チョコレート虐殺事件

 今日、学校の授業で未来の自分に宛てて手紙を書いた。十五年後を想定したもので、手紙は各自が持ち帰って保管してほしいとのことだ。

 季節は冬。もうじきバレンタインデーだ。十五年後にもバレンタインデーは残っているだろうか、とふと気になった。不思議なことに未だにチョコレート会社の陰謀が暴かれるに至っていないが、さすがに十五年も経てば誰かが気づいていることだろう。

 実は、我が家の地下には、未来の指定した日に行ける扉がある。「よほどのことがない限り使うな」と父や祖父には言いつけられているが、どうにも気になって宿題も手につかない。

 というわけで、僕は地下の扉を開き、十五年後の未来に旅立つことにした。



 十五年後の我が家の地下には、特に変わったところがなさそうだった。とりあえず階段を上がってリビングに行くと、妙齢の女性がソファで寛いでいた。

「え、お兄ちゃん!? ……って、若すぎない? 誰……?」

 どうやら僕の妹のようだ。十五年前は幼い子どもだったのだが、年齢では追い抜かれた計算になる。背丈もほとんど変わらないようだ。

「やあ。察しの通り、僕はお前の兄上様だよ。十五年前から来たんだ」

「えぇっ!? あ、ひょっとして、『未来の扉』を使ったの?」

 僕は頷いて肯定した。

 十五年後の妹は、既に我が家の秘密を聞かされていたようだ。説明の手間が省けて助かる。

「わざわざあの扉を使うなんて……。過去に何かあったの?」

「気になることがあってね。今日は二月十四日だろう? まだバレンタインデーのイベントはやってるのかい?」

 そう訊ねると、妹は眉を顰めた。

「バレンタイン……? ああ、好きな人にチョコレートを贈るっていう、アレ?」

「そう、アレ」

 妹は首を横に振った。

「もう二月十四日にチョコを贈る人なんていないわ」

「おお。ということは、チョコレート会社の陰謀は暴かれたんだね」

 僕の心は踊った。遂に人類は無意味な贈答を繰り返す愚かさに気づいたのだ。

 しかし、妹はなぜか吹き出して笑った。

「陰謀って。お兄ちゃん、昔もそんなこと言ってたね」

「なにがおかしいんだい? でも、それももう終わったんだろう」

 僕はやや憮然としてそう言った。

 妹は片手をひらひらと動かしてみせた。

「まあ、それはさておき、二月十四日にチョコを贈るイベントがなくなったのは、五年前に起こったある痛ましい事件がきっかけだったの」

「ほう」

 さすがに、全国的に普及していたイベントが何もなしに自然消滅する、なんてことはなかったらしい。僕はそのきっかけとなった事件に興味を覚えた。

「どんな事件だったんだい?」

 妹は右手の人差し指を立てた。

「その名も『チョコレート虐殺事件』」

「恐ろしい呼び名だね」

「恐ろしい事件なのよ」

 妹は頷き、声のトーンを一段下げて語った。

「――その男はバレンタインデーを憎んでいたわ。きっと、誰からもチョコをもらえなかったのね。いいえ、何か子供の頃にトラウマになるような出来事があったのかもしれない。大人になった彼は計画を立てて、バレンタインデーというイベントそのものに復讐することにした」

 妹の話によれば、その男の逆恨みによって何組もの罪もないカップルが殺されたという。

「犠牲者たちは生きたまま溶けたチョコレートの海に沈められ、そのままチョコレートコーティングされた上で本物の海に捨てられたそうよ。男の決め台詞は、『死ぬほど美味いチョコを食わせてやるよ』。

 その事件のせいで、バレンタインの日にチョコを贈り合うのは禁忌とされるようになったの」

「……それは、ひどい事件だね」

 たった一人でそれだけの犯行を行うのは不可能ではないかとか、そんなに大量のチョコレートをどうやって用意したのかとか、気になる点は多々あったが、それだけバレンタインデーに対する恨みが強かったのだろう。僕にはそれだけで十分納得が行った。

「そう。だからもう、二月十四日にチョコを贈る人なんていないわ」

「よくわかったよ。尊い犠牲の末に、チョコレート会社の陰謀が潰されたということが。彼は復讐を果たしたんだね」

 話を聞いて僕は満足した。そして、処刑された犯人を含め、犠牲になった人々の冥福を心から祈った。

「その代わり、犯人の命日が『チョコレート記念日』とされて、恋人にチョコを贈る日になったわ」

「なんてことだ」

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