第10章 国税横領罪に対する判決



  イルミッツェ王都 城内別塔の地下牢獄にて


 騎士兵に連行されたリュシールは自分が投獄される牢の前まで連れて来られると、その中に見知った人物の姿を目にした。兵が牢の中へと押し込むまでもなく、リュシールは自らの足で中に入っていく。彼女の背後で牢の鍵が閉められると同時に、リュシールは目の前の人物に近寄った。

「貴女、もしかして、リア?」

 彼女の声を聞いたその人物はゆっくりと顔を上げる。

「そのお声は、リュシィ妹様? ああ、リュシィ妹様では御座いませんか!」

「やっぱり、リアなのね? 貴女はあの後、大軍の波に飲まれてしまったはず、どうしてここに? それにその体、酷い傷だわ」

 リュシールはリアの体を労り、彼女の肩にそっと手を添えた。薄暗い牢の中でよく目を凝らしてみれば、リアの髪は土汚れで乱れ、顔には血と打撲の痕、腕や脚には無数の切り傷がついており、それはまさに激戦より命からがら逃げ延びた騎士のようであった。リアは姿勢を正して跪き、頭を深々と下げる。

「はい、妹様。私は、お嬢様と妹様がお逃げになる時間を少しでも稼ごうと、敵の大軍と独り奮闘致しました。しかし、やはり単騎のみで大軍と渡り合うのは難しゅう御座いまして、数刻ばかりもすれば、私は槍による囲いを受けました。これまでと死を覚悟致しましたところ、私は生け捕りにされ、そのまま王都へ護送されました。この体の傷は、戦いの最中に負ったものと、生け捕りにされた際に受けた拷問によるもので御座います」

「可哀想に。見る限り、取り敢えずの手当はしてあるようだけど、とても負傷者に対する適切な処置を施したようには思えないわ。大方、大した技術もない衛生兵か軍医にでもかかったのでしょう。怪我人が無理をする必要はないわ、楽になさい」

 リュシールの手に促されるまま、リアは仰向けに寝かされた。

「有難う御座います。しかし、すでに死の宣告を受けた私には、それは勿体無いお気遣いで御座います」

「なんですって? 何の事かよく理解出来ないわ、詳しく話して頂戴」

「御意に、申し上げます。この王都へ護送された翌日に、私は裁判にかけられました。国賊を逃しその幇助をした者に、二審を行う余地はないとされ、私は死罪を言い渡されました。七日以内には、この王城門外にて見せしめの斬首刑が執行されるでしょう」

「そんな、なんて酷い事を! お姉様は貴女の事を心から気にかけられていたわ。リアが生きていると知れば、どんなにお喜びになる事か」

 それを聞いたリアは周囲に目をやって、ベルティーナの所在を確かめようとする。

「どうやらお嬢様のお姿が見当たらないようですが、まさか、妹様お一人なのですか?」

「ええ、そうよ。これには理由があるの、けれど、今は説明する事が出来ないわ。この賭けには打算的な表情を少しも混ぜてはいけない。これから私がどんな見苦しい姿を見せたとしても、貴女は何も言わず、私を静かに見守って欲しいの」

 リアは少し考えて、ゆっくりと頷いた。

「かしこまりました」

「ありがとう、リア。大丈夫よ、貴女も死なせはしないわ。お姉様と貴女と私、三人で一緒に、私達の館へ帰りましょう」

 リュシールの堂々とした姿に、リアはベルティーナの面影を見た。彼女はしみじみとこう思う。私が目を離した少しの間に、妹様は随分とご立派になられた、きっとお嬢様とうまく折り合いをつける事が出来たのであろう、と。リアは嬉しく思ったが、その気持ちを口にはしなかった。そっと微笑んで、リュシールの顔を見るだけである。

