第5章 姉の容態と妹の行方



  イルミッツェ王城 執務室にて


 ルファネは机に向かい、二老大臣の補佐を受けながら執務をこなしていた。彼は動かしていた羽根ペンを止め、顔を上げる。

「ブルジェ、捜索隊を国内全土へやって十数日が経つが、経過の方はどうなっている?」

 ルファネの問いに、ブルジェは嘘偽りのない報告をする。

「は、陛下、申し上げます。先日、北北西へ向かった捜索隊の一隊が、進行途上の村にてミリアリーノル公爵らを発見したとの報告がございました。しかし、確保までには至らず、公爵らは北へと逃亡したと聞きました。また、その情報をお耳にしたドルチュード公爵は進行方向を転換なさり、ミリアリーノル公爵らをご自身の手で捕らえんと、北の街へと向かわれたようです」

「そうか、ドルチュード公が自ら、しかし何故に北の街なのだ? あそこは国境街であろう、ミリアリーノル公がわざわざそのような場所へ行くとは思えないのだが」

「は、何でも、ドルチュード公爵はそこへ捜索隊の拠点を構えるおつもりで、街の騎士団にも協力を要請し、国境周辺の捜索に注力なさろうとお考えのようでございます」

「まあ、よかろう」

 ルファネは羽根ペンを再び動かそうとして、はたとある事を思い出した。

「そう言えば、ミリアリーノル公には忠実な側近がいたな、公の逃亡を手伝っている者もその側近と聞いたが。確か、名はなんといったか」

 この質問にはもう片方の老大臣が答える。

「は、陛下。リア・バルバードと言う名でございます。ミリアリーノル公爵の直属の従事者であり、唯一の側近でもあります。しかし、そのリアがいかがなさいましたか?」

「少し気になったのだ。ミリアリーノル公の下僕とは言え、そのリアも一人の人間であろう、国へ刃を向けてまで自分の仕える主を助けるとはな。殊勝な奴よ、何故にそのような愚行を犯してまで己が主を助けるのか、不思議でならん」

 老大臣はブルジェと顔を見合わせて、こう尋ねる。

「失礼ですが、陛下、ミリアリーノル公爵とリアの関係をご存知ないでしょうか?」

「いや、知らんな。丁度良い、執務にも少し疲れてきたところであったのだ、話してみよ」

 ルファネは羽根ペンを置き、椅子の背もたれに深く寄りかかった。

「は、陛下。では、引き続き私がお話し致しましょう」

 老大臣は姿勢を正し直してから、話を始める。

「そもそもの事、リアはオルシャンツァ家に仕える従事者ではなかったのでございます。元々は庶民の生まれであり、その暮らしは平凡以下だったそうで、生誕してから一貫した母親なしの父親育ちであったと聞きました。ミリアリーノル公爵がそんなリアをお拾いになったのは、公爵が当主の座に就かれて間もない頃の事です。リアの父親が虐待の嫌疑にかけられ、二回の裁判を経た結果、有罪・第一級罪とされ最上苦刑に処されました。その後、身寄りがないリアを、何より当時の彼女の惨たらしい状態を憐れみ、公爵がお拾いになりました。実際の所、この父親は自身の娘であるリアに相当な虐待を加えていたようでございます。その虐待のせいで、彼女は体の至る所に傷跡を残し、喜怒哀楽の表情はおろか言葉すらまともに発せなくなっていたと言います。唯一見せる反応といえば、彼女へ手を伸ばした際に見られる酷く怯えた様子だけだった、とも聞きました」

 ここまで話して、老大臣は話し忘れていたもう一つの事実を思い出す。

「そうでございました。その拾われた当時の彼女には、というよりも生まれた時からでございましょう、彼女には名前がなかったそうでございます」

「何、名前がない? つまり、生まれた時に授かって然るべき名を与えられなかった、という事か?」

 ルファネは思わず口を出した。

「左様でございます。故に、公爵は名のない彼女に、現在の『リア・バルバード』という名をお与えになったのです。それから、公爵はリアを家の召使として働かせ、現在に至るという訳でございます。その間の事までは詳しく存じ上げておりませんが、当時と比べて現在の彼女の状態は良いようでして、恐らく公爵のご慈愛が実を結んだのでしょう」

