第4話 少年と病
「アーサー、結果を教えて」
グレイブ・スペランツァ号に戻るや否や、ヒビキは船の医務室へ運び込まれた。
検査服に着替える間も惜しみながら円筒型の医療機械に寝かされ、そのまま十分ほど。
計器類が並ぶコントロールルームでヒビキの母カーラは、船の統合AI「アーサー」に回答を求めた。
『報告します。
「本当ね?」
油汚れのいくつも付いたオレンジ色のツナギ、毎日どれだけ疲れていても手入れを怠らない黒髪と小麦色の肌は彼女の密かな自慢だ。
『はい。すべての数値は彼の平均値内を示しています』
アーサーの柔らかな男声は、報告内容以上にカーラの心を安堵させた。カーラはへなへなと崩れ落ち、深く長い息を吐いた。
「なんで……、心配ばっかりかけるのよ……」
「すまぬ。わらわの責任じゃ」
同席していたダナエがカーラの前に歩み出て両膝を床に、
「やめなさい。子供がそういうことするのは」
厳しく鋭く制され、ダナエは困惑する。
「しかし、わらわが助けを求め、ヒビキを巻き込んだのは事実」
「困ってるひとを助けるのは当然のことよ。あたしもヒビキにはそう教えてる。もちろん、自分に出来る範囲で、とは付け加えてるけど」
「ヒビキは、優しすぎるのじゃな」
そうよ、と返してカーラはダナエに手を差し伸べ、ゆっくりと立ち上がる。
アクリル板越しに見えるヒビキは、医療ロボットに支えられながら機器から降り、母たちへ向けてだらしなく笑っていた。
「今日はそのまま入院だから。ふらつくようなら車椅子用意するけど大丈夫?」
『うん。多分大丈夫』
えへへ、と笑ってヒビキは医療ロボットに案内されながら医務室をあとにした。
ふう、と今度は軽く息を吐いてカーラはダナエに向き直る。
カーラが懸命に隠してきたためヒビキは知らないことだが、ダナエは過去何度もグレイブ号に潜り込み、種々のトラブルを引き起こしてきた。
そのたびにカーラはダナエのお尻をひっぱたいたり、げんこつをあげてきた。が、ダナエの素性については今日はじめて確認する。
「グレイブ・スペランツァ号船長、渡瀬カーラです。……リングラウズ王家、ダナエ・ロニ・セネカ姫殿下、でいらっしゃいますね」
このままずっと、ただの半野良の猫として接していたかったのに。
こいつをそういう風に認めてしまったら、こいつはもう二度とこの船には来ないかも知れないのに。
けれど、息子が大変な事件に巻き込まれてしまった、
だから、素性を確かめてきちんと事情を話させて、自分も巻き込まれなければいけない。
返答は、ほんの一瞬遅れた。
「うむ。また世話になる。が、改まった姿勢で接する必要はないぞ。今まで通りにしてくれると嬉しい」
じわりと浮かんだ曇り顔に、カーラは内心安堵した。
腕を組み直し、
「だったらいつも通りよ。何か悪さしたらちゃんと叱るからね」
「うむ。我が城では叱ってくれる者がおらぬ故、頼む」
なによそれ、と苦笑しつつ、カーラは言う。
「じゃあこれからあたしの部屋で事情を説明してちょうだい。あんたが引き起こすトラブルには慣れっこだけど、今回のは、お尻ひっぱたくだけじゃ済まさないかも知れないからね」
ぐ、と視線に込める圧力を強めるカーラ。
わかっておる、と大の大人でも涙目になりそうな視線を正面から受けつつ、ダナエはカーラの部屋へ向かった。
まず話したのは、ヒビキのからだに何が起こったのか、だった。
この星の時間でおよそ千年前。
元々この星に暮らしていた彼らは、炭素生命体の限界を導き出した。
ヒビキたちよりも遙かに高度な文明を持っていた彼らは、その解決策を子孫に託さず、自分たちで解決しようとした。
それが、肉体の呪縛から逃れること。
漆黒に包まれた世界の中、ダナエは受けた説明をゆっくりと咀嚼していた。
「……にわかには信じられぬが、こうしてそちが存在しているということは、事実として受け入れるしかあるまい」
