言い訳

「あーおーいー」


「あ、うん、いまいくー」


 放課後、騒がしい教室で、隣のクラスのお友達に廊下から呼ばれて返事をしながら、ちらりと後ろを振り返った。


「…………」


 誰もがわいわい誰かとお喋りに興じる中で、教室の一番うしろに座る彼女だけは誰と話すでもなく黙々と教科書をランドセルに詰めていた。

 ぼっち、根暗、つまんない。クラスメイトたちが陰で彼女をそんな風に呼ぶのは、なにも今に始まったことじゃない。直接言葉を交わしたことがなければ、私もそんな風に思っていたかも、なんて時々考える。そこまで突き放した言葉にならなくても、一人でいるのが好きなのかな? とか、それくらいは思ったんじゃないかな。


 でも、そうじゃないって知ってる。


 一年生の時、はじめての「学校」という空間で同じクラスに振り分けられたわたしたちはただのクラスメイトとして顔を合わせた。家が近いわけでも、特別気が合うわけでもなくて、すごく仲が良かったとか、そんなことはなかった。


 かえでちゃんはその時からお喋りが苦手で、クラスの他の子たちともあまり一緒にはいなかった。今みたいに具体的に壁ができて、クラスメイトとかえでちゃんがお互いに避けているという状態でこそなかったけれど、中身はそう変わらない。口下手な彼女と一緒にいるのがじれったかったクラスメイトたちにとって、かえでちゃんは「嫌いじゃないけど楽しくないから一緒に遊ばない」っていう、きっとそれだけの存在だった。


 そんな調子だったから、私も特に仲良くしようとか思った訳じゃなくて。ただ、席が近くて時々お喋りはしていたから、少しだけみんなと印象が違っていたんだと思う。


「そ、じゃなくて」


「ちがくて、あの、だから」


「うん、わたしは、そうおもう、な」


 かえでちゃんはきっと、すごく丁寧なんだなって思った。お喋りは上手じゃなくて、言葉が出てくるまでたくさん時間がかかっていたけど、のんびり屋なわたしが最後まで聞いてみると、実はとってもわかりやすかったり、びっくりするくらい難しいことを知っていたり。かえでちゃんはそんな色々を、全部丁寧に丁寧に、ちゃんと正しく伝わるようにしようとするから、お喋りが苦手なんだと思う。


 でも一年生の私にはかえでちゃんの話はやっぱり少し退屈で、ちょっと難しくて、だからわたしはみんなとは違う印象を持っていても、彼女と特別仲良しにはならなかった。

 そんな感じに時々お喋りするだけのクラスメイトとして二年生まで過ごして、三、四年生はクラスが違ったから全然お喋りはしなかった。時々廊下ですれ違うことはあったけど、あいさつもあんまりした覚えがない。


 五年生になってまた同じクラスになって、私もちょっとは難しいお話しがわかるようになって。だから今度はお友達になれるかな、ってちょっとわくわくしていた。


 ……でも、現実はそんなに上手くいかない。


 クラスメイトたちもみんな少し大人になって、でもかえでちゃんの扱いは変わっていなかった。むしろぼっちだとか根暗だとか、そんな言葉を覚えた分、みんな冷たくなっていたのかもしれない。

 かえでちゃんも、一年生のときみたいにみんなに一生懸命話しかけるのをやめてしまっていて、誰に何を言われても知らんぷりで黙ったままだった。


 そんな中で私だけがかえでちゃんに話しかける勇気もなくて、でも、授業で先生に当てられたときとか、たどたどしくても真剣に答えるかえでちゃんは、一生懸命私にわかるようにお喋りしてくれたあの頃のままだった。


 このまま、かえでちゃんとお喋り出来ないままは嫌だなって思っていた、そんなある日。

 私は突然怪物に襲われて、そして突然、かえでちゃんに助けられた。


「と、ま、れぇ!」


 わけのわからないおっきな気持ち悪い怪物に襲われて、怖くて怖くてとにかく逃げなきゃってデタラメに走って、ころんで、足が動かなくて、振り返ったら怪物が目の前で、倒れたまま後ずさるしか出来なくて。

