第1話「妹と兄の日常は、大抵こんな感じ」

 朝は大抵、妹の涼奈と顔を合わせるところから始まる。

 そりゃそうだ。同じ学校に通っているんだから、生活リズムも当然同じになるだろう。

 ボランティア部なんていう朝の活動とは縁遠い部に所属してる俺と、帰宅部に所属する涼奈。そうなると、必然的に登校時間も被り、朝食も同じテーブルで取ることとなる。


「……」

「……」


 だが、俺と涼奈の間に、会話らしい会話は生まれない。

 黙々と、涼奈が用意してくれたトーストに手をつけ、俺は自分で淹れたコーヒーを、涼奈は牛乳を口にするのみ。


「ごちそうさま。行ってきます」


 やがて、先に朝食を取りはじめていた涼奈が食事を終え、テーブルを立った。

 そのまま兄に一瞥をくれることも無く、さっさと支度を済ませ、学校へと向かってしまう。

 いつもの光景だ。

 だから俺も、そんな涼奈の態度を見て何を思うことは無く。


「ごちそうさま」


 今日も、一人で学校へ向かうのであった。



 いつからだろうか。

 俺と涼奈の関係が、こんな風に冷めてしまったのは。

 ……倦怠期の夫婦が抱える悩みみたいな語り口になってしまったが、笑い事ではなく。


 少しだけ自分語りをすると、俺の両親は俺と涼奈が中学生になった頃から家を空けるようになった。といっても蒸発したとかそういう理由ではなく、父親が転勤で海外へ行くことになり、母親もそれに着いていく形で。

 はじめは俺たち兄妹も着いて行くことになるのかと思っていたが、いずれに日本に戻ってくることも決まっていたことと、近所に祖父の実家があること、それから慣れない海外生活に俺たちを巻き込むのを嫌がった母親の意見により、結局俺と妹の涼奈は、二人で実家に残ることとなった。


 多分、その時からだと思う。

 涼奈が、俺に対して距離を作り始めたのは。

 いやまぁ、元々そこまで仲が良かったわけではないんだけど。それでも、互いに会話くらいは交わしてたと思うし、ここまでそっけない態度を取られていたことも無かった……と思う。多分。覚えてないけど。

 

 そして両親が海外へ旅立ってからというもの、涼奈は部屋に篭りがちになった。

 といっても、引きこもりになったとか、そういうわけではない。

 学校だってキチンと通うし、休日に友達と出かけたりもしているみたいだ。

 ただ、それ以外の時間。自宅で過ごす時間の大半を、自室で過ごすようになったのである。

 理由は分からない。涼奈が、部屋で何をしているのかも知らない。

 ただ、涼奈と自宅で顔を合わせるのは、食事のときだけ。ここ数年、ずっと感じだ。


 それでも、決して嫌われているわけではないはずだ。

 現に、こうして今日も朝食を用意してくれているし、恐らく帰ったら晩御飯も作ってくれていることだろう。

 ただ、会話が無い。それだけだ。

 

