第5話 少年と星の息吹
「……で? 居候がまたひとり増えたってことでいいのね?」
困り果てた顔で腕組みをしつつ、説明を聞き終えたカーラは重く深いため息をついた。
「また、とはどういう意味じゃ?」
「言葉通りよ。あんたはもうこの船の乗員みたいなものじゃない」
ふたりはいまカーラの私室にいる。
カーラが淹れたコーヒーを飲みつつ、ダナエはイスファとの出会いをかいつまんで話した。
私室と言っても半ば彼女専用の仮眠室のようなもので、家具はベッドと小さな本棚と映画観賞用の大型モニターだけ。奥にはトイレとシャワーと給湯室があるので、ヒビキや他の乗員たちが呼びに来るまで何日も引きこもることもしばしばある。
「居候ではないぞ母上。イスファはヒビキの体内に同居しておるのじゃ」
それが問題なのよ、とつぶやいてカーラはもう一度ヒビキの診断結果の書かれた紙を見る。
「ヒビキ、聞こえる?」
『うん。どうしたの母さん』
ふたりが座るガラステーブルの中空にホロ・モニターが浮かび上がり、病室のベッドで上体を起こして文庫本を手にしたヒビキの姿が投影される。
「からだの調子はどう?」
『さっき看てもらったばっかりじゃない。大丈夫だよ。アーサーも問題ないって言ってるんでしょ? 心配しすぎだよ』
「あんたはどれだけ心配しても足りないし、あんたはもっと自分のからだになにが起こったのか自覚しなさい」
『えっと、イスファさんのこと?』
「そうよ。そのイスファってひとといま話せる?」
『えっと、うん。イスファさん、母さんが話したいって』
す、とヒビキが目を閉じ、もう一度開いたその顔は、ヒビキのものとはまるで違う、大人のそれだった。
「ヒビキ?!」
『え、なに。どうしたの母さん』
椅子を蹴って立ち上がるカーラに驚いたのは、紛れもなくヒビキだった。
「だって、あんた、顔つきとかまるで変わったから。それで……」
『大丈夫だってば。イスファさんがしゃべるとき、ぼくは半分眠ってるような状態だから。そんなに驚かないで。ぼくが心配になるから』
「あ……、うん。ごめん、そんなつもりはないから」
『わかった。じゃイスファさんに代わるね』
電話を代わるように言われ、それが余計にカーラの胸を締め付ける。
ヒビキの顔つきが変わる。
『はじめまして。渡瀬(わたらせ)カーラさん。ぼくはイースファニウム。ヒビキくんのからだを間借りさせてもらっている魔族だ』
「渡瀬カーラ。グレイブ・スペランツァ号の船長。イスファさんが取り憑いている渡瀬ヒビキの母親よ。よろしく」
やや威圧的に自己紹介を終えるとカーラはずい、とモニターに詰め寄る。
「あなた本人に直接確認したいから、ダナエに言ったことと重複するかも知れないけど我慢して」
『ぼくに答えられることならなんでも答えるよ』
たったこれだけの会話だが、カーラの胸中にはある思いが渦巻いていた。
口調がどうにも信用できない。
百歩譲って魔族という存在を認めるとして、性分としてこういうしゃべり方をする相手とうまく付き合えた試しがないのだ。
「念のために聞くけど、そういうしゃべり方しかできないのね?」
『かんに障ったようなら謝る。でも、いまから急に改めることはできないよ。なにせ千年近く他人と喋っていないからね』
ん、と頷いて。最優先で訊くべきことを口にする。
「ヒビキの病気を治せるってのは本当?」
『もう少し研究が必要だけど、治せる見込みはあるよ』
「あたしは確証が欲しいの。見込みなんて曖昧な言葉でごまかさないで」
しばし沈黙したあと、イスファはこう答えた。
『包み隠さず言えば、ぼくは以前に一度、この病の治療を失敗している。それは研究が足りなかったこともあるけど、きみたちのことをよく知らなかったことも起因している。
だから今回はヒビキくんのからだに直接入って病を研究したい。そして根治したい。……いまはこれしか言えない』
今度はカーラが沈黙する番だった。
その後ろでダナエが何か言いたそうにイスファを見つめる。
その視線に気づいたイスファが一度深く瞳を閉じた。
そのやりとりも気づかないほどカーラは深く考え、そして結論を出した。
「お願い。ヒビキを治して。あたしの命が対価なら払うから」
カーラの決意にイスファは目を見開き、すぐに微笑みながら返した。
『そんな物騒なことはしないよ。ぼくが欲しい対価は、ぼくたち魔族の居場所を守ってくれることだから』
そしてイスファは、現在魔族が置かれている状況を説明した。
『ぼくたち魔族はかつてこの星で肉体を持って暮らしていた。けれど肉体を捨てて死の呪縛から逃れた。でも生活していた土地への執着みたいなものはまだ残っていて、千年経ったいまでも同じ土地で生活している者が多い』