 リアの表情の変化を受けて、リュシールもまた彼女へ笑みを返す。ベルティーナにしか見分ける事の出来ないリアの笑顔を、リュシールは感じ取ったのだ。


   ◇


「陛下、どうか、ミリアリーノル公爵の罪をご改になられて下さいまし!」

 投獄されたその日の夜以降、リュシールはそういった言葉を何度も発し続けていた。彼女の懇願は牢獄内に響き渡り、それが昼夜ほとんど途切れる事はなかった。看守の兵が彼女の牢の前を横切ろうとすれば、リュシールは鉄格子に駆け寄って「そこの人、どうか、陛下にこうお取次ぎ下さい。陛下にもう一度謁見しとうございます、そうリュシールが申し上げておりますと」と言い放った。しかし、大抵の場合、看守には相手にもされなかった。ようやく振り向いてもらえたと思っても、「静かにしろ!」と怒鳴りつけてくるだけであり、看守はリュシールの言葉に耳を貸そうとしない。

 この地下牢獄にいるのは、リュシールとリアだけではない。分厚い壁を挟んで並ぶいくつもの牢にはかつて罪を犯した人間が何人も囚えられている。大罪人でありながらもどうにか死刑を免れた狂人もいれば、些細な揉め事で捕まったごろつきもいる。彼らの多くはその気性故に気が短く、リュシールの甲高い声を鬱陶しく思っていた。

 ある時、遂に我慢の出来なくなった一人の罪人が自分の牢から遠く離れたリュシールのいる牢に向かって、こう叫ぶ。

「おい、糞女! 何度も何度もうるせぇんだよ! 俺はなあ、お前みたいな女の声が大っ嫌いなんだ、無駄に高い声で耳障りだ、癇に障る! この鉄格子さえなければ、今頃、お前をぶっ殺しているところだ!」

 その罪人に便乗して、他の囚人も彼と同じような罵声を上げる。瞬く間に、牢獄内は汚れ切った言葉で溢れ返り、その中にリュシールの声は埋もれてしまった。下品かつ醜悪極まりない罵声を浴びせ慣れていないために、さすがの彼女も恐怖で身が竦み上がってしまう。

 それを見かねたリアは彼女への謗りを鎮めようとする。罪人達を黙らせるべく今にも声を張り上げようとした時、彼女はリュシールに言われたある言葉を思い出して、ふと思い留まる。ここで私が連中を鎮めてしまうのは容易いが、それをしてしまっては妹様との約束を破る事になってしまう、と。かといって、このまま何もせずにはいられなかった。

「妹様」

 リアは「失礼致します」と一言断って、リュシールの手を取った。それに気付いた彼女はリアの顔を振り返る。お互いに言葉を交わす事はなかったが、自然と相手の気持ちを汲み取る事が出来た。

「ありがとう、リア」

 リュシールはそう呟いた。リアの機転のおかげで、彼女は再び気を取り直した。騒ぎを聞き付けた看守が各牢を回って囚人らを落ち着かせると、リュシールはまた自分の懇願を牢獄内に響かせた。そのたびに彼らはリュシールへ罵声を浴びせたが、しばらくすると、それも意味がない事だと諦めて黙り込んでしまった。

 リュシールは決して一睡もせずに声を出し続ける。国への変わらぬ忠誠を示すために膝立ちした両脚は赤く腫れ、国の施しに甘んじない意志を伝えるために水を断った喉は枯れ、国に対する信義を貫くために眠気を拒んだ目元は隈を湛えていた。かつて経験した事のない極限の最中にあっても、彼女は歯を食いしばって朧気な意識を繋ぎ止める。ただひたすら姉を想う一心故に。

 そして、四日目の朝、二人の騎士兵がリュシールの牢の前へとやって来る。

「陛下のお言葉である。本日リュシールの参上を許す、至急王の間へ来られよ」

 そう告げた騎士兵の一人が彼女を牢の外へ出した時、彼女の意識は今にも途切れてしまう寸前のところであった。リュシールは後ろ手に両腕を縛られると、ようやく陛下へのお目通りが叶ったのだと気を確かに持つ。

