第52話「中野杏子と、高垣涼太郎」
中野と出会う前、学年で一番可愛い女子生徒は誰か。そんな話題を、悠一含む一部の男子生徒がしていたのを覚えている。
その時は、満場一致で「中野杏子」という女子生徒で結論が付いていた。
誰かと付き合うだとか、好きな女性は誰だとか、そういうことに興味が無かったわけじゃない。
ただ、どうにも自分とは遠い世界の話のような気がして……。だから、その時に聞いた「中野杏子」という名前も、結局はすぐに忘れてしまった。
あの日、たまたま訪れた部室で出会った同級生の女の子が、あの時に話題として挙がっていた「中野杏子」本人だということに気づいたのは、彼女と一緒に昼食を取るようになって、少し経ってからのこと。
男女間の友情は成立するのか。今まで十年以上、同級生の女子生徒はおろか、妹にすら距離を置かれていた俺は、成立しないものだと思い込んでいた。
だが、中野と初めて出会ったあの日。俺は、中野と二人の空間が、やけに居心地のいい場所に思えた。
会話は少なかった。最低限の情報交換のみで、とても友人と呼べるような存在でもない。
けど、なぜだろうか。
俺はそんな環境に、妙な居心地の良さを覚えていた。中野との間に流れる"空気"が嫌じゃなかったし、また次の日も、ここに来たいと思ったのだ。
中野は、どう思っていたのかは分からない。
けど、そうして毎日顔を合わせるようになって、いつしか部活にも積極的に顔を出すようになって、中野と会うことが日課のようになって……。
俺は別に、中野が学年で一番可愛い女子生徒だから、一緒に居たかったわけじゃない。
俺は単に、中野と一緒にいる時間が、好きだったから一緒にいたんだ。
男女間の友情は成立しない。
そう思っていた俺にできた、初めての女の子の友達。
◆
「中野はさっき、俺のことを友達だと言ってくれたよな」
「……ああ、言ったね」
「それは、俺も同じだ。俺も中野のことは、大切な友人だと思っている」
「…………うん」
「お前が俺のことを思って、色々としてくれたのは感謝してる。中野のおかげで、涼奈とも昔みたいな関係に戻れたからな。……だから、別にお前を責めようとか、そういうつもりでは一切ないんだけど」
先ほど言った言葉を、もう一度口にする。
「中野、お前は色々と考えすぎだ。俺にお返しがしたいだとか、そんなことは一切考える必要なんてない」
「け、けど……。僕が涼太郎に救われたのは本当のことで……」
「それが、考えすぎってことだよ。たまたま、俺と出会うまではお前のことを分かってくれる人間がいなかったのかもしれない。けど、これから先はどうなるか分からないだろ? もしかしたら、明日にでも新しい出会いがあるかもしれない。そうしたらお前、お返しをしなきゃいけない人間がどんどん増えていくことになるぞ?」
「……僕のことを分かってくれる人。そんな人、涼太郎以外にそういないと思うけど──」
「──でも、涼奈がいたじゃないか」
「……え?」
「俺以外にも、お前のことを分かってくれる人間。今日だって、涼奈が中野のところへ行くよう言ってくれなきゃ、きっと俺は、お前とこうして話すことは無かったと思う。……まあ、友達としては、お前のことに気づけてやれなかったのは申し訳ないと思うけどな。その代わり、俺以外の奴が、お前のことを気にかけてくれてたじゃないか」
「……涼奈ちゃんが」
涼奈が、本当は中野のことをどう思っているのかなんて、俺は知らない。
けど、もし中野のことを嫌っていたとしたら……あの場面で、俺に中野のところへ行って欲しいなんて、お願いするはずは無いだろう。
思えば、初めて中野と涼奈が出会い、一緒に料理を作って、俺に振舞ってくれたあの日。
会ったばかりとは思えないほどの距離感で、一気に仲良くなったのも。
涼奈は自覚していないかも知れないが、もしかしたら俺と同じように、中野との間に流れる"あの空気"が好きだったからなのかもしれない。
「さっきのは極端な話だけど、結局俺が言いたいのはな……お前のことを大切に思っている存在は、俺だけじゃないってことだ。だからな、中野。別に俺に対して特別な恩を感じたりだとか、お返しをしようだとか、そんなことは一切考える必要はないんだ。確かに、俺はお前にとって一番最初の友達かもしれない。けど、俺以外にも、お前の良さを分かってくれる人は、きっと沢山いるはずだ」
「……涼太郎」
「ちなみにもう一つ言うと、俺も中野が困っていたら、もちろん協力するぞ。けど、それは別にお前に恩があってとか、お返しがしたいとか、そういう気持ちから生まれてくるものじゃない。友達だから、お前に協力してやりたいって思うんだ」
「友達だから……」
「そう。だから、お前のしてくれたことを否定するつもりも無いし、さっきも言った通り『重い』とも思わない。ただ、考えすぎだってことを伝えたかっただけだ」
中野が、俺のことを思って行動してくれたのは嬉しい。
確かに、多少は自己中心的な行動をとってしまっていた部分もあったかもしれない。仲をとりもとうとしてくれたことは嬉しいけど、少し発想が飛躍してしまったのも事実だろう。
