第6話 少年と決闘
「おはよう。作業の進捗状況を教えて」
そして二日が経過した。
この日は元々予定していた、グレイブ・スペランツァ号の移動日であり、乗員はそれに向けて粛々と作業を続けていた。
船の中枢である船橋は、広すぎず狭すぎずの快適なつくり。五人ずつ二列、扇形に並ぶ配列は、その要に座るカーラから全員が見渡せる。
彼らが座るシートの固さも操作パネルの触感もそれぞれの好みに細かく調整され、他人ではおいそれとは使いこなせないほど。
総勢十名がそれぞれの役割を懸命にこなす姿は、カーラに安心感を与える。
カーラは全体を見渡せる船長用のシートに座り、ヒビキとダナエはその後ろの補助席に座る。
「エンジン出力安定」
「動力伝達系、電装系、他各所問題なし」
「総員点呼完了。持ち場につきました」
「居住区からも異常は報告されていません」
作業を行う船橋(ブリッヂ)では、最終確認の報告が続々と上がり、それがひと段落してからカーラはひとつ深呼吸。そして館内通信用のレシーバーを少し震えた手で取る。
この数日間の忙しさからカーラの肌はやつれ、髪はぼさぼさ。船長席の後ろにある予備の椅子からヒビキが心配そうに見ているが、とても口出しできるような雰囲気では無かった。
「えー、カーラです。今日は皆さんにお願いがあります」
いつもなら、簡単な挨拶だけで済ませるのに、と、乗員の誰もが思った。
「あたしの息子のヒビキの病気を治す方法が見つかりました。でもそのためには皆さんを危険に巻き込む可能性がものすごく高いです。
でもあたしは、ヒビキを助けたいです。
もし、あたしのワガママで危険に巻き込まれるのがイヤだと言うなら、いまここで船から下りて下さい。可能な限りの援助を付けます。
でもあたしひとりが降りろ、と言われても従いません。恐らく、この船と船が持っている戦力が必要になるからです」
ざわつきは船橋だけでなく、船全体へと広がっていく。
それでも構わずカーラは真剣に続ける。
「あとで詳しく説明しますけど、魔族とか魔素とか訳わかんないものに巻き込まれています。第三種接近遭遇です。
正直な話、こういうの結構ワクワクしてて、いまにも叫びたい気持ちで一杯です。
あたしがヒビキだったら夜中にこっそり抜け出してダナエと冒険に出てると思います。
でも、あたしはあたしです。
あたしは弱いから、皆さんしか頼れるひとはいないんです。
なのでいつも以上に無茶なことを言い出すでしょうけど、どうか、どうか、付き合ってください。ヒビキが、ヒビキは、大人になれるかも知れないんです」
一旦切って、何度か深呼吸して。
「お願いします。あたしのわがままに、付き合ってください。親として、せめてヒビキは大人にしてやりたいんです」
言い終えて深く深く頭を下げる。
瞬間、爆発的な歓声が船全体から巻き起こった。
全てが「任せとけ」とか「いまさらなにを」とか「殊勝なのは怖いですよ」などの肯定する声。
「なによ、もう……。ありがとう。みんな」
黒真珠のような瞳を潤ませながら、カーラはもう一度マイクを強く握る。
「じゃあ行くよ野郎ども! エンジン出力上昇! 進路、南南西の遺跡!」
アイマム! と船橋が唱和する。
瞬間、左手前側に座る索敵長が振り返りながら叫ぶ。
「船長! 本船に急速接近するガウディウムを確認! 数、一!」
あのひとだ、とヒビキが立ち上がる。
「座ってなさい。まだ攻撃してくると決まったわけじゃないし、あんたを矢面に出すわけにはいかないんだから」
「でも、あのひとはきっとダナエを」
「だったら余計に危険なことさせられるはずないでしょ」
「……」
「いいわね。これは船長としての命令よ」
重い空気が船橋を占める中、カーラの右手前に座る通信長が振り返って言う。
「船長、いいですか」
女性で、このメンバーの中ではヒビキたちの次に若く、はきはきとした話し方が誰からも好まれている。
「あ、うん。ごめん。なに?」
「通信が入っています。『先日当方と交戦した作業用ガウディウムとその搭乗者に用がある。叶うならば一騎打ちを申し込みたい』……以上です」
ほら、とヒビキがカーラの袖を引っ張る。
ダメよ、と返し、船長の顔になって通信長に言う。
「用件だけならここで聞く、と伝えて」
はい、と返事をして通信長が言われたままの内容を送信する。
ややあって、
「返信来ました。読み上げます。
『要請を受け入れてくれて感謝する。
こちらの要望はふたつ。ダナエ姫殿下の身柄の引き渡しと、先日当方と交戦した作業用ガウディウムとの一騎打ちを申し込みたい』以上です」
その内容に、は、と一笑に付し、
「知ったこっちゃないわよ。軍用ガウディウムに土木用の、しかも子供が乗ってるのを誰がぶつけるって言うのよ」
苛立ちも顕わに漏らすと、同意する者半分、苦笑するもの半分の反応が返ってきた。