 老大臣はここで一拍の間を置いた。

「リアが公爵に忠実な理由としましては、彼女が公爵に恩義を感じ、また信頼をおいているからだと、私は勝手ながら思っております。この話は以上でございます、陛下」

 話を聞き終えて、ルファネはしばらく考えてこう言う。

「なるほど、そうであるなら、かのミリアリーノル公が大罪を犯したとは信じ難いな。よいか、これは我が最初から考えていた事なのだが、公が本当に罪を犯したのかどうか、我は半信半疑でおったのだ。しかし、今の話を聞いて、公の罪は冤罪であるという考えが強くなった」

 これを聞き、ブルジェが意見する。

「恐れながら、陛下、ミリアリーノル公爵は間違いなく罪を犯しております。それは公爵の館から出た書類が証明しております、牢から脱獄し国から逃亡する事が罪の裏付けに他なりません。もし、公爵が本当に罪を犯していないと言うのであれば、その無罪を証明する事は容易です、何より我らから逃亡する必要がございません」

 ブルジェの意見に、ルファネは痛い所を突かれたと感じる。

「お前の意見は最もだが、かの聡明かつ美麗なミリアリーノル公がこのような罪を犯したなどと、俄に信じられない気持ちが我にはあるのだ」

「陛下、どうか、あの見かけにお騙されにならないで下さい。人は見かけに寄る事はない、と私は常日頃存じております。甘い果実には大抵毒があるものです、美しい植物には大抵刺があるものです、見とれるという行為は自らの視野を狭め、身に迫っている危険を見逃してしまいがちになるものです。何卒、お考え直し頂くようにお願い申し上げます」

 ブルジェは焦る気持ちを抑え、深々と頭を下げた。ルファネはその言葉に共感する。

「ふむ、それもそうだな。特に、見とれる云々の言い分はよく理解出来る。ある冒険家などは、遥か先の壮大な景色に見とれて歩くあまり、目の前に迫っていた崖に気づかず転落してしまったという、なんとも間抜けな話だ。そのような阿呆に我はなりたくない。どうやら、我は公の完璧なまでの才色に目が眩み、危うくその咎を許してしまうところであったらしい」

 ルファネは考えを改め、ブルジェに目をやり、

「ブルジェ、よくぞ、我に正気を取り戻させてくれた、おぬしは老大臣としての役をしかと果たしたのだ、大義であったな」

「勿体なきお言葉にございます。私は陛下をお思いになればこそ、この忠節は今は亡き前陛下がご存命の頃から貫き通してきたものでございます。これからも、私の忠誠は万が一にも折れたりなどは致しません」

「うむ、よく言ってくれた、おぬしも公のリアに劣らぬ忠義者だ」

 ルファネはベルティーナの有罪をほとんど疑わなくなっていた。死刑を免除する気は変わらずにあるものの、罪に対する罰は厳格に与えようと考えていた。ブルジェはルファネや老大臣にばれぬよう、心の内で安心のあまり溜め息を漏らす。

 ルファネ達は中断していた執務を再開した。



  イルミッツェ王都より北の地 森林の奥にて


 ベルティーナ達は山の麓付近にある小さな湖の傍にいた。山から湧き出る僅かな水の流れによって出来た湖であり、辺りには背の低い木々が密集している。土には柔らかな草の絨毯が生え渡っており、近くの木々や茂みには野生の柑橘類がまばらに自生していた。

 ベルティーナが倒れてすでに四日の時が経っていた。それでも、彼女の体調が良くなる気配はない。リアやリュシールの懸命な介護も虚しく、日に日に彼女の容態は悪化するばかりであった。

 木の根元を背に寝込んでいるベルティーナの顔や首周りを、リアが水気を含ませた布切れで拭う。リュシールはベルティーナの傍に座り込み、その様子を見守っている。

 ベルティーナは高熱であった。体が火照り、汗が吹き出していた。呼吸は少しも安定せず、意識はあるものの完全にはっきりとしている訳ではない。

「ベルナお嬢様、このままでは御身がお持ちになりません。どうか、私に街へ行く許可を……」

 リアがそう言うと、ベルティーナは弱々しく首を横に動かす。

「駄目よ、貴女が今ここを離れたら、一体誰がリュシィを守るというの?」

「しかし、その前にお嬢様が」

「リア」

 ベルティーナはリアの言葉に被せる。

「私は大丈夫よ、私を誰だと思っているの? このような不調など、数日もあれば自然と快復するわ」

 その強気な発言とは裏腹に彼女の声はか細い。それを見て、リアは痛ましく感じた。

「承知致しました。お嬢様、布を洗って参りますので、少々お待ち下さい」

 リアは立ち上がって、少し離れた湖に向かった。湖のほとりでしゃがみ込み、手に持つ布を水面下に浸して綺麗に洗っていく。そこへリュシールがやって来て、リアの隣で彼女と同じ体勢を取った。

