第4章 盗賊との遭遇



  イルミッツェ王都より北西の地 とある村にて


 王都より各地へアデラール率いる捜索隊が派遣され、それに先駆けてミリアリーノル公爵一味の罪状が国内に布告されてから、すでに数日が経過していた。

 ベルティーナ達はその事をまだ知らず、王都の北西にある村の宿で体を休めていた。村の様子などは最初に訪れた村とほぼ同じで、宿の部屋の造りも同様、彼女達にとっては狭く感じられる質素な部屋であった。

 ベルティーナはベッドに浅く腰を下ろして、同じく向かい側のベッドに体を小さくして座っているリュシールと、その側に控えているリアへ交互に視線を配った。

「明日はここから北東へ、森から山を超えて、その先にある村を目指すわ」

 ベルティーナが囁くような声でそう言うと、そこへリアが口を挟んだ。

「ここから北東の村ですと、その近くに街が御座います。帝国との国境に位置する要害の街である故、王国の正式な騎士団も多い上に警備も厳しく、危険だと思われますが」

「そんな事は知っている。リア、貴女は私を馬鹿にしているのかしら」

 不意にベルティーナの口調がきつくなった事に、リュシールはぴくりと肩を強張らせた。普段のベルティーナであれば、このような些細な事に苛立ちを示すような度量の狭い態度にはならなかった。それというのも、国から追われる身となって慣れぬ生活を強いられているために気が立っているのだ。

 主の心境をよく理解しているリアはベルティーナの態度に動じる事なく、静かに頭を下げる。

「いえ、滅相も御座いません。ただ、ベルナお嬢様には、何かお考えあっての事なのかと」

「ええ、そうよ。その村に着いたら、貴女には情報を集めに街まで向かってもらうわ。国はいつまでも鈍くはない。そろそろ、何らかの大きな動きがあるはず。特にアデラール、あの男が私の捕まる事を黙ってじっと待っていられるはずがない」

 ベルティーナは、この不利な状況を打開する術を考えていた。

 もし、罪を問われているのが自分一人だけなら、国を誤った方向へと誘導するアデラールを刺し違えてでも取り除こうとしていただろう。だが、彼女の目の前には愛しい妹のリュシールがいる。アデラールを殺したところでベルティーナの冤罪に対するリュシールの連座は免れず、罪なき妹を守るためには、国税横領の告発が捏造である事をアデラール自身の口から認めさせるか、自分の手で証明するしかない。

 その時機を窺うために、アデラールや国の動向を探る必要があった。

「貴女一人に危険な役目を任せる事になるけれど、お願いできるかしら?」

「はい、喜んで仰せつかります」

「そう、それならいいわ」

 ベルティーナがリアから視線を切ると、この部屋にすっと静けさが生まれた。

 リュシールは向かいのベッドに座る姉の顔を見て、そこに疲労と苦悩の混じった暗い影が落ちている様子を見て取った。妹として、何か言葉を掛けてあげたいと思い、精一杯の勇気と一緒に声を絞り出す。

「お姉様?」

 その声に気づいたベルティーナはリュシールの顔を見やる。

「何かしら」

「その……」

 どんよりと曇った空模様を湛える姉の瞳を見た途端、気の利いた言葉を見失ったリュシールは何もないですと言いかけ、それをぐっと飲み込んだ。

「お姉様は、その、お辛くないですか?」

「そうね、辛いわ」

 ベルティーナは気怠げに薄らと笑ってみせて、正直な気持ちを答える。

「でも、私は大丈夫よ。リュシィ、貴女がいるのだから、それよりも私は、貴女に元気でいて欲しいの。あの王都から旅立って以来、貴女は少しも笑顔を見せてくれないのだもの。……いえ、ごめんなさいね、このような状況で笑顔を作れという方が酷な話。そんな無理を我が愛しの妹に求めるなんて、半生も生きぬ内に私も耄碌してしまったのね」

 最近のベルティーナは少しずつ不調をきたし始めていた。まだ、逃亡生活が始まって七日の時も経っていないにも関わらず、すでに一ヶ月以上もこの生活を続けているとばかりにぐったりとしているのだ。

 リュシールはただベルティーナの気を紛らわせてあげたかった。それなのに、やっとの思いで絞り出した言葉が彼女の意思に反し、かえって姉に後ろめたさを感じさせてしまった。

「お姉様、お体の方は大丈夫なのですか? お顔色があまり優れていないようですし、私、ここの宿主からお水を貰ってきます」

「いえ、いらないわ」

 リュシールがベッドから立ち上がって廊下に出ようとした時、ベルティーナはそれを制す。

「たかが水を貰いに行って、自分の顔を覚えられに行く必要はないもの。それにリュシィ、貴女、またその恰好で外へ出ようとしていたつもりなの?」

 リュシールは自分の恰好を確認して、自分の過失に気づく。顔を隠すためのマントを羽織り忘れていた。鼻より下の顔が肌を晒し、その顔は誰がどう見てもリュシールのそれだと分かってしまう。

