第8章 リアの決闘



  国境街 軍部拠点門前の大広場にて


 門前には大勢の騎士兵が横に隊列を組み、その先頭には黒い毛並みをした馬に乗るアデラールがいた。彼の隣には檻の形をした護送車の中にリュシールが捕らえられている。それらと対峙して、一定の距離を保った位置でベルティーナとリアが馬に跨がり、いつまでも戦えるようにと腰に帯びた剣の柄に手を添えていた。双方共に黙したままの睨み合いが続いている。この大広場に集まっていた大量の野次馬は息を呑んで、目の前の様子を静かに見守っていた。

 先に沈黙を破ったのはアデラールである。

「お久しぶりでございます、ミリアリーノル公爵。しばらく見ない内に、随分とやつれ汚れてしまいましたな、しかし、それでもその麗しいお顔が全く衰えないとは、私も正直驚いております。そのやつれと汚れでさえ、貴女にはお化粧にも成り得るのでしょう」

 ベルティーナは眉間に皺を寄せ、嫌悪感をあらわにする。

「はっ! 黙れ、堕落した背徳の貴族が、貴様風情の口から私に対する世辞が出るとは。最早、それは世辞を通り越して皮肉というもの、そんなものはとうに聞き飽いている。本当に、貴様は一向に変わる気配がない。もっと、他の芸当は持ち合わせていないのか?」

 アデラールも鼻で笑い返す。

「ミリアリーノル公よ、強がるのも良い、女の身の分際でその男らしい気質も賞賛しよう。だが、その勇ましく気高い瞳にはこの現状が映っていないように思われる。どうだ、これは、貴女の捨てた妹であろう?」

 ベルティーナがリュシールに目を向けると、二人の目が合った。

「確かに、その女性は紛れも無く我の愛する妹リュシール。しかし、捨てたとは嘘も甚だしい、貴様が悪知恵を働かせ、この我が手から引き離したのであろう」

 ベルティーナの言葉を、アデラールは疑問に思う。

「何、貴女はこれを捨ててはいないと、そう言うのか?」

「寝言は寝て言うものだと知らないのか、貴様は。我が愛しの妹を捨てるなどと、それこそ戯言だ」

 アデラールはリュシールの置かれている状況を悟った。話が可笑しくなって、額に手の平を当てる。

「なるほど、何にせよ、ミリアリーノル公とこの妹は悲しくも、離れ離れになっていたという事か。ふむ、では本題に入ろう。ミリアリーノル公に問う、大人しく王都へ戻る気はあるのだろうか?」

「愚問!」

 ベルティーナはアデラールに剣を向ける。その途端、アデラールの背後にいた騎士兵達が一斉に武器を構える。前列は槍を前に突き出し、後列は矢をつがえた弓の弦を引き絞る。

「我は妹を救い出し、貴様を斬り捨てる! いや、妹さえ無事なのであれば、この際貴様を見逃してやろうぞ」

 聞いて、アデラールは突然笑い出した。それをベルティーナが怪訝な眼差しで見る。

「何が可笑しい。気でも違って、放し飼いの畜生にでもなったのか?」

「いや、失敬。今一度問おう、これが最後だ、大人しく王都へ戻る気はあるか?」

「言うまでもない」

 アデラールは不敵な笑みを浮かべ、近くの騎士兵一人に声をかける。

「おい、そこの兵、耳を貸せ」

 アデラールは騎士兵にある指示を耳打ちした。それを聞いた騎士兵は身を引いて仰天し、アデラールに言葉を返す。

「そんな、とんでもございません! 私にはそのような事は出来ません。お言葉ですが、そのような行為を致せば、陛下にお咎めをお受けになるのでは……」

「理由などはいくらでもつけられよう。構わぬ、やれ。あるいは、ここで私に歯向かい、お前も国賊の味方となるか?」

 その騎士兵は厳しい選択を迫られ、最終的にアデラールの指示を受ける事を選んだ。

「御意。準備を致しますので、少々お待ちを下さい」

 その騎士兵は周囲の兵を幾人か連れて、リュシールのいる護送車に向かう。

 敵方になにやら動きがあるとみたベルティーナは、剣を構えて成り行きを見守っていた。すると、騎士兵達は護送車からリュシールを出し始めた。彼女を護送車の前まで連れていき、縄を解いて膝立ちにさせる。リュシールの両腕がそれぞれの兵に押さえられ、磔のような恰好となる。彼女の背後には一本の長く靭やかな棒を持った兵が一人立つ。