「リア、お姉様は大丈夫なの?」

 リアは手を止めてリュシールの方を向く。

「申し訳御座いません、私は医者ではないためそこまでは分かりかねます。しかしながら、今日までのお嬢様のご様子から察しますに、快復へ向かう気配は一向になく、完治までには相当の時間がかかると思われます。それまでに、お嬢様が御身へのご負担にお耐えられになるかどうか、それにも依るかと」

 リアの正直な答えに、リュシールは気を重くする。

「何故、お姉様はこのようになってしまったの?」

「恐らく、慣れぬ外での生活に加え、立て続けに起こったご不幸が原因かと思われます。また、それ以前に、お嬢様は町の政治などの執務に大変ご尽力なされていました、そのために御睡眠や御食事などの多くを犠牲になさいました。きっと、お辛かったのでしょう」

 リュシールはベルティーナをなんとか助けて上げられないものかと考える。塞ぎ込む様子を見せる彼女を見て、リアは続ける。

「私も出来る限りの事は致します。一番良い方法は、私が北の街へ向かい薬を手に入れてくる事ですが、お嬢様がそれをお許しになりません。今はご様子を窺いますが、もし急を要する場合になれば、例え私がお叱りを受けお暇を頂戴しようとも、ベルナお嬢様をお救いして御覧に入れましょう」

 リュシールは「ありがとう」と言って、湖の水面を眺める。リュシールからの話題がもうない事を確認して、リアは再び布を洗い始める。そして、それを終えると、リアはベルティーナの元へと戻っていった。

 リュシールは水面に映った自分の顔を見つめながら、ある事を考えていた。薬があれば、少しでも早くお姉様を助けて上げられる、リアが行けないのなら私が行けないものか、と。リュシールはベルティーナに負い目を感じていた。自分が失敗したり助けてもらったりして、ベルティーナの足を引っ張っている。今まで一度も役に立っていないのだから、今この時こそ姉であるベルティーナに役立つ事をしたかったのだ。

 色々と悩んだ末に、リュシールは決意する。それを実行に移す機会を窺うため、まずは夜になるのをじっと待った。夜になってもその機会は訪れなかったが、ひたすら辛抱強く待った。

 夜が更けると、夜番に務めていたリアはついうとうとし始めてしまった。王都から抜け出してからの十数日間をほとんど寝ていないためであった。リアはなんとか起きていようと努めるが、ここ最近は溜まっている疲労にどうしても耐え切れない事が多々あった。

 リアが遂に寝てしまったところを見計らい、リュシールは硬貨の入った袋を持って森の中へ入っていった。


   ◇


 リュシールは森を抜けた先にある小さな村を目指していた。暗い森の中を、木の枝や藪に服を引っ掛け、腕や足に擦り傷を作りながらも、必死に走っていた。一人で走る森の中はいつもよりも闇が濃く、枝を伸ばした木々が行く手を遮っているように感じられた。森を抜ける頃には朝を迎え、目の前には村が見えていた。

 村に入ると、リュシールは馬の嘶きの聞こえる小屋へと向かった。そこで早朝から馬の世話をしている男性一人を見つけ、その人に話しかける。

「あ、あの、すみません」

 男性は振り返ってリュシールの顔を見る。

「おや、どうしたんだい、お嬢ちゃん? ここじゃ見ない顔だが、外から来たのかい?」

「えっと……、はい、そうです、あの、突然訪ねてきて悪いのですが、馬を一頭貸して戴けませんか?」

 リュシールは慣れぬ他人との会話におどおどしていた。男性は突拍子のない彼女の頼み事に少し驚いた顔をする。

「馬をかい? う~ん、いきなりそんな事を言われてもねえ、何か急ぎの用でもあるの?」

「えっ、その、北の街まで行かなければいけないのですけど、私のお姉……」

 リュシールは自分達の置かれている現状を思い出し、言葉を言い改める。

「私の大事な人が病気で寝込んでいるのです、急いで薬を買いに行かなければいけないのです。えっと、途中まで乗ってきた馬は、その、逃げられてしまって」

 男性はリュシールの様子から、その言葉の真偽を判断しかねていた。薄く髭の生えた顎に手を当ててしばし考え込む。

「う~ん、そうだとしたら大変だけど、この馬達も私の大事なものだからねえ。貸して上げたいのは山々なんだけど」

 リュシールは困った。リアから聞いたところ、ここから北の街へ行くには馬で一、二日ほどかかってしまうとの事だった。街まで徒歩で走り続けたとしても、その三倍以上の時間がかかってしまう。