 ベルティーナは溜め息を吐く。

「前の村でも注意をしたはずよ。人の前に出る際はその顔を隠すようにしなさい、と。私の心配をしてくれるのは嬉しい。他人へ気を配れる事も、我が妹として私は誇らしくすらある。だけど、それで失敗しては全てが水の泡。リュシィ、貴女は少し自らの所作にも気を配った方が良いわ」

「ごめんなさい、お姉様」

 リュシールは肩を落とし、元の座っていたベッドへと戻った。

 あまりにも不憫なリュシールの様子に、リアは思わず首を突っ込んでしまう。

「ベルナお嬢様、リュシィ妹様はお嬢様をお気にかけるあまり失態を犯してしまったのです。どうか、その事をご留意頂くように私からお願い申し上げます」

「分かっている。リア、貴女のその頭はいつからそんなに鈍くなったのかしら。私はその事を承知した上で注意を促しているの。元より幼少の頃から、リュシィの注意力は少々欠けている部分があった。こんな状況であればこそ、私はリュシィのためを思って言い聞かせようとしているの。先程から貴女は……」

 そこまで言って、ベルティーナはつと口をつぐんだ。

「いえ、貴女は私の側近としてよく働いてくれている。今程のように私へ口を利ける従事者、もっと言えばそのような人間は貴女ぐらいですもの。それにしても、少し疲れたわ」

 ベルティーナは自分の座っていたベッドに足をのせて、横になる。

「私はこのまま眠らせてもらう。リア、周囲への警戒を一切怠らず、何かあればすぐに私を起こしなさい」

「かしこまりました。それでは、ごゆっくりとお休みなさいませ、ベルナお嬢様」

 度重なる苦労による疲れもあって、ゆったりとした睡魔がベルティーナを夢の世界へと誘った。数秒も経たない内に幽かな寝息を立て始める。

 これを聞いてベルティーナは眠ったものと察し、リアはリュシールへと体を向けた。

「リュシィ妹様も、少しお休みになれられてはいかがですか?」

 ベルティーナの睡眠を妨げないように声量を抑えて、かつリュシールが聞き取れるようにはっきりとした声でそう言った。

 リュシールも疲れてはいたが、眠くはなかった。けれど、こうして起きていてもする事がない。

「そうね、私もそうする」

 リュシールは一度立ち上がって、ベルティーナの元へ近寄った。姉の寝顔を覗き込むと、彼女は夢の中でさえ心安らぐ時を得られないのだと悟った。

「お姉様」

 ぼつりとそう吐いて、リュシールは自分のベッドに戻って眠りについた。

 それを見届けて、リアは部屋全体を見渡せる位置でそっと佇み、周囲へ気を巡らせる。ベルティーナの幽かな寝息に紛れてしまうような、小さな物音でさえ聞き逃すつもりはない。出来る事なら、二人に与えられた限りある休息を誰も邪魔しないで欲しい。そう、リアは願うのであった。



  前場に同じ その夜更けにて


「ベルナお嬢様、どうかお目覚めを!」

 ベルティーナはリアの声で目を覚まし、ベッドから上体を起こした。

「何事だ?」

「はい、どうやら、国からの追手のようです」

「何、追手だと?」

 目を覚ましたばかりのベルティーナの体に緊張が走る。

 リアは報告を続ける。

「つい先程、外から地を伝って、軍馬と統率された軍靴の足音が聞こえてきまして、私が外の様子を素早く窺ってきたところ、村のすぐ近くに国旗ともう一つの旗と松明とを掲げた小隊が見えました。それは国が遣わした捜索隊らしいのです。今にも村を丸事覆すが如く、私達の姿を探し出そうとしています。どうか、迅速に身支度をお済ませ下さい」

「なんて事、私達の居場所がばれたというのか?」

 ベルティーナはそう思ったが、事実はそうではない。王都から全方角へと派遣された捜索隊の内の一隊が偶然、進行方向にこの村を捉えただけの事であった。

「リア、リュシィを起こしなさい。すぐにここから立ち去るわよ」

 ベルティーナはベッドから飛び降りた。腰に剣を差し、マントを羽織り、弓と矢筒を背負って、荷袋を肩へ掛ける。リアはリュシールを起こして彼女に身支度をさせた。

「さあ、ベルナお嬢様、リュシィ妹様、そこの窓からお早く外へ! 傍には馬を引いてあります、それにお乗りになって北の山へ続く森へお逃げ下さい」

 ベルティーナが窓を開け放ち外へ出る。それにリュシールも続き、リアも二人の後を追って外へ飛び出た。

 その時、身の危険を感じたリアは背の弓と矢を手に取り、今出てきた窓に向けて矢を放った。放たれた矢は真っ直ぐと窓を抜け、その部屋の出入口である扉に向かう。矢が扉を射抜くかと思えたところでその扉が開き、そこにいた騎士兵一人の首へと突き刺さる。