 ベルティーナとリアは嫌な予感がした。

「貴様、我が妹に何をする気だ!」

「ミリアリーノル公、それは見れば分かる事でしょう。さあ、やるのだ」

 アデラールに言われ、リュシールの背後にいた兵は棒を振り上げる。「悪く思わないでくれ」と、その兵は震える両腕を一思いに振り下ろした。

「…………ッ!」

 リュシールは呻く。突然背中に走った激痛とそれに対する驚きが混じり、口につけられた猿轡を噛み締める。

 野次馬からはわっと声が上がり、ベルティーナとリアは声にならない悲鳴を漏らした。

「ドルチュード公、貴様!」

「なりません、お嬢様!」

 怒りに身を任せて突撃しようとしたベルティーナの前に、リアが立ち塞がる。

「リア、何故止める? 私の可愛いリュシィが棒打ちを受けたのだぞ? 謂れのない暴力を受け、苦痛を与えられたのだ。そのような仕打ちから、姉である私が妹を救い出すのは当然であろう!」

「お嬢様、それはごもっともな御意見で御座います。ですが、ここは冷静になられて下さい、相手は何百もの兵、そこへ飛び込めば如何にお嬢様がお強くても敵うはずが御座いません」

「それは瑣末な事に過ぎん! 苦しむ妹を救うため、それで十分であろう。さあ、リア、そこを退くのだ」

「なりません!」

「退くのだ、リア!」

 ベルティーナ達の言い合いを見て、アデラールは心の内で歓喜する。そうだ、これが見たかったのだ、と。自分の思惑が見事に成功した事で、彼の口角が嫌らしく持ち上がる。

「どうした、ミリアリーノル公。大人しく降伏する気になったのであろうな。それとも、まさか、これではまだ決心がつかんと言うのか? そうであれば、私がその背中をいくらでも押してやろう。おい、もう一つ打て!」

 リュシールの背中に再び激痛が走る。折檻すら受けた事のない彼女の体は棒打ちには慣れていなかった。リュシールは二度目の棒打ちを受けて、呻き声と一緒に涙を流した。両腕がしっかりと押さえられているため、痛みに悶えて地に伏す事も出来ない。ただ、力なく頭を垂れる事しか出来なかった。

 リュシールの様子を見て、ベルティーナは焦燥感を募らせる。

「リア、退け、主の命に背くか? いくら私の愛娘同然であるお前でも、今回ばかりはこの剣がどう動くか分からんぞ? もう二度は言わん、退け」

 ベルティーナはリュシールを傷付けられた事に気が立っていた。それだけでなく、患っている病も大いに悪影響を及ぼしていた。僅かに残っている理性を使って、自分の手からリアを守ろうと警告したのだ。

 だが、リアは断固として動かない。

「私はベルナお嬢様に未来永劫の忠誠を誓っております。例え、私の身がお嬢様の手によって切り裂かれようとも、お嬢様のお命だけは必ず守ってみせるつもりで御座います。しかし、どうしても妹様をお救いに行かれると言うのであれば、それはお嬢様のお命ではなく、先に私如きの命をかけるのが得策でしょう」