「そのまま伝えますか?」
苦笑しながら通信長が言う。
「ばか。取りあえず、操縦者は現在療養中、姫殿下も正式に我が船の客員として搭乗している。期待に添えることは出来ない、って返して」
はい、と返事を待つよりも早くカーラは右奥に座る機関長に言う。
「機関長、エンジンの出力は?」
「いまやっと三〇を超えました。あと七分もらえれば浮かせることぐらいはできます」
綿毛付きのゴーグルを首から下げた、禿頭がきらりと光る機関長が低音で返す。
「じゃあそのまま作業続けて、いつでも出せるようにしておいて」
すぐさま索敵長へ向けて、
「近くにあのガウディウム以外の機体はある?」
「いえ、少なくとも半径五〇キロ圏内にはありません」
「分かった。監視と警戒を続けて」
了解、の声を耳の片隅に引っかけながらカーラは振り返る。
「ヒビキ、そこから動いたら怒るからね」
「わ、分かってるよ」
「案ずるな船長。わらわがしっかりと見張っておる」
「だから余計に心配なのよ。……で、先方はなにか言ってきた?」
「いえ、どうにかして操縦者と対話できないかと繰り返すばかりです」
「ああもう。じゃあ、先方に通信繋いで。直接話すわ」
はい、と通信長が答えるとほぼ同時に、正面のモニターが切り替わる。
『私は、リングラウズ王国陸軍特務隊所属ヴィルトガント。通信、感謝する』
映し出された映像は、ガウディウムの狭っ苦しい操縦席。だがその主の姿にカーラは少し驚いた。
緩くウェーブのかかった金髪、鮮やかな碧眼、艶やかな肌の細面。絵に描いたような美青年。
ちらりと見た通信長の頬に少し赤みがさしていたが、カーラはそっと胸にしまっておくことにした。
「そちもしつこいの、ヴィルトガント」
いつの間にかカーラの隣に立っていたダナエが、獲物を見る猫のようにヴィルトガントを見据える。
『任務ですので。姫殿下こそ姉が心配しています』
「うそを申せ。あの女がわらわを案ずるものか」
ふん、と一度そっぽ向くダナエ。船橋が小さな笑いに包まれてから、もう一度ゆっくりとヴィルトガントを見据えて続ける。
「そちはさきほど任務、と申したな。ならばその任務、ここで申してみよ」
ぴく、とヴィルトガントの端正な眉が動く。
『恐れながら姫殿下。わたくしの任務は極秘のもの。グレイブ号の方々の前で口にするわけにはいきません』
「ふむ。もっともな意見じゃが、カーラ船長をはじめとしてグレイブ号のクルーは十分信用に足る方々。漏洩の心配など不要じゃ」
『いえ。この任務の詳細はいかに姫殿下であっても、』
瞬間、ダナエが大声で笑い出した。
どうしたの、とヒビキが声をかける寸前、雷が落ちた。
「わらわを誰と心得る!
リングラウズの次代国家元首、ダナエ・ロニ・セネカであるぞ! そのわらわが命じても尚つまびらかに出来ぬ極秘の任務があると申すのか!」
こんな小さなからだのどこから、と思える大音声に、ヴィルトガントは悔しさを滲ませつつ返す。
『……おそれながら、その通りにございます』
真摯に謝罪するヴィルトガントに、ダナエはたっぷりと一秒間冷眼を送り、ぱん、と手を叩いた。
「まあよい。大方の想像はつく。それにそちの口と頭の堅さは美徳でもあるからの」
『お聞き届けいただき、恐悦至極に存じます』
大人と対等以上に渡り合うダナエをヒビキは、やっぱり違う世界のひとなんだな、とある種の諦めのような感情で見つめ、その視線を感じ取ったダナエは振り返って猫のように笑う。
「案ずるでない。いまのわらわはお仕事中。このように振る舞わねば大人たちにいいようにされてしまうのでな」
うん。と頷いて返したヒビキだったが、ダナエを遠くに感じることは変わらなかった。
そんなヒビキに一瞬、瞳に憂いを乗せ、すぐに伏せてダナエはヴィルトガントに向き直る。
「さりとてヴィルトガント。そちは以前交戦した掘削用ガウディウムと再戦したいと申しておったが、それも任務の一環かえ?」
『はい。わたくしが受けている任務とは少し外れますが、わたくしの願いでもあります』
「しかしの。そちは軍用、こちらは掘削用。いかに操縦者が勇敢であろうと、ハンデがすぎるのではないかえ?」
『……』
それまで冷静に答えていたヴィルトガントの表情が曇り、押し黙ってしまった。
これも言えぬか、とつぶやき、クルーの誰もが焦れ始めたそのとき、カーラの元に一通の秘匿メールが届く。内容は、「先方が秘匿回線での通話を申し出ている」というもの。
きっと理由があるのだと察したカーラはヴィルトガントに頷いて返し、通信長もそれに応じた。
『ここまで良くして貰って本当に申し訳無い』
「いいから、早く用件を言って下さい」
ああ、と頷いてヴィルトガントは語り始めた。
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