 何が起こったのかも分からぬまま、その騎士兵は息絶え床へと倒れてしまった。その後ろに続いていた数人の騎士兵が一瞬だけ気後れをして、こう叫ぶ。

「い、いたぞ! ミリアリーノル公爵だ!」

 その声を聞いた他の騎士兵達がベルティーナ達の元へと迫ってくる。

 迫り来る騎士兵達の足音を聞き、リアはベルティーナとリュシールを急がせる。

「さあ、お早く! そこの馬に! そして目の前の森の中へ!」

 ベルティーナ達は馬に跨がり、宿の裏手に広がる森へ逃げ込んだ。彼女達は必死に馬を走らせ、北へ北へと逃げた。背後に追手の気配と足音を感じながら、行く手を遮る木々の間を縫うように走り抜けていく。

「追え! 決して逃がすな!」

 暗い森の中を追手の荒い大声が響き渡る。

 歩兵はともかくとして、馬に乗った騎士兵達はしぶとくベルティーナ達を追い回してくる。兵の手には松明が握られていたが、ベルティーナ達に明かりはなかった。急いで逃げ出したため、当然明かりが用意出来なかったのだ。夜の森は、その暗闇と目の前に広がる木々とで視界が極めて悪い。追手に比べて、ベルティーナ達は思うように馬を走らせる事が難しかった。

 しかし、それは彼女達にとって利点でもあった。ベルティーナ達は明かりを持っていないため、その姿は森の暗闇にうまく溶け込んでいたのだ。追手はベルティーナ達の足音を探ろうとするも、自分達の足音とそれらが混ざり、容易に聞き分ける事が出来ずにいた。

 次第にベルティーナ達と追手の距離は離れていった。

 追手の気配が完全に消える頃には、ベルティーナ達は山の麓へと差し掛かっていた。

「どうやら撒いたようね」

 ベルティーナが馬の歩を緩めると、他の二人もそれに合わせた。

「リュシィ、大丈夫?」

 ベルティーナは前を向いたまま、リュシールに声だけを投げ掛けた。それに対して、リュシールはベルティーナの背中へ視線を投げ返す。

「は、はい、大丈夫です」

 追手から逃げている最中、ベルティーナはリュシールを気にかけていた。

 リュシールが自分達に遅れてしまわないか、手綱捌きを狂わせて落馬してしまわないか。馬術を不得手とするリュシールを心配していたのだ。これからも追手から馬で逃げる際には、リュシールの危うい馬術に気をかけねばらないと思うと、ベルティーナは肩の荷が重くなるように感じた。

 リアが自分の馬をベルティーナの馬の斜め後ろにつける。

「ベルナお嬢様、これからはどうなさいますか?」

「そうね、明日の朝までにはこの山を越えてしまいたいものだわ。そして、越えた山の麓でひとまず休息を、村に寄るのは止めておきましょう」

 山を登ろうと、ベルティーナ達が馬の歩を進めていた時だった。

「ベルナお嬢様、リュシィ妹様、お気をつけ下さい。何やら私達の周りに、獣の群れか何が蠢いているようです」

「ええ、そのようね」

 ベルティーナ達は歩を止め、その場で辺りの様子を窺った。人の殺気に敏感な二人とは違って、リュシールだけがその気配をうまく察知する事が出来ずに戸惑っている。三人はじっと立ち止まっていたが、いつまで経ってもその気配が姿を現さないので、ベルティーナは遂に痺れを切らした。

「何者だ! 我らの周りで目障りな動きをするのは」

 すると、木々の間や藪の中から幾人もの人間が姿を現した。皆、ぼろ布の服に身を包み、ある奴は剣や槍を持ち、またある奴は弓や盾を手に持っており、ベルティーナ達をぐるりと囲っていた。その内の数人が火を起こし、松明を掲げる。盗賊の集団であった。

 その頭である一人の人間がベルティーナ達の前に進み出てくる。

「いや~、俺らの気配に気付くとはな、とんだ強者とみえる。いやね、なんだか、俺らの縄張りの近くで騒がしくやってやがると思って見に来て見れば、お前さん達を見つけてな、その後をつけさせてもらったという訳さ。……ん? お前さん、よく見れば、あのミリアリーノル公爵じゃないか?」