「お願いします、どうか、ほんの数日の間だけでいいので、必要であればその料金もお支払いします」

 リュシールは涙ぐみながら男性に懇願した。その一生懸命な姿に、男性は良心を突き動かされた。それに女を泣かせたとあっては男の恥だとも考えて、参ったと後頭部を掻く。

「ああ、分かった、分かったから泣かないでくれ。ちゃんと硬貨も支払うって言うなら貸してあげるよ、ただし馬は必ず返してくれよ?」

 男性が了解してくれた事に嬉しくなって、リュシールはぱっと笑顔を作った。

「ありがとうございます、必ず料金も添えて馬をお返しします」

 男性が小屋から引いてきた一匹の馬を、リュシールは受け取った。リュシールは男性に再度お礼を言ってから村を出て、馬に乗り北の街へと向い始めたのだった。


   ◇


 リアは目を覚まして、いつの間にか自分が寝ていた事に気付いた。自分の失態を悔やむより先に、二人の無事を確かめる。まずはベルティーナの眠っている姿があって一つ安心し、次にリュシールの姿を探す。しかし、その姿はどこにも見当たらない。どれだけ辺りを見回してもリュシールの姿はなく、リアは焦った。

「お嬢様、大変で御座います」

 リアは声を押さえ、ベルティーナを急いで起こす。体調を気遣い、ベルティーナの肩を優しく叩く。やがて、ベルティーナはゆっくりと目を開けた。

「どうした?」

「ベルナお嬢様、大変で御座います、リュシィ妹様のお姿がどこにも見当たりません」

「なんですって!」

 それを聞いて一瞬で状況を理解し、ベルティーナは勢い良く立ち上がった。が、その途端、激しい目眩に襲われてうつ伏せに倒れてしまう。リアは慌ててベルティーナを抱き起こした。

「お嬢様、無理をなさってはいけません、御身に障りましょう」

「いいえ、リュシィを探さなくては、あの子にもしもの事があってからでは遅いわ」

 急に体を動かしたせいで、ベルティーナの呼吸は乱れ肩が大きく上下していた。また立ち上がろうとするも自分の体をうまく支え切れず、リアの腕に再び戻ってきた。

「恐れながら、その前に、お嬢様の御身にもしもの事が起こってしまいます」

 ベルティーナは薄く開いた目をリアに向ける。

「そう、私は自分の体すら満足に動かせないのね、私の可愛い妹がいなくなってしまったというのに。では、リア、私の代わりに貴女がこの辺りを探しきて頂戴」

「しかし、それではお嬢様がお一人になってしまいます」

「いいから、構わないから探してきなさい。これ以上、私に喋らせないで頂戴」

 リアはやや迷ったが、ベルティーナの言葉に従う事にする。

「かしこまりました、この辺りを徹底して探して参ります。もし、お嬢様の御身に危険が迫った時には、そこの湖に物を投げ入れて音を立てて下さい、私がすぐに参上致します。では、失礼致します」

 リアはベルティーナを元のようにそっと寝かせて、足早に森の中へと入っていた。

 ベルティーナは待っている間、リュシールの事を考えていた。自分の妹の安否を考えると居ても立ってもいられず、何度も自分で探しに行こうとした。その度に、今はリアが探しに行っているからそれを待たなければと思い直した。緊急時に限って自分の体が思うように動かない事に、ベルティーナは煩わしさと悔しさを感じていた。何故、女の体はこんなにもか弱いのだろうか、と。

 日が落ちかけてきた頃に、リアはベルティーナの所へ帰ってきた。リアの服は土や葉で汚れていた。彼女はベルティーナの傍に跪く。

「お嬢様、只今戻りました」

「御苦労、それで、どうだったのかしら」

「はい、それが、どうやらこの森にはいないようで御座います。また、数多の可能性も考慮し、足元の土も注意深く調べて参りました。しかし、第三者と思われる人間や馬の足跡は見当たらず、リュシィ妹様の足跡も見つける事が出来ませんでした。もし、妹様がお一人で森をお抜けになったのであれば、その足跡をこの私が見落とした可能性も御座います」

