第51話「中野杏子の、過去」

 リビングに置かれた机を挟み、向き合うようにして座る俺と中野。

 腹を割って全部話したい。

 中野のそんな提案を、結局俺は飲むことに決めた。

 そして、こうして中野と話をする前に、涼奈にも許可は取ってある。

 俺と涼奈が、血の繋がっていない義妹であること。

 今まで、どうして俺たちが不仲だったのか。それから、どうして今、俺と涼奈がこうして仲のいい関係を築いているのか。


『杏子さんになら、全部話してもいいよ』


 俺は、涼奈と中野が、どれほどの関係なのか、見たままでしか知らなかった。

 けど、涼奈にそこまで言わせるとは……案外、この二人の関係は、俺の思っている以上に深いのかもしれない。


「……さて、どこから話したらいいのかな」


 やがて、中野が口を開いた。


「涼太郎は察していると思うけど、僕の家はね、そこそこ裕福なんだ」

「そこそこ……このアパートに一人で暮らしててか……」


 どう考えても、女子高生が一人で住むには持て余すほどの広さ。

 家具一つを見ても、どれも高そうなものばかり。もちろん、俺に価値なんて分からないけど、素人の俺が見てもそう思うってことは……まあ、そういうことなんだと思う。


「小さい頃から、欲しいものは何でも手に入った。けど、僕にとってそれは当たり前のことで……自分が特別だってことに気づいたのは、小学校に上がったくらいの時かな」


 俺には分からない感覚。

 中野がどういう人生を送ってきたのか、想像することしかできない。


「両親が忙しくてね。子供の頃から、まともに顔を見て話をする機会なんて、年に数回あるかってレベルで。それに、二人とも僕にはあまり興味がなかったみたいで……兄弟もいなかったから、家ではずっと一人だった。けど、欲しいものは何でも手に入ったし、不自由することは無かった。それが僕にとっても当たり前だったんだけど……小学校に上がった時、周りとの違いに気づいてね。ショックだったよ、僕が普通だと思っていたことは、全部普通じゃなかったんだって」


「…………」


「小学校の頃は、僕もお金持ちの子供が集まる学校に通ってた。けど、周りの友達はみんな、両親から愛されてる子ばかり。忙しくてもキチンと時間を作ってくれて、ウチみたいな近況報告で終わる関係じゃなく、ちゃんと遊んでくれたりして……。その時に、羨ましいなって、思ったんだよ。だってみんな、すごく楽しそうだったから」


「それで、中野はどうしたんだ?」


「両親に電話をして、次の休みに一緒に遊べないかって聞いたんだ。けど、帰ってきた言葉は『忙しい』の一言。結局それから、両親が忙しくない日なんて、一日も無かった。そうして僕は、段々と自分の置かれている環境が嫌になってね……。高校も自分で選んで、実家を出ることにしたんだ。両親は、何も言わなかったよ。きっと、もう僕には興味がないんだろう。……いや、それは最初からか」


 何一つ、知らなかった。

 中野杏子に、そんな過去があったなんて。


「さて、僕の過去話はこれくらいにして……本題に入ろうか。どうして僕が、涼太郎のことを好きなのか。それから、どうして友達以上の関係を望まないか、だったよね」


「あ、ああ……」


「まずは、好きになったきっかけだけど……これは、僕もどうしてかよく分からないんだ。一年生の時、涼太郎がお弁当をもって部室に来るようになったこと、覚えてる?」

「確か、あれは悠一に彼女が出来て……それで、一人で飯を食う場所を探してたら、たまたまお前も部室で一人で食ってたんだよな」

「そう。あの時、僕はクラスメイトからやっかみを受けててね。教室に居づらくて困ってたんだ。そんな時に涼太郎が部室に来て、一緒にお昼を食べるようになった。……あまり君には言わなかったけど、嬉しかったんだ。初めて、友達が出来たような気がして」


「初めてって……」


「小学校の頃も、中学校の頃も、僕には友達と呼べるような人はいなかった。僕が周りと距離を置いてたのも理由だけど……どうも、僕の家はお金持ちの子が集まる学校の中でも、ちょっとばかり大きい方だったらしくてね。両親ともさっき話した通りだし、僕はずっと一人だったんだ。そんな時、現れたのが涼太郎だった」


 そうして、誰も自分のことを知らないこの学校へやってきたのか。

 俺も、中野の境遇については詳しく知らなかったし、聞こうともしなかった。だから、まさかそんなことを考えているなんて、思いもよらなかった。


「そして、二番目の答え。僕はね、涼太郎。君を失いたくないんだ」

「……は? 失いたくないって、何を言ってるんだ……?」

「君は、大したことをしたつもりはないと思う。けど、僕にとって涼太郎は初めてできた、大切な友達だ。あの時、毎日部室に足を運んでくれたことも、今こうして、同じ部活で活動をして、毎日過ごしていることも……どれも、僕にとってはこれ以上ないくらいの幸福なんだ」