 そんな私の前に、彼女は怪物を地面に串刺しにして、躊躇うことなく飛び込んできた。


「大丈夫!?」


 張りのあるその声はいつもの自信なさげに話すかえでちゃんと同じ声とは思えないくらい頼もしい。だけどなんの含みもなく私を心配して、彼女の言葉のようにまっすぐに跳んでくる姿は、なんだかとってもかえでちゃんらしくて。


「こわ、かったぁ……」


 わたしの知ってるかえでちゃんと、初めて見る頼もしいかえでちゃんが目の前で重なって、その安心感に思わず抱きついて泣いてしまった。

 同い年の子に甘えて縋るみたいに泣きついちゃって恥ずかしい、って思ったのもほんの一瞬だけで、かえでちゃんは不器用に、でもすごく優しく「大丈夫」「頑張ったね」って抱きしめて撫でてくれた。


 ……思い出すと、改めて恥ずかしい。


 とにかくそんなことがあって、わたしはますますかえでちゃんから目が離せなくなってしまった。

 だけど嬉しい事ばかりじゃない。

 一つは、あの日からほとんど毎日のように得体の知れない怪物に襲われるようになってしまったこと。朝と放課後に現れることが多くて、わたしがどんなに警戒していても、空から、地面から、時にはどこからともなく突然目の前に現れることもある。


 かえでちゃんは少しだけ説明してくれたけど、かえでちゃん自身もよくわかっていないことが多いみたいで、あいつらが何なのかとか、どうしてわたしが狙われるのか、とかはよくわからなかった。


 もう一つ、不満なのは学校でのかえでちゃんが今までと全く変わらないことだった。初めて助けられた日の翌日、わたしはかえでちゃんと少し仲良くなれた気がして、照れくさい気持ちもありつつ、だけどわくわくして登校した。

 だけど「おはよ!」と声をかけたわたしに返ってきた返事は「う、ん。おはよう」っていうだけで、そのあともかえでちゃんからはちっとも声をかけてくれなかった。仲良くなれたと思っていたのは私だけなのかな、って寂しく思っていた帰り道、また襲われた私を当たり前みたいに現れて助けてくれて、でもその後は「もう、大丈夫、だから」って言って跳んでいってしまった。


 違うのに。わたしは、怪物の正体が知りたかったわけでも、守ってくれるという保証が欲しかったわけでもなくて、もうちょっとだけ、かえでちゃんと仲良くなりたかっただけなのに。


 そんな風に、わたしが襲われて、絶対にかえでちゃんが助けてくれて、でもそれ以上はなにもない日が続いた。学校でのかえでちゃんはあんまりにもいままで通りで、魔法少女のときの彼女のことで話しかけるのも躊躇ってしまう。


 でも、このままじゃいけない。このままじゃ嫌だ。せっかく、仲良くなれそうなきっかけが出来たんだもの。わたしはもっと、かえでちゃんと仲良くなりたい。たくさんお喋りしたい。

 そのためにはきっと、ただ助けられて、守ってもらうだけじゃいけないと思った。いつも守ってくれるかえでちゃんに、わたしがしてあげられることがあったら、それをお返しにしたいって思って、いつもみたいに跳んでいってしまおうとした彼女を引き止めた。


「――これ、助けてくれたお礼ね」


 すき、って言葉に浮かされたみたいになって、足元がふわふわしたような気持ちになって、よかった、わたしだけじゃなかった、って思って、そう思ってからようやくわたしがかえでちゃんを好きなんだって気がついて。


 お礼のフリをしながら、わたしはかえでちゃんのほっぺにチューをした。


 かえでちゃんは真っ赤になってあわあわと慌てていたけど、表情はとろとろに溶けてて、すきって言ってくれたのは嘘じゃないと思った。ううん、あんなにいつも真っ直ぐなかえでちゃんが、嘘なんて言わないのは知ってたけど。

 その日から、わたしは「お礼だから」って言い訳で、好きな人にチューできる権利を手に入れてしまったのだった。

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