第56話「それじゃ、出発しようか」

「お兄ちゃん、準備出来たー?」

「あー、ちょっと待ってくれ!」

「早くしないと、集合時間になるよ」

「分かってる! えーっと、財布どこに置いたっけ……」


 気づけば、夏休みへと突入した。

 思い返せば、随分と濃い一学期だったように思う。色々な出来事の末、妹の涼奈、そして同級生の中野との関係も大きく変わり……そして今日は。


「すまん、待たせた」

「ううん。大丈夫──って」


 待たせてしまった謝罪をしつつドアを開けると、そんな俺の姿を見た涼奈が、何やら嬉しそうな表情を浮かべ。


「それ、この間買った服だよね?」

「え? ああ、これな。せっかくだし、着てみるかと選んだんだけど……」

「そっか……! うん、似合ってる!」


 どうやら、今日の服装を喜んでいたらしい。

 この間、涼奈と買い物に出た際に選んでもらった上下。自分では、似合ってるのかよく分からなかったが……涼奈の反応を見るに、少なくともおかしな格好ではないのだろう。


「それじゃ、そろそろ向かうか」

「うんっ」


 こうして俺と涼奈は、目的地である駅へと向かい始めた。

 そう。今日は俺と涼奈、そして中野の三人で行く、旅行の日、当日なのであった。



 集合場所の駅前に到着すると、中野の姿が見えた。


「中野、もう来てたのか」

「ああ、ついさっきね。二人も、集合時間にはまだ少し早いみたいだけど?」

「そうですね……今日、凄く楽しみにしてたので、遅刻だけはしたくないなって」

「そっか。楽しみにしててくれて、企画者としては嬉しい限りだよ」


 中野家の所有する別荘とやらにお邪魔することとなった今日。目的地まではおよそ一時間近くかかるとのことで、電車で移動することとなった俺たちは、早速切符を購入し、車内へと乗り込んだのだったが……。


「……ど、どうした。座らないのか?」


 二人ほど座れる広さのシートが、対面する形で並んでおり、最大四人座ることのできるボックス型の空間が出来ていた。

 一番初めに電車へと乗り込んだ俺は、ひとまず奥側の席へと座ったのだが……何故か、涼奈と中野が席に座ろうとしない。


「杏子さん、どうします……?」

「んー、僕は別に、どっちでもいいんだけど……」


 あ、これもしかして、どっちが隣に座って、どっちが正面に座るか、みたいな譲り合い起きてたりします?

 俺としては、別に誰が隣だとか、そんなのは特に気にならないが……。


「……ま、そこまで悩むことじゃないか。涼奈ちゃん、こっち側に二人で座ろうか」

「あ、そうですね。別に、一時間くらいの移動ですし」


 結果、俺の正面に二人が座る形で落ち着くこととなった。

 ……なんだろうな、この気の使い合い、みたいな感じは。俺を含め三人とも、先日の出来事がまだまだ尾を引きそうだ。




「そういや、今日向かう場所って、海があるんだよな?」


 電車に揺られること数十分。乗ったばかりの頃は何とも言えない空気が流れていた俺たちだったが、この頃にはすっかりいつも通りに戻り、話題は目的地である中野家の別荘の話へと移っていた。


「ああ、そうだよ。ちょうどウチの別荘が、海の目の前でね。部屋からの眺めも結構いいし、もちろん泳ぐこともできるよ。今回の旅行の目玉と言っても過言じゃないね」

「それは楽しみだな。ただまあ、泳ぐのは随分久しぶりだからな……ちゃんと泳げるか、心配ではあるが」

「ははっ。けど、僕もそうだね。泳ぎに、ましてや海に行くなんて、いつぶりだろうか。久しぶり過ぎて、涼奈ちゃんと一緒に、水着を新調したくらいだからね」

「そうなのか?」

「ああ。楽しみにしててくれると嬉しいな。ねえ、涼奈ちゃん?」

「そ、そうですね。ちょっとだけ、緊張しますけど……」


 水着……水着かぁ。

 その話を聞いて、何か思い出せそうなことがあるような気もしたんだが……なんだっけ。喉元まで出てるんだが、どうにもこれ以上上がってきそうにない。


「──さて、もうすぐ目的地に着くよ。と言っても、駅からバスに乗らなきゃだけど」


 おっと、もうすぐ到着か。

 まあ、そのうち思い出すだろう。さて、降りる準備をしなきゃな。



「──す、凄い……」


 電車を降り、バスで向かうこと数十分。

 綺麗な海が広がり、緑に囲まれた場所へとやって来た俺たちは、目の前に佇む別荘に思わず圧倒されてしまっていた。

 ……中野家、どうなってるんだ。この間行ったあの別荘も凄かったが、こっちも負けず劣らずというか……。


「本当に、俺たちだけで使っていいのか?」

「もちろん、許可は取ってあるよ。それに、両親も忙しくてなかなか来られていないみたいだしね。多少好き勝手しても問題は無いさ」


 それはまた、なんという贅沢な……。

 そうして、中野の後ろをついていき、家の中へとお邪魔する。やはりというべきか、綺麗な内装だ。

 とても、しばらく使われていなかったとは思えない。何でも定期的に掃除を頼んでいるらしいが……そこらにあるホテルや旅館と比べても、遜色ないんじゃないか?


「ここが寝室だよ。一応、ベッドは三つあるから、好きな場所を選んで」

「ここもまた、随分とお洒落な部屋で……って、ちょっと待て」

「ん? どうかした?」

「いや、どうかした? ではなく。今、三つあるベッドから、好きな場所を選べって言ったよな?」

「言ったねえ」

「……ってことは、俺もここで寝るのか?」

「そうなるねえ」

「……三人一緒にか?」

「……まあ、些細なことだよ」


 いや、十分アウトだろ!!

 妹の涼奈はまだしも、中野と一緒というのは……!


「他に、寝られる場所は……?」

「んー、一応寝室はここしかないからね。まあ、そんな気にしなくても大丈夫だよ。別に、何かあるわけじゃあるまいし。ね、涼奈ちゃん」

「ですね。せっかくの旅行ですし、三人一緒の方が楽しそうですし」


 ……はぁ、マジか。


 結局、家主に言いくるめられ、俺も二人と一緒の部屋で寝泊まりをすることが決定した。


 ……大人しく、一番奥のベッドで寝るか。

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