいことがある、と約束をしていた。

 別段目的の無かったヒビキは詳しくは訊かずに了承し、その後の打ち合わせ通り、ひと目を避けられるこの場所までやってきたのだ。

 今日はアンドレイアは連れてきていない。ヒビキたちが出てきた搬入口で他のガウディウムたちと並んで待機している。またあのガウディウムが現れても、いまはグレイブ号のセンサーをフル活用して周辺への警戒に当たっているし、ここなら見晴らしが良いから他の大人達も目視で必ず見つけられるからだ。


『うん。ここで暮らす魔族と会って話をしたいんだ。危険が迫ってるって』

「……なにか隠しておるな」


 それはヒビキにも分かった。


「なにか、それ以外のことをさせようとしておるのではないのかえ?」

『考えすぎだよ。ぼくたち魔族は嘘がつけない。思考を肉体の内側に留めておくことができないからね』


 返答の間も、声音も表情も嘘をついているようには感じなかった。


「まあよい。ではその魔族のところへ案内するがよい」


 そう言って、ぐるりと周囲を見回す。


「……のうヒビキ。今回の調査にわらわたちの子供はおらぬ筈よな」

「うん。名簿全部見たわけじゃないけど、いない……よ」


 言いながらヒビキもダナエの視線の先を追う。

 自分たちと同い年ぐらいの少年が、遺跡の外れをとぼとぼと歩いている。


「ねえ、きみ!」

 気がついた時には走り出していた。

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