後日譚



  ミリアリーノルの町

  ミリアリーノル公爵邸 執務室にて


 ベルティーナは眉間に皺を寄せながら羽根ペンを動かしていた。ドルチュード領が彼女の管轄に加わった事によって、対処すべき問題が山のように増えたのだ。腐敗した役人の粛清、形骸化していた行政の見直し、それまでドル・ア・ワード家の庇護を受けて見逃されていた悪人の一斉検挙、また何かと理由を付けて先延ばしにされていた軍縮への着手など、あの領には改革すべき点が多く存在している。その上、ミリアリーノル領内においても、オルシャンツァ家より離反した分家やアデラールから送り込まれていた間諜への対処に追われていた。

 そんな忙しない彼女の補佐をしていたリアは、置き時計をちらちと見やる。

「ベルナお嬢様、そろそろ御食事のお時間ですが、いかがなさいますか?」

「必要な……」

 ベルティーナは昼食など不要であるという旨を伝えようとして、ふと口を噤んだ。

「いいえ、少し休憩しましょうか。いい加減、インクの染みではお腹を満たせないもの」

「かしこまりました」

 ベルティーナは廊下へ出て、食堂へと向かう。リアもその後に続く。

「そうだわ、リア、貴女も一緒にどうかしら?」

「有難きお言葉。しかし、私は、お嬢様のお傍に置いて頂けるだけで、これ以上にない幸せを感じております。それに加えて、私だけがそのような待遇を拝受したとなっては、他の者に示しがつきません」

「それもそうね、貴女は自分の立場をよく弁えているわ。公私を分け隔てる事は、主従関係において怠ってはならない事の一つ。けれど、貴女は私の従事者であると同時に、私の愛しい娘でもある。貴女を召使として迎えた当初、私が直々に食事作法を教えて上げたものだわ。懐かしいわね、貴女がこの館に来てから、もう数年の時が経った、貴女は覚えているかしら」

「はい、お嬢様。私は一度足りとも、いえ、一時でさえも、お嬢様からお受けした御恩を忘れた事は御座いません」

「そう、嬉しいわ。貴女の事情はこの館の誰もが知っている、私が他の召使よりも貴女を贔屓にしたとしても、誰も文句などは言ってこないはずよ? まあ、いいわ。また今度、私が貴女を食事に誘うから、その時は決して断らないで頂戴、私は三人で食卓を囲ってみたいの」

「『公』としてではなく、『私』としてなら喜んで」

 食堂の前まで来ると、リアが扉を開け、ベルティーナを先に中へと通した。広々とした部屋の壁際には幾人かの使用人が控えており、中央には横長の食卓があって、その席の内の一つはすでに埋まっている状態であった。

「あら、お姉様」

 リュシールはベルティーナの入室を知るなり、その席から立ち上がって彼女に歩み寄る。

「今日もいらっしゃったのですね。最近、お姉様はよく御昼食へお顔を出されるようですけれど、執務の方は捗っておられますか?」

「リュシィ、私の事は気にしなくても良いわ。それより、貴女は、私が食堂に顔を見せるのが嫌なのかしら」

「そんな事はありません。むしろ、嬉しゅうございますが、お姉様が私に気を遣っておられるのではないかと」

 ベルティーナは微笑む。

「だから、私の事は気にしなくても良いの。私が愛しているのは日々積み上がる紙の山なんかじゃなくって、リュシィ、貴女なのよ?」

 ベルティーナとリュシールが席に就いたのを合図に、壁際に控えていた使用人達は食事を用意する。卓上に一通りの料理が運ばれてくると、二人は落ち着きのある所作でそれらを食べ始めた。

「ねえ、リュシィ」

 ベルティーナは料理を口へ運ぶのを一旦止めて、リュシールに話しかける。

「この食事が済んだ後、一緒に庭園を散策しないかしら」

「お姉様からそんなお誘いを受けるなんて、意外ですわ。でも、どうして急に?」

「私は当主の座について以来、ほとんど庭を歩かなくなっていたからよ。昔と比べて、今の庭がどうなっているのかを一切知らないのですもの、きっと私より貴女の方が、どこそこのお花がどう変わったのだとか詳しい事でしょう。そうね、理由と言えば、後は……」

 ベルティーナは照れる仕草を少し見せる。

「リュシィと一緒に庭園を散策したいから、かしらね? ふふ、これでは、理由そのものが目的になってしまうわね、これだといかが?」

 リュシールは、女性らしい姉の姿を久し振りに見た気がして、心が弾んだ。

「ええ、喜んで! ねえ、お姉様、お庭のお花はとても綺麗ですのよ? 実は以前から、お姉様に似合いそうなお花を見つけていましたの、紅と白が混ざり合い美しく咲き誇る、優雅なお花です。そうだわ、リアには一度見せた事があったわね」

 リュシールは、ベルティーナの傍に立つリアへ顔を向けた。

「はい、リュシィ妹様。丁度、この時期の同じ日だったかと記憶しております。あの日、妹様がそのお花をお見つけになって、お嬢様への募る想いをお話し下さいました。ようやく、妹様の願いが一つ、叶うのですね」

 リュシールとリアの様子を見て、ベルティーナは期待を膨らませた。

「そう、それは楽しみだわ。でも、その話の続きは食後のデザートよろしく取っておきましょう? リア、今日は日差しが強いようだから、私達が外へ出る際には日傘を差して頂戴」

「かしこまりました。後程、もう一人の従事者と二つの日傘を用意しておきます」

「いいえ、付き添いは貴女一人にして頂戴」

「しかし、私一人では日傘を二つも差す事が難しゅう御座います」

「大きな日傘があるでしょう? それに私とリュシィが一緒に入ればいいわ、どうせ、別々に行動などしないもの」

「では、仰せのままに」

 リアはベルティーナの椅子の背後に立っているため、この二人がお互いの表情を確認する事は出来ない。しかし、その二人は、相手が今どんな表情をしているのかを理解していた。ベルティーナとリアの表情を見て、リュシールもつられるように明るい笑みを浮かべたのだった。

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すれ違う姉妹愛 坂本裕太 @SakamotoYuta

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