 近くの牢にいた罪人達は半ば引きづられるようにして連れて行かれる彼女を見やる。牢の中に残ったリアはリュシールの無事を祈りながら、その後ろ姿を見送ったのだった。



  イルミッツェ王都 城内の王の間にて


 そこでは、玉座に構えるルファネと、その傍にブルジェを含む老大臣二人と国王側近の騎士四人、それから大勢の騎士兵がリュシールを迎えた。己の内に抱える思惑と役目を果たすために集った彼らは、それぞれの望む結末が違えど皆一様の緊張を感じている。裁きを受けるリュシールだけには伝えられていないが、この問答で彼女の処罰が決まる手はずになっていた。

 ルファネを前に跪いたリュシールは彼より先に口を開く。

「陛下。今一度、こうして陛下にお目にかかる事が出来、至極光栄でございます」

「おぬし、何やら牢の中で、気でも違ったような振る舞いを見せていたそうではないか」

 ルファネはリュシールの謝辞を無視した。

「いいえ、陛下。私はこの通り、至って正気でございます」

「では、正気でありながら、そのような振る舞いをした訳はなんだ? 聞いた限りでは、ミリアリーノル公の罪を改めるように、などと申しておったそうではないか。その上、一日中同じような事を繰り返し、喚き続けていたそうであるな?」

「失礼ですが、陛下は、最初の謁見の場にて奏上した私の言葉をお忘れになられたのでしょうか。私はただ、姉上であるミリアリーノル公爵の罪をご改め頂きますようにと、そうお願い申し上げに参ったのです。故に、私の取った行為には、何ら不思議はないはずでございます」

 この言葉を聞いて、ルファネは気付いた。リュシールは本当に姉を想う気持ちだけでここに来たのだ、と。これまでの彼女の言動を振り返ってみて、その覚悟がどの程度のものか確かめてみたくなった。それがすなわちベルティーナの罪を見極める事に繋がるだろう。そう彼は考えたのである。

 ルファネはリュシールにこう問いかける。

「何故、そこまでおぬしの姉上を、ミリアリーノル公を救おうとするのだ?」

 リュシールはルファネにこう答える。

「ただ、お姉様を愛し、尊敬し、信ずるが故に」

「何故、おぬしはそれほどまでに、姉上を想う事が出来るのだ?」

「私の姉上であるが故に」

「言葉だけではなんとでも言えるであろう。では、姉上のためならば、この場で我を斬る事も出来るのか?」

「お姉様のためならば、是非とも」

 リュシールは考える素振りも見せず、即座にそう答えた。

 ルファネを除いて、王の間にいる全ての者が一斉にどよめく。老大臣がリュシールを激しく責め立て、騎士兵達は今にも足を踏み出そうとしていた。

 そんな中、ルファネは玉座から立ち上がって、傍にいる側近から鞘ごと剣を掴み取ると、リュシールの目の前まで近寄っていった。

「縄を解いてやれ」

 リュシールの傍に立つ騎士兵は少し迷ったが、やがてルファネの命令に従った。両腕が自由になった彼女へ向かって、ルファネは剣の柄を差し出す。

「ならば、証明して見せよ、この剣を我の胸に突き立て、その命を見事に奪ってみせよ。さすれば、ヴァルロリア王国とアグパニーチェ王家は崩壊し、おぬしが新たなる国の王となるだろう。玉座に君臨したおぬしに臣下は跪き、その王権を以て姉上を救う事が出来るぞ?」