「何、それはどういう意味だ?」

 ベルティーナ達が足踏み状態でいるのを見て、アデラールは機嫌良く高笑いを上げる。

「ミリアリーノル公よ、まだ動かぬか? やはり、女と言う者は、決め事をするのに一々時間をかけたがる生き物なのだな。まだ棒を打てと、そう仰るのであろう? いやはや、なんとも残忍な姉上であるな、リュシール妹様の心中をお察し致そう。さあ、ミリアリーノル公はもう一打ちをご所望だ、応えてやれ」

 アデラールの命を受けた兵が三度目の棒を振り上げる。リュシールはじきにくるであろう痛みに耐えようと、身構える。

「待たれよ!」

 そう声を上げたのはベルティーナではなく、リアであった。兵は振り下ろそうとしていた棒を宙で止めた。アデラールはリアを見やり、リアもそれを返す。

「ドルチュード公爵、貴殿も貴族であられるならば、決闘にて事の行方を決められては如何だろう? その方が、互いに不毛な争いをせずに、かつ時間を無駄にする事無く済むであろう」

「ほう、私とミリアリーノル公で決闘をすると?」

 アデラールはリアの提案に興味を示した。

「いえ、僭越ながら、ドルチュード公爵のお相手はこの私が務めさせて頂きます」

「貴様が?」

 アデラールはあまりの可笑しさに腹を抱えて笑う。

「冗談であろう、相手がミリアリーノル公ならともかく、貴様のような召使では私の相手になるはずがなかろう。確かに貴様の剣の腕は達者なのだろうな、ミリアリーノル公の唯一の側近であり、いつぞや貴様の殺気も見させてもらった。だが、所詮は召使、命が惜しければ思い留まる事だな」

「命が惜しくないと申せば、この決闘を受けて下さいますか?」

「はっ、面白い、受けて立とう」

「では、少々お待ち下さい」

 リアはベルティーナに向き直った。ベルティーナは厳しい面持ちでリアを見つめる。

「リア、貴女は何を考えているの? 私を引き止めたかと思えば、今度は貴女がドルチュード公と決闘すると言い出す始末」

「お嬢様、御安心を……」

 ここから先は声量を大きく落とす。

「最初から、私はドルチュード公とまともに戦う気は御座いません。全てはリュシィ妹様を助け、ベルナお嬢様に生き延びて頂くためで御座います。どうか、私めを信じて、いざという時はすぐに逃げ出せるようにご準備下さい。万が一、私が手負いになったとしても、その事を決してお気に留めないで下さい」

 リアはベルティーナの返事を待たずに振り向いて、馬を前に進める。それを見て、アデラールは傍の騎士兵から槍を取り、同じく馬を前へ進ませる。双方、適度に距離を詰めた所で歩みを止めた。

「貴様は確か、リアと言ったか。互いに決闘の場に赴いた、もう後には引き返せんぞ?」

「承知しております。さらに申し上げるのなら、私の後ろにはお嬢様が控えております、その時点で私には後などないも同然で御座います」

「召使にしては見上げた度胸だ」

 リアは剣を構え、対してアデラールは槍を構える。単純な武器の優劣で言えば、得物の短いリアが多少不利である。ベルティーナとリュシールは互いに違う視点から二人の様子を見守り、大広場にいる野次馬は唾を飲んだ。

 先手に出たのはアデラールであった。歩を二三歩進め、リアの頭上に槍を振り下ろす。それをリアは剣で受け止める。そのまま受けた刃で槍の柄をなぞりながら前へ進み、アデラールの槍を持つ手を斬ろうとする。アデラールは咄嗟に剣を流して左へ避け、横を通り過ぎるリアの背後に槍を払う。リアは馬上にてしゃがんでそれを躱し、馬を右へ向けつつアデラールの横腹を斬りつけた。が、その斬撃をアデラールは払った槍で受け止めていた。槍を振り上げて剣を弾き、無防備になったリアの脇へ目掛けて、アデラールは槍を一振りする。リアは剣で受けようにもそれは間に合わないと即座に判断、身を翻し、槍を背中で受けた。アデラールはにやりと微笑む。