地縛霊じゃの、と思ったが口にはしなかった。
『けどいま、その土地が攻撃を受けているんだ。それを防ぐか止めさせることが、ぼくの望む対価だよ』
言いたいことは山ほどある。
そもそもカーラは幽霊の存在だって信じていないのだ。
人類の版図が銀河系に広がってなお、霊魂や幽霊、果ては怪異に至るまで、その存在が科学的には証明されていない。提示されるのはあくまで仮説。あるいは偶然記録された数値や映像であり、再現性という点においてあまりにも不確実な存在なのはこの時代でも変わっていない。
が、大前提として自分はこの船の船長であり、ヒビキの母親でダナエの保護者代行だ。
ピクピクと痙攣するこめかみを指で押さえつつ、カーラは努めて冷静に言う。
「あんた、あたしに取り憑くことはできないの?」
『無理だよ』
即答された。
「え、なんで」
『きみたちはぼくたちのことを歪だと思っているようだけど、ぼくから見たら、きみたちの方がよっぽど歪な命だよ』
「どういうこと?」
『きみたち大人からは、星の息吹が一切感じられない。そんなからだに入ったらどうなってしまうか、ぼくには分からない。だから無理なんだ』
「星の、星の息吹ってなによ」
『言葉通りのものさ。学者としては不本意だけど、うまく言葉で言い表すことはできない。感じることしかできない事象だからね』
事象、と小さく呟いて、小さく頷いて。
「いま、確認しなきゃいけないことを優先するわ」
「さすが船長。切り替えが迅速じゃ」
「あんたは黙ってなさい」
くふふ、といたずらっぽく笑ってダナエはすぐに口を閉じる。
「じゃあ改めて訊くわ。魔族ってなに? あたしたちが十年前にこの星に降りる前に調査したときは、そんな存在どこにも無かったわよ」
『隠れていたからね。きみたちがどんな存在なのかも分からなかったし』
「じゃあ、なんでいまになって出てきたの?」
『さっきも言ったけど、ぼくたちは攻撃を受けている。身の危険を感じて思わず、ね』
ん? とカーラは首を捻る。
「いままで隠れてたなら、なんで連中はあんたたちのことを知ったの?」
『ぼくたちは肉体がない。だからここよりも高次元に住んでいたんだけど、連中はそこにも干渉できる技術を持っている。それを、』
「待って、なにその技術」
「どうしたのじゃ? 次元干渉の技術は先日試作機が完成したと銀河ネットワークで報じられたばかりじゃろう。仕事にかまけて情報収集を怠るとは、母上らしからぬ失態じゃの」
「あんた理解できるの?」
「ざっくりと、じゃがの」
自慢げな顔がむかつく。
こちらのそんな顔を読み取ったのか、むふん、と鼻を鳴らして人差し指を立ててダナエは語り始めた。
「わらわたちがいま存在するこの次元を、仮に三次元としてじゃの」
「誰も説明してほしいなんて言ってないから」
む、と唇を尖らせてすぐに引っ込んだ。
代わってイスファが、続けるよ、と断りを入れ、
『その次元干渉装置はぼくたちに触れることも、命を絶つこともできる。だからきみたちに助けを求めたんだ』
頭が痛くなってきた。
がしがしと乱暴に頭をかいて、あれこれぶつぶつ呟いて、なぜかその場でぐるぐる回って。
「やっぱりだめよ。危険すぎる。軍用ガウディウム持ち出してくるような連中相手にケンカ売って、誰かが傷ついたり死んだりしたら、どう責任を取ればいいのよ」
よほど悩んだのか、ヒビキがそうなることを想像してしまったのか、カーラの表情は青ざめてさえいた。
「……でも、そうしなきゃヒビキを治してくれないのよね」
『悪いけど、ぼくたちだって必死だ』
瞬間、天啓のような考えがカーラの脳にひらめく。
「そうよ、軍用ガウディウムよ」
ぐい、とダナエの肩をつかんで引き寄せる。ふたりが触ったせいでホロ・モニターの画像が乱れる。
「あんたたちを襲ったガウディウムってダナエの国のひとなんでしょ? だったら」
「それを止めるためにわらわも動いておるのじゃ。すまぬが、いますぐどうにか出来る相手ではないのじゃ。わらわとて不本意。許されよ」
なにそれ、と落胆するカーラ。
「我が父王は無能ではないが優しすぎるきらいがあっての。そこをつけ込まれ、ヴィルトガントたちの一派を台頭させてしもうた。すまぬ」
「……謝らないでよ。そんなことで」
はあああああっ、と深く長いため息をついたカーラは、ひどく疲れた顔をしていた。
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