 国王の大胆なる謀反への誘いに、リュシールは目を見張った。彼女は目の前に差し出された剣から目を離せなくなって胸を高鳴らせていたが、ほどなくして冷静さを取り戻す。

「いえ、私には出来ません」

「何故だ? 先程の言葉は偽りであったのか?」

「いいえ、陛下。偽りではございません」

「ほう、真実であるのに、それが実行出来ぬと申すのか」

「はい、陛下。私の姉上であるミリアリーノル公爵は、陛下に対してとこしえの忠誠を誓っております。そして、この私は、姉上に対してとこしえの愛情を抱いております。もしも、姉上への愛故に、この場で陛下をお斬りになれば、私は陛下に対する公爵の忠誠心を貶める事になってしまいます。先程の私の言葉は本心であれど、姉上を想えばこそ、それは実行し得ない事なのでございます。はっきりと申し上げますのなら、たった今陛下は、私の姉上であるミリアリーノル公爵に生かされたのでございます」

 そこへ、ブルジェが口を挟む。

「国賊の妹が、陛下になんと大それた口を利きおって。誰か、こやつの首を刎ねよ!」

 王の間にいた数人の騎士兵が動き出す。

「控えよ!」

 ルファネはそう一喝した。それは王の間全体に響き渡り、意気込んだ騎士兵らを萎縮させる凄みを帯びていた。怯え切った兵達は皆、元の持ち場へと戻っていく。

 ルファネは出過ぎた真似をするなと言う視線をブルジェに注いでから、改めてリュシールに向き直る。

「面白い事を言うではないか、かの公に我が生かされた、と? それは屈辱ではある。だがしかし、情けとは尊く、恩に値する行いである。よかろう、おぬしの嘆願を聞き入れよう、我を生かしたミリアリーノル公爵に一度だけ、その恩返しをしようぞ」

 彼は、ベルティーナを想うリュシールの気持ちにすっかり感服したのであった。姉を救おうとする妹の覚悟に嘘偽りはない。目先の益に惑わされず、物事の本質を見極め、一切物怖じする事なく権力に対峙するこのリュシールが国賊と忠臣を見誤るはずはない、そう確信したのである。

 リュシールはルファネより一歩身を引いて、恭しくひれ伏した。

「ありがとうございます、陛下」

 ブルジェは狼狽し、ルファネの元へ駆け寄った。

「なりません、陛下! こやつは国賊の妹でございます、妹が姉を庇い立てするは人情の性というもの、国を導く王である陛下が情に流されて真実たる罪を歪めてしまう事などあってはいけません。どうか、罪のご改めはお取り下げになるよう」

 ルファネは彼を睨みつける。

「ブルジェ、口が出過ぎておるぞ。確かにおぬしの言う事も分からぬでもない。だが、あらぬ罪を被せ善良な人間を不当に裁いてしまっては、それこそ重大な罪となろう? 我が一度口にした事は絶対だ、決して取り下げたりなどはせぬ」

「陛下! どうか、お考え直しを!」

 ブルジェの声を聞き流したルファネは再び玉座へ戻って座り直し、眼下でひれ伏したままのリュシールへ目を向ける。

「この改めには我自身も加わろう、だが、まだ公の罪が晴れた訳ではない。改めの結果が出るまで、おぬしには牢獄へ入ってもらうぞ、よいな?」

「謹んでお受け致します」

 ルファネが手で合図を出すと、騎士兵はリュシールを連れて王の間を退場した。

 続いて、ルファネが腰を上げて歩き始める。その後ろから老大臣二人と側近四人が付き従っていく。「これから執務室へ行き、今後の指針を決める。その話し合いは我と老大臣二人で行うつもりだ、護衛は側近二名のみで十分、他の者は一旦下がるがよい」それを聞き、ブルジェは額に汗を滲ませながら、ルファネと共に王の間を退場した。



  イルミッツェ王城 執務室にて


 ルファネと老大臣二人は机を挟んで向かい合っていた。一方の老大臣が背筋を正しているのとは対照的に、彼と同じ老大臣であるブルジェの方はやや背中を丸くし、ルファネの目をまともに見る事が出来ずにいた。

 ブルジェは怖ず怖ずと発言する。

「陛下。何故、このような事を? ミリアリーノル公爵は罪を犯しております、それは書類を見れば明白でございます。証拠が存在するにもかかわらず、公爵の罪を改めるのは時間の無駄でございましょう」