 ベルティーナは己の爵位を気安く呼ばれた事に苛立ちを覚えた。

「はっ、そういう貴様らは、その身なりと訛りから察するに畜生同然の賊であろう?」

 盗賊の頭はへらへらと卑しく笑い、ベルティーナをじろじろと見る。

「いかにも。しかし皮肉だねえ、俺らが畜生同然の賊なら、お前さん達は国の畜生でありながら賊に成り下がった国賊だというじゃねえか? 俺らよりよっぽど哀れだねえ」

 盗賊の頭のその言葉で、ベルティーナの苛立ちは更に倍増する。

「黙れ、畜生以下の賊め! 貴様らに哀れみをかけて貰うなど虫唾が走る! 我は国へ背いてなどいない、貴様らより幾分も哀れで堕落した貴族に嵌められたのだ」

「ああ、そうかい、そうかい。でも、俺らにはお前さん達の身の潔白なんざ関係ないね。それにしても、こんな所で恰好の餌にありつけるとはなあ、お前さん達を捕まえて国へ渡してやれば、たんまりと褒賞を貰えそうだ」

 ベルティーナは盗賊の頭を突き刺すように睨みつける。

「下衆が!」

「へへっ、畜生から下衆へ昇格させてくれるのかい? さすが、麗しく名高い貴族様は寛大だ、こんな俺らとは育ちが違う」

 掴みどころがなくのらりくらりと減らず口を叩く盗賊の頭に、ベルティーナは留まる事のない苛立ちを募らせていく。

 リアはその様子を見ていて我慢出来ず、馬を前へと進ませた。腰に差した鞘から剣を抜き、その切っ先を盗賊の頭へ向ける。

「そこをどけ、世界全てのどれにも劣らぬ畜生めが! 我が主を愚弄するなど身の程を弁えろ、さっさとそこをどかぬなら、今すぐにでも貴様の首をその胴体から切り離し、貴様の手下共に晒し示してやるぞ!」

 リアの表情は凄まじく険しく、その声は地に響き渡るようであった。殺気で満ちたその瞳は盗賊の頭をしかと見据えている。

 盗賊達の中にはそれに怯える様子を見せる者もいた。だが、盗賊の頭は依然としてへらへらと笑い、舐めるようにリアを見やった。

「おお、怖いねえ。だが、その目は悪くねえな、お前さんはどこの誰か知らないが、と言っても、見る限りこいつの召使ってところだろうが、どうだい? 俺らの仲間にならねえか? お前さんのその目つきは、貴族に仕える人間の上品さとはかけ離れている、俺らみたいな賊の方がよっぽど似合っているぜ?」

 リアはその誘いを無視し、別の言葉を以て返事をする。

「喋るな、そこをどけと言っている」

「そうかい、残念だ」

 盗賊の頭は心底残念と言うように落胆してみせて、溜め息を吐く。

「お前ら、こいつらを生け捕りにしてやんな! 絶対に殺すんじゃねえぞ!」

 盗賊の頭の号令を合図に、周りの盗賊達がベルティーナ達に襲いかかってきた。ベルティーナは剣を抜き、リアと共に身を構える。

「リュシィ、貴女も剣を抜きなさい! 自分の身は自分で守るのよ」

 ベルティーナに言われて、リュシールは慌てて剣を抜いて構えた。リュシールは人を殺した事がない。ベルティーナは自分の身は自分で守るようにと言ったが、こうなった時のためにリアと打ち合わせをしていた。もし追手の騎士兵と剣を交わせなければならない時、リアは主よりも妹の方を守るように、と。

 ベルティーナ達は襲い掛かってくる盗賊達に応戦する。リアは事前に命を受けていた通りリュシールを守るように戦う。

 毅然として剣を振るうベルティーナやリアと比べて、リュシールは剣の構えすら心許ない。ただ剣を前に持つだけで、どこに目をやればいいか分からずおろおろとしている。争いを好まない彼女は当然、このような斬り合いにも慣れていない。ベルティーナやリアに斬られた盗賊達が上げる悲鳴を聞いては、びくびくと体を震わせるしかなかった。

 ベルティーナとリアは最初こそ奮闘していたが、徐々に追い詰められていく。いつの間にか乗っていた馬が殺され、地に足がついていた。いくらベルティーナやリアが女性に珍しく剣術に優れていても、多勢に無勢とあっては、盗賊達にじりじりと距離を詰められていた。

