第38話「だいすき」

「お邪魔しますー……」


 玄関を開け、誰もいないと分かってはいるが、挨拶。

 中野曰く、普段はあまり使われていないらしいが……それにしては、随分と綺麗な場所だ。


「一応電気や水道も通っているから、時間を潰すのに問題はないと思う」


 そう言い、部屋の電気を付けてくれる。

 外は相変わらずの土砂降りだ。涼奈たち、大丈夫かな?


「さてと。それじゃ、とりあえずシャワーを浴びようか。いつまでも濡れたままじゃマズいだろうしね。一応着替えはあるはずだから、自由に使っていいよ」

「何から何まで用意周到だな、この家は……」


 金持ちってのは、皆こんな感じなのだろうか。

 中野って、普段はあまりそういうところを見せないから気づかなかったけど、やっぱりそれなりの家に育ってるんだろうなと、改めて実感させられる。


「それじゃ、涼太郎。先にシャワー浴びていいよ」

「え? いや、俺はあとでいいぞ。というか、先に浴びてこい。俺が風邪を引くのは別に構わんが、お前が引くとなんだか申し訳なさを感じる」


 というか、流石に女の子を差し置いて行動する気にはならない。


「……そうかい? なら、そうさせてもらおうかな」

「ああ。ゆっくりしてきていいぞ」

「分かった。なら、とりあえず暖房はつけておくから」


 そう言い、部屋の暖房を入れてくれる。

 夏とはいえ、服はびしょびしょだし、助かるな。


「暑くなったら、適当に温度を調節してくれ」

「了解。ありがとな」


 そうして、中野は先にシャワールームへと向かった。


「……さて、涼奈たちに連絡入れるか」


 ひとまず、別れた三人の様子が気になり、携帯を取り出す。

 ちょうど、先ほど電話がかかってきていたみたいだ。気づかなかった。


『あ、お兄ちゃん大丈夫?』


 涼奈からの着信を折り返すと、数コールですぐに出てくれる。


「ああ、俺と中野はとりあえず雨を防げる場所に避難したから大丈夫だよ。それより、涼奈たちは大丈夫か?」


 一旦、別荘にいるという話は黙っておく。

 問題ないとは思うけど、一応その辺は中野の許可を取ってからの方がいいだろう。


『うん。私たち、ちょうど駅の近くにいたからそこで雨宿りしてる』

「そうか。ならよかった」

『どうする? しばらく雨やみそうにないし、こっちはもう現地解散って感じになりそうだけど……』

「そうだな……とりあえず、落ち着いたら俺と中野も駅まで向かおうと思うけど、涼奈たちは先に帰ってていいぞ。ここから駅までちょっとあるしな。まあ、どうしようも無くなったら、タクシーでも使って駅まで行くことにするわ」


 高校生の財布事情的には、あまりタクシーを使うという選択肢は選びたくないが……背に腹は代えられないだろう。

 やがて、電話越しに三人で話し合う声が聞こえてきて。


『ごめんね、それじゃ先に三人で帰ることにするね。お兄ちゃんたちも気を付けて』

「ああ。涼奈も、気を付けて家まで帰るんだぞ──」


 ──ドーーーン!


「おおっ、ビックリした」

『う、うん。結構大きい雷だったね』


 お互い、大きな音に驚く。

 この雨だ。雷の一本や二本、落ちても不思議じゃないけど……結構近かったな、今の。


「それじゃ、本当に気をつけてな」

『うん。それじゃ』


 そうして、電話を切る。

 涼奈たち、無事に家まで帰れるといいんだが……。


 ──ドーーーン!


「……っと、またか」

 先ほどの一発を皮切りに、次々と雷の大きな音が聞こえてくる。

 まさか、こんなにも本格的な雷雨になるとは。ほんと、ここに中野の家があって助かった……。


『──ゃ』

「……ん?」


 外の轟音でハッキリとは聞き取れなかったが、何か声が聞こえてきた気がした。


──ドーーーン!


『──っ』


 いや、やっぱり間違いない。

 雷の音が鳴ると同時に、どこかから声が聞こえてくる。

 ……というか、中野の声じゃないか?

 慌てて、シャワールームの方へと向かう。


「中野、大丈夫か?」


 ドアの前から、声をかけてみる。

 しかし、反応がない。


「聞こえてるか?」


 やはり、返事がない。まさかとは思うけど、中で何かあったのか……?


「……入るぞ?」


 念のため、少しずつドアを開け、軽く中を覗く。

 もし、着替えの途中とかだったらマズいしな……軽く確認だけして、すぐに部屋に戻ろう。

 そう思っていたのだが……。


「……って、大丈夫か!?」


 脱衣所の隅っこでタオルケットを頭に被り、耳をふさいでいる中野の姿があった。

 服装は、先ほどのまま。どうやら、まだシャワーを浴びる前だったらしい。


「……えっ?」


 そんな中野は、俺の声がようやく届いたのか、こちらを振り返る。

 見たことのない表情だった。その目には、うっすら涙も浮かんでいるようで……。


 ──ドーーーーン!


「──ッ!」


 またも、大きな雷の音が鳴り響き、それに反応するように、再びタオルケットで頭を覆う中野。

 ……もしかしなくても、雷が苦手だったりするのか?