「つまり、リュシィはいなかった、という事ね?」

「左様で御座います」

 ベルティーナは息苦しさもあって溜め息すら出せず、深く項垂れた。

 有益な手がかりを見つけられなかった事に、リアは自分の力不足だと悔やんだ。

「申し訳御座いません、お嬢様。元はと言えば、私が夜番の際に寝てしまった事が原因なのです。お嬢様が大事になさっている妹様をお守りする事が出来ませんでした、その罪は重いと承知しております。私はいかなる処罰でも甘んじてお受け致します」

 リアは深く頭を下げて、ベルティーナの叱責を待った。ベルティーナは病を患っていながらも淑やかな所作で片腕を伸ばし、その手の平をリアの頭に乗せた。

「貴女の言う通り、自分の役目をこなせなかった事には感心しないわ。でも、私は人の労を労えないほど愚かな人間ではない。リアは十分に私やリュシールを守ってくれている。あれだけの長い日数を寝ていなければ、誰だって眠くなってしまうわ、それに貴女の体にも悪いでしょう?」

 リアは改めて、己の主の寛大さを実感した。思慮と分別を弁え、寛容でありながら臣下を思いやる心を持っている。そんなベルティーナに数年仕えてきたリアには、そのような実感はもはや日常的であった。

「いつまで、そうやって頭を下げているの? 面を上げなさい」

 ベルティーナに言われて、リアは顔を上げた。リアの頬にベルティーナの手が触れる。

「貴女への処罰は後に考えておくわ。今は、リュシィを探す事に集中しなさい、あの子も……」

 次の言葉を喋ろうしたところで、ベルティーナは咳を零した。

「お嬢様!」

 リアはベルティーナの背中に手を添える。はっとして水を飲ませようとするリアを、ベルティーナは「大丈夫よ」と制した。

「声を出すのも疲れるわね」

「お嬢様、あまりご無理をなさらずに。妹様をご心配するお気持ちは私も痛く承知しております。明日、私は近くの村まで向かい、そこで妹様を見た者がいないか探して参ります。それまでごゆっくりとは申し上げませんが、せめて御身をお休めになって下さい」

「そうね、急いても仕方がない。しかし,リュシィの身の事を考えると、ぐっすりと寝られそうもないわ。私が寝ている間に、あの子が寂しい思いをしているのではないか、そんな想像をするだけで、私に襲い掛かってくる睡魔などたやす撃退出来てしまうもの」

 そこまで言って、ベルティーナはまたもや咳をした。リアはやはり彼女の体調が心配になって、「失礼致します」と断りを入れると、控えめな手つきでベルティーナの喉元に触れる。

「お嬢様、お喉の方が平常より熱いように感じられます。失礼ですが、最近、お嬢様のお声が日を追うごとに掠れているように思われます。どうでしょう、お辛くないでしょうか」

「そうね、少し息苦しいわ」

「では、お水を」

 リアは手際良く水を用意し、ベルティーナに飲ませる。ベルティーナは、先程は大丈夫だと制して退けた水を飲まされて、なんとなく流れに押し切られたように感じた。そのベルティーナの心情を目聡く受け取って、リアは引き締めていた口を僅かに緩ませた。

「そろそろ夜になります。微睡みに御身を委ねるだけで良いので、どうかお休みになって下さい」

「分かったわ。それより、今の表情、貴女はいつになっても笑顔が下手なのね。私以外の人間が見たら、笑ったという事実にすら気付かないわよ」

「そうでしょうか?」

「ええ、そうよ」

 ベルティーナは少しだけ、自分の体が軽くなったような気がした。同時に、リュシールを一刻も早く見つけ出さなければ、という思いを強くした。今、リアと交わしたような話の輪にリュシールもいて欲しいと感じたからである。

 月の欠けた夜が更け、そして明けた。

 早朝、リアは近くの村に行き、リュシールの情報を得た。それをベルティーナに伝えて、二人はリュシールと同じように村の男性から馬を借り、北の街を目指す。リュシールの居場所が分かった二人は、走る馬を更に急がせていた。

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