「ふん、やるではないか、召使風情が」

 リアの背中に傷はない。槍の刃を受けたのはリアが背負っていた弓であった。槍の重みによる衝撃はあったものの、刃の直撃を避ける事が出来ていた。リアは素早く槍の柄を掴み、手前へと勢い良く引いた。

「くっ!」

 アデラールも負けじと槍を引いた。しかし、互いの力は拮抗し、その状態で膠着する。

「貴様、本当に女か?」

「はい、お嬢様と同じ、女の身の分際で御座います」

 リアは槍を引く力をふと緩めた。引く力が勢い余ったアデラールは、体勢を後ろへと崩しかける。そこへ、リアはアデラールの乗った馬の首元を斬りつけた。馬がびっくりして棹立ちになると、アデラールは背中から落馬し、続いて馬も横倒れになった。

 今こそ好機と思い、リアはリュシールの元へ馬を走らせる。

「奴を迎え撃て! 殺しても構わん!」

 アデラールの号令を受けて、騎士兵隊の後列が矢を一斉に放つ。しかし、その矢は低い位置に放たれており、リアを射抜くというよりも馬の走行を止める目的で放たれていた。リアの背後にはアデラールがおり、またもっと遠くには野次馬がいる。そのため、流れ矢が彼らに当たらないようにしなければいけない。

 馬は矢の牽制に怯む事なく進んだ。リアがある程度の距離に達すると、次に前列の兵が槍を持って突撃した。槍の切っ先が当たる寸前でリアは馬を跳ばせる。着地時に数人の兵を下敷きにし、周囲に群がる兵から一本の得物を奪い取って、剣から槍に持ちかえる。

「リュシィ妹様、お待ちを、今お救い致します!」

 大勢の兵を蹴散らし押し退けながら、リアはリュシールの元へと走る。リュシールを押さえている兵を斬り、彼女に手を伸ばす。

「妹様、お手を!」

 リュシールはその手を取り、リアの馬に乗った。

「妹様、もう少しのご辛抱で御座います」

「リア、私は……」

 リュシールは堪らずに泣き出した。それをリアは優しく包む。

「私の体にしっかりお掴まり下さい。すぐに、ベルナお嬢様の元へお連れします」

 リアが振り返ると、そこには槍兵が詰め寄っていた。その後ろには、体勢を立て直したアデラールもいた。

「卑しい召使風情が小賢しい真似をしてくれるではないか。神聖な決闘を以て私の目を欺こうとは、無礼極まりない!」

「礼儀を知らぬ公爵が、他人に無礼を語るとは異なもの」

「それが目上に対する口の利き方か?」

「これは失礼致しました、無知に礼儀を示しましても伝わるかどうか、怪しいものでしたので」

「おのれ! あやつを殺せ!」

 槍兵らの猛撃にリアは応戦する。リアは強かった。ベルティーナから直々に教え込まれた槍術が申し分なく発揮され、数による劣勢を見事に押し退けていた。何より、賊に襲われたあの時のような不覚は取るまいと意気込んでいた。

 リアは戦う中で、兵らの隙を見つけると、すかさずそこを突いて包囲を突破した。後はベルティーナの所へ戻り、ここから逃げるだけだった。しかし、ベルティーナの所までもう少しという距離で、リアは馬からふるい落とされた。背後の兵が矢を放ち、それが馬に命中したのだ。

 リアは自分の身よりも先に、リュシールの身を案じる。

「妹様、お怪我は?」

 リュシールに大した怪我がないと見て取ると、リアは言う。

「妹様、お嬢様と早々にお逃げ下さい」

「えっ、でも、リアは?」

「私は敵を食い止めます」

「そんな……」

 リアはベルティーナに目を向ける。

「お嬢様、妹様をお連れしお逃げ下さい!」

 リアの背後には兵の波が迫っている。拠点の門より向こうからは増援の騎馬兵も出撃していた。ベルティーナはこの状況を見て、決闘前のリアの言葉を思い出した。一刻も迷っている猶予はないと決心して、リュシールを無理やり自分の馬へ乗せる。