 ……まあ、料理に関しては母さんからも随分と頼まれてたみたいだし、どこか義務感みたいなものもあるかもしれないが。

 何分、俺の家事スキル、特に料理に関しては壊滅的だからなぁ……努力すれば多少はマシになるかもしれないが、今のところは涼奈の世話になりっぱなしだ。

 ただそれも、この先どうなるかは分からないが。

 もしかしたら、今日の晩から準備してくれない、なんてこともありえる。

 俺と涼奈の関係は、いつ、何が起こってもおかしくない。そう考えると、なかなかに複雑なものだ。



「──あら、お帰り涼太郎」


 帰宅すると、久しぶりに見る母の顔がそこにあった。

 そういえば連絡が来てたっけ。今日一日だけ帰国するとかなんとか。


「母さん、もう帰ってきてたのか」

「ええ。さっき、飛行機で戻ってきたの。またすぐに出なくちゃいけないんだけどね」


 慌しいことだ。

 確か今は、ヨーロッパの方へ行ってるんだっけか。両親共々、仕事であちこちを飛び回ってるから、俺も詳しいことはよく分からん。

 まあ、こうして時々帰ってくるし、連絡も定期的に入れてくれるから、別に気にはならないんだけどな。

 さて、そんな母親が、どうして今日帰ってきたのかと考えていると。


「今日は涼太郎の誕生日だからね。お母さん、ご馳走作ったから」


 すぐに答えは返ってきた。そうだった、六月十五日は俺の誕生日だ。ちょうどこれで、十七回目の誕生日。

 どうにもうちの母親は、こういった行事ごとが好きらしい。誕生日だけでなく、結婚記念日だクリスマスだ正月だと、事あるごとに張り切ってしまう母親は、当然今日も、腕によりをかけて晩御飯を作ってくれている。

 わざわざ誕生日を祝うために帰国。当人としては嬉しい気持ちの反面、何だか申し訳ないような。まあ、気持ちはありがたく頂戴しておくとしよう。


「それと、涼奈を呼んできてくれる?」


 と、ソファから立ち上がり、料理の並べられたテーブルに腰掛けようとすると、母からそんなお願いを受けた。


「涼奈を?」

「あの子、ご飯よってメッセージも飛ばしたんだけど返事が無いの。携帯見てないのかしら?」


 そういえば、さっきから涼奈を見かけてないなと思ったが、部屋に戻っていたのか。


「私はもう少し準備があるから、お願いね」

「あー、分かった」


 若干、気が進まなかった。

 たかが妹を呼び出すだけなのに、俺にとってはなかなかハードルの高いミッションだ。何と言っても、涼奈とはここ数年単位でまともに会話をした記憶が無いからな。

 別に嫌われちゃいないとは思うけど……うーん、まあいいか。

 ひとまず切り替え、涼奈を呼び出すべ二階の部屋へと向かうことにした。


 ……。

 …………。

 

 ──コンコンッ。

 

 二階へと上がり、涼奈の部屋へと到着。

 そういえば、こうして隣の部屋の扉をノックするのは随分と久しぶりな気がする。

 自室から数メートルしか離れていないこの部屋も、気づけば数年単位で立ち寄ることは無くなっていた。これといった用事も無いし、別に入りたいとも思わなかったわけだけど……なんだろうな、不思議な感覚だ。


「涼奈ー、ご飯だぞー」


 部屋からの応答が無かったので、今度は声をかけてみる。

 だが、返事は無い。もしかして、寝てるのか?


「おーい、部屋入るぞ。いいのか?」


 一瞬躊躇したが、母からも涼奈を呼ぶように言われているし、それにたかが妹の部屋だ。

 別に入ったところで殺されるわけでもあるまいし……しょうがない。


 ──ガチャ。


「涼奈ーって、起きてたのか」


 部屋へ入ると、真っ暗な室内で一心不乱にパソコンの画面を眺める涼奈の姿があった。ヘッドホンをしているところを見て、ノックや呼びかけに返事をしなかった理由も分かった。

 やがて、廊下から光が入ってきたことに気がつき、パソコンから視線を動かした涼奈と目が合う。ここでようやく、俺の存在に気がついたらしい。


「──っ!?」


 初めて見る涼奈の表情だった。

 暗くてよく分からなかったが、随分と慌てた様子で、バッと開いていたノートパソコンを閉じ、乱暴にヘッドホンを外して。


「な、何してるの……!? こんなところで」

「いや、晩御飯出来たから呼んで来いって母さんが……。何度か呼んだけど、反応が無いから寝てるのかと思って」

「わ、分かったから……! すぐ行くから、お兄ちゃんは外で待ってて!」

「お、おう。早く降りてこいよ」


 慌てて部屋の外へ飛び出す。

 そんなに慌てるなんて、いったい涼奈はパソコンで何をしていたんだ……?

 というか、久しぶりに涼奈と喋った気がするな。

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