「お嬢様、ここは我が命に代えても、私が退路を切り開いて御覧に入れましょう」

「ええ、出来る事ならそうして頂戴。事がうまく運べば、その貴女の後ろに続いてここを抜け出し、貴女もろとも引っ張って逃げ出せるもの」

 その言葉に感じ入ったリアは覚悟を決め、捨て身すら恐れず足を踏み出そうとした。

 その時、近くの群れから盗賊の頭が飛び出し、リュシールの身をかっさらっていった。

「しまった!」

 ベルティーナかリアか、あるいはそのどちらの口からもそう漏れた時には遅かった。もうすでに、盗賊の頭は彼女達と十分な距離を置いていた。ベルティーナに向き直り、リュシールの首元に短剣をつきつける。

「女のくせしてよく頑張ったものだな。だが、俺だって馬鹿じゃないんでね、こうしてお前さん達の足手まといを盾にこう要求させてもらう、『やい、こいつの命が惜しかったら、武器を捨てて大人しく投降しな!』、さあどうする?」

 ベルティーナは悔しさと怒りで剣の柄を固く握り締めた。

「もはや罵倒する言葉すら思いつかん、貴様の性根は余程腐り切っているらしいな!」

「そりゃそうだ! そうでなきゃ、こうして人質は取らないし賊もやってられないんでね。むしろ、お前さんのその言葉は俺にとっちゃ褒め言葉だよ。褒め言葉よろしく、お前さんの身もこっちへ寄越してくれるのなら嬉しいんだがね?」

「はっ! 貴様は賊でいるより、道化にでもなった方がお似合いであろうに」

「ああ、なるほど、道化か、それも面白そうだな。で、どうするんだい? 俺にこの足手まといを殺して欲しいのかい?」

 盗賊の頭はリュシールの喉元に短剣の刃をあてがった。リュシールが怯え、小さな悲鳴を漏らした。

 それを見て、ベルティーナはこう決める。

「リア、剣を捨てなさい」

「御意」

 ベルティーナとリアはその場に剣を放り投げ、背負っていた弓と矢筒も捨てた。

 盗賊の頭はせせら笑いを上げる。

「なあ、教えてやろう、俺が賊をやってて一番楽しいと思う事、それはさっきみたいな脅し文句が言えるからさ! おい、お前ら、早くあいつらを縛り上げな、帰ったら久々の酒盛りだ!」

 盗賊達は酒盛りという言葉に喜び、さっさとベルティーナ達を縄で縛り上げてしまった。

 三人は盗賊の集団に連れられて、北の山を登らされていく。

 山をしばらく登っていると、盗賊達が住処としている場所へと着いた。ベルティーナ達が連れて来られたその場所は、山の中腹にあった。そこだけ地形が平地になっており、周りが土や木々で囲まれている。

 そこには色んな物が散らばっていた。盗賊達が今まで盗んできた物、食料や酒の入った大樽、武器や防具を詰め込んだ袋、焚き火に使う薪の山、寝床に使用しているテントなど。隅の方には捕えた者を入れておく木の檻もあった。

 盗賊達は三人をその檻に放り込むや否や、早速酒盛りの準備を始める。中央で火を豪快に焚き、食料や酒の入った大樽を持ってきて、それを用意した杯に入れていく。準備が整うと酒盛りを始め、盗賊達はどっと騒ぎ出した。

 その様子を、ベルティーナは檻の中から眺めていた。品のない笑い声を上げ、酒と肉を食べ散らかし、掴み合ったり暴言を吐き合ったりする、そんな者達を低俗だと軽蔑した。両手と両足は縄で縛られていたが、幸い口までは塞がれていなかった。

「見なさい、リュシィ、あれが地に堕ちた人間の成れの果てよ」

 ベルティーナはそう言った。

 リュシールは館での暮らしの中で、あの盗賊達のように醜悪な姿をした人間を見た事がない。リュシールにとっての人間像とは、同族である貴族のような想像でしかないのだった。初めて見る人間の新たな姿。リュシールはそれを獣のようだと思った。

 時間が少し過ぎると、場が温まり盗賊達の体に酒が回り始めてくる。

 盗賊の頭がすっかり酔っ払った手下を三人ほど引き連れて、ベルティーナ達のいる檻へ近づいてきた。酒に強い盗賊の頭はまだまだ酔っていない。

「どうだい、気分の方は? もちろん、お前さん達の今の気分を聞いているんじゃあない、お前さん達が最悪な気分だって事は分かりきっているからな。俺は、初めて入れられた檻の居心地を聞いているのさ」

 ベルティーナは盗賊の頭を忌々しく睨む。

「はっ、知れた事を!」

「ああ、そうだったな、お前さん達は脱獄囚だったな。なら、檻へぶち込まれた経験はある訳だ、こりゃあ失敬、失敬」

 そこへ、三人の手下の内、一人が提案する。

「兄貴ぃ、こいつらを酒の肴にどうですぅ? どれも美人さんで、今まで攫ってきたどの女よりも色が白い。今日まで生きてきて、わしはこんな女らしい女を見た事がないですよぉ」