「……大丈夫、そうじゃないな」


 返事も返ってこないところを見ると、どうやら本格的に駄目みたいだ。


「中野、とりあえず部屋に戻ろう。いつまでもその恰好でここにいると、本当に風邪を引くぞ」


 近づき、肩を叩きながらそう伝える。

 体がかなり震えているのが分かった。相当怖かったみたいだな……。


「……あ、ああ。そうしたいのは山々なんだけど……どうにも、ここから動けそうになくてね」


 声も、若干震えていた。


「……そうか。けど、このままってわけにもいかないし」


 このまま俺だけ部屋に戻るわけにもいかない。

 かといって、二人とも脱衣所に残るのも……仕方ない。


「すまん、ちょっとだけ体に触れるぞ。嫌だったら、すぐに言ってくれ」

「──えっ? って、涼太郎!?」


 両腕に力を込め、中野の体を持ち上げる。

 左手で肩を、右手で膝の部分を支え……いわゆる、お姫様抱っこ状態。


「な、何をしてるんだい!?」

「部屋までこの状態で連れていく。向こうの方が、暖かいだろ?」

「そ、それはそうだけど……っ!」


 ──ドーーーン!


「──きゃっ」


 ちょうど抱え上げたタイミングで、またも大きな雷の音が鳴り響き……反射的にか、中野が俺の体に抱き着くような形になった。


「……よ、よし。このまま連れていく」


 意識するな。俺はただ、中野を運ぶだけ……ただそれだけ……。

 両腕から伝わってくる体温や、中野の柔らかい肌を感じつつも、無心を貫くためにそう自分に言い聞かせる。

 


「……よ、よし。おろすからな」


 やがて、脱衣所からリビングへと中野を運びきり、ソファにゆっくりと下す。

 なるべく意識しないようにと思っていたが……正直無理だった。脱衣所からここまで、近くて助かった。


「……す、すまない。迷惑をかけて」

「いや、それは大丈夫だ。それより、中野は平気か?」

「平気かそうじゃないかと聞かれたら、平気じゃないんだけど……」


 珍しく、弱音を吐く中野。


「雷、相当苦手みたいだな」

「……ああ。昔から、どうも苦手でね。いつもはああやって、部屋の隅っこでやり過ごしていたんだけど……」


 そういえば、こいつは今一人暮らしなんだよな。

 ということは、家ではいつもああやってやり過ごしてたのか。

 

 ─ドーーーン!


「──っ」

「お、おい! 大丈夫か?」


 そんな会話の最中でも、雷は鳴りやまず。

 またも大きな音が鳴り響き、側にあったクッションに、とっさに顔をうずめる。


「……僕はしばらくこうしているから、涼太郎は先にシャワー浴びて──」

「馬鹿。このままお前を置いていけるかって」


 そう言い俺は、中野の隣に座り。


「とりあえず、落ち着くまでは隣にいるから。俺なんかがいても、怖さが無くなるわけじゃないが……」


 ともあれ、今は隣にいてやるのが一番だと思う。

 今できることは、そのくらいだ。


「……それじゃ、一つだけお願いしてもいいかな」

「ん? なんだ?」

「頭を、撫でて欲しいんだ」

「……え?」


 今、なんていった?

 頭を撫でて欲しいとかなんとか……聞き間違えじゃ、ないよな?


「子供の頃、おばあちゃんが良くしてくれたんだ。雷の日は、そうしてもらうとすごく気持ちが落ち着てね……」

「そ、そうだったのか……」

「……ごめん、やっぱり何でもない。今のは忘れて──」

「──これで、良いか?」


 中野の言葉を遮り、右手で頭を撫でる。


「……涼太郎」

「すまん。俺も人の頭を撫でるって経験は初めてで……上手くできてるのか、正直分からん」


 しっとりと濡れた髪を、やさしく撫でる。


「……ありがとう。お陰で、少しだけ落ち着いてきたよ」


 その言葉通り、中野の表情は、少しずつ普段通りに戻ってきた。

 やがて、気持ちが落ち着いた結果か……。


「──ちょ、中野!?」

「ごめん、今だけ……こうさせてくれると、嬉しいかな」


 座っている俺の両足に、頭を乗せるような形で倒れこみ。

 まるで俺が、中野を膝枕してあげているような状況が出来上がった。


「……お前、あとで絶対後悔するぞ」

「どうだろうね。確かに、あとで恥ずかしくはなるだろうけど……」


 そう言いながら、中野は。


「けど、後悔はしないと思うよ。多分、ね」

「多分か。お前も、自信ないみたいだな」


 かくいう俺も、恐らく後で思い出して、恥ずかしさに枕で顔を埋めることだろう。

 ……まあ、それもいいか。



 やがて、中野を膝枕しつつ頭を撫で続けていると。


「……あれ、寝たのか?」


 気づけば、中野は両目を閉じてしまっていた。

 すうすうと、小さく寝息も聞こえてくる。

 落ち着いてくれたのは良かったが、それにしてもここまでリラックスするとは……。中野の寝顔なんて、貴重なものも見てしまった。


「──んんっ」

「……ん?」


 そうして寝顔を眺めつつ、これからどうしようかと考えていると、中野が何か言葉を喋っているのが聞こえてきた。寝言か?


「……りょう、たろう」


 俺の名前が出てくるとは。

 まさか、夢に登場しているのか。俺。


「……すき、だよ」


 おいおい、好きだなんて一体どんな夢を……。


「……は?」


 待て、今なんて……。


「……だいすき」

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