「すまない、リア」

「いいえ、ご英断に御座います」

 ベルティーナはリアに背を向け、野次馬の中へ走り去っていった。

 それを見届けて、リアは槍を手に立ち上がる。

「お嬢様、どうかご無事で」

 リアは迫り来る大軍と対峙し、戦慄と興奮の入り混じった感情を抱いた。だが、彼女は不思議とこのように思った。死んでやるものか、私にはまだお嬢様をお守りする使命がある、必ず生きてお嬢様の御前に、と。

 太陽は粘り強く上空にい続けている。まだ、空は明るかった。



  国境街 路地裏にて


 ベルティーナとリュシールは人気の少ない場所へ身を隠し、行動しやすくなる頃合いを待っていた。夜になると密かに動き始め、ベルティーナはある地点を目指す。

「お姉様、どこへ向かわれているのですか?」

「信頼出来そうな人物の元へ」

 ベルティーナは詳しく話さなかった。彼女が口を閉じると、リュシールもそれ以上は聞かない事にした。二人の忍ぶ足音と、ベルティーナの引く馬の足音だけが路地裏に響く。

 半刻ばかり歩いて、ベルティーナは足を止めた。彼女はすぐ隣の建物へ向き、その建物の裏口である扉を叩く。リュシールはどこかで嗅いだ事のある臭いに気付いた。

 しばらくして、扉の向こうから一人の男性が現れる。

「どちら様で? ……おや、貴女様はもしや?」

「そう、私よ」

 男性は目の前の女性がベルティーナと分かると、反射的に姿勢を正した。次に、彼女の隣にいるリュシールへ目を向ける。

「では、こちらのお方はリュシール妹様なのですね」

 リュシールはその男性に見覚えがあった。記憶を呼び起こそうと目を凝らして男性の顔を見て、「あっ」と小さな声を上げる。彼は、リュシールがこの街に来て最初に訪れた薬屋の店主であった。

 薬屋の店主も、先日の女性客の容貌と身なりを少しも漏らさずに覚えていた。そのため、目の前のリュシールと先日の女性客は同一人物である事がすぐに分かった。

「私の勘違いでなければ、妹様とはつい最近お会いしましたよね? ああ、とにかくお二方、どうぞ中へお入り下さい。あ、そちらの馬は、私が近くの小屋に隠しておきます。どうぞ、お二方は先に中へ」

 ベルティーナとリュシールは中へ入った。

 裏口から入ったその部屋は生活空間になっている。部屋の中央には四角い食卓と四つの椅子、裏口の扉がある壁側には台所があった。奥と右側の壁にはそれぞれ、扉が一つずつ取り付けられており、その片方は店のカウンターへ、もう片方は寝室へ通じる扉である。

 薬屋の店主は裏口から上がって扉の鍵を閉めた。食卓に駆け寄って、隣り合った二つの椅子を引く。

「さあ、お座り下さい」

 ベルティーナとリュシールはそこへ腰掛けた。薬屋の店主も椅子に座り、彼女達と向かい合った。ベルティーナは彼にこう問う。

「アルヴェルト、一応聞いておくわ。お前は私の味方か、それとも敵か」

「決まっています、私はお嬢様の味方です。どうして、私が、自分の恩人である貴女様の敵に成り得るのでしょうか?」

「それを聞いて安心したわ」

 リュシールはベルティーナと薬屋の店主の関係を図りかねていた。リュシールが多少不安そうにしているのを見て、ベルティーナは説明する。

「彼はアルヴェルト、私の友人であり、先の大戦においては色々と世話になったわ。彼は国内に二人といない薬師よ、非常に効力の高い薬を調合してくれる。人間としても中々憎めない、面白い奴よ」