 これを聞いた二人の手下も「そりゃいい、そうしましょう!」と相槌を打つ。しかし、盗賊の頭は首を縦に振らなかった。

「ああ? 駄目だ、駄目だ、こいつらは国賊とは言え一国の公爵様だぞ? 国へ渡してやって、その後にもし、俺らがこいつらに手を出した事がばれてみろ、国は俺らを皆殺しにするだろうよ。俺らはここら辺じゃあ力のある賊だが、国の軍隊には敵わねえ、この生活を少しでも長く続けたいんなら、多少なりとも賢さは身に付けなきゃいけねえ」

 すると、先程相槌を打った一人の手下が言う。

「でもよぉ、兄貴ぃ、この二人はその公爵様と妹らしいが、こっちのもう一人の女は違うだろうぉ?」

 その手下に指を差されたリアはそれを睨みつける。盗賊の頭はリアを見て、手下の駄々には困ったものだと頭を掻いた。

「確かに、こいつは偉い身分じゃあねえな。今思い出したが、こいつはこの公爵様の従事者とやらで脱獄の手引きをした張本人だったっけ?」

「なら、いいじゃねえですかぁ?」

「でもなあ、こいつも一応国の手によって裁かれるべき罪人だからなあ……って、俺らも同じようなもんだが、罪人とはいえその身を穢したとなると国がなあ」

 黙っていたもう一人の手下が言う。

「兄貴ぃ、俺らみたいな大の賊が国を恐れる事はありませんよぉ!」

「いやな、俺だって国が恐い訳じゃあない、だけどあまり角が立つような事もしたくないんだよ。俺はこの生活が好きでよ、誰かに潰されたくないんだ、ましてや国に滅ぼされるなんて堪ったもんじゃあない」

「でもよぉ、もったいないですぜ、こんな女を捕まえておいて。丁度つい最近、あの女がいつの間にか逃げてしまったんですし、俺らも寂しいんですよぉ」

 盗賊の頭はしばらく考えて、こう言う。

「分かった、分かった! じゃあ、ただの戯れ程度で済ませるなら許そう、絶対にそれ以上の一線を越えないって約束できるんならな、つまり、国が調べて分かるような証拠を残す行為はするなって事だ」

 手下三人は二つ返事をして、その事を喜んだ。

「お前ら、その程度で満足出来るとは、そんなに寂しかったのかあ?」

 盗賊の頭は手下にそう言って、檻の中に入る。

 ベルティーナは手足の動かせぬ身を捩ってリアを庇おうとする。

「貴様、それ以上近づけば殺すぞ! 汚らわしい狗共め!」

「まあまあ、落ち着きなって、別にお前さんの召使の純潔を奪うつもりはない、ただ酒の相手になってもらうだけだ。それに、お前さんとその妹さんには手を出さないから安心しなって」

 盗賊の頭が手をかけようとすると、リアはそれから逃れようとする。

「私に触るな! 離れろ! その指を噛み切るぞ!」

 リアの威嚇は虚しく、彼女は盗賊の頭に抱え上げられてしまった。

 その時、リアの脳裏に過去のある記憶がよみがえった。ベルティーナに拾われる前の、過去に父親から受けた仕打ちを思い出し、体の底から恐怖が湧き上がってくる。

「嫌、離して! あんな事はもう嫌、離して! お願い! ああ、お嬢様、どうかお助け下さい!」

 リアは精一杯抵抗するが、盗賊の頭の手から逃れる事は出来ない。ベルティーナは縛られた手を伸ばそうとし、冷たい土に倒れこんだ。

「畜生、外道、血も涙も知らぬ化け物め! 貴様、分かっていような、私の大事なリアに手を出してみろ、ただの少しも楽には殺さんぞ!」

「お嬢様、お助け下さい! お嬢様!」

 リアの泣き叫ぶ声も、ベルティーナの憎悪が籠もった罵詈雑言も、盗賊の頭には届かなかった。ベルティーナは自分の無力を悔み、早く夜が明けてくれと切に願う。この様子を見ていたリュシールは恐ろしさと悲しさでただただ涙を流していた。

 盗賊達が囲む大きな焚き火は激しく燃え上がっている。暗い夜を赤く染めるその火が盗賊達を照らし、その光景をベルティーナの目に焼き付けていた。


   ◇


 盗賊達は酔いと騒ぎ疲れたせいもあって、皆寝静まっていた。焚き火は消えている。月明かりの差した暗闇の中に、盗賊達のいびきと虫や獣の鳴き声があるだけだった。

 ベルティーナやリュシールは眠る事など出来ず、檻から抜け出す方法を考えていた。ベルティーナは時折、リアの方に目をやる。

 リアに関してはやっと落ち着きを取り戻していたところだった。酒盛りが終盤にさしかかったところでようやく檻に戻されたのだ。その時の彼女はがたがたと身を震わせ、瞳孔が大きく開いていた。今は疲れたように目線を下げ、あれほど乱れていた呼吸も静かである。