首を傾げるばかりのヒビキとは違い、ダナエは魔族を名乗る存在からの説明をひとまず飲み込んだようだ。
「じゃが、ひとつ忘れてはおらぬか?」
『なんだい?』
「わらわは最初に申したはずじゃ。名を名乗れ、と。そちはまだしておらぬ。ちなみにわらわはダナエ。そしてわらわの愛し君、ヒビキじゃ」
ん? とさらに首をかしげるヒビキをよそに、『彼』は名乗った。
『そうだったね。すまない。ぼくはイースファニウム。長かったらイスファでいいよ』
「ならばイスファよ。いくら肉体を持たぬとはいえ、姿を見せることぐらいは出来るであろう。見せてくりゃれ」
困ったな、と聞こえた気がした。次いで、ヒビキはまた頬に風を感じた。
『……きみも、星の息吹に冒されているんだね。なら、ぼくに治させてくれないか?』
「え? お医者さん、なんですか?」
『そう思ってくれてかまわない。だから、治させてほしい。……対価はもらうけれど』
「でも、ぼくの病気は治療方法が無いって言われてます。だから」
涙が流れていないのが不思議なほどに、ヒビキの表情は悲痛な色をしていた。
優しく静かにヒビキの頬に手を寄せ、
「ヒビキ、そのような悲しい目をするでない」
そしてそっとヒビキの手を握り、諭すようにダナエは言った。
「わずかでも助かる望みがあるなら、すがるべきじゃとわらわは思うぞえ」
握られている手を、そしてダナエの山吹色の瞳をじっと見つめ、
「……うん。ごめん、ダナエ」
「あ、謝ることではなかろう。……わかってくれたのならば、それでよい」
うん、と返し、たぶんそこにいるだろうと正面へ向き直る。
「えっと、イスファさん。治療をお願いします」
うむ、と微笑み、ダナエは確認する。
「で、治すとはどのようにするのじゃ? そちはいまだ姿すら見せておらぬではないか」
『それは、いまからぼくがヒビキの体内に入らないといけないんだ』
なんと、とダナエは驚き、ヒビキを見る。
しかし当のヒビキは渋面を作り、こう返した。
「えっと、それって痛かったりしますか?」
『いや、そんなことはないよ。きみの心の器をほんの少し間借りさせてもらいながら診察するんだ』
「心の器とは、肉体のことかえ?」
『そう捉えてもらって問題ないよ』
「では、そちを受け入れたとして、ヒビキの人格や記憶や外見に変化は無かろうな?」
『ああ、問題無いよ。ぼくが喋る時に声帯を使わせてもらう程度だから。それに、ぼくたち魔族には食料も必要ないから、体型を気にすることもない』
「ヒビキ、分かったかえ?」
うん、とうなずき、
「じゃあ、お願いします」
ダナエからすれば、いとも簡単に受け入れてしまったヒビキへの不安が勝ち、ささやくように言う。
「確認すべきは痛みだけでよいのかえ?」
「うん。痛いのとかは苦しいのは病気で慣れっこだけど、これ以上増えるのはイヤだなって思ったから」
彼の罹っている病について、ダナエが知っていることは、すさまじい苦痛が全身を襲うという一点だけ。
それを、こんな風に言えてしまえるヒビキが、とても切なく思えて、ダナエはひと筋だけ涙を流した。
「ごめんダナエ。でもぼくは、これでいいんだ」
「……そのような諦観を、するものではない」
うん、とだけ応えてヒビキは正面に向き直る。
「イスファさん、はやくお願いします。そろそろ帰らないと母が心配しすぎて倒れるかも知れないですから」
ヒビキの軽口にダナエは薄く笑う。
「確かにそうじゃの。イスファとやら、ヒビキの母君は豪胆じゃが子のことになると途端に脆弱になる。心労で倒れでもしたらそちに看病させるからの」
むふん、と口角を上げて挑発する。
彼にも軽口が伝わったのか、ああ、と小さく笑いながら応えた。
『じゃあ、いくよ』
そう風が囁き、ヒビキはなにかの気配が自分の中に移動するのを感じた。
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