 ずっと一人だったと、中野は言っていた。

 そこに現れたのが俺。確かに俺は、毎日中野と一緒に昼飯を食っていた。部活だって、なるべく毎日顔を出すようにしていた。

 何というか……気づいたら、それが当たり前になっていたから。


 けど、それは──。


「それは、別にお前のことをどうこう思ってのことじゃない。中野の話を聞いていると、なんだか俺が凄いことをしてやったみたいになってるけど……」

「さっきも言った通りさ。涼太郎にとっては大したことじゃなくても、僕にとってもは大したこと、なんだよ?」


 ……そうなのだろうか。

 そこまで、大それたことをしたつもりも、するつもりも無かったんだが。俺には。


「僕は涼太郎のことが好き。だけど……ううん、だからこそ、僕は『高垣涼太郎』という友達を、失いたくない。僕にとっては、初めてできた大切な存在だから。涼太郎は、僕の話を聞いて『重い』って考えたかもしれない。けど……僕にとっては、それくらいの出来事なんだって、知っててほしい」

「別に、そんな風には思わないけど……」

「本当は、喋るつもりは無かった。僕のことも、この気持ちも、全部」


 間違いなく、本心だろう。

 きっと、こんなきっかけがなければ、俺は一生知ることがなかったはずだ。


「……そして、僕は涼太郎に、何かお返しをしたいって思ってたんだ。僕に幸せをくれた涼太郎に、今度は僕から何か幸せをあげたいって。……けど、僕には難しかった。何をすれば涼太郎が喜んでくれるのか、それが分からなかったから。こんな人生を送ってきた僕だ、何かしようとしても、逆に君を傷つけてしまうかもしれない」


 中野は続ける。


「そんな時に、涼奈ちゃんの存在を知ったんだ。君は、涼奈ちゃんと不仲だって説明をしてくれたけど、あのお弁当を見たらすぐに気づいたよ。涼奈ちゃんは、決して涼太郎のことを嫌ってはいないってね。そうして、初めて出会ったショッピングモールで、少しだけ二人の時間を作ってもらったこと、覚えてるかい?」


「……そういえば、そんなこともあったな」


「あの時、涼奈ちゃんと話をして確信した。きっと、涼奈ちゃんは誰よりも涼太郎のことを大切に思ってるんだって。そこで気づいたんだ。僕にはできない、『涼太郎のことを幸せにしてあげることが出来る』存在は、涼奈ちゃんなんじゃないかって。だから僕は、そこであえて宣戦布告のようなことを涼奈ちゃんに言った。二人の関係を改善させなきゃ始まらないからね……少しだけ、発破をかけるつもりだったんだけど、まさかあんなにもすぐに話が進むなんて、思わなかったよ」


「……聞いていいか? その口ぶりだと、まるで俺と涼奈をくっ付けようとしているみたいだけど」

「くっ付ける……そうだね、結果的にそうなるのかもしれない。僕はただ、涼太郎にお返しをすることばかり考えていたから」

「一応、俺と涼奈は兄妹だぞ? それは、考えなかったのか?」

「もちろん、考えたさ。けど、涼奈ちゃんのことを見ていたら、それは些細なことなんじゃないかって思ってね」


「些細なこと……?」


「涼奈ちゃんの気持ちは本物だった。本当に涼太郎のことが好きで、涼太郎のことを考えているってのが伝わってきた。だから僕は、兄妹だからとか、そういうのは抜きにして、涼奈ちゃんのことをサポートしようって決めたんだよ」


 そう言い、中野は。


「──僕の話は、これくらいかな。それじゃ、次は涼太郎の番」


 俺に、会話の主導権をパスしてきた。

 言いたいことを、すべて喋って。

 ……全く。


「……言いたいことは、沢山ある」

「涼奈ちゃんとのことで?」

「いいや、お前のことだ、中野。涼奈と俺の話をする前に、まずは俺と中野の話、そこからする必要がありそうだ」

「……けど、僕の話はもう終わりで」

「俺の気持ちとか、意見とか、そういうのは全部無視するつもりか?」


「べ、別にそういうつもりは──」


「──いいか、中野。俺はお前のことを『重い』だとか、そんな風には言わない。けどな……ちょっと、色々と考えすぎだ」


 今度は、俺のターンだ

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