 ベルティーナは辺りの様子を窺う。檻を見張る者もおらず、盗賊達もぐっすりと眠っている。今檻から抜け出す事が出来れば、盗賊達の寝首を掻き逃げる事が可能だと踏んだ。

 ベルティーナが暗闇をじっと見ていると、一人の盗賊が檻へ近づいてきた。その盗賊は檻を開ける。そして、手に持っていたベルティーナ達の剣や荷物をその場に置いた。

「待っていて下さい、今、縄を解きますから」

 そう小声で吐き、その盗賊は懐から短剣を取り出した。ベルティーナ達の手足を縛っている縄を順々に解いていく。この盗賊は若く、良心を持ち合わせていながら賊をやっていた。以前に捕らわれていた女を逃がしたのも彼である。

 ベルティーナ達の縄を解き終わると、その盗賊は立ち上がる。

「さあ、早く逃げて下さい、他の者が目を覚まさない内に」

 その盗賊はベルティーナ達に背を向けて、檻から出ようとする。

 そこへ、ベルティーナはそっと手元の鞘から剣を抜き、その盗賊の心臓を背中から突き刺した。同時に、悲鳴が漏れぬようにその盗賊の口元を片手で覆う。

「っ!」

 その盗賊は一瞬だけ全身の筋肉を硬直させた後、絶命した。それを確認して、ベルティーナはその盗賊の体から剣を引き抜く。リュシールはベルティーナの突然の行為に驚愕していた。

「お姉様?」

「リュシィ、貴女はここで待ってなさい。リア」

 ベルティーナはリアに目配せをして、血のついた剣を片手に檻を出た。リアはそれまでの顔色を変え、傍にある鞘から剣を抜きベルティーナの後に続いていった。

 リュシールは見た。暗闇の中、ベルティーナとリアが眠っている盗賊達を皆殺しにする様を。最初に数人が殺され、その後に物音を聞いて目覚めた盗賊達も次々と殺されていった。薄暗闇のそこかしこから悲鳴が上がる。寝込みを襲われた盗賊達は抵抗する暇もなく殺し尽くされ、最後には盗賊の頭一人が残された。

 盗賊の頭は丸腰のまま、山の地層が剥き出た壁に追い込まれる。

「おい、待て、お前さん達、どうやって檻から抜け出したんだ?」

 ベルティーナは盗賊の頭を見下す。

「さあ、どうだろうな、それより命乞いはないのか?」

「へっ、腐っても俺は賊の頭、男だ、そんなみっともない真似なんざあ出来ねえよ」

「そう、犬畜生なりの意地という訳か、それは立派な事だ。もし、私が貴様の裁判を行っていれば、貴様には最上苦刑を言い渡していただろう、いや、それとも今ここでその刑を執行してやろうか」

 盗賊の頭は無理に笑ってみせる。

「なんだい、その最上苦刑ってやつは、聞いた事ねえ刑罰だな」

「ほう、知らないのか、まあそれも仕方のない事か、この刑はあまりにも残酷過ぎる故にどの領でも廃止され、今では私の領内でしか扱っていない刑であるからな。どうだ、人生の最後にその刑を味合わせてやろう、何、貴様の至る所の部位を切り落とし虫炙りにするだけだ。安心しろ、途中で死なないよう時間をかけて削いでやる」

 ベルティーナはリアに命令する。

「リア、貴女が刑を執行しなさい、手順は分かっているわよね?」

「御意」

 リアは前に進み出て、盗賊の頭の顔を一瞥する。その顔に、過去に自分へ酷い仕打ちをした一人の人間の顔を重ねた。そして、刑を執行する。盗賊の頭は今まで感じた事のない苦痛を味わいながら、刑の仕上げである火炙りで死んだ。盗賊の頭の死体を炙る火が燃え上がり、そこへ夜を漂う虫達がたかる。

 ベルティーナはその火を眺める。

「リア、貴女は着替えてきなさい、その返り血が大量についた服では着心地が悪いでしょう?」

「お心遣いに感謝致します」

 リアは自分の荷物のある檻へ向かっていた。それと入れ替わるように、リュシールがベルティーナの元へ走り寄ってきた。

「お姉様、何故このような事を?」

「なんでもないわ、罪人に罰を下した、ただそれだけの事よ」

 ベルティーナは目の前で赤々と燃え上がる火を眺め続ける。

「でも、ここまでする必要はないと思います」

「これは当然の報い、リュシィ、貴女も知っているでしょう、リアの悲しい過去を。この賊共はそんなリアの過去を想起させるような行いをした、それを考えれば、これでは足りないくらいよ」