それでも、別に俺はそのことを咎めるつもりはない。
だって。
「それに、俺から中野に相談を持ちかけたりもしたからな。だからまあ、この件に関してはおあいこってことにしよう。んで、これから中野は、俺に対して恩義だとか、そういうのを考えるのは一切なし。普通の友達して、接してくれれば十分。もちろん、今後出会うかもしれない相手にも、だ」
もちろん、すぐに変わることなんて出来ないだろう。
中野の過去は、中野にしか分からない。
だけど……今回のことで、少しでも中野の中で何かが変わってくれれば、俺はそれで十分だと思う。
それから、しばらく無言の時間が続いた。
時間にしてみれば、ほんの数分だったかもしれない。
けど、俺にとってはものすごく長い時間のように思えた。
「……ふふっ。ありがとう、涼太郎。おかげで、少しだけ気持ちが晴れた気がするよ」
ようやく、中野は沈黙を破った。
「色々と、自分の行動を振り返ってみたよ。確かに僕は、色々と考えすぎてたのかもしれないね」
「……ああ、そうか」
「ただ。きっと僕は、涼太郎に対する恩を忘れることは出来ないと思う。……でも、これからはそのことばかりに固執するのは、やめようと思う」
そう言い、中野は今日一番の笑みを見せてくれた。
俺の言葉がどこまで届いたのかは分からないが、少なくとも中野の中で、何か一つ吹っ切れたものがあるのだろう。
だから俺も、今思っている、自分の気持ちを正直に伝えようと思う。
「そうだな、ゆっくり変わっていけばいい。別に俺は、逃げたりしないから」
このことがきっかけで、中野が少しでも成長できるのであれば。
俺としては、それで十分満足だ。
……と、いい感じで話がまとまりそうだったんだけど。
「そうみたいだね。どうやら僕は振られたみたいだけど、涼太郎を失うことは無いみたいだ」
「……へ?」
すっかりいつも通りに戻った中野が、突然そんなことを言い出した。
「おや、忘れたのかい? これは元々、僕が涼太郎のことを好きだって話から始まったことだよ?」
「……い、いや。別に忘れてはいないぞ? ただ、振ったっていうのは……」
「あれだけ『友達』って言葉を連呼されたら、そう思っちゃうのは自然なことだと思うけどね?」
「た、確かに……」
中野の言うことが全面的に正しい。
明確に告白を断ったわけじゃないけど、意味合い的には同じだし……多分、ちゃんと回答をしたとしても、同じような言葉に──。
「──ふふっ、冗談だよ。涼太郎が僕のことを友達以上に見ていないことは、ずっと分かっていたから。だから、自分の気持ちを秘めていたってのもあるし」
「な、中野……」
「……でも。涼太郎を失うことは無いって分かったから。それなら、これからは……」
「……な、何か言ったか?」
「ん? ああ、何でもないよ。ただの独り言さ」
俺の名前も聞こえてきたような気がするんだが……気のせいか?
と、中野のことを気にかけていると。
「さてと。本当は涼太郎の口から涼奈ちゃんとのことを聞こうと思っていたんだけど……ごめん、やっぱりあれは無かったことにしてくれていいよ」
「……え? けど、腹を割って話すんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだけどね。予定変更。涼太郎たち兄妹のことは、涼奈ちゃんから聞くことにするよ。僕からも、涼奈ちゃんに色々と言わなきゃいけないことが出来たからね」
「……ま、まあ。中野がそれでいいなら」
「……んー。あと、それ」
「それ?」
「中野って呼び方。いい機会だし、そろそろ名前で呼んでくれてもいいんじゃない?」
「な、名前呼びだって……?」
「だって、僕らは『友達』なんだろう? 今までは気にしてなかったけど、これからは『杏子』って、名前で呼んで欲しいな」
……最後の最後で、また難しい注文を。
涼奈以外、名前で呼ぶ女子なんて今までいなかったからな……。
前にその申し出を断ったのは、単純に恥ずかしかったからだ。無論、それは今でも変わらない。
「……き、杏子」
「うん。ありがとう、涼太郎」
けど──。
このタイミングで言われちゃ、その申し出を断ることは出来ないよな……。
【あとがき】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
一応、中野杏子編も区切りという形で無事に終わりました。
といっても、次回に「中野と涼奈の二人トーク」回が控えているわけですが……当初の予定では、その回+エピローグという形で物語を閉める予定でした。
ただ、予想以上に作品への反響があったので、今後も継続して連載するかどうか、正直悩んでます。
とりあえず、一から読み直して色々と修正作業をしたいなとは思ってるんですが……。
ひとまず、ご報告という形で。
今後については、また次回の更新でお知らせします。
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