「まだ言うか、ブルジェ」

 ルファネは彼の執拗さに呆れていた。

「我は我自身の言を取り消さぬ、そう言っておるであろう? それに、おぬしも可笑しいとは思わぬのか? 公は王国の人民から慕われ、かの妹君はあんなにも健気に公を救おうとしておる。清き湖には自然と生き物が集まるものだが、汚れし湖には誰も近寄らぬ」

「しかしながら……」

「そもそも、公は、先の大戦における英雄の一人ではないか。それは、我が父上であり偉大なる前陛下も大層、良い評価をなさっていた。ヴァルロリア王国史上で最も優れた国王と謳われていた、英傑たる我が父上がその評価を違われるはずがない。して、そちはどう思う?」

 ルファネはもう一人の老大臣に意見を求めた。彼は軽く頭を下げて答える。

「はい、陛下。私も全くの同感でございます。今思えば、この件には不審な点が多々ございます。まるで、何者かの手が介入しているかのように作為的な何かが。そう言えば、ミリアリーノル公爵とドルチュード公爵は元々不仲でした、恐らくその事も関与しているのではないかと思われます」

 余計な事を言いおって、とブルジェは心の内で悪態をついた。

「公らの不仲は、我も知っておる。ふむ、ドルチュード公の告発に死刑の求刑、その唐突さと必死な様子には幾ら私怨が混じっているようにも思える。ミリアリーノル公に関しては、根本的な所、横領しなければならないほど経済状況が芳しくない訳でもなかろう。であれば、ドルチュード公の提示した証拠に何らかの作為が含まれていないか、入念に調べ直す必要がある」

 途端、ブルジェは焦った。証拠である書類が捏造された物だと気付かれてしまうかもしれない、そう思ったのだ。彼は声が上ずらないように注意しながら慎重に発言する。

「陛下。では、その調べはこの私にお任せ下さい」

 ルファネはかぶりを振る。

「先程も言ったが、これは我が自らの手で調べる。おぬし達は補佐役で十分だ」

「しかし、陛下のお手を煩わせる訳にもいけません」

 ルファネはブルジェの態度が気になった。まるで我がこの件に直接的な関わりを持つ事を恐れているような、と。そこでふと、こうも思う。よくよく考えを至らせてみれば、かの聡明な公に冤罪を負わせるには、オルシャンツァ家を重きに置いていた我の裁定を操作する必要があるであろう、そして、それを確実に行う事の出来る人物は我の執務を補佐する老大臣ぐらいではなかろうか、と。これらの考えが思いつくと、これまでのブルジェの言動が怪しく見えてくるのだった。

「我が自ら望んでこれを調べるのだ、煩わしいとは思わぬ」

 ルファネはどうすべきか悩む。今のところ、ブルジェを内通者と確定する証拠はなく、老大臣二人が共犯なのか、はたまたどちらか片方による単独犯なのか、それすらも彼には分からないのだ。

 悩んだ末に、ルファネは一つの策を考える。

「おい」

 ルファネは執務室の隅で控えていた側近に話しかける。

「ミリアリーノル公の館から見つかったという書類はどれだ?」

「はい、陛下。少々お待ち下さい」

 側近は机上に置かれた大量の書類の中から麻紐で括ってある書類の束を一つ取り出し、それを両手で持ってルファネに差し出す。

「どうぞ、こちらでございます」

 ルファネは書類の束を受け取って麻紐を解き、その書面に目を通していく。じっくりと時間をかけて最後の一枚を見終わると、彼は表情を強張らせてこう言い放つ。

「これは、全くの偽造だ。書面に記載された内容、それらは公の手によって記されたものではない、明らかに第三者の手によって作られたものである」

 老大臣二人は驚きのあまり目を瞠った。ブルジェは身を引くように焦りを募らせ、もう一人の老大臣はやや前傾的な姿勢になった。

 老大臣はルファネに尋ねる。

「なんと、それは誠でございますか? 一体、誰がそのような事を」

「この書類を提示した者はドルチュード公であるから、恐らく公が用意したのであろう。しかし、我は、あやつがたった一人でこのような偽造を成し得るとはとても思えんのだ。そこには協力者がいるに相違ない、それも我に最も近しい者の中にな」