「でも、私達を助けてくれたあの人は……」

「リュシィ、貴女は優しすぎるから納得出来ないかもしれないわね、私達が逃げ延びるためには仕方のない事だったのよ。あれも、腹では何かを企んでいたのかもしれない、そうではないとしても賊である事に変わりはない。私達は国の追手から逃げるだけでも大変なの、ここでこの賊を根絶やしにしておかなければ、この後の私達はもっと肩身の狭い生活を強いられていたでしょう」

 リュシールはベルティーナの背中を見つめる。その背中は、リュシールには少し恐ろしく感じられた。今まで戦場へと赴くベルティーナの姿はよく見送った事があったが、その手で人を殺していく姉の姿を自分の目で見たのは初めての事だった。

「お姉様は、人を殺める行為が恐ろしくないのですか?」

「ええ、でも愉悦であるとも感じないわ、戦争が常であるこの時代において殺人は必要な技術、ただそれだけよ。リュシィ、貴女は剣術や槍術、馬術も苦手だものね、帝王学や兵法も然程理解していなかった。もっと平和な時代に生まれていれば貴女の考えが正しかったのでしょうけれど」

 リュシールの頭に無情という言葉が浮かび、アデラールのあの言葉を思い出させた。例え自分がベルティーナを愛していても、ベルティーナにとっての自分はただ妹という名の服を着た人形なのかもしれない、一度要らなくなったり飽きられたりすれば捨てられてしまうのかもしれない、そう思えてしまった。

「ベルナお嬢様」

 着替えを終えたリアが、自分達の荷持を持って二人の元へと戻ってきた。ベルティーナが振り返り、燃え上がる火を背にする。

「早速、今から山を越えるわ、馬がないから徒歩になるけれど、リュシールもリアも我慢して頂戴」

 ベルティーナ達は松明を用意し、山越えを始めた。山を覆う緑を掻き分けながら、緩やかな傾斜を上り、そして下りていく。ベルティーナは今日中に山を越えられるだろうかと心配していたが、夜明け頃には山の北側の麓まで辿り着く事が出来た。

 それから、まだ北へ続いている森の中を歩いている途中、リアはふとベルティーナの様子に異変がある事に気づく。

「ベルナお嬢様、失礼ですが、少々お顔色が悪ように見受けられます」

「そうかしら、私は特に何も感じないが……」

 言葉の語尾がぼやけ、ベルティーナは足元をふらつかせ地に倒れ込んだ。リアとリュシールが慌ててベルティーナの傍へ駆け寄る。

「お嬢様!」

「お姉様!」

 ベルティーナは気を失ってはいなかったが、その意識は朦朧としていた。自分が倒れた事をうまく理解していない。ただ、掠れゆく視界にリアとリュシールの姿をぼんやりと捉えていた。

「どうしたのかしら、体が動かないわ」

 ベルティーナの声には力がなく、リア達の耳までには届いていなかった。

 リアがゆっくりとベルティーナを抱き起こし、声をかける。

「お嬢様、どうやらお疲れのようです、すぐさま介抱致しますので、今しばらくご辛抱下さい」

 リアはベルティーナを抱えて、近くの木の根元へ座らせた。荷袋から水筒と布を取り出し、まず水を飲ませた。それから布に少量の水を含ませて、ベルティーナの顔を拭っていく。

 リュシールが心配し、彼女の手を握った。

「お姉様」

 ベルティーナは僅かに残った気力を振り絞り、リュシールに向かって薄く笑ってみせた。

「リュシィ、私は大丈夫よ、そんなに心配しないで頂戴」

 ベルティーナの息遣いが幽かに荒いせいで、その声もとぎれとぎれであった。

 リアは一旦手を止めて、リュシールの方を向く。

「リュシィ妹様、恐れながら、お嬢様の介抱をしばらくお願いしてもよろしいでしょうか。私は近くに湖がないか探して参ります、決して長い間ここを離れは致しません」

「わ、分かったわ」

「有難う御座います、では、失礼致します」

 リアは木や藪の生い茂る奥へ走っていった。

 リュシールがベルティーナの顔を覗くと、ベルティーナは目を瞑っていた。リュシールは咄嗟に、彼女が息を引き取ったのではないかと肝を冷やした。が、ベルティーナの肩が呼吸で上下している事に気づき、ほっと胸を撫で下ろす。

 やっと夜が明けたにも関わらず、リュシールは不安ばかりを抱き続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る