第30話「慣れない手つきで、気づいたこと」

「ほら、涼太郎。手が止まってるよ」

「え? ああ……って、ちょっと待ってくれ!」


 気づけば俺は、何故か野菜を切っていた。

 目の前にあるのは、大きな白菜。右手に包丁を握り、中野の指示通りに2センチ間隔で切っているのだが……これが、想像以上に難しい。


「ほらほら、次は鶏肉も切ってもらうからね。こっちは、1センチ間隔で」

「わ、分かった……その前に、まずは白菜をだな」


 慎重に、ゆっくりと包丁を入れていく。

 ……ど、どうだ。これくらいでいいのか?


「……ふふっ。何も、正確に2センチじゃなくてもいいんだよ。大体そのくらいでっていう、目安だからさ」

「いやでも、大きさが変わったら味も変化するんじゃないのか?」

「極端に大きくなければ大丈夫さ。それより、料理はスピードが命。もっと切る速度を上げてくれないと、次の作業にいけないよ?」

「り、了解した」


 そう言われ、先ほどより少し雑に、白菜を切っていく。

 やがて、切ったものを見せ中野からOKを貰い、次は鶏肉を手に取る。


「それじゃ、切った野菜と鶏肉を炒めていこうか。まずは油を引いて、次に生姜を入れて熱する。いい具合になったら、今度は鶏肉を色が変わるまで中火で熱するんだよ、分かったかい?」

「……す、すまん。もう一回説明いいか?」


 中野が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。

 いや、言ってることは分かるんだけど……どうにも今まで料理をするという経験をしたことが無かったから、全く想像がつかない。

 いい具合って、どれぐらのことを指すんだ……!?


「しょうがない。じゃあここは、僕も手伝うから……ほら、始めるよ」


 少し離れた位置から指示をくれていた中野が、スッと俺の横に立つ。

 そうして、一つ一つ隣で、丁寧に教えてくれ始めた。


 ……ぐっ。ち、近いな。


 今まで中野と、こんなに近い距離で何かをしたことなんて無かったから、少し緊張する。


「……ん? どうしたんだい?」

「い、いや……何でもない」


 様子がおかしい俺を見て、不思議そうな表情を浮かべる中野。

 だから、そうやって下から覗き込むのは辞めてくれ! なんか、めちゃくちゃ照れるから!


「……ふふっ。そっか」


 何か気づいたみたいだが、少し笑いを見せただけで、それ以上は何も言わなかった。


「とりあえず、次の作業を教えてくれ……」

「ああ、そうだったね。それじゃまずは──」


 そんなやり取りののち、俺は中野から完成までの手ほどきを受け……。



「出来た。鶏もも肉と白菜のしょうが炒めだよ」

 見事なまでに、美味しそうな料理が完成した。


「どうだい、涼太郎。一口食べてごらん?」

 菜箸で一つまみし、俺の口元へとおかずを運ぶ中野。……って、これっていわゆるあれじゃないのか。


「……い、いただきます」


 ただ、気にしすぎているのは俺だけなのかもしれない。

 そう思うと、恥ずかしがってることが、逆に恥ずかしいのかと思い始め……思い切って、差し出された生姜炒めを口にした。


「あっ──」

「ん? どうかしたか……って、美味いな。これ」


 料理は、確かに美味しかった。

 慣れない手つきで食材を切り、炒め。本当に俺が作ったものが、美味しくなるのか……と、疑問を持ちながら作業していたが、普通に美味しいものが出来上がってしまっていた。


「……って、中野? どうかしたか?」

「──えっ!? い、いや。何でもないよ」


 料理を食べるのに夢中になっていて気づかなかったが、何やらぼーっとしていたみたいだ。

 どうしたんだろうか?


「そ、それより。上手くいったみたいだね」

「ああ。……ただ、めちゃくちゃ大変だったけどな」


 隣で懇切丁寧に指導を受けたにも関わらず、完成までかなり苦労した。


「このくらいで音を上げているようじゃ駄目だよ。今日の料理は、これでも簡単なものを選んだつもりだからね?」

「こ、これで簡単な料理なのか……マジかよ」


 俺からすれば、充分高難易度のミッションだったんだが。

 そう言うと、中野はクスっと一つ笑みを見せ。


「これで分かっただろう? 料理ってのは、決して楽な作業じゃない。ましてや、これを毎日三回もこなすなんて、相当大変なわけさ」

「……ああ。そうだな。自分で作ってみて、改めてその大変さが分かったよ」


 中野が、何を言わんとするのか、聞かなくても分かる。


「それを、何年も続ける。自分のためだけじゃなく、他の誰かのために、だ。そのことの意味が、分かったよね?」


 中野にそう諭され、気づくことが一つ。


 少なくとも涼奈は、俺のために毎日こんなにも大変なこと、嫌な顔一つせずこなし続けてたんだよな……。涼奈が、どれだけ俺のことを大切に思ってくれていたのか、そのことを改めて知らされた気がする。

 そんなことも知らず、俺はただ一方的に涼奈の気持ちを拒絶した。

 ただ知っていることだけを事実ととらえて。


 俺は、涼奈のことを……何一つ、分かっちゃいなかったんだ。


「それじゃ、準備しようか」

「……準備?」

「涼太郎が作った料理を、涼奈ちゃんのところへ届けるんだ。タッパーは貸してあげるから、まっすぐ帰るんだよ?」

「これをか……?」

「ああ。これをもって、自分の思っていることを全部話すんだ。涼奈ちゃんとしっかり向き合って、いいね?」

「……分かった。ありがとう、中野」


 涼奈にはまず、謝らなければいけない。

 許してくれるのかは分からない。けど、自分の思いを全部伝えるためにも……。

 もう一度、涼奈ときちんと向き合って話をしよう。


「よし。それじゃ、忘れ物はないかな?」

「ああ。それは大丈夫だが……なあ、聞いてもいいか?」

「ん?」

「中野は、どこまで知っているんだ? どうして、俺と涼奈のために、ここまで色々としてくれたんだ?」


 帰り際。玄関で、中野にそんな質問をした。

 俺は中野に、涼奈とまた距離が生まれてしまったとしか説明していない。

 なのに、急に料理を作ろうと提案を受け、どうしてか理由を考えていれば、先ほどのような答えが返ってきて……中野は、俺と涼奈のこと、どこまで知っているんだろうか。

 どこまで知っていて、こんなにも色々としてくれたのだろうか。


「そうだね。僕は全部を知っているわけじゃないけど……」


 そう言うと、俺の目をジッと見つめ。


「涼奈ちゃんと僕は、似たところがあるから。放っておけなかったんだよね。それに」


「それに?」


「涼太郎には、返しきれないほどの恩があるから。今日のことで、少しでも涼太郎の役に立てたのなら、僕は嬉しいよ」


 と、答えるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る