 アルヴェルトは少し照れる。

「友人などとは恐れ多い。それに、大戦時にお世話になったのは、むしろ私の方ですよ。あの時に私の店を贔屓して頂いたおかげで、なんとか生活の難を逃れる事ができたのですから。さて、話は変わりますが、今日は危なかったですね。私もあの時の野次馬の中にいましたが、お嬢様方々がどうなるか、気が気でなかったですよ」

「そう、見ていたのね。では、一つ尋ねたい。私があの場から去った後、リアはどうなった?」

 アルヴェルトは表情を強張らせた。

「分かりません。なにせ、その時には大勢の兵が迫っていましたから、他の野次馬は方々へ散り、私も身の危険を感じて逃げ帰ってしまいました。もし、リア殿があの場に留まり、あれらと死闘を繰り広げたというのなら、生存の望みは薄いかと思われます」

「そうか」

 ベルティーナは僅かに目線を落とした。リアを置いて行った事に後悔はない。だが、彼女に生きていて欲しい、そして彼女をなんとか救いたいという未練はあった。ベルティーナが最も信頼する側近、リアを失う事は彼女の心に大きな風穴を開ける事になる。生存の望みが薄いと言われても、彼女はリアが生きていると信じた。

「ごめんなさい、お姉様、私が勝手な事をしたから」

 リュシールはベルティーナの顔を見る事が出来なかったが、ベルティーナはリュシールの横顔をしっかりと見ていた。

「そうだったわ、貴女には聞かなければならない事がいくつかあった。まず一つ、アデラールは貴女を攫ってはいないと言っていたけれど、それは本当なのかしら」

「はい、本当です、お姉様。私は自らの意志で、この街まで来ました」

「では、何故、貴女はそのような愚かな真似をしたのかしら。少しでも運命が違えば、貴女はあのドルチュード公の手によって命を奪われていたのかもしれないのよ?」

「ごめんなさい、お姉様」

 ベルティーナは一度大きく息を吸って、細い呼吸を整える。

「リュシィ、私は謝りなさいと言っている訳ではないの。貴女の取ったその行動に対する理由を聞いているのよ。正直に答えなさい」

 リュシールは込み上げてくる涙を懸命に押さえながら、答える。

「私、お姉様のお辛そうなお姿を見ているのが心苦しくて、なんとかしても助けて上げたいと思ったのです、それで、お薬さえあればとリアが言っていたのを思い出したのです。けれど、結局、街へ行ってもお薬は買えませんでした」

 ベルティーナは溜め息をついた。ここで、アルヴェルトはそっと席を外した。それに気付く事なく、ベルティーナとリュシールは話を続ける。

「これが、私のためを思っての行動だという事は分かったわ。その気持ちも、貴女の姉である私としては嬉しく思う。けれど、私は貴女を愚かだと糾弾しなければいけない。貴女の取った行動は結果として、貴女自身を死地に追いやり、一時的であれ私の大事なリアを失わせる事になった。もしかしたら、私達は皆、あの場で捕らえられていたのかもしれない」

 リュシールは黙ってベルティーナの言葉を聞く。心の隅で、アデラールのあの言葉がこだましていた。

「ただ、一つ釈然としない事がある。薬を買うならば、何も貴女が危険を犯す必要はなかったわ。私には内緒にして、リアに頼む事も出来たはずよ。不器用な貴女よりも、リアの方が事を成し遂げる腕を持っていたはず」

 ベルティーナの最後の言葉が、ついにリュシールの我慢を決壊させてしまった。リュシールは涙を止めどなく溢れさせ、その涙で頬を濡らす。

「お姉様、私、お姉様を心から、愛しています」

 ベルティーナは彼女のその言葉に首を傾げる。

「どうしたのかしら」

「だから、あえてこのような事をお聞きする私を、どうかお許し下さい」

 リュシールは少し躊躇ったが、やがて決心してベルティーナに問いかける。

「お姉様は、私を、愛しておられますか?」

 ベルティーナは当惑する。愛する妹の口から、私を愛しているのか、と問われて戸惑わない訳がなかった。当然ながら、ベルティーナはリュシールを愛しており、その愛がリュシールにはちゃんと伝わっているものだと思っていたため、彼女の問いは予想外であったのだ。

