第3話 少年と魔族
漆黒が広がっていた。
しかし完全な闇ではなく、自分の手もダナエの姿も、自分が乗る重機の姿もはっきりと視認できる。
操縦席にうっすらと漂う鉄と機械油のにおいもいつも通り。操縦桿やフットペダルを操作してみたが、レスポンスも普段と変わらない。
「レーダーもセンサーも異常はないみたい」
漆黒に包まれながらもヒビキは冷静に現状把握に努めた。
しかし、レーダーやセンサーが示す情報や座標は、五番坑道のままだった。
「風景だけが黒く塗りつぶされてしまったようじゃの」
「うん。そんな感じだね」
「グレイブ号と連絡は出来ぬのかえ?」
「……うん。外からの電波は感知してない。たぶんこっちからの電波も届いてないと思う」
「そうかえ。……難儀じゃのう」
むふん、と鼻をならしつつダナエも周囲を見回す。
「招待する、と言っておいて姿を見せぬとは、無礼にもほどがあるの」
確かにダナエの胸元が輝いた瞬間、そんな声が聞こえた。ダナエにも聞き覚えがないようなので、声の主については首をひねるしか無かった。
そこへ、
『姫殿下、ご無事ですか?』
まだ上でしがみついているガウディウムから通信が入った。
どうやら近距離なら電波は届くようだ。
「うむ。そちも無事なようでなによりじゃ」
『痛み入ります。少年、怖い思いをさせてすまなかった』
「まずダナエに謝ってください」
驚いたようにガウディウムの操縦者は息を呑み、
『ダナエ姫殿下、恐ろしい思いをさせてしまい、申し訳ありません』
「よいよ。そちとて任務で動いておるのじゃし、あの行為に殺意は感じなかったからの」
そういう問題じゃ、と食ってかかろうとしたヒビキをダナエは手で制し、ゆっくりと首を振る。それを見てヒビキは怒りをどうにか飲み込んだ。
「……それより、そこから降りてください。いまは逃げられないですから」
『……そうだな。すまない』
ずしゅん、とガウディウムが地面とおぼしき場所へ脚を下ろす。そう表現するしかないほど、二機の周囲は闇で包まれている。なのに互いの姿だけはモニターにも表示されているので外に出れば肉眼でも見えるはず。それが不思議で仕方なかった。
「ヴィルトガント。そちの方でもなにも分からぬのかえ?」
『はい。座標や重力、大気組成に至るまで、闇に包まれる直前となにも変わりません』
そうかえ、と息を吐き、ダナエは自身の胸ポケットに手を添える。
「これが光ってから、じゃったの」
「うん。あの光、暖かくて気持ちよかった」
そうじゃの、と返し、やや苛立った声音でダナエは言う。
「いい加減出てこぬか。女を待たせるなど無礼千万じゃぞ」
その言葉に負けたわけでは無いだろうが、反応はすぐにあった。
『待たせてすまない。きみたちがどんな存在なのか、確認する必要があったからね』
中性的で、どこかのんびりとした声音。敵意は感じないが、底の知れ無さをヒビキは感じた。
ダナエは臆すること無く強く言う。
「まず姿を見せ、名を名乗るがよい。そして、わらわたちをここへ呼んだ用向きを申せ。それが勝手に招いた者の礼儀じゃ」
お腹のあたりで腕を組み、しかし視線は鋭く正面を睨み付ける。
『いいけどその前に、ぼくの勘違いで呼んでしまったあの人たちを送り返さないといけないから、少し待ってくれるかい?』
あの人たち、と言われてヒビキは、ガウディウムに乗っているのが複数だと察した。
「あ、あの、傷つけるようなことはしないで下さい。それほど悪い人のように思えなかったので」
自分でもなにを言っているのか分かっていないが、口に出してもさほど嫌悪感も違和感も感じなかったのできっと正しいことなのだとヒビキは自己肯定した。
『大丈夫。ぼくたちはそんな無粋なことはしないよ』
ふっ、と緩やかな風が頬に触れた、と思った次の瞬間、
『な、なんだ! なにを!』
ガウディウムから混乱した悲鳴が響く。
『きみたちは扱っているだけで使えているわけじゃなかったんだね。ごめん。勘違いだったよ。送り返すだけだから、怖がらなくていい』
『う、うおおおっ?!』
困惑した悲鳴の後、ガウディウムを今度は純白の膜のようなものが包み、絞り上げるように捻れ、糸のように細く伸び、やがて消えた。
『さて、本題だ』
事も無げに言われたその言葉が、とても恐ろしく思えた。思わずヴィルトガントのことを案じてしまうが、いまは彼の言葉を信じるしかない。
「では言うがよい。この空間はどうにも息が詰まる」
え、とヒビキが心配そうにダナエを見やる。
そっとダナエはヒビキの耳元に口を寄せ、囁く。
「方便じゃ。早う帰りたいからの」
「そっか。安心した」
囁き返し、ヒビキは意味は無いと感じつつ正面を見る。
『ぼくは、きみたちの言葉で一番近いのは、魔族』
え、とふたりは顔を見合わせる。
『きみたちに、頼みたいことがあるんだ』
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