 そう言って、ルファネは老大臣二人にそれぞれ鋭い視線を向ける。二人の様子を注意深く観察し、どのように反応するかを待つ。そう、ルファネは鎌をかける事にしたのだ。もし、老大臣二人が内通者であるのなら、自分の鎌に過敏な反応を見せるはずだと睨んだのである。

 老大臣はルファネの鋭い視線をしかと受け止めて、こう言い返す。

「なんと、陛下は、御身の御身辺に付き従う者達の中に内通者がいると、そう仰られるおつもりでございますか?」

 対して、ブルジェはルファネの視線から目を逸らし、恐ろしさで身を縮ませていた。彼は心の焦りが表に出ないよう努めていたが、それも最早意味を成していない。

 二人の反応を見て、ルファネはブルジェに目をつけた。彼が本当に内通者かどうか、最後の確認として追い打ちをかけてみる事にする。

「我はすでに、その内通者と疑わしき人物にいくらか思い当たる節があるのだ。ブルジェよ、我はおぬしの意見がどうしても聞きたい、答えてくれるな?」

 ルファネは声色と口調を変え、さもブルジェをその内通者だと言うような態度を示した。

 ブルジェは自分の犯した罪がもうばれてしまったものだと思った。本当はまだ弁明の余地があったものの、ルファネから醸し出される威圧感があまりにも強く、それに参った彼は堪えきれずに自供する事を選んでしまう。

「ああ、陛下、申し訳ございません!」

 ブルジェは平伏し、自分の犯した罪を少しも偽る事なく言い連ねていった。

 ルファネは彼の懺悔に耳を傾けた。彼の共犯ではなかった老大臣は突然の事に理解が追いつかず、ただ唖然とするばかりであった。

 ブルジェが全ての事を言い終えると、ルファネはこう聞く。

「今程言った事に、嘘偽りは一切含まれておらぬな?」

「はい、陛下。私は真実のみを申し上げました」

「よかろう」

 ルファネは頷き、唖然としている老大臣に指示を出す。

「おい、今すぐ全兵にこう告げよ。一刻も早くこの真実を国内へ知らしめ、ミリアリーノル公爵を保護するように、と。それから牢獄にいるリュシールとその従事者を解放し、離宮の一室へと移しておくのだ」

「ぎ、御意! 直ちに」

 老大臣は慌てて退室した。

 ルファネは側近に、ブルジェを牢へ入れておくようにと命令する。その側近が彼を連れて退室すると、ルファネは椅子の背もたれに深々と体を預けた。彼は今、己の未熟さを痛感していた。ミリアリーノル公の冤罪と、身近な臣下の中にこの件の内通者がいた事を、今の今まで気付けなかった己の未熟さを。



  イルミッツェ王都 城内の王の間にて


 ベルティーナ、リュシール、リアの三人は、ルファネが王の間に姿を現すのを待っていた。彼女達以外には大臣や騎士兵、その他の貴族も大勢いる。彼らはベルティーナ達に対するルファネの審判を見届けるためにここへ集まっていた。

 しばらくして、王の間の扉が音を立てて開かれる。

「陛下のご入場である、皆の者、控えて道を開けよ!」

 ルファネと側近の騎士が入場し、その後ろから老大臣二人、アデラールが順に続く。ルファネが玉座へと向かって歩いている途中で、その列からアデラールとブルジェだけが脇に外れて立ち止まる。ルファネは玉座に就き、その身辺にもう一人の老大臣と側近が控えた。

 ベルティーナ達三人はルファネに対して跪く。

「ああ、そこの三人共、楽にするがよい」

 ベルティーナ達が立ち上がったのを確認して、ルファネは話を始める。

「さて、皆の者よく聞くのだ。ミリアリーノル公爵は国税を横領した罪に問われ、リュシール妹君と従事者リアもその幇助者として同様の罪に問われていた。しかし、それは全くの濡れ衣であった、全てはそこのドルチュード公爵と老大臣ブルジェによって仕組まれた姦計、それにミリアリーノル公は嵌められていたのだ」

 聴衆が吃驚の息を漏らし、ざわざわと騒ぎ出す。

「静まるのだ! 皆が一驚する気持ちは我も同じである、しかし、ミリアリーノル公の罪は冤罪であったと判明した今、それも納得出来るのではなかろうか?」

 ルファネの言葉を、聴衆は首を振って肯定する。

「そうであろう、つまりミリアリーノル公は元より、そのような罪を犯す人間でないという事を、我々はすでに知っていたのだ。だが、我は真実を知りながらも、即座に公の冤罪を見極める事が出来なかった、我はなんと愚かであった事か! それを正してくれた者こそ、そこのリュシール妹君とリアである。リアがミリアリーノル公を逃して時間を稼ぎ、リュシール妹君が我を諌めてくれたのだ。誠に、オルシャンツァ家の名に恥じぬ、立派な働きであったと言えるだろう」

 聴衆が感嘆の声を漏らす。同時に、アデラールやブルジェに対する非難の声も上がった。それは庶民が上げるような罵声ではなく、極めて密やかに行われる批判の囁きであった。

「我は、この二人の功績を讃えるとともに、ミリアリーノル公へ無罪を言い渡す」

 ルファネはベルティーナに目を向ける。

「ミリアリーノル公爵よ、汝は今この時を以て、国税横領の罪を払拭した。これと同じく、リュシール妹君、従事者リアの両名に問われていた罪も冤罪であった事を我は認め、従事者リアに下されていた死罪を取り下げるものとする」

「ありがとうございます、陛下」

 ベルティーナが感謝の意を示すために膝を折ろうとすると、ルファネはそれを制する。

「罪なき公を裁こうとした我に礼とは、可笑しな話であろう。では、どうだ、アデラールの処罰をどうするのか、ミリアリーノル公の手に委ねよう。ブルジェに関しては、我の臣下であるが故に、我が責任を以て厳罰に処しておこう」

 ベルティーナはアデラールを一瞥する。彼は命乞いとばかりに情けを誘う表情をした。

 熟考するまでもないと、ベルティーナはルファネに視線を戻す。

「陛下。ドルチュード公には数え切れないほどの恨みがございます。例え、この際それらの私情を捨てたと致しましても、ドルチュード公の危険性を見逃す事は出来ません。このまま釈放すれば、また近い未来に、ヴァルロリア王国の災いの種となる事でしょう。私はあくまで御国のために、ドルチュード公の死刑を要求したいと存じます」

 それを聞いたアデラールはルファネに懇願する。

「お待ち下さい、陛下! 我がドル・ア・ワード家も、ヴァルロリア王国のためにこれ以上にないほどの尽力を致して参りました、それが災いの種になるなどとは決して有り得ません」

「それも表向きの忠誠心であろう? おぬしの言葉はもう信じられぬ。おい、誰か、こやつを牢へ放り込んでおけ!」

「陛下、どうか、ご慈悲を!」

 アデラールはルファネにすがろうとするも、すぐに騎士兵二人に止められて、その両脇を固められた恰好で引きずられながら王の間より連れ出された。彼の醜態を、周囲にいた貴族は軽蔑する。

「そうであった、公よ」

 ルファネが新たな話を切り出す。

「今回の詫びとして、我はおぬしを側室に迎えようと考えておる。聞けば、公にも相手がおらず、跡継ぎの男子がいないそうではないか。我が側室になれば、元王族であったオルシャンツァ家の再興と揺るぎない地位を得る事が出来、今後このような事も起こらずに済むであろう。どうだ、詫びとしては不足ないであろう?」

 ルファネの申し出にベルティーナは少々驚いた。ふと、リュシールを見やれば、彼女は祝福するような、けれども悲しむような複雑な表情をしていた。ベルティーナは妹の心中を汲み取った時、すでに答えを決めていた。

「私には勿体無き、光栄の極みでございます。しかしながら、その有難きお言葉を丁重に辞退させて頂きたく存じます」

「そうか、我は押し付けるつもりは微塵もない、公が断るのであればそれでも良い。それよりも我はこれを断る理由が気になった、公に差し支えがなければ聞かせてもらう」

「はい、陛下。オルシャンツァ家の、我が当主の座は、妹であるリュシール、あるいは将来そこに生まれた子供に継がせたいと存じているからでございます」

 その言葉に偽りはなかったものの、それはベルティーナの本心ではなかった。

 跡継ぎのいない現状で自分が急死してしまった場合は妹を後任とする事を考えているが、ベルティーナ自身には他の貴族との間に子を儲けるつもりがないのだ。女の身である自分を見下す他の貴族にオルシャンツァ家の血統を穢されたくない思いもある上、その相手がリュシールやリアを身内として受け入れて、大事にしてくれるとは限らないからである。何よりも、これからは今まで独りにさせてしまったリュシールとの姉妹としての時間を取り戻さなければならない。それを誰にも邪魔されたくなかったのだ。

 ルファネは納得したとばかりに頷く。

「なるほど、公にそのような意志があるのだな。我が側室になれば、我と公の間に生まれた男子に王位を継承させるのが必定、リュシール妹君はアグパニーチェ王族の血筋ではないからな」

 一拍置いて、ルファネは「しかし」と続ける。

「それを聞いて、我は安心した。オルシャンツァ家の跡継ぎはどうなるか心配であったが、それはリュシール妹君が、か。公の妹君は実に、人心について心得ており、その道徳の観念たるや素晴らしいの一言に尽きる。そこに授かる子供も極めて聡明に違いない」

 ルファネがそう言った後、リュシールは少し遅れて、彼に謝意の言葉を述べなければならない事に気付く。

「お褒めに与り光栄の至りでございます」

「後は、言葉遣いと礼儀を完璧に躾けてやれば、公の跡に憂いはなかろう。ああ、そうであった、今は詫びの話であったな。では、公の願いを一つ申してみよ、可能な限り叶えてやろう」

 ベルティーナはしばし考えて、こう言う。

「誠に僭越ながら、この私めに、ドルチュード領を賜りたく存じます。以前からあの領の治安には目に余るものがあり、隣り合う町もあって我が領への飛び火も多く、再びドル・ア・ワード家の者に爵位を与えては悪化の一途を辿る事でしょう。もしご一任頂ければ、私が五年、いえ三年の内に改善させてご覧に入れましょう」

「よかろう。いずれドルチュード公は処刑される、あの領の管理もミリアリーノル公に任せる事にし、今この場に於いてドルチュード公爵位をアデラール・ディア・ドル・ア・ワードから剥奪する。そして、この時を以て、ドルチュード公爵位はベルティーナ・ディア・オルシャンツァへと授ける」

 このルファネの宣言の後、ドルチュード領の正式な引き継ぎは後日行うとして簡易的な儀式のみが執り行われ、王の間はベルティーナを祝う拍手で満たされた。ベルティーナ達三人が王城を出る際にはルファネが見送りのために門外まで赴き、また王都から出立する際には城下町の民一同が彼女達の無罪放免を祝すために町の外まで行列を成した。

 ベルティーナ達がミリアリーノルの町に帰り着いた時、その町民から盛大な歓迎を受けたのは言うまでもない。しかも、その歓待の中には喜びのあまり涙する、ドルチュードの町民が少なからず混じっていたと言う。

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