 ベルティーナはふと意識を確かにして、リュシールに告げる。

「もちろん、私は貴女を愛しているわ」

 その答えに、リュシールは納得していなかった。愛しているという言葉はもうに何度も聞いていた。リュシールが生まれて以来、両親や館の者達、そして当のベルティーナ自身からも幾度となく言われていた言葉であった。そのためリュシールは、愛しているという言葉ではなく、愛されているという実感を欲していた。

 リュシールはベルティーナの目を見る。

「お姉様、そのお言葉は真実でしょうか? いえ、仮に真実だとしても、私の心はそれを少なからず疑っております」

「心外だわ、真実に誓って私は貴女を愛している。私は今日まで、心からの愛情を以て貴女に接してきたのよ、それに、貴女が立派な貴族として振る舞えるよう、そのための躾もたった一度でさえ怠った事はないわ」

「お先にお詫び申し上げておきます、ごめんなさい、お姉様。私への愛情が真実ならば、何故、それを私自身に誓ってはくれないのですか? 真実たる言葉を真実という無形へ誓い立てなさるなど、それがどれほど意味のない事か、お姉様にはお分かりになるでしょうに」

 ベルティーナは、初めて見るリュシールの強気な姿に驚きを隠せなかった。涙を見せながらも真っ直ぐな瞳で見つめてくるリュシールに、ベルティーナは言葉を返す。

「リュシィ、貴女、誰に口を利いているのか分かっているの?」

「私の愛するお姉様へ、まだ口を利かせて頂きます。先程、私への躾云々と、お姉様は仰いました。確かに、お姉様は不器用な私を正そうとして下さいました、それには私も感謝しております。けれど、私の敬愛するお姉様には、少し足りない所があります」

「それは、何かしら?」

「この際、はっきりと言わせて頂きます。お姉様は自らの愛情を他人へ示すのが不器用なのです。私は正直、お姉様を変わらず愛し尊敬する中で、多少の不安を抱えていました。そのせいか、あの日、ドルチュード公爵が私達の館へお訪ねになった日の事です、その時に公爵が私へ囁いたあの言葉が、私の頭から離れないのです。お姉様は口では愛していると仰っても、いつかは、私をお見捨てになる。そうなのでしょう?」

 ベルティーナはかっとなった拍子に椅子から立ち上がって、リュシールに向かって右手を振り上げる。リュシールは平手がくるのだと覚悟して、目を瞑った。しかし、リュシールの頬にベルティーナの手が振り下ろされる事はなかった。

 リュシールがそっと目を開けてみると、ベルティーナは振り上げていたはずの右手を支えにして、食卓に寄りかかっていた。急に激しい動きをしたため、立ちくらみにも似た目眩を起こしていたのだ。

「お姉様!」

 リュシールはベルティーナを労り、彼女の体に触れる。

 ベルティーナは目眩のおかげか、瞬時に冷静さを取り戻していた。今程、自分がリュシールに手を上げようとしていたのを思い返して、ベルティーナは自分を責めた。私は愛情ではなく感情的な怒りをリュシィへぶつけてしまうところであった、なんて愚かしい事を、と。

 ベルティーナは、自分の体にリュシールの手が触れている事に気付く。

「リュシィの手は、本当に優しい手つきをしているわ。思えば、森で私が病に伏している時にも、私の手を握っていてくれたわね。貴女の手は、剣を持ち戦馬の手綱を引くには、あまりにも優し過ぎる。貴女は平和な時代に生まれるべきだった」

 リュシールが幽かに悲しむ様子を見せると、ベルティーナは相好を崩す。

「でも、私の妹に生まれてきてくれて良かったとも思っている、嘘じゃないわ、本当よ?」

「わ、私も、同じ気持ちです」

 リュシールは慌ててベルティーナの目を見て、言った。彼女の視線を、ベルティーナはしっかりと受け止めていた。

「私と貴女の気持ちが同じであれば、その真偽も自ずと明らかになるも同義。私はリュシィを愛しているけれど、それは確かに、私の一方的な押し付けでしかなかったわ。私は貴女を愛するばかりで、貴女の私に対する愛情を確認しなかった、ごめんなさいね」

「いいえ、私もお姉様と同じ過ちを犯していました。私もお姉様を求めるばかりで、自分が本当に愛されているかどうかを確かめる事が出来ず、自分勝手に不安と不満を溜め込んでいました、ごめんなさい」

「リュシィ、いらっしゃい」

 ベルティーナとリュシールは互いに抱き締め合った。二人が、自分に対する愛情を感じ取った瞬間であった。ふと、リュシールはくすりと笑う。

「リュシィ、どうして笑うのかしら」

「いいえ、お姉様、なんだか、可笑しくて。これが何年振りかの姉妹喧嘩だと思うと、嬉しくて。自分でもよく分からないのです」

 そこへ、アルヴェルトが戻ってきて食卓にコップを二つ置いた。その物音を聞いて、ベルティーナとリュシールが彼に目をやると、アルヴェルトははにかんだ笑みを浮かべた。

「申し訳ありません、私は今の今まで席を外させて頂いておりました。あるお客様からのご注文があったのを思い出し、さっきまで薬の調合に勤しんでおったのです。誠に失礼致しました」

 ベルティーナはアルヴェルトの粋な計らいだと察した。

「大事な話をしておったのにも拘らず、その席を立つとは、相変わらずだな」

「滅相もありません、今後は気をつけたいと存じます。ともあれ、お二方、そろそろお喉がお乾きになった頃でしょう、ささ、これをお飲み下さい。ああ、そちらはお嬢様がお飲み下さい、妹様はこちらを、お間違えなく」

「どちらでも変わらないであろう?」

 ベルティーナはそう言いつつも、言われた通りのコップに口をつけた。途端、奇妙な味がして、咄嗟にコップから口を離す。

「アルヴェルト、なんだ、これは? やけに苦味の強い水だ、まさか、毒を盛ったのではあるまいな?」

 アルヴェルトは両手を胸元の位置に上げて、かぶりを振った。

「とんでもありません! そちらが今程申し上げた、『あるお客様からのご注文があった薬』ですよ、ああ、お客様」

 アルヴェルトはリュシールを見やる。

「お代は結構です」

 リュシールは少し遅れて、アルヴェルトの意図を理解した。今ベルティーナが飲んでいる水には、あの時の、リュシールがアルヴェルトから買おうとした薬と同じものが入っている。それをベルティーナも漠然とだが理解した。

「ふん、くだらん小芝居を見せてくれるな、アルヴェルト」

「はて、なんの事でしょうか?」

 ベルティーナはコップの水を一気に飲み干した。リュシールはアルヴェルトに向かい一礼をする。

「ありがとうございます、アルヴェルト様」

「『様』とは恐れ多い、お気軽にアルヴェルトとお呼び捨て下さい」

 アルヴェルトは窓の外に目を向けて、「さて」と話を切り替える。

「夜も随分と更けてきました。お二方もさぞお疲れでしょう、隣の寝室をお使い下さい」

 ベルティーナは空になったコップを食卓へ置いた。

「お前はどこで寝る?」

「私は薬師ですから、まだ作るべき薬が残っております。私の事はお気になさらず、今はお休み下さい。明日の朝食は私にお任せを、貴族の食事には到底及びませんが、久々に腕を振るってご馳走をご用意します」

「そうか、では、その言葉に甘えさせてもらおう」

「お休みなさいませ、ベルティーナお嬢様、リュシール妹様」

 ベルティーナとリュシールは隣の寝室へ入っていった。アルヴェルトは椅子に座り、しばらく読書をしてから